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桜荘は暇で案外忙しい  作者: 寧(ネイ)
9/15

EP 5-3

 旅行も三日目を迎えた朝。

 美咲が目を覚ますと、昨日とは逆に百合香が美咲の胸に頬を()()せるように抱きついていた。

 そしてその百合香の頭の上にチェリーが鎮座(ちんざ)している。

「う~…ん…。」

 夢見が悪いのか、軽くうなされる百合香。

 最初はその光景に少々の驚きを覚えた美咲であったが、チェリーに下りるように念を送り頼むと百合香の肩を優しくポンポンと叩き

「百合香ちゃん、朝だよ。」

 と(ささや)くように声をかけた。

 その優しい声が微睡(まどろ)みの中に居る百合香には夢の続きのように思えたのだろう、

「美咲ちゃん…。」

 そう呟くとトロンとした眼差(まなざ)しで美咲の(ほほ)に口づけをする。

 だがその時、あまりのリアルな感触に百合香の脳は一気に覚醒を果たし、目を見開くと自分の仕出(しで)かした事の重大さに顔色が青ざめた。

(あぁ…!やっちゃった…!気持ち悪いって思われる…!嫌われちゃう…!)

 この世の終わりのように(うつむ)き、絶望の表情を浮かべる百合香。

「あ、あの…ごめんなさい…寝ぼけてたみたいで…。」

 今にも泣き出しそうな気持ちを抑えて言い訳を考える。

 だが当の美咲は

「ふふ、何だか外国のドラマみたい。」

 と笑顔を浮かべ、全く気にしていない様子。

「え…?」

 驚く百合香。

「ほら、外国のドラマだと夫婦が一緒のベッドで寝て、起きると『チュ』ってするでしょ?」

 そう言って軽く(くちびる)を尖らせて見せる。

「ふ、夫婦!?」

 その言葉に動揺とときめきを同時に感じ、思考がまとまらない。

 更に美咲が追い打ちをかける。

「じゃぁ私も。」

 その言葉を百合香が聞いた瞬間、頬に温かく柔らかい感触が触れた。

「えへへ、何か少し恥ずかしいけど、嬉しいかも?」

『嬉しい』

 美咲の感触と言葉が百合香の脳裏に刻まれ、体温が上昇し鼓動が早まる。最早眠気など微塵も残らない程に目の前で起きた現実を噛み締めていた。

「み、美咲ちゃん…。」

 高鳴る胸を押さえ声をかける。

「ん?」

「お…おはよう。」

「うん、おはよう。」

 笑顔で返された美咲の挨拶に、百合香の気持ちが落ち着きを取り戻す。

「それじゃ私、着替えてくるから、また後でね。」

 チェリーを胸に()(かか)えながら手を振り部屋を出て行く美咲。

 肩の力が抜け、ベッドに腰を下ろした百合香は

(はぁ…やっぱり美咲ちゃんが好き…。辛くてもこの気持ちは捨てれないなぁ。)

