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** 3 **



 ケンちゃんとデートした次の日、朝から厚い鉛色の雲が空を覆っていた。どんよりした天気。なのに、私の気持ちは清々しかった。


 充実した休日を過ごすことで、しっかりリフレッシュできたおかげだと思う。仕事ではいつも以上に自然な笑顔で接客ができた。


 特にトラブルもなく定時に仕事は終わり、私は軽やかな気持ちで仕事場であるデパートを後にした。

 途中スーパーで買い物を済ませ、アパートに着く頃には日は傾き、あたりが暗くなり始めていた。


「あれ?」

 アパートの一階の階段そばには、みんなの部屋番号が書かれた郵便受けがある。ポストを開けて確認すると、一通の手紙が届いていた。


 差出人は中学のときの部活の先輩 、大好きな“ 菜桜子 ” さん。そして、連名で菜桜子さんの彼氏 “ 京介 ” さんの名前があった。

 手紙をひっくり返して表をもう一度見る。

 筆ペンで丁寧に書かれた私の名前と、貼られている切手は寿の絵柄だった。

「この手紙、きっと、結婚式の招待状……!」


 嬉しさのあまり、思わずその場で飛び跳ねそうになった。

 ドキドキと逸る胸元で手紙を抱きしめ、アパートの階段を駆け上がり、自分の部屋へと急いだ。



 部屋に入り電気を点けると、スーパーの袋と手荷物をダイニングテーブルの上にどさっと置いた。収納ラックからペーパーナイフを取り出すと、すぐに手紙の封を切り中身を確認した。


「式と披露宴は十月。うわぁ、楽しみ!」

 菜桜子さんとは社会人になってからの方が仲よくさせて貰っている。よく一緒に飲みに行くし、今はなんでも話せる大切な友達だった。


 今すぐお祝いの言葉が言いたくなった私は、ウキウキしながら菜桜子さんに電話をかけた。だけど残念なことに電話は繋がらなかった。代わりにラインを送る。


(ご結婚おめでとうございます。式も披露宴も、もちろん参加させて頂きます。すぐに出席の返信ハガキ出しますね。……菜桜子さんこないだ食事した時、何も言ってなかった。秘密にしてたんですね? ビックリしました! 菜桜子さんのウェディングドレス、とても楽しみです!)


 長年連れ添ったおしどり夫婦のように、とても仲のいい菜桜子さんと京介さん。二人は私の憧れ、理想のカップルだった。

 菜桜子さんの幸せな笑顔を思い描くと、自然と口元が緩む。


 自分のことみたいに嬉しい! いっぱい、祝福してあげたいなぁ……。

「よし! 素敵な知らせを受けた今日は特別な日、贅沢しちゃお!」

 一人で勝手に前祝いとして、美味しいものたくさん食べようと思った。


 エプロンを付けると、有り合わせの食材で何か豪華な食事を作れないかなと、買ってきた材料を見ながら献立を考える。

「えっと、確か冷凍庫に頂き物の松阪牛が残ってたはず……」

 キッチンに立ち、冷蔵庫の中を物色しているとリビングのテーブルに置きっぱなしのスマホが鳴った。

 菜桜子さんからの折り返しかな?

