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「きゃーっ黒猫ちゃん、可愛いっ!」
「子猫だよね? ちっこいい、毛がふわふわっ!」
リヅを引き取ってから数日後の水曜日、今日は私の部屋で女子会をすることになった。
初めて美樹と雅にリヅを会わせたら、二人は大興奮!
リヅは二人の食いつきように驚いて、すぐにソファ下の手が届かない狭い隙間へと、避難してしまった。
「ごめん……驚かせて。逃げちゃった」
美樹が困り顔で申し訳なさそうに私に謝ってきた。
「いいよー。そのうち慣れて出てくると思うよ。それよりご飯作ろ!」
私は二人が気にしないように微笑んでからキッチンに移動する。
今日のメイン料理は餃子。
オーソドックスなニラとミンチの餡が入った餃子と、少し変り種として、餡とミニトマトとバジル、一口サイズに小さく切ったチーズを入れたイタリアン風と、餡と梅干と千切りにした大葉を入れた、和風の三種類を作ることにした。
ダイニングテーブル中央に大きなホットプレートをどんっと置く。
三人で餃子の皮に餡を詰め終えると、プレートの上に包んだばかりの餃子を並べた。
みんなでわいわいとお喋りしながらの作業は楽しい。餃子の皮が焼ける香ばしい匂いがリビング中に広がる。
「ニンニクのいい匂い。食欲そそられる!」
すうっと深呼吸するように餃子が焼ける匂いを深く嗅ぐ。お腹の空き具合を実感すると同時に、喉の渇きも覚えた。
「餃子にはやっぱりビールよね!」
私と同じことを雅も思ったらしい。
雅は冷蔵庫を開けると冷やしておいた缶ビールを三つ取り出し、微笑んだ。
私が棚から大きめのグラスを取り出すと雅は、グラスに泡をたてながら並々とビールを注ぐ。
「とりあえず、焼けた餃子第一陣が冷めないうちに食べよう。かんぱーい!」
雅の号令とともに、金色の液体で満たされたグラスを合わせて、カチンと音を鳴らした。
「いただきまーす。……うッまあーいっ! チーズ入り、美味しくてやばいよっ」
美樹がはふはふしながら美味しそうに餃子を食べていく。
「私もいただきます」
トマトとチーズ、バジルが入った餃子を私も口へと運んだ。
「わっ。ホント、美味しい!」
口の中に熱々で濃厚なチーズがふわり広がり、トマトの酸味と絶妙なハーモニーを作る。そこへバジルの香りがすっと鼻に抜けて、すごく病み付きになる美味しさだった。
「梅と大葉のも美味しいよ。あっさりしてて何個でもいける!」
「ホントだ。こっちもいいね」
焼いたそばからあっという間に餃子はなくなった。次が焼けるのをしばらく待っていると、
ソファの下に隠れていたリヅが飄々とした様子で出てきた。
「あ、リヅ!」
にゃーにゃー鳴きながら、私の足に長い尻尾を絡めてくる。
「匂いに釣られて出てきたの? リヅ、ごめん。ニラは猫にあげちゃダメなんだよね。代わりの餌をあげる」
私はリヅ用に猫缶の中身を餌皿に出して、リヅに与えた。
「しかし、和花が猫を飼うなんて。ちょっと意外だったなあ~」
すでに一杯目のグラスを空にした雅は、手酌で自分のグラスにビールを注ぎながら興味を持った目で私を見る。
「そう、……かな。動物は好きだよ。リヅはその、情が移っちゃって」
「瀬名さんが猫を拾ったのもなんか意外!」
美樹が餃子をひっくり返しながら言った。
「……うん。美樹、ごめんね? 黙って瀬名さんと会っちゃって……」
ケンちゃんとデートした直後、元彼である瀬名さんと会った。
そのことを私は、ケンちゃんと引き合わせてくれて応援してくれている美樹に、事後報告する形になってしまい、少し後ろめたさがあった。
「やだ、和花ったら! 謝らないで? 和花が誰と会っても自由でしょ。瀬名さんと会うのに私の許可なんていらないよ~。瀬名さんと会ったお陰でリヅくんは和花にもらわれて良かったじゃん! それに…別により戻したとかじゃないんでしょ?」
「うん。それはないよ」
ケンちゃんとは水族館でデートして以来、ほぼ毎日ラインのやりとりを続けている。
スタンプや挨拶、取り留めのない話をすることもあるけれど、デートする前より内容がある話や、ラリーの回数がぐんと増えた。
ここ数日は次のデートはいつにするか、どこへ行くかの内容ばかりしている。
「ケンちゃんと仲がいいってことは、瀬名さんのことはふっきれたんだね」
「……え?」
雅の突然の言葉に胸がどきりとした。
「合コン行ったり、ケンちゃんとデートしてみたり、前向きに進もうとする気持ちっていいと思うよ、ただ……和花、しばらく気持ちの踏ん切りというか、整理できてなかったでしょ。少しは落ち着いたんだね」
気持ちの整理……。私はもう、付いたといえるのかな?