 天井を見上げ溜息を漏らす。だがその表情は幸せなものであった。


 美咲と百合香が仲良くリビングの扉を開けると、既に大人達はソファーで(くつろ)ぎ、コーヒー等を飲みながらテレビでニュース番組を眺めていた。

「おはようございます。」

「おはよ~。」

 二人の挨拶に各々が振り向き、挨拶を返す。

「それじゃ百合香、お兄ちゃん達を呼んできて?」

「は~い。」

 鷹乃の頼みに二つ返事で手を上げ応えると百合香は足早に出て行った。

「功刀さんは起こさないと駄目と聞きましたけど、楓さんもお寝坊さんなんですか?」

 美咲が唇に指を当てて首を傾げる。

「いや、楓は生真面目で生活サイクルがしっかりしているから、寝坊なんて滅多にしないよ。」

 義父(ちち)である剛が軽く笑いながら答えると

「あの子は朝起きると、朝ご飯の時間まで自分の部屋で座禅を組んでるのが日課なのよ。」

 鷹乃が美咲の疑問に答えてくれた。

「ざぜん?」

 美咲の首が逆方向へ傾く。

「う~ん、お坊さんの修行なんかで足を組んで座ってる姿をテレビで見た事は無いかな?」

 大樹が手で輪っかを作り下腹部に当てながら横から口を挟む。

「大体は精神修行の一環としてやる行為だけれど、それを日課にしてるなんて楓君は何と言うか…ストイックね。」

 頬に手を当て稲穂は感心の溜息を漏らした。

「幹雄、二人が起きてきたら朝食じゃ。先に食堂へ行って準備を済ませといとくれ。」

 櫻に促され

「はい、それ程時間はかかりませんので、皆さんも頃合を見ておいでください。」

 幹雄はその身体に似合わぬ静かさでリビングを出て行くのだった。

 するとほんの僅かの入れ違いといった感じに百合香を先頭に功刀と楓が姿を見せる。

「おはようございます。」

 そう言って楓が櫻に軽くアイコンタクトをすると、櫻は軽く頷き読心を試みる。

 《昨日と大体同じような場所に同じ人物が居ました。それと他に数人の人影が見受けられます。》

 再び櫻が小さく頷くと、楓もそれに対し頷き返した。

「さてさて、それじゃ寝坊助(ねぼすけ)も起きてきた事だし朝食をいただくとするかね。」

 櫻の一言で全員がぞろぞろと移動を開始。

 チェリーも食堂で食べさせて良いと許可を貰ったので一緒に行く事になった。

「「いただきます。」」

 皆が食事を始めると、櫻から話が始まる。

「さて今日なんだがね。美咲、百合香、功刀、楓、それから稲穂と鷹乃で買い出しに行って貰いたい。」

「買い出しですか?」

 美咲が箸を止めて聞き返す。

「えぇ、食材などはそれ程買い貯めしている訳では無いので、そろそろ補充しておきたいのです。」

 幹雄が壁向こうの調理場を見るように首を動かし話に混じる。

「それでな、流石に毎日海で遊ぶだけでは流石にお前さんらは飽きも来るだろうと思って任せる事にした訳だ。行って貰うショッピングセンターは広いし様々な店がある。一日暇を潰せるし、何ならお菓子なんかも好きに買って来い。」

「え?いいんですか?」

 美咲が遠慮がちに聞き返すと

「やったー!」

 と百合香の大きな声。


『やったー!』

 遠方で会話の聞き取れぬ盗聴器の音に集中していた山口の耳に突然の大音量が響き心臓が飛び跳ねた。


「でも何であたし達だけ?パパや櫻ちゃんは?」

 当然の疑問である。

「僕と剛君は昨日の疲れがまだ抜けなくてね…今日はここでのんびりさせてもらおうって話してたんだ。」

 大樹が口の中に食べ物を含んだままでもごもごと喋ると

「大樹さん、行儀悪いですよ?」

 と稲穂に(たしな)められ、口の中の物を一気に飲み込む。

「あたしと幹雄はちょっと別に用事があるんだ。だからあんた達に任せるしかないのさ。頼んだよ?」

 その櫻の言葉に各々が了解の返事を返すと、程なくして朝食も食べ終えた。


 食休みを挟み午前十時を過ぎた頃になると、早速買い出しチームは大樹の車に乗り込んだ。

「それでは大樹さん、車、お借りしますね。」

 鷹乃がウィンドウ越しに声をかけると、

「はい、お気を付けて。」

 と大樹と剛が見送る。

 車の姿が見えなくなった頃に

「行ったか?」

 そう言って姿を現したのは櫻だ。

 その姿は普段外出する時にはしないような、薄くピンクの入ったセーラータイプのワンピースで、胸元には大きめのリボンが目立つ、いかにも子供と言った風貌だ。頭には麦わら帽子を被り、一見すればまるで良い処の令嬢のようにすら思える清楚さを醸し出していた。

「おぉ…これは…。」

 剛が言葉に詰まっていると

「化けましたねぇ。」

 とヘラヘラした顔の大樹。

「化けるとは人聞きの悪い。何処からどう見ても歳相応の姿じゃろうに。」

「普段は子供扱いすると機嫌を悪くするのに、どう言えばいいんですか…。」

 少々むくれる櫻に困惑する。

「まぁまぁ、そんな事よりここからは予定通りに。」

 陰から出てきた幹雄に促され、男三人は別荘内へ入って行く。

「…さて…。」

 櫻は覚悟を決めるように深呼吸すると、精一杯の無邪気な表情を作り海辺へ下りていった。

「ふぅ~、流石に子供達の相手をしていると休む暇が無いですね。」

「そうですねぇ。今日は(みんな)買い物へ出かけてますし、僕らはゆっくり休ませて貰いましょう。」

「それでは私も少々の休息をいただきますね。」

 リビングでは男三人による雑談が、わざとらしい程に大きめの声で交わされ、その声は盗聴器を通じて様子を探っている山口の耳に届く。

 そんな中で浜辺へ下りてきた一人の少女。まるで無警戒に波打ち際を歩きながら山口達が潜む林側へ近付き、別荘からも死角に入る岩場へと足を踏み入れ潮溜(しおだ)まりを眺めているではないか。

 西田に成果を急かされていた山口達にとって、これ程都合の良い状況があるだろうか。

 深く考える間も無く周囲に居る仲間に合図を送ると、自身も機材の回収を済ませ行動に移る。

 潮溜まりに意識を集中させている櫻に気付かれないようにジリジリと距離を詰めると、数人で一気に襲いかかり口を押さえ、小さな身体を小脇に抱え急ぎ足で逃げ出す。

 櫻もせめてもの抵抗にと腰に付けていた防犯ブザーを鳴らそうと身をよじるも、両腕ごとがっしりと抱え込まれ手が届かない。更にその足掻きに気付いた他の者にブザーを外され、投げ捨てられてしまった。

