BAROQUE 03
彼はやはりひどく怒っていた。それも当然か。見ず知らずの男に重症負わされたのだから。しかし俺も死ぬわけにはいかなかったんだ。それはわかってもらおうと、俺は俺を睨み続ける彼に恐る恐る声をかけた。
「あの……怪我を負わせてしまったことについては心から謝る。怪我が治るまで面倒は見るつもりだから。でもあれは俺もまだ死にたくなかったから、仕方なかったんだ。……だから、そう怒らないでくれ」
勝手な言い分のような気もしたが、俺は彼にそう訴える。すると彼は俺から目を逸らし、小さくこう呟いた。
「お前なんで俺をそのまま殺さなかったんだ?」
純粋に疑問を問う、そんな声だった。俺は少し迷いながら、「それは……」と口を開く。
何故自分は彼を殺さなかったのか。その理由は、
「まさか人殺しなんてしたこと無いから出来ないとか?」
彼が、含み笑いと共にそう聞く。俺は首を横に振った。
「悪いがそんなに綺麗な人間じゃない」
「……だろうな」
つまらなそうな声でそう返事した彼は、急に表情を真面目なものに変える。
「あんたと刃交えた時、あんた俺と同じ目ぇしてたからな。覚えてる、あん時のあんたの目は人を殺すのに迷い無い目だった」
「……俺は旅をしてる人間だ。旅に危険はつきものだから、たとえば自分の身を守る為なら相手を殺すこともするし、覚悟がある」
俺の返事を聞き、彼はますます疑問だと言いたげな表情を俺に向けてきた。
「ならなんで俺を殺さなかったんだよ」
二度目の問いに、俺は少し考えてこう言葉を返した。
「お前の目が、生きるのを拒否してるように見えたから」
俺のその答えに、彼は驚いたように灰色の瞳を見開いた。
男の返事は、俺の全く予想していなかった答えだった。
「なんだよ、それ……っ」
喉が渇いたまま喋るのは辛く、台詞の途中でちょっとむせる。すると男が、「あ、水飲むか?」と聞いてきた。
「いらねぇよ」
反射的にそう返事してしまったが、実際はかなり水が欲しかった。やたら喉が渇いている。男は困ったように笑いながら、「遠慮するな」と言ってテーブルに置かれた水差しと硝子のコップを手に取った。
水差しの注ぎ口が傾けられ、水がコップに並々注がれる。
「ほら」
男が俺に近づき、水の入ったコップを笑顔で差し出した。しかし俺はそれを受け取らない。それを不思議に思ったのか、男は「どうした?」と首をかしげた。
その能天気な顔がムカつく。どうした、だって? わりぃが俺にはお前が首を傾げる意味の方がわからない。だから俺は男にこう言ってやった。
「毒、入ってんじゃねぇかと思って」
「なっ! そんなもの、入ってるわけないだろう!」
男が驚いたように声を荒げる。反対に俺は静かな声で「どうだか」と呟いた。
「なんでそんなこと考えるんだ。普通毒入ってるかどうかなんて、考えなくないか?」
「考えるだろ、普通。知らねぇ他人からの飲み物だぞ?」
俺がそう少し怒ったように言葉を返すと、男は理解出来ないといった顔で押し黙る。そんな男を嘲笑しながら、俺は男の持つコップを指差した。
「じゃあまずこれ、お前が飲めよ。そしたら飲んでやる」
「……すごい用心の仕方だな。お前、一体どういう環境で育ったんだ?」
男のその疑問には答えない。答えたくも無い。俺が黙っていると、男は小さく溜息を吐き、コップに口を付けた。
男の喉が動く。一口水を飲むと、男は「ほら、これでいいか?」と少し呆れた目を俺に向けた。
俺は体を起こし、無言のまま男の手からコップを奪う。そして中に入った冷たい水を一気に飲み干した。正直かなり喉が渇いていたから、水が飲めたことは普通に有り難かった。
「やっぱり喉渇いていたんじゃないか」
「うるせぇ。それよりなんだよ、さっきのお前の返事」
呆れ顔の男を睨みつけながらそう言うと、男はまた表情を変えた。