「うん。今はその……ケンちゃんのこと、前向きに考えてみようと思ってる。……明日もデートなの」
だけどもう前に進めたくて。一瞬ドキッとしてしまった気持ちを誤魔化すように私は、明るい声でそう答えた。すると、美樹の表情がパッと見るからに明るくなった。
「そっか。仲良くいってるんだねー!」
美樹の喜びように釣られるように、私も笑顔を零した。
「私のことより、美樹は? 彼氏の岡崎さんと最近どうなの?」
最近彼氏ができてラブラブ中の美樹の様子も気になった。
「私?! 私はねぇ…、」
私は自分の話をするのがちょっと苦手で、友達の恋バナを聞いている方が楽しくて有意義に感じる。
美樹のしあわせな様子を微笑ましく思いながら、しばらく耳を傾けた。
その後も次々と餃子を焼きつつ、恋の話や仕事の話、三人がハマっているテレビドラマの話をして盛り上がった。
「あー、お腹いっぱいっ!」
餃子は大量に包んで焼いたため三人では全て食べきれず、残った餃子は美樹と雅が持って帰ることになった。
「じゃあ、またねー」
「おやすみ。和花とリヅくん」
三人でお皿の洗い物を済ませると、夜の十時過ぎには女子会改め、餃子パーティーはお開きとなり、美樹と雅をリヅと一緒に玄関で見送った。
リビングに戻った私は、女子会に夢中でしばらく放置していたスマホをチェックした。
「あれ?」
奈桜子さんから着信あったんだ……!
着信があったのは小一時間ほど前。
マナーモードにしていたため、今頃気づいた私はすぐに折り返し電話をかけた。
『もしもし』
ふわりとした優しい奈桜子さんの声がスマホを通して私の耳に届く。
「もしもし、奈桜子さん? ごめんなさい着信今気づいたの、こんばんは。どうしたの?
奈桜子さんからの電話の用件は、今度ランチをしようというお誘いだった。
「ランチ? うん、いいよ。したい!」
『いつがいい?』
キッチン横の壁掛けカレンダーを見る。
今週末はケンちゃんとデート。来週になれば余興の打ち合わせがある。
結局二人の予定が会うのは二週間後で、私の休みの日にお昼前から出かけて少し遠出をすることになった。
『急に電話してごめんね。また再来週楽しみにしてる、おやすみー』
「うん。私も楽しみ! おやすみなさい」
嬉しいっ! 今度奈桜子さんとご飯できる!
私はウキウキしながらカレンダーに、”奈桜子さんとデート”と、書き込んだ。
美樹たちと餃子パーティーをしたニ日後の金曜日、仕事を終えて帰宅する人でいっぱいの駅構内で、私はそわそわしながら待っていた。
「和花ちゃーん! 久しぶりっ。会いたかった!」
声がした方へ振り向くと、笑顔のケンちゃんが手を振り、小走りで私の元へ来た。
「久しぶり。ケンちゃん」
デートの待ち合わせ場所は、ケンちゃんの最寄り駅。
サービス業の私は、公務員のケンちゃんが休みの土日が仕事だったりして、なかなかお互いの休みが合わない。
結局昼間のデートは諦めて、私が休みの今日、平日で仕事終わりのケンちゃんと会うことになった。
「ケンちゃんお仕事お疲れ様。その、……大丈夫?」
息を整えている様子から、急いで来てくれたのが伝わってくる。
「だいじょーぶ! 和花ちゃんにやっと会えて、疲れなんか吹っ飛んだよ」
あどけない笑みを浮かべるケンちゃんにほっとして、釣られて笑顔になった。
「どうする? お店、俺が決めていいかな? 何が食べたい?」
「なんでもいいよ。ケンちゃんに任せる」
ここはケンちゃんの地元だし、私よりお店には詳しいだろうと思った。
「オッケー。よし! じゃあ和花ちゃんがたぶん行ったことがないお店、連れて行くよ!」
そう言いながらケンちゃんは、さいりげなく私の手を掴んだ。
「帰宅ラッシュで人が多いし、はぐれないように」
「うん……」
ニコニコと笑うケンちゃんに私は戸惑いながらもコクリと頷く。
会って数分だけど、すっかりケンちゃんペース。
瀬名さんとは人前で手を繋ぐなんて子としたことない。
顔がのぼせたみたいに熱かった。
ケンちゃんは私の手を引いて、駅からどんどん離れていく。
「ケンちゃん。どこまで行くの?」
十五分ほど歩いてもまだ目的地に着かなくて、気になった私はご機嫌な様子のケンちゃんの横顔に尋ねた。
「あ、歩くの疲れた?」
ケンちゃんは急に立ち止まり、私の顔を心配そうに覗き込んできた。
わっ。ケンちゃん、近い……!