『んー!んー!』と声を漏らすも大人の手で力強く塞がれては叫び声などあげられる訳も無い。

 そうこうしている内に林の中へと入られ、周囲から気付いて貰える状況では無くなってしまい、更には合流した山口が用意していた粘着テープで口を塞がれ、手足は後ろ手にされ縛られてしまった。

 その扱いに櫻が(うつむ)き、声を殺し肩を震わせると、周囲の男達がその様を嘲笑いながら言う。

「へ、泣いたって助けは来ねぇぜ?今はな。その(あと)助かるかどうかはお前の親次第さ。」

「お前の親が賢い選択をする事を祈ってる事だな。」

 だが当然の事ながら櫻が泣いている筈が無い。これはあくまでも無力な子供を演じているだけだ。

「よし、それじゃさっさとアジトに戻るぞ。」

 山口の号令で取り巻きが櫻を大きな布団で簀巻きにし、周囲からその姿が完璧に見えなくなるようにして抱え上げ、移動を開始した。

 こうなると櫻には周囲の状況が掴めず移動経路が解らないだけではなく、周りに居る連中の姿が見え無い事から読心を試みる事も出来ない。

 攫われる間に少しでも情報を得ようと考えていただけに少々予定が狂ってしまったと、薄闇の中で苦々しい表情を浮かべる櫻だった。


「む、どうやら動きがあったようですね。」

 リビングに居た幹雄が、眺めていた機械のディスプレイに映っていた光点が有り得ない方向へ動き出した事で事態を察する。

 その声に大樹と剛もディスプレイを注視すると、方角的に町中の方へ移動しているのが見て取れる。

「どうやら櫻さんに付けた発信機はちゃんと機能しているようですね。」

 大樹が安堵の溜息を漏らしながらそう言うと

「でもこの発信機ってどの程度まで離れて大丈夫なんですか?」

 と剛は不安そうな声。

 そう、今回の作戦はそもそもが櫻が誘拐される所からが計画である。その為、櫻の着ていた服の後ろ襟の裏に発信機を取り付けてあり、今まさに事態が動き出した事が判明した。

「このセットは結構良いお値段でしてね、この町くらいの大きさならカバー出来るんです。ただ地図機能はありませんから、実際の地形と照らし合わせたりは出来ませんが…。」

 幹雄が親指と人差し指で輪っかを作り声を抑えて言う。

「と、僕は一応予定の地点を調べて()てみます。」

 そう言うと大樹はリビングを出て、櫻が(あらかじ)め通告していた行動予定のポイントをサイコメトリーで調査しに行った。

「う~ん、こういう時に楓や稲穂さんが居ないのは痛いですね。私達の能力(ちから)では探索が出来ないから相手からのリアクションを待つしか無い…。」

「そうですね。でも美咲ちゃんや百合香ちゃんに勘付かれずに早期に問題を解決させる為にはこの方法が手っ取り早いのも事実。此方(こちら)が手薄な事をアピールすると同時に、万が一にもあちらに不埒(ふらち)者どもの手が回らぬように人数を多くしておかなくてはなりませんからね。」

