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不破の望みと矢印の行方

「……やっぱり、入ってる」



 翌朝。


 みんなより先に出勤してきた私は、不破のデスクの足元のゴミ箱にお饅頭のフィルムが捨ててあるのを確認した。



 そうだと思った。


 不破がぺこんちゃんの気を引きたくてお饅頭をあげるなんてことができるタイプなら、むしろ、話はもっと早く終わっていたはずだもの。



 早く来たのは、いつも係で真っ先に出勤してくる相手を待つため。


 来るまでにデスクまわりや受話器を拭こうと、共用のウェットティッシュケースを探して見回すと、ぐろちゃんのデスクの脇に置いてあった。



 普段誰に言われなくても軽い清掃をしてくれる、そんな気遣いが、ぐろちゃんの憎めないところなのよね。



 ウェットティッシュを引っ張り出してディスプレイの上から拭き始めると、一月前に置いたマスコットに全然埃が落ちていないことに気付く。


 じっと見つめていると、軽快な足音が近づいてきた。



「あれー? 律さん、おはようございます。今日早いっすね」


「おはよう、ぐろちゃん。今日はちょっと、ぐろちゃんに訊きたいことがあってね」



 当社比で眼光鋭めにぐろちゃんをキッと見上げると、ぐろちゃんがたじたじと立ち止まった。



「もしかして、あれっすか」



 でも今日の私は引かないのよ。



「いい?」


「――――お伺いします」



 許可が取れたので、今回も不破の椅子を占拠することにする。



「ぐろちゃん、不破が私のこと好きなんかじゃないこと、知ってたよね?」


「いや! それは本当に知らないです!」



「でも、不破にトレイを取ってもらったことがあるでしょう。それとも、不破はぐろちゃんのことも好きだっていうこと?」


「あー! そういう誤解かあ。あれは違うんです」



 ぐろちゃんが大きく膝を何度も叩いている。


 誤解するようなところがあったかしら。



「いや、怒られると思いますけど、不破さんに、律さんにトレイとかお箸とか取ってあげるといいですよって言ったのは、確かに俺です」



「なんでそんなこと言ったの?」


「ちょっと、やってほしかったんですよ。でも本当にやるとは思わなかったんです。不破さんには意味ぜんっぜん通じてなさそうだったんで、これ無理だなって諦めたんです」



「どういうこと?」


「えっと……内緒にしてくれますか?」



 ぐろちゃんがぺこんちゃんの席にちらっと目を向けたので、私はしぶしぶと頷いた。


 というか、なんとなく次の話がわかった。



「ぺこんさんの見てる前で、不破さんが律さんに特別っぽいことしてくれたら、ぺこんさん諦めるんじゃないかと思って」


「えっ、そっち?」


「ほらー、やっぱ律さんも気付いてないし。ぺこんさん控えめすぎるんですよ」


「えっえっ」



「不破さんも、そういうのぜんっぜん気付かないから、ぺこんさんいっつも凹んでるんすよ。俺、ぺこんさんのこといいなって思ってるから、不毛な片思いならやめるきっかけになればって。律さんに彼氏がいるなんて知らなかったんです! すみません!」



 まさか、ぺこんちゃんってそうなのか!


 ぺこんちゃんの気持ちもぐろちゃんの気持ちも気付かなかった自分にびっくりだわ。



「え、いや、うん。私も言ってなかったからね。不破に通じなかったって、なんて言って伝えたの?」


「不破さんは律さんが好きなんだろうなって思って。それで、律さんも嫌いじゃないんだろうなと思ってたんで。律さんにやってあげたら、進展のきっかけになりますし、悪い気しないと思いますよ、簡単なことですしやってみませんか、って伝えたんですが」


「完全に焚き付けてるわね」



「いやでも、不破さん、不機嫌そうに『は?』って顔して。なんで俺が、とか言って、その上、俺に対して教えた手順でサービスしようとしてきたので、『俺の機嫌取るような真似するのやめてくださいよ、ほしいものでもあるんすか?』って訊いたら『いや』って言ったきり黙って」



「ぐろちゃんが、不破は実行しないって思ってた理由はわかったわ。でも、不破は絶対私のこと好きなんかじゃないから。さすがにそれくらいはわかるわよ」



「いやでも、律さん恋愛感情にそんなに鋭くないですよね」


「それはそんな気がしてきたわ」



 なにしろ今しがた突き付けられたところだからね。


 自信失うわ。



「でも私、そのやり取りで不破が『トレイ取ってやったら、ほしいものがあるって思わせられる』って学んだんじゃないかって疑いがふつふつしてきたわ。そういう曲解しそうじゃない?」