 心弾ませながらキッチンから飛び出した。


 スマホを手に取りディスプレイを見た瞬間、私の心臓はドクンと激しく波打った。


 着信相手は元彼の “ 瀬名 怜司 ” だった。


 鳴り続ける電子音。

 トクトクと勝手に速くなる鼓動を落ち着かせるために、胸に手を当てる。


 ……何の用事だろう。

 ゴクリと唾を飲み込んでから、通話マークをタップした。


「もしもし」

『和花。今、電話しても大丈夫?』

 数ヶ月ぶりに聴く低くて落ち着いた声が、私の記憶に触れる。胸が一瞬で苦しくなった。


「……今家だから電話は大丈夫だよ。こ、これから夕ご飯何作ろうかなって、考えてたところなの!」

 ……あ、しまった。

 動揺を悟られないように普通の受け答えをしようとしたら、聞かれてもいないことをペラペラと喋ってしまった。


『飯はこれから?』

「うん。あ、今日ね、京介さんと菜桜子さんの式の招待状が届いたの。こないだ会った時何も言ってなかったから、驚いちゃった」


 瀬名さんと京介さんは昔からの友人で、二人は頻繁に会って遊ぶ大の仲良し。結婚することも瀬名さんなら事前に聞いて、知っていたかもしれないと思った。


『実はその披露宴のことで相談があって電話した。和花、晩飯まだなら一緒に食べない? 食べながらでいいから話聞いてもらえないかな?』

「え、今から?」

『うん、今から。アパートまで迎えに行くよ。……いい?』

 ど、どうしよう……。

 急な誘いに胸の鼓動はさっきよりひどく激しくなった。周りを意味もなくキョロキョロと見渡す。


 瀬名さんに直接会うのは別れて以来なわけで、正直……戸惑いが半端ない。

 だけど、披露宴のことでと言われて、その内容がとても気になった。

「……いいよ」

 少し悩んだけど、会って話を聞いてみることにした。

『ありがとう。じゃあ待ってて。直ぐに行くから』

 返事をすると通話を切られてしまった。

「いいよって、答えちゃった……」

 瀬名さんに会うことを決めたものの、ちょっと不安……。

 スマホのディスプレイを見つめたまま、しばらく突っ立ったまま動けなかった。


「……大丈夫。付き合ってたのは過去のこと。今は……ただの友達!」

 自分に言い聞かせるように呟き、不安を振り払うと顔を上げた。

 リビングからキッチンに移動した私は、今日買ってきた食材全てを急いで冷蔵庫に詰め込んだ。



 瀬名さんが到着するまでの間、私は髪を梳かし、化粧を直した。

 することがなくなり、そわそわしながら待っていると、私のスマホが鳴った。

『アパート前に着いたよ』

「わかった。今出るね」

 瀬名さんは用事があるとラインよりも電話をかけてくる。短い電話のやり取りは、付き合っていた頃の習慣だった。


 部屋を出た私は手すりから少しだけ身を乗り出し、すぐ下を見た。

 近くの外灯に照らされて瀬名さんのポルシェ、黒のカイエンが路肩に停まっている。

 私は急いでアパートの階段を駆け下りた。小走りで近づくと、運転席から瀬名さんが降りてきた。


「久しぶり。元気だった?」

 瀬名さんの笑顔を見た瞬間、胸の奥が熱くなって息を呑んだ。

 たったの数ヶ月ぶりなのにすごく懐かしく思えて、胸が締め付けられる。

 前より髪が短くなった爽やかな瀬名さんに、少し緊張を覚えながら私は正面に立つと、笑顔を返した。

「この通り元気だよ。瀬名さんは?」

「俺も、元気だよ」

 背が高く引き締められた体の瀬名さんは、男の人からも憧れられるくらいスタイルがいい。

 シワひとつないスーツにお似合いの高級時計、身につけているものから爪の先まで、完璧なまでに洗練されている。

 瀬名さんから受ける印象は、別れる前と何一つ何も、変わっていなかった。


「少し、痩せた?  ますます綺麗になったね」

「え?!  あ、うん、痩せました……」

 お世辞でも綺麗と言われて胸が弾んだ。

 相変わらず良く気がつくなぁ……。

 瀬名さんは職業柄なのか、いい意味で人の変化に敏感だった。

 褒め上手の彼の綺麗な二重の目が優しく弧を描く。笑うと刻まれる目尻の皺に、男性の魅力を改めて感じた。

 整った顔立ちの瀬名さんに暫くぶりにまっすぐ見つめられて、私は思わず視線を逸らした。