 そんな事を話していると大樹が戻ってきた。

「いや~…櫻さん、なかなかに雑な扱いをされていましたね。知らない人が見たら普通の幼い女の子なのにあんな扱いが出来るなんて、人間性を疑うレベルですね。」

 頭を掻きながら蔑むように言う。

「大樹君、お帰りなさい。どうでしたか?」

 幹雄が聞くと

「まぁ何と言うか、雑な連中ですね。コレが途中に落ちていました。」

 そう言って差し出したのは櫻の防犯ブザーだ。

「こんなものが落ちていれば直ぐに異常事態だと思うでしょうに、それで発覚が早くなるとも思わないような連中ですよ。」

 手の上でブザーを転がしながら

「それと、どうやら目的を達成したらしく盗聴器の受信装置も回収し、全員撤収したようです。外にあるのも回収して無力化しておいた方が良いかと。」

 と付け加えた。

「分かりました。それでは手分けして別荘周辺を見回り、既知の二つ以外にも無いか確認しつつ回収してしまいましょう。」

 幹雄の一言で三人は動き出し、リビングと食堂、更には調理場の外にも新たに一つを発見するとそれを回収し、バッテリーを外して小箱の中へ仕舞(しま)()んだ。

 リビングに集まり暫しの静寂。

「どういう接触をしてくるでしょうね?」

 口を開いたのは剛だ。

「櫻さんは携帯電話を持っていませんから、電話は無いでしょう。この別荘に据え付けの電話はありませんからね。」

 幹雄が一つの可能性を潰す。

 櫻自身は普段携帯電話を持っては居るのだが、今回の囮作戦に際して色々プライベートな繋がりの番号が登録してある電話を持ち歩く事はマズイと幹雄に預けて行ったのだ。

「そうなると考えられるのは直接誰かが訪ねて来るか、犯行書のような物を置いていくか…といった所ですが。」

 大樹が候補を上げると

「流石に大人が揃っている所にのこのこと姿を現す程馬鹿では無いと思いますがね。」

 と幹雄の意見が上がる。

「まぁ、ここからは櫻さんが言ったように臨機応変な対応という事ですね。」

 そう言う幹雄に二人も頷き、時が過ぎた。


 夕日が沈む頃になり、買い出し組が帰って来た。

「たっだいまー!」

 百合香が疲れも感じさせずにリビングに飛び込むと、ソファーに座りくつろいでいた剛の隣りに座り、手に持っていたビニール袋からお菓子を広げる。

「百合香、随分沢山買ってきたね?でも夕飯が食べられなくなるから今食べるのはやめておきなさい。」

 剛に(たしな)められ少々不満を表情に浮かべながらも

「はぁ~い。」

 と素直な返事。

 功刀と楓が続いて入って来ると、少しして調理場へ食材を仕舞いに行っていた美咲、稲穂、鷹乃の三人もリビングへと(つど)った。

 そこで美咲がふと気付く。

「あれ?櫻さんは?」

「え?部屋にでも居るんじゃないの?」

 美咲の疑問に百合香が根拠も無く言うと

「あぁ、櫻さんは古い知り合いの所へ会いに行きましてね。今晩は帰らないんですよ。」

 と幹雄が誤魔化した。

「櫻さんて、色んな所にお知り合いが居るんですね。」

「えぇ、まぁ。ああ見えて中々に様々な場所で色々な事をして来てますからね。」

 素直に感心する美咲に嘘をつくのが何とも心苦しい思いの幹雄であった。


 少し時を遡り、溜まり場へ連れ込まれた櫻は西田と直接対面していた。

「一人かよ?…まぁいいか。」

 やっとの思いで(さら)って来た成果に不満を吐かれ、僅かに山口達の顔に不満の色が滲む。

 だがそんな事は意に介さず、櫻の顎を『クイッ』と上げると、口に貼ってあった粘着テープを遠慮無しに剥がし

「おい、テメェと、親の名前を言え。」

 高圧的に問いただす。

 櫻は今すぐにでもぶちのめしてしまいたい気持ちを抑え、見た目通りの幼くか弱い少女を演じ、今にも泣き出しそうな程に恐怖で顔を歪ませる。

 すると襟首をグイと掴まれ、次の瞬間『パンッ』と軽い音が響いたと同時に櫻の視界が一瞬真っ白に飛んだ。

 幼い子供に容赦の無い平手。この良心(りょうしん)欠片(かけら)も無い行動が、他のならず者達を従わせる力だ。

 だが櫻にとっては恐怖よりも怒りの感情が心を支配する。そんな気持ちを必死に抑えながら歳相応の反応を見せようとするのだが、如何(いかん)せん泣き真似は出来ても涙まで流せる程器用ではない。

 何とか顔を歪ませ、頬を(はた)かれた痛みを利用して目に涙を浮かべる程度には頑張ってみると

「おい、聞かれた事に答えやがれ!」

 再び、今度は逆の頬を加減無しに平手打ちされる。

(この男、まともな頭じゃないね…。)

 先程から頭の中を読んで居るにもかかわらず、その考えが浮かぶ前に手が動く。お陰で平手に対して衝撃を逃がす動作が間に合わずダイレクトに食らってしまうのだ。

 甘んじて受けているとは言え、屈辱に唇を噛み締めていると、更に二発、三発と平手が続き、最後には(こぶし)が頬に叩き込まれる。

 頬は赤くなり、口の中も少々切れてしまっていたが、それでも一言も発する事の無い櫻の態度に西田の我慢は呆気(あっけ)なく限界を迎える。

「このクソガキが!」

 怒りの咆哮(ほうこう)と同時か、それよりも早く櫻の身体が持ち上がると同時に大きく振られ、次の瞬間宙を舞ったかと思うと、背中から壁面に叩きつけられた。

 背中から肺へ衝撃が走り、櫻の喉から『カハッ』と空気の抜ける音が声のように漏れ、直後に床へ叩きつけられるとグッタリとして動かなくなった。

「に、西田さん…まさか殺しちまったんじゃ…?」

 西田の常軌を逸した行動に流石の取り巻き達も櫻の身を案じずには居られない。

「ふん、死んだならそれまでだ。生きてるように見える写真でも撮って送りつけてやればいい。」

 倒れた櫻を足で転がし呼吸の有無を確認する。上下する胸を見ると振り向きざまに一瞥し

「おい、このガキの目と口を塞いで手足は椅子に縛り付けろ。写真を撮って、女親だけで来るように指示を送りつけて来い。」

 余りの狂気の行動に回りの連中は声も出せず、ただ命じられた通りの行動をする他無い。

 言われるままに櫻の身体を持ち上げると手足を縛っていたロープを解き、部屋の隅に積まれていたパイプ椅子を一つ取り出すと照明が一番良く当たる場所へ設置し、そこへ櫻の身体を乗せる。