「あー、そういうこと思いそうっすね」



「そうじゃなければ、ふざけてやったか。ときどき人には全く理解できないふざけ方するのよね、不破って」


「ふざける不破さんとか、絶滅危惧種じゃないんすか」



 残念ながらシーラカンスほどレアじゃないんだな。



「――――何にしても、ぐろちゃんは人を利用して自分の恋愛を進めようとしない! うちの職場なんて狭い世界なんだから、一旦(こじ)れると大変なんだからね」


「すみませんでした!」



「あ、ぺこんちゃんにお饅頭あげたのもぐろちゃん?」


「そっす」


「減点!」


「本当すみませんでした!」



 直角にがばっと腰を曲げてきれいに頭を下げてきたぐろちゃんは、困ったやつだけど憎めない。


 なんでも正直に白状しちゃうところまで含めて、かわいい後輩なのよね。



「ぐろちゃんは、不破が私におねだりするとしたら、なんだと思う?」


「いやー、わかんないっすね」


「そうよねぇ」



 不破はそういうアピールをほとんどしないから、周囲からはなかなかわからない。



「おはようございます! 早いですね、律さん」


「おはよう、ぺこんちゃん」


「どうしたんですか? ふたりとも。朝から楽しそうですね」


「金曜日だからね。ねえ、ぺこんちゃん。不破のほしがってるものって何か心当たりある?」



 試しに訊いてみると、ぺこんちゃんがくすくすと可笑おかしそうに笑った。



「ありますよー。やだ、律さん気付いていませんでした?」


「何のこと?」



「不破さん、昨日律さんがディスプレイの上にピティちゃん置いてからそわそわしてたじゃないですか。なんかかわいいですよね」


「あーっ、なんっか不破さん律さんのほう見てると思ったら、それ見てたんすか」



「なんでピティちゃん? 不破が?」



 話についていけない私を、ぺこんちゃんが察しの悪い子を前にしたみたいに、困り笑いで突き付けてきた。



「だって不破さん、小さくてかわいいもの、大好きですよね」





 そののち、出勤してきた不破をとっ捕まえて聞き出すと、不破は「いや……」とか「あー……」とか言いながら、しぶしぶと肯定した。



 たったそれだけで!


 ご当地ピティちゃんが欲しいってだけで私をこんなに振り回したっていうの? 正気!?



「そんな欲しいならあげるわよ。研修中に仕事進めておいてくれたお礼。はい」


「…………」



 ディスプレイからつまみ取って不破の手の中に収めてあげると、不破が無言でまじまじとピティちゃんを見ている。


 少し角度を変えたりしながら。



 ほんとにそんなに好きだったのね。


 不破に、小さくてかわいいものが好きだって言うのが恥ずかしいって感じる機能が付いていたことを、喜んでおくことにするわ。



「……代わりに、なにか、やる」


「いいわよ、そんなの」


「いいから」



 不破の自発的な発声にはちょっと驚くけど、これは後ろめたく思ってるのね、きっと。



「不破さん、律さんが遊園地で買ってきたマスコットのときもすごい気にしてましたもんね。貰えてよかったですね」



 照れたように返事をしない不破を、にこにこと頬を持ち上げ、笑顔で見守るぺこんちゃん。


 こんなに不破のことをよく見ているなんて、ぐろちゃんの勘違いでもなく、ほんとに不破のことが好きなんだ。



 そんなぺこんちゃんを見ていると、ふと、私たちの噂だけなら確実に消せる名案を思い付いた。



「あ。それじゃあ不破、悪いと思うなら、私以外の相手にもトレイとかお箸とか取ってあげてくれない? あなたの考えなしな行動のせいで、私たち誤解されて噂になってるんだからね」



「はあ!?」


「とんでもないと思わない?」


「嘘だろ……」



 顔を上げて唖然とした不破をよそに、私はぺこんちゃんに目配めくばせした。


 まつげをパチパチするアレです。



 はっとした顔のぺこんちゃんが、胸の前で握り締めたこぶし二つを一度ぎゅっと握る。



「不破さん! 私、今日不破さんと一緒にお昼休憩入りたいです。それで、私にトレイとお箸、取ってもらっても、いいですか?」


「……いい、けど」


「ありがとうございます。すっごく楽しみにしていますね」



 ぐろちゃんがトホホ顔で成り行きを見守っているのを見て、私はなんだかおもしろくなった。




 うちの係はちょっと距離は近すぎるかもしれないけど、みんながみんなのことをよく見ていてくれる、すてきな係だ。



 私はずっと私だけが不破担当だと思っていたけど、きっとそうじゃなかった。


 もう、ぺこんちゃんも、ぐろちゃんも、癖の強い不破との付き合い方をしっかり覚えてる。


 私の気付かない不破の一面に気付くくらいなんだから。



「おはようさん。なんだお前ら、朝からたむろして」


「おはようございます、係長。大丈夫。もう全部解決です! 今日も一日、みんなで頑張りましょうね」



 朝から満面の笑みの私を、係長がやれやれというように見て、席に着いた。


挿絵(By みてみん)

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