「とりあえず乗って。店は近くの洋食屋でいい?」

「うん」

 助手席のドアを瀬名さんが開けてくれた。ドキドキしながら、シートに身体を沈める。

 瀬名さんは運転席側に回りこみ座ると、直ぐに車を発進させた。


 座り心地のいいシートと高級感ある内装、左ハンドル車の助手席から見える景色が懐かしかった。

 洋楽をBGMにしばらくフロントガラスの向こう、ヘッドライトに照らされる道路の白線をなんとなく眺める。


「ごめん、急に食事に誘って。今しかちょっと時間取れなくて」

 話しかけられて、運転している瀬名さんの横顔へ視線を移した。

「怜司く…瀬名さんは相変わらず忙しいの?」

「忙しいかな。スケジュールが空くとすぐに予定入れて埋めてしまう」

 瀬名さんは前を向いたまま微笑んだ。

「あまり無理しちゃダメだよ」

 その微笑みについ釣られるように、私も笑顔になった。


 ……私、久しぶりに会って緊張してる。大丈夫だって思ったのに、どうしよう。

 …胸のドキドキが止まらない。


「“ れいじ ”。瀬名じゃなくて“ 怜司 ”って、前みたいに下の名前で呼ばないの?」

 瀬名さんは私をチラッと見ると、落ち着いた優しい声で言った。


 付き合っていた頃、私たちは友達の前では苗字で呼んで、二人っきりの時は下の名前で呼び合っていた。

 瀬名っていう苗字が印象に残るみたいで、親しい京介さん含め、みんなが上の名前で瀬名さんを呼ぶ。

 家族以外では私だけが怜司くんと呼び、それはとても特別なことだった。


「下の名前呼び、気に入ってたんだ。……変えないでよ」

 胸に、痛みのようなものが走った。

 意図的に苗字呼びしていた私は、瀬名さんから視線を逸らし、前を向く。


「ううん。みんなと同じように、“ 瀬名さん ” て、呼ぶ」


 私は人からの提案を拒否するのが苦手だ。

 相手が瀬名さんじゃなくて他の誰かで、いつもの私なら自分の意見を言わずに「わかった」と答えて合わせている。

 けど、瀬名さんは別。

 下の名前で呼んだら、付き合っていた頃の気持ちに引きずられそうで、できなかった。


 ……せっかく前に進めるって思い始めたところなのに、名前がきっかけで過去に戻りたくない。

 些細なことでも注意しようとと密かに気を引きしめた。


「みんなと同じ、ね。……残念だな。でも俺は和花って呼び方を今更変えないけどいい?」

 瀬名さんはいつものように淡々と言った。

「え? あ、うん。それは別にーー……」

「あ、悪い。電話がかかってきた。ちょっと車停めてもいい?」

「……どうぞ」

 路肩に車を停めるバザートランプを点けると、瀬名さんは切れてしまった電話をかけ直した。私は邪魔をしないように外を眺める。


「もしもし、俺だけど、……え。今、店に? もう来ちゃってるの?」

 聞くつもりはなくても会話の内容が聞こえてくる。

 お店に、戻るのかな?

 通話を終えた瀬名さんは、スマホを上着の内ポケットにしまいながら、申し訳なさそうな顔を私に向けた。

「和花、ごめん。食事の前だけど……」

「私のことは気にしないで。余興の相談はまた電話でも良いよ」


 お店にお客さんが来ちゃってるみたいだし、今日の食事は中断。そう私は思い、心置きなく仕事に向かってもらおうと、笑顔を作った。

「いや、店にちょっと寄るだけで済むと思う。いいかな?」

「え? お店に寄るの?」

 とても意外で、私は目を見開いて瀬名さんを見た。うろたえつつも、「いいよ」と答えると、すぐに瀬名さんはウィンカーを出して車を発進させた。



 付き合っていた頃、仕事場である瀬名さんのお店に私は足を踏み入れてはいけない。と、ずっと思っていた。


 瀬名さんは高級輸入車を専門に取り扱うお店のオーナーさんだった。お店の場所を私はもちろん知っていたけれど、行くのは今回が初めて。緊張するし、そわそわして落ち着かなくなった。


 数分ほど車を走らせると、すぐにスタイリッシュな外観の瀬名さんのお店が見えてきた。

 正面は全面ガラス張りで、中に高級車が数台並んでいるのが見える。

 車は、ショールーム横の整備工場の前、駐車スペースに停まった。

 車から降りると、並ぶ高級車に圧倒されながらぼぉっと眺めた。

 ……た、高そうな車!