 ぐったりとして動く様子の無い小さな身体を恐る恐る椅子に縛ると、アイマスクを被せ再びの粘着テープを口に着け、インスタントカメラでその姿を写すのだった。


 別荘では夕食を済ませ女性陣が入浴中。

 リビングで(くつろ)いでいた男性陣の耳に、呼び鈴の鳴る音が届いた。

 その場に居た皆が顔を見合わせると、幹雄が頷き玄関へと向かった。

「はい、どちら様でしょうか?」

 誰も居ない玄関。扉の外に向かい声をかけるものの、返事は無い。

 だがその代わりに、郵便受けに封筒が差し込まれているのに気付くと、一応の警戒をしながらそれを受け取った。

 指で表面を一通り触れ、危険な物は入っていそうにない事を確認すると、雑にテープで止められた口を開き中に入っている物を取り出す。

 その中に入っていた一枚の写真に、普段は動じない幹雄も目を見開いてしまった。

 慌ててリビングに戻ると、その場に居た全員をテーブルの周りに集めて送られてきた物を広げて見せる。

「…っこれは…。」

 入っていた手紙と添えられた写真に大樹が言葉を詰まらせた。

 そこに写っていたのは、力なく項垂(うなだ)れて椅子に縛り付けられた櫻の姿。

 そして手紙には

『娘を無事に返して欲しければ女親二人だけでその建物の下の道まで来い。』

 という指示が書かれていた。

 ご丁寧に

『この事を警察に知らせた場合命の保証は無い。』

 とのお約束まで付けてだ。

「ッハァァ~…。」

 わざとらしい程に大きな溜息をつくと、怒りを頭の片隅に置き終えた大樹が状況を考える。

「この女親二人というのは稲穂さんと鷹乃さんでしょうね?この別荘の下の道路を指示という事は、そこから車にでも乗せる算段でしょうか。恐らく我々に後をつけさせない為でしょう。となると、用意しておく物はアレとアレと…。」

 ぶつぶつと計画を練り始めた。

 その隙に幹雄は席を立ち調理場へ。

「な、なぁ父さん…。櫻…さん、これ、大丈夫なのか…?」

 功刀が余りに現実感の無い状況に動揺する。それはそうだろう。超能力を持って居るとは言え功刀は桜荘で暮らした事は無く、櫻達によって保護されてからは直ぐに韮山家へ引き取られた。このようなトラブルに首を突っ込む事など今まで経験が無いのだ。

「櫻さんに限ってただやられるだけとは思えないけど、最悪のパターンというのは常に考えておかないといけないね。」

 剛が冷静に言い放つ。自分が動揺しては功刀の心を更にかき乱してしまうからだ。

 その時、楓がテーブルの上の手紙類を素早く回収し、(ふところ)へ隠した。

「どうし…。」

 功刀が声を出そうとした瞬間リビングの扉が開き、湯上りの女性陣が姿を見せた。

「ふぅ~、お風呂空きましたよ。」

 鷹乃が髪をポンポンとタオルで拭きながら入って来ると、その後に残りの面々も続いてやってきた。

「あ、あぁ、風呂ね。うん。」

 功刀の目が泳ぐ。

 すると

「さぁ、冷たいジュースをどうぞ。」

 と幹雄がオレンジジュースを持って戻って来て、それを女性陣に一つずつ手渡す。

「ありがとうございます。」

 美咲が丁寧に両手で受け取りお礼を言うと、笑顔で返し、

「それでは我々もお風呂を済ませてしまいましょうか。」

 と男性陣に目配せをする。

「うん、そうだね。」

 大樹がそう言って立ち上がると剛と楓も腰を上げ、そんな様子に功刀も流されるように続いた。

 男性陣が脱衣所に移動すると大樹が

「楓君、坂の下に誰か来てるかな?」

 と聞く。

「少々待ってください…今の所人影や車は見当たりませんね。」

「う~ん、そうか…。ひょっとして連中、あまり計画性は無いのかな?」

 腕を組み首を捻る大樹。

「どういう事だよ?」

 功刀が疑問を口にする。

「特に時間の指定が書いてなかった事ですね。」

 剛が口を挟んだ。

「うん、今日の拉致に関しても随分簡単に誘いに乗ったし、行き当たりばったりという感じが強いんだよねぇ。これなら此方(こちら)思惑(おもわく)通りに進んでくれるかな。」