「歩くのは平気。大丈夫! ただどこまで行くのか気になっただけだよ」
疲れていないのをアピールするために、笑顔で答えた。すると、私の顔を不安そうに見ていたケンちゃんは、安心してニコリと微笑みを返してくれた。
「大丈夫ならよかった。お店にはもう着くよ」
ケンちゃんは私の手を引いて、大通りから急に、細い路地へと入っていく。
「近道しよう! ここを突っ切った先にその店があるんだ」
確かに道は細いのに近道なのか、途中サラリーマンとすれ違った。
「和花ちゃんみたいに可愛い女の子は一人でこんな狭くて暗い道、通っちゃダメだよ! あ、あそこ、見えてきた」
「…あのお店? 居酒屋さん?」
正面のお店には沖縄料理『おもろ庵』と書かれた藍色の暖簾があり、引き戸のドアが半分開いていた。
「そう、居酒屋! すっごく料理が美味いんだ。俺、酒はセーブするからいいかな?」
「もちろん、いいよ!」
「よし。じゃあ入ろう!」
ケンちゃんは躊躇することなく暖簾を潜った。
お店に入ると優しそうな女将さんが微笑んで出迎えてくれた。
次に目を引かれたのは、カウンターの上に何皿も並べられている大皿料理。見たこともない料理の数々に興味を惹かれた。
ケンちゃんは女将さんと二言、三言喋った後、慣れた様子で奥へと進む。
そこは掘りごたつのある個室で、壁には首里城や沖縄の青い海と空を写した風景写真、テーブ
ルの上には小さなシーサーの置物が飾られていた。
見慣れない南国情緒溢れるディスプレイ。だけど居心地の良い、落ち着ける空間だった。
「私、本格的な沖縄料理って初めて」
周りの内装を珍しげに見ながら席に付くと、ケンちゃんがメニュー表を手渡してくれた。
早速メニューを眺めて見たけれど、知らないカタカナ用語が羅列されている。読んだだけじゃ、どれが何の料理かイメージが湧かない。
「任せて。俺ね、沖縄料理通なの! 適当に注文するから食べられなかったら無理して食わなくていいよ、俺が食うから。とりあえず、先に飲み物頼もうか。オリオンビールでいい?」
「えっと、沖縄のビールだっけ? うん。いいよ。お願いします」
ケンちゃんは店員さんを呼ぶと、オリオンビール二本と、他に聞きなれない料理を数点、一緒に注文してくれた。
「和花ちゃん、オリオンビール知ってたんだ」
注文をした直後、ケンちゃんはおしぼりで手を拭きながら私に聞いた。
「うん。オリオンビールの名前の由来って、星座のオリオンに関連してるでしょ。ロゴマークの三ツ星とか。……私ね、天体観測やギリシャ神話が好きなの。それもあって」
「へぇ! 和花ちゃん、天体観測好きなんだ! じゃあこないだのデート、プラネタリウムは和花ちゃんの好みを俺、当てちゃった系?!」
「……うん。当てられちゃった」
照れながらも認めると、ケンちゃんはやったーっ! と、大喜びした。
そのタイミングで噂のオリオンが運ばれて来た。
キンキンに冷やされた缶を開けると、お互いのグラスにビールを注ぐ。
「かんぱーい!」
グラスをカチンと軽く合わせると早速呷った。
乾いていた喉を潤しながら、オリオンビールがすっと体の奥へと落ちていく。
「オリオンビール、美味しいね」
のどごしさっぱりのビールをゴクゴク飲んでからケンちゃんに向けて微笑んだ。
「ごめんね。今日はこんな親父率の高い居酒屋に連れて来て。夜景が綺麗なレストランにはまた今度、時間がゆっくりある時に連れて行くから」
私はケンちゃんの言葉を受けて、首を小さく左右に振った。
「私、居酒屋さん好きだよ。それにさっきも言ったけど、沖縄料理なんて初めてだから、すごく嬉しい」
「ほんと? 実は俺ね、居酒屋のが寛げるんだ。だから居酒屋でも大丈夫ならすっごく助かる! あ、ここの味はね、保障する。マジで美味いから!」
ケンちゃんとおしゃべりを楽しんでいると、すぐに美味しそうな料理が次々と運ばれて来た。
「ねえケンちゃん。これ、なんていう料理?」