 どれもボディーがピカピカに光ってて、迫力ある!


「和花、こっちにおいで」

 急に名前を呼ばれて振り向いた。瀬名さんが店内の方へ進みながら手招きをしている。

「今行きます!」

「和花、悪い。少しの間オーナーズルームって部屋で待っててくれる? あの通路の奥。あとで飲み物持って行かせるから寛いでて」


 店内に入るとすぐ、瀬名さんは部屋の奥を指さして言った。お客さんを待たせているらしく、瀬名さんは足早に別の部屋に入って行った。一人になった私は言われた通り通路の奥へと進む。

「……緊張する」

 一人になると、心の声が勝手に口からこぼれた。

 気を取り直し、私はオーナーズルームと書かれたドアをそろりと開けて中に入る。


「うわ…」

 部屋は白を基調にしたモダンな造りだった。白い壁には大きな液晶テレビが埋め込まれいる。お洒落なガラスのローテーブルと白いソファ。

 特別な空間を思わせる内装で、一人で寛ぐには広すぎる部屋に私は気後れしながらも入ると、近くのソファに腰掛けた。

 間もなく女の人がコーヒーを運んで来てくれた。

 女の人がいなくなると私はため息を盛大に吐いてから、熱い湯気が上がるコーヒーカップを持ち上げた。

 ……美味しい。

 この数ヶ月間、瀬名さんとは連絡を取っていなかった。


「久しぶりに会っちゃって、緊張しちゃってるのかも」

 胸の鼓動が絶えずドキドキと忙しいのは、瀬名さんの仕事場に連れてきてもらったのは今回が初めてだから。……そう。それだけ!

 それ以上私は深く考えるのをやめた。

 無理やり結論を付けると、コーヒーを一口、ゆっくり口に含む。

 もう別れてるんだから、何も期待しない。これからは良き友達として、接っしなくちゃ!