 そう考えていると、

「そろそろ良いですかね。」

 と幹雄が時計を見て呟いた。

「へ?」

 功刀が間抜けな声を出すと

「それではリビングへ戻りましょう。」

 幹雄は皆を誘うように歩き出す。

 リビングへ到着すると、既に美咲と百合香はウツラウツラと船を漕いでおり、稲穂と鷹乃が二人を抱えベッドへ運ぶ所であった。

 すれ違いざまに鷹乃にジトっとした目で睨まれ少々怯む幹雄。

「これは一体…。」

 楓が疑問に思うと

「幹雄さん、盛りましたね?」

 と剛に突っ込まれ、幹雄は申し訳なさそうに頬を掻いた。

 稲穂と鷹乃も戻って来るなり

「幹雄さん、子供に睡眠薬なんて身体に悪いもの飲ませないでくださいよ!」

 とお(かんむり)だ。

「すみません、緊急事態でしたので多少強引な手を使ってしまいました。」

 頭を下げ謝罪しつつ状況の説明に入る幹雄。

「緊急事態?」

 稲穂の言葉に楓が懐に仕舞っていた手紙と写真を取り出し、二人に見せた。

 その内容と写真に二人は息を飲み言葉を失う。

「…()ず冷静になってくださいね。」

 恐る恐る発した大樹の言葉に二人が真剣な顔で頷くと、その様子に安心し言葉を続ける。

「ここに書かれている指示から推察出来るのは、お二人と我々を分断させたいと言う事と、連中のアジトを我々に知られたくないという点でしょう。ですが既に櫻さんに付けた発信機でアジトの位置は判明しています。」

 部屋の隅に隠しておいた受信機を取り出して見せる。

「あとは連中が加害者であり我々が被害者であるという証拠を得てから叩きのめせば良い訳です。」

 そう言うと更に櫻が用意したツール類の中をガサガサと探り、数点を取り出し稲穂と鷹乃の前に差し出した。

「これは…伊達眼鏡(だてめがね)?」

 鷹乃がその中の一つをつまみ上げ、色々な角度から確認する。

「そう見えるでしょ?それ、カメラが付いていて盗撮出来るんです。」

 言われて良く見てみると、確かにヒンジの辺りに小さなレンズが見え、ツルに沿ってカモフラージュされた配線が内側を走っている。

「凄いわね。結構本格的じゃない?」

「櫻さんこんなの用意して何に使うつもりだったのかしら…。」

 感心すると同時に呆れる。

「それは鷹乃さんに着けてもらうとして、こちらを稲穂さんに。」

 次に差し出されたのがノック式のペン…のように見える何かだ。

「あ、これは大体解るわね。ボイスレコーダー?」

 スイッチを即座に把握し、弄りながらも確認をする。

「流石にこれは分かりますか。ご明察の通り、ボイスレコーダーです。それともう一つ、この盗聴器も身体の何処かに着けておいてください。」

 小さなボタン状の物体を手渡される。

「これは此方(こちら)側の受信機で録音出来るタイプになっていまして、万が一お二人の記録を発見され消去される事になっても安心です。」

 自信満々に言われ、

「私達に万が一が起きるような事にならないようにして欲しいんですけど?」

 と稲穂に指摘されると、

「まぁそこは、お二人の話術と交渉術で何とかして欲しいかなと…。」

 大樹は苦笑いで誤魔化すしか無かった。

「あ、あとコレを。」

 と言って稲穂の手を取り握らせた物は、櫻が落としていった防犯ブザーだ。

「証拠を抑えて脱出出来るようになったらこれを鳴らしてください。」

 大樹と稲穂は互いの目をジっと見ると、握る手に力を込めた。

「さて、と。お二人の準備はこれで良しとします。後は指示に従って行動するしか無いですね。」

 稲穂と鷹乃が頷く。

「次に功刀君と楓君にはこれをやって頂きます。」

 そう言って取り出したのは監視カメラが数個。

「これを別荘の角々に取り付けて、なるべく死角無く映るようにしておいてください。」

 言いながら少々大きめのボックスを取り出し

「このカメラは無線式でして、この受信機で受け取ってテレビに映し出されます。」

 と言いながらリビングのテレビへ接続を始めた。

「櫻さんを攫ったのが稲穂さんと鷹乃さんを誘い出す為の(おとり)だとしたら既に目的は達成している訳ですが、万が一にも美咲ちゃんや百合香ちゃんを狙って襲ってこないとも限りませんからね。功刀君と楓君、それに幹雄さんにはここで待機をして頂きたいのです。」