私がテーブル上に広がる手料理を見て質問すると、ケンちゃんは嬉々とした表情で説明を始めた。
「これはね、ソーミンチャンプル! で、これがゴーヤチャンプル! 刻み昆布のクープイリチーも美味しい。あと、しまらっきょ。すぬい、あ、沖縄モズクのことね。それからラフティー。豆腐ようはクセがあるから今回はやめておいた」
「チャンプルはなんとなくわかるけど、他はあまり馴染みがないかも? どれも美味しそう。このプツプツは?」
「それはね、海ぶどう。海藻だよ。グリーンキャビアって言われたりもする」
「これ、海藻なの?! どうやって食べるの?」
「タレをかけたらプツプツが萎んじゃうからタレにつけながら食べるんだ。塩味が効いててさっぱり系! 見慣れないとビックリするかもだけど、騙されたと思って食べてみて。すっごく美味しいから。食感を楽しんで!」
「わかった。食べてみるね」
お箸で一口分掴むと、タレにつけてから口に運んだ。
「わっ。ほんとだ。食感が不思議。プチプチしてる。美味しい!」
つけたタレは醤油と他に何かブレンドされてるのかな?
ほのかに残る海ぶどうの塩っぽさとタレが絶妙に絡んでクセになる味だった。私はパクリともう一口、口に運んだ。
「気に入ってもらえてよかった。あとで締めにソーキそばも頼もうね!」
お店に入る前にセーブすると言っていたケンちゃんはその後、「一杯だけ!」と、古酒クースという泡盛を3年以上貯蔵した、少し度数が強いお酒を頼んだ。
そして、運ばれてきた物に私は驚いた。
「これ、急須みたいな形だけど違うよね?」
「それね、カラカラって言うんだ。陶製の酒器。泡盛を飲む用なんだ」
「へぇ、泡盛専用なんだね」
泡盛って、なんて珍しい容器に入っているんだろう……!
「なんで急須のように蓋や取っ手がないのかな?」
「泡盛は基本熱燗にしないんだ。だから取っ手は必要ないんだよ。で、ここ見て。泡盛を注ぎやすいようにこの上部中央は漏斗状になってるんだ。この大きさのカラカラはね、二合分入る」
「ケンちゃん、本当に詳しい!」
「和花ちゃん、結構お酒飲めるんだよね? クースは度数少し高いけど、美味しいんだ。あ、泡盛は僕が注いであげるね」
ケンちゃんはカラカラを掴むと、お猪口に注いでいく。
「頂きます」
私はクースをくいっと呷った。
「……これがクース! 芳醇な風味なんだね。コクがあって、まろやかっていうか……すごく、美味しい!」
「おおっ! やっぱり和花ちゃんにはこの味の良さ分かるんだね。カッコつけの岡崎野郎はなんか好きじゃない。とか言ってたけどねー。あ、もう一杯どうぞ」
言いながらケンちゃんはカラカラをお猪口に傾けた。
「あ、ありがとう。ケンちゃん」
慌ててお猪口を両手で持ちあげ、注ぐケンちゃんにお礼を言う。するとケンちゃんはニコッと笑った。
「どんどん飲んで! 代わりに今度和花ちゃんには急須で美味しい煎茶いれてもらいたいなぁーなんて!」
「煎茶? 煎茶はうちの流派では教えてないから普通だよ? 特別美味しく淹れられな……」
「りゅ、流派?! えっちょっと待って。和花ちゃん今、うちの流派って言った?!」
ケンちゃんが身を乗り出し、目を大きく見開いて私を見た。
「え? あ……」
しまった。私、ケンちゃんに家のこと、まだ言ってなかったんだった……。
「…えっと…実はね。私の実家、茶道の家元なの」
「茶道の家元ーっ?! てことは和花ちゃんって、超お嬢様?!」
「お嬢様!? そんなことないよ!」
「……どうりで和花ちゃんには奥ゆかしいというか品があるというか、別格だと思ったぁ~。あ、家元てことは、将来は跡継ぐの?」
「ケ、ケンちゃん! 落ち着いて……。声が大きくなってる……!」
「あ、ごめん。つい、こーふんして」
赤ら顔のケンちゃんはハッとした顔をすると、手を顔の前で合わせ何度も謝ってくれた。「私はね、普通だよ。なんの取り柄もないの。小さい頃から茶道を徹底的に教え込まれただけ。そんな凄いことじゃないからね」