 私は自覚が足りない自分にきつく言い聞かせた。

 コーヒーを飲み終える前に瀬名さんはオーナーズルームに現れた。


「お待たせ、それ飲んだら行こうか」

「ちょっと、待ってね」

 もっと待たされると思っていた私はびっくりした。まだ湯気が上がるコーヒーにフーフーと息をかける。

「そんなに急がなくていいよ。ゆっくり飲んで」

 瀬名さんは私の様子を見てくすっと笑った。

「私、瀬名さんの職場来るの初めて。お店とても素敵ね。でも私なんかじゃとても場違いな気がして緊張しちゃった」

「和花が場違い? そんなことないよ」

 終始優しい笑顔の瀬名さんに見つめられ、いつまでも落ち着かなかった。


 だけど和花がここに居るのはちょっと不思議な感じだな。どうせなら着物着て店内で佇んで欲しい」

「着物で? それこそ場違いだよ!」

 私は慌てて首を横に振り否定した。

「どうして? 俺、和花の着物姿好きなんだよね」

 さらっと好きと言われ、私の胸はどきんと高鳴った。

「それは、ありがとうございます」

 熱が籠りだした顔を見られないように、私は自分のひざ元に視線を移した。


「茶道、まだやってる? また和花の淹れたお茶、飲みたいな」

 私の実家は茶道の宗家で、社会人になり家を出るまで私は跡を継ぐものとして小さいころから茶道にどっぷり浸かって育った。

 茶道は好き。だけど、宗家という家は私には荷が重すぎた。

 私は大学を出るなり家出同然で家を飛び出し、一人暮らしを始めた。


 今のアパートに住むようになってもうすぐ三年目を迎えようとしていた。

「…その前に瀬名さん、正座できるようになってね」

「はは。頑張ります」

 ちらりと視線をあげて言うと、瀬名さんはにこりと笑って言った。



 コーヒーを飲み終えると、私と瀬名さんはお店から数分程行った所にある、イタリアンレストラン “トラットリア コッコロ ” に向かった。

「いらっしゃいませ。二名様ですか? こちらへどうぞ」

 店内は満席で十分くらい待ったあと、私と瀬名さんは窓際のテーブル席に案内された。


「ごめん。すっかり遅くなったね。どうぞ」

 瀬名さんにメニューを手渡され受け取る。私はメニューを開くと真剣に上から順に見ていった。

 ……何食べようかな……。

 メニューをパラパラと捲る。

「…パスタは? ここの生パスタが美味しいって和花気に入ってたよね」

「うん、そうなの! ここのパスタはコシと風味があってすごく美味しいんだよ。食べたいっ。あっ、でも……お肉も食べたいなぁ」

 美味しそうな料理名と料理の写真に目移りしてしまう。

 どれをオーダーしようか迷っていると、向かいに座っている瀬名さんがくすりと笑ったみたいだった。

 そっと、メニューから瀬名さんに視線を移す。


「ディナーコース頼んだら? お肉もパスタもデザートも食べられる」

「でも……」

「食べきれそうにないなら、量を少なくして注文したらいい」

 少食の私はあまり量を食べられない。

 だけど、食べ物を残すことはいけない、作ってくれた人に失礼だと言われて育った私は、いつも最後無理やり胃の中に詰め込んでいた。

 出された料理が多くて食べられそうにないのなら、最初から量を少なく注文するのがマナーと、世間知らずだった私に教えてくれたのは瀬名さんだった。

「それかコース料理の一部をスキップすれば?」

「……じゃあ、量少な目でディナーコースにします」

 瀬名さんが店員さんに注文を通すのを見届けてから、私は話しかけるために口を開いた。


「今日はね、菜桜子さんと京介さんの前祝いのようなものだし、美味しいものが食べたかったの」

 迷ったけど、今日は贅沢しようと決めていたし、私は笑って言った。


「和花は本当、二人が好きだね」

 瀬名さんは私の目を見つめ、ふっと柔らかく笑う。

「二人は私の理想のカップルなの。阿吽の呼吸というか、息がぴったり!  お互いの考えや趣味が全く一緒でしょ? ケンカするって話も聞かないし、私たち……」

 つい調子に乗ってペラペラと話していた私は『私たちと正反対だったね』と、言いそうになって、そこで一度、言葉を詰まらせた。


「……私ね、二人にはすごくお世話になったから、精一杯祝福したいなぁって」

 言葉を置き換えて、笑って誤魔化した。

「精一杯祝福なら丁度いいかも」

「丁度いいって、なんのこと?」

 私が聞き返すと、瀬名さんはにっと白い歯を見せた。


「二人の余興の件。実は披露宴中にフラッシュモブをすることになった」

「フラッシュモブ……?」


 首を傾げながら聞き返すと、瀬名さんは黙ったまま頷いた。

「フラッシュモブって……、急に通行人が音楽に乗って踊りだす、あれ……?」

「そうそれ。余興でフラッシュモブをやろうと言い出したのは京介なんだ。けど、菜桜子には内緒にしたいから表立って動けないらしくて、代わりに俺に段取りなんかを仕切って欲しいって頼まれた」

「へぇ。京介さんの案なんだぁ……」


 仕切るのって大変そうだけど、二人は共通の友人も多いし、リーダー的な瀬名さんはまとめ役に一番適してる。

 瀬名さんのことだから、京介さんのために一肌脱いで、きっと素敵に成功させちゃうんだろうなぁ……!