 明確に理由を説明され納得すると各々が頷く。

「それで僕と剛さんですが、裏の林を直接町に抜けて連中のアジトの傍まで接近します。」

 それを聞いて功刀が

「父さんは兎も角、大樹さん大丈夫なのか?」

 と歯に衣着せぬ物言い。

「はは、心配は無いさ。大樹君は護身術をちゃんと身につけているからね。」

 剛がフォローすると、

「まぁ、足手まといにはならないように頑張りますよ。」

 と頭を掻き謙遜する大樹。

「恐らくアジトにはそれなりの人数が居ると思うし、外を見張る役も居ると考えるのが自然だからね。稲穂さんの合図を待ってから突入を考えてるよ。」

 稲穂の持つブザーを指差し視線を送ると、稲穂も頷き応えた。

「さぁて、それじゃ早々に行動にかかろうか。今晩中に問題を片付けて残りの休日をのんびり楽しみたいからね。」

 腿をパンと叩き気合を入れて大樹が立ち上がると、残りの面々も各々に課せられた役割をこなす為に動き出した。


 準備を始めて一時間程経った頃。

 周囲の様子を探っていた稲穂が、別荘へ向かってくる一台の車を発見した。

「ひょっとしてコレかしら?」

 ポツリと呟いた言葉に鷹乃が反応をする。

「来た?」

「えぇ、多分。」

 言葉少なく互いに頷くと、意を決して別荘を後にし坂道を下る。

 別荘へ上る坂と公道の(さかい)辺りで足を止めると、ほんの一分足らずで件の車が到着する。

 人通りの無い田舎では案の定と言うべきか、ならず者達の車であった。

 運転席は当然、助手席に一人、更に後部座席に二人の男が乗っており、その後部座席の二人が降りてくる。

「おっ?ちゃんと二人だけで来たみてぇだな?」

 周囲を見回し二人以外の人影が無い事を確認すると、鷹乃の腕を掴み乱暴に後部座席へ押し込んだ。

「ちょっと、何するの!」

 稲穂が声を荒げると

「うるせぇ!テメェもさっさと乗りやがれ!」

 と強く背中を押される。

 怒りを覚えたものの、ここは素直に従っておかなくてはと気持ちを『か弱い女性モード』に切り替え、よろよろとした足取りで車に押し込まれた。

 すると両脇のドアから男二人が強引に乗り込んでくる。

「ちょ、ちょっと…これ人数オーバーでしょ…。」

 左右から圧迫される窮屈さと、品のない男に密着される(おぞ)ましさで二人は身を固くし、無言のままで連れて行かれてしまった。

 一方、既にアジト付近へ接近を果たしている大樹と剛。

「発信機の反応を見るに、この付近のようなんだけどねぇ。」

 受信機の反応を見ながら周囲に警戒しつつ歩く大樹。

 その肩を『とんとん』と指で(つつ)き、剛がとある方角を指差して見せると、明らかにガラの悪い連中が周囲を見回すように配置された建物の入り口が見えた。

 その様子に互いに『うん』と頷くと、大樹が上を指差す。

 すると剛は再び小さく頷いた。次の瞬間、二人の身体がふわりと浮かび上がる。

 これは剛の超能力『念動力』だ。

 しかし幹雄と同じ能力ながら、力では幹雄と比較し弱く精々普通自動車一台を持ち上げる程度しか出来ない。だが優れている点が存在し、複数の対象に同時に能力(ちから)を発揮する事が出来るのだ。