「徹底的に……。そうなんだぁ~。茶道……和花ちゃんの和装、見てみたいなぁ!」
「……ね、ケンちゃん。私の話はもう、おしまいにしない?」
目をキラキラと輝かせなるケンちゃんに私は困ってしまった。
はぁ……なんで私、口すべらしちゃったんだろう……。まだ自分の家の話、したくなったのに。
家のことを知っているのは瀬名さんや美樹、雅など、本当に一部の親しい友人だけ。
ケンちゃんには、もう少し打ち解けた関係になってから言おうと思って、まだ言うつもりはなかった。
……それだけ急速に、私の中でケンちゃんが気を許せる相手になってきてるってことかな……。
「…私のことよりケンちゃんの話を聞きたいな。なんで沖縄料理に詳しいの? あと、聞いていいかな? ケンちゃんはなんで今のお仕事を選んだの?」
「わかった。じゃあなぜ俺が沖縄料理に詳しいのか、説明するね」
お猪口をぐいっと呷ってからケンちゃんは、楽しそうに話し始めた。
ケンちゃんが沖縄料理に詳しかった理由。それは、大学生の時、ここでアルバイトをしていたからだった。
ニコニコしながら、沖縄や沖縄料理が好きな理由をしばらく熱心に語ってくれた。
「……で、もう一個の質問。なんで今、公務員として働いているかだけど。……恥ずかしいかな。親に言われて?」
「え?」
ケンちゃんは 言葉では恥ずかしいと言いながらも、堂々とした表情で答えた。
「俺ね、小学生の頃からずっと言われ続けてきたんだ。公務員になれ~。なってくれ~って。もはや刷り込み? ああ、俺、公務員にならなくちゃって」
「つまり、もうその時から将来決めてたの?」
「 いや? 学生の時は、裕哉や陽介とずっとバカな事ばっかりして将来なんて考えてなかったかな。で、まぁ、いよいよ進路決めなくちゃの時にやっぱり公務員以外、考えられなかったんだよね」
「……そう」
「それでね、今はなってよかった~と心底思ってる。公務員を勧めてくれた親にはすごく感謝してるんだ」
私は目を丸めた。
「親に感謝?……ケンちゃんって、すごく偉いなぁ……!」
いくらお酒が入ってるからって、それを堂々と言い切れるケンちゃんに私は尊敬と好感を抱いた。
……私と、大違い。
ケンちゃんって家族と仲が良さそう。何でもお互い言い合える関係なのかな?
今の朗らかな彼を見てそう思った。
「進路を決める頃って、思春期というか、なんとなく親を避けたりしちゃうでしょ? 何でも自分で決めれるし、やれるんだ! みたいな……」
「何でも自分で? 和花ちゃん、意外としっかりしている子供だったんだね」
ケンちゃんは目を大きくぱちくりさせながら私を見た。
「私は……ただ家が窮屈に感じて、逃げるように家を出て就職先も自分で決めちゃった。世間知らずの子供がただ背伸びして大人ぶっていただけだよ。いつまでも反抗心が残ってただけ」
「反抗心か……。そういえば、俺、あんまり無かったかも」
うーんと唸るケンちゃんを見て思わずかわいいなって思った。
「ケンちゃんは、ちゃんと人の意見を聞く心を持ち合わせているんだね。すごいことだよ」
私が飛び出すように家を出たとき、親はいい顔をしなかった。
その当時の記憶が蘇り、苦笑いを浮かべた。
「うーん……。たまたま親の意見と俺の意見が合致しただけだよ。てか、和花ちゃんっておっとりしているように思えるのに、ちゃんと自分の意思しっかり持ってて行動出来るんだね。ごめん、ちょっと意外だった!」
「そう? かな……。人に意見するとか苦手だよ……。それに今思えば、ただのわがままだったように思う。親の気持ちとか考えられなかった」
ずっと反抗心は在ったけれど、親に行動で示したのはその時が初めてだった。
最初こそ自由だと喜んだけれど、環境をガラリと変えての一人暮らしと仕事は、戸惑いが大きく不安で心細く、すぐにホームシックになった。
自分の意見を言うんじゃなかったと、家を出たことに後悔し始めていた頃、出会ったのが瀬名さんだった。
「ケンちゃんは親の期待に応えたんでしょ? ……人の気持ちを汲み取れて分かってあげられる。ケンちゃんって本当に、とても優しい人」
私は結果、親の期待に応えることが出来なかった。そしてこれからも答える気はない。ケンちゃんと違って、親不孝者……。
「え! そんな正面切って優しいって言われても、あんまり嬉しくないんだけど?!」
突然ケンちゃんはヤダを連呼して、嫌そうな顔をした。
「え? なんで?」
「あのね、優しいんだけど、でもねぇ……? なんてケース、よくある。よくあるんだから! 俺はもっとワイルドなんだぜ」
「……ワイルド?」
私は目をパチパチさせながらケンちゃんを見た。
「優しい男止まりなんて勘弁してほしい。てのが悲しいかな、モテない男の本音!」
「ケンちゃん優しいし、すごくモテそうなのに」
「年寄りや子供にはモテるよ。だけど、……分かってる。俺は酒で失敗するんだ。分かってるんだけどねぇ。酒、止められない」
ニヒヒと笑ってケンちゃんは、クースが入ったお猪口をガバッと飲んだ。
くーっと声を漏らし美味しそうに飲むケンちゃんを見て、思わずクスリと笑みがこぼれる。
「ほどほどに飲むならいいと思うよ。私がセーブするように気を付けてあげるね」
するとケンちゃんはパッと表情を明るくさせた。
「こんなにお酒が美味しいの初めてかも。和花ちゃん、すっごく嬉しいよ。本当好き!」
酔ってるとはいえ、正面きって好きと言われて、嬉しい反面とても恥ずかしくなった。
「ケンちゃん、今日はありがとう」
ソーキそばまで食べてお腹いっぱいになった私たちはおもろ庵を後にした。
『クースは足にくる』とケンちゃんが言った通り、私はいつもより早くお酒に酔っていた。足元が覚束なくてふらふらする。
しかも外に出た私たちを出迎えてくれたのは、霧のように細かい雨。
「雨に濡れないように、こっちにおいで」
ケンちゃんも酔っているみたいだけど、まだ意識はあるようで足元はしっかりしている。
明日も仕事の私のことを気にかけてくれて、今日はお店一軒で帰ることにし、私を軒先に立たせると一人大通りに飛び出してタクシーを止めてくれた。
二人でタクシーに乗り込んだあと、私はふうと、思わずため息をこぼした。
走り出したタクシーの車窓に打ち付ける雨越しに外を眺めていると、左肩に重みを感じドキッと胸が跳ねた。ケンちゃんに寄りかかられたまま私は固まった。
「また雨だね~。オレ達デートの度に雨だよな。まあ、そのお陰で密着できるけど」
「密着……」
ストレートな言葉に私の顔が火照りだす。
「今度、みんなで海行くだろ。そん時はすっげえ晴れるといいね!」
寄りかかるのを止めて、私の顔を覗き込みケンちゃんは言った。
「そうだね」
私はケンちゃんに微笑みを返した。
ケンちゃんって、…いいな。ほっこりしちゃう。
ケンちゃんの気持ちをはっきり伝えてくれる行為には、思わず恥ずかしくなることもあるけれど、誠意は伝わってくるし、安心できる。居心地もいいし、一緒にいて楽しい。
……もしかしたら私、このままケンちゃんこと、本当に好きになれるかもしれない。
「ねえ、和花ちゃんの家って、この辺り?」
「え? あ、うん!」
ケンちゃんに聞かれて、私は慌てて身を少し乗り出し、タクシーの運転手さんに説明をした。
アパートの軒下前にタクシーが着くと私は財布を取り出し、タクシー代を払おうとした。するとそれをケンちゃんに止められた。
「いい。いい。俺の家まだ先だし、ついでだから」
「でも……」
ケンちゃんの最寄り駅で飲んでいたのに、わざわざ私の家を経由したからだいぶ遠回りになってしまった。私が申し訳なさげにしているとケンちゃんはふっと笑った。
「浮いたタクシー代は可愛い水着代の足しにして。楽しみにしてる」
「……水着……」
私がさらに返答に困っていると、「じゃあね、明日も仕事頑張って」と言い残して、ケンちゃんを乗せたタクシーは水しぶきを上げて走り去ってしまった。