「準備は大変そうだけど、きっと感動できる素敵な余興になりそうだね」

 私は瀬名さんに向かって微笑んだあと、お水を飲もうとグラスを持ち上げた。


 ……あれ?  披露宴で余興としてフラッシュモブをする。を、私に話すということは……?

 私は喉を潤してくれたグラスをそっとテーブルに置くと、恐る恐る顔を上げて瀬名さんに見た。


「……あの。相談ってもしかして、私も……、踊るとか?」

 すると瀬名さんは白い歯をさっきより見せながら、ニコリと笑った。

「正解。協力お願いできる?」

「わ、私がっ、人前で踊るの?!」

 思わず声が裏返った。


「菜桜子と京介のために。と言いたいけど、強制はしないよ」

 瀬名さんの物言いは柔らかい。だけど……

「……二人の名前を出されたら、強制のようなものだと思う」

 と、私は正直に思ったことをこぼした。


「私、踊りは下手なの。でも、二人のことお祝いしたいし、……みんな踊るんだよね?」

「まぁ、まだ全員には声掛けきれてないけど、よくバーベキューとかしてたメンバーいただろ? そいつらからは参加オッケーをもらってる」

 毎年夏に菜桜子さんやみんなと集まってバーベキューするの、恒例だったもんね……。

 ていうことは人数は……えっと、十人以上?!

「私だけ踊らないのもダメだよね……」


 私は瀬名さんから視線を逸らし、下を向いたまま考え込んだ。


 人前で踊ったことのない私が、披露宴会場というたくさんの人がいる場所で、上手に踊れるかな?

 あまりにも下手過ぎて、場を白けさせそう……!

「断ってもいいよ」

 悩み返事を渋っていると、優しい声が頭に降ってきて思わず顔を上げた。

 見透かすような瀬名さんの瞳に息を飲んだ。


「やりたくなかったらやらなきゃいい。二人へのお祝いは別の形でも出来る。無理に人に合わせる必要はないよ」


 瀬名さんの言葉は、的を射抜くように私の胸の奥に隠してあった本心を貫いた。

 ……不安が大きくてやりたくない。というのが本音。

 人前で踊っている自分は想像できないのに、

 だけど、円卓に一人残って、みんなが踊っているのを見守る気不味い気持ちは、簡単に想像できた。

 瀬名さんは表情を崩さず黙ったまま私をみつめ続けている。

 私はその目を見ながらテーブルの下、スカートの裾をきゅっと握った。


「……わかりました。私、踊ります!……ただ、踊りすっごく下手だけどいい? なるべく、頑張るけど……」

 瀬名さんは目を細め、ふわりと顔を綻ばした。

「ありがとう。和花が踊ってくれるなら、きっと京介と菜桜子、泣いて喜ぶよ」

「でも、私ほんっとうに! 踊り下手だからね? ……足引っ張るからね?」

 あんまりにも瀬名さんが喜ぶものだから、プレッシャーを感じた。

「大丈夫。練習も何回かみんなで集まってする予定だから心配ないよ」

「えっ?!」

 何回も練習?  つまり、何回も人前で踊らないといけないってこと?!


 お酒を飲んでもないのに目の前がくらくらした。変な汗が背中を流れる。

「待っ……」

「和花なら踊れるようになるよ、大丈夫。みんなと頑張って二人を驚かせよう」

 満面の笑みに圧を込めて、瀬名さんは手を差し出してきた。

 ……人前で踊ること以外にもう一つ、問題があった。

 これから披露宴当日まで、瀬名さんと何回も会わないといけない。ということ……。

 全身から血の気がさぁーっと引いていく。

 式までの数ヶ月間は、決して短くない……長いくらい。

 ……とんでもないこと受けちゃったかも……?


 後悔と不安が頭を過ぎった。

 瀬名さんの手を弱々しく握り返しながら私は、必死になって笑顔を浮かべた。


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