 目的の建物の向かいの屋根に身を伏せ様子を伺っていると、暫くして一台の車が到着する。

 バタバタと扉を開けて出てきた男達。そこから更に乱暴に引っ張り出された二人の女性…稲穂と鷹乃の姿を確認し、大樹と剛も身を引き締めた。


 男達に周囲を囲まれ自由の無い状態で稲穂と鷹乃はアジトの中へ移動を余儀なくされる。

 扉を開けて直ぐに元店舗のスペース、つまり溜まり場の本殿だ。外は既に闇夜で街灯の薄明かりしか無かったのに対して、建物内も薄暗いにしてもまだ明るい。

 そして二人の目に最初に飛び込んできたのは、写真の通り椅子に(くく)られた櫻の姿だった。

「…!」

 息を飲み口を大きく開けて思わず名前を叫びそうになる稲穂。

 だが下手に言葉を出せばそこから弱みを握られる事にもなりかねない。グっと言葉を飲み込み、周囲の様子を探る。

 すると照明と照明の間の闇深い部分に、如何にも大将という態度の男が居る事に気付く。

 その男…西田…が、ゆっくりと立ち上がると、櫻の座る椅子に近寄り口を開いた。

「よく来たな。さて、どっちがこのガキの親だ?ロクな教育をしてねぇようだなぁ?」

 言うなり櫻の前髪を乱暴に鷲掴(わしづか)みし、顔を引き上げて見せた。

 照明が当たり鮮明になったその顔に稲穂達は言葉を失う。

 幾度もの加減の無い暴力によって櫻の両頬が腫れ上がっていたのだ。唇も少々切れてしまっているのか、血の跡も見える。

「…あなた、自分が何やってるか解ってるの!?」

 怒りに冷静さを失い稲穂が声を荒げる。しかしそんな態度を見ても

「お前がコイツの親か?」

 と意に介さず自分の要件だけを突き付けてくる。

 言葉に詰まる稲穂。その様子に苛立ちを覚える西田。

「おい、さっきから質問してるんだぜ?俺は。」

 声に怒気を混ぜながら再び櫻の髪を、顔が上を向く程に引っ張り上げると、その喉元にバタフライナイフを突き付けた。

 周囲の照明がナイフを照らすと、角度を変えるナイフがチラチラと光を放つ。

 何とか場を繕う手立てが無いかと周囲の状況を目だけを動かし探る。その時、櫻の手…その指先が何かを訴えるように小さく動いている事に気付いた稲穂は怒りに握り締めていた手を下ろすと観念したように言葉を紡いだ。

「…分かったわ…、私がその()の親よ。要件は何なの?」

 その言葉に単純な西田は機嫌を良くする。

「おい、お前ら、カメラ回せ。」

 顎で指示を出すと周囲の取り巻き達がビデオカメラを始めデジタルカメラや携帯電話のビデオ機能等を総動員し、稲穂達を撮り始めた。

 その異様な統率力に引き気味になり後ずさる稲穂と鷹乃。しかし背後もしっかりと固められ逃げる事は出来そうにない。

「さて、お二人さんには()ずストリップショーをしてもらおうか。」

 いやらしい声で二人の身体を舐めまわすように眺めながら西田が言うと

「なっ…!?」

 二人は互いに身を寄せ身体を強ばらせた。

「この程度で足踏みしてちゃ困るんだぜ?あんたらにゃもっと楽しませて貰うつもりなんだからよぉ。」

 周囲の男達からも下卑た声が聞こえる。

 未だにナイフを喉元に突き付け続ける西田を睨みつける稲穂。するとその時、稲穂の胸元が僅かに『クイ』っと手前に引かれたように感じた。

 それに気付き視線を上げると、いつの間にかアイマスクがズレて見える櫻のうっすらと開いた目が自分を見ている。だが稲穂達を見据えた西田はその事にまったく気付いていない。それは周囲の男達も同じだ。

(櫻さん…?)

 再び胸元に引かれる感覚。その部分に視線を送ると、とあるボタンを引いている事に気付いた。

「分かりました…。」

 諦めるように吐き捨てブラウスの胸元のボタンに手をかける稲穂。

「稲穂…!?」

 小さく驚きの声を上げる鷹乃。

 その次の瞬間、外したボタンがそのまま服から取れたかと思うと、稲穂は全力でそれを西田に投げつけた。

 ただのボタンにしては少々の重量のあるそれは、見事なコントロールで西田の顔面に当たる。大したダメージにはならないものの想像と違う金属的な痛みに少々の混乱で思考が乱れる西田。

 それとほぼ同時に鷹乃のかけていた伊達眼鏡のツルが突然派手な音を立てて折れ、『カシャン』という音と共に足元へ落ちる。

 周囲の男達が何が起きたのか理解せぬ内に鷹乃はスカートのポケットに入れておいた防犯ブザーを鳴らした。

 大音量のブザーが鳴り響くと、あまりの騒音に周囲の男達が思わず耳を塞いだ。

 建物の外に居た者達も、中から突然響いてきた音に何事かと注意が逸れる。

 そしてその音は当然、外で待機していた大樹と剛にも届いていた。

 互いに顔を見合わせ頷き合うと、剛の超能力(ちから)で外の見張りを上空から奇襲し、瞬く間に叩き伏せ一気に屋内へ突入。

 突如飛び込んできた男二人にアジト内は更に混乱する。

 その隙を逃さず稲穂と鷹乃も周囲を取り囲むように居た男達の鳩尾(みぞおち)を的確に蹴り抜き行動不能にすると、ものの数分で形勢が逆転した。

 余りの手際の良い動きに呆気に取られていた西田が我に返ると

「な、何だテメェら!?」

 と、今までの威圧的な態度すら消え失せる程に取り乱す。

 大樹と剛が其々に稲穂と鷹乃を背に(かば)い前に出、

「何だとは酷いですねぇ。貴方(あなた)達が呼んだんじゃないですか…まぁ僕らは招かれざる客ですがね。」

 と挑発するかのように言う。大樹の声は普段の軽い物言いに聞こえるが、目が笑っていない。

 周囲の取り巻き達が床へ()(つくば)る中を大樹が一歩踏み出すと、

「近付くんじゃねぇ!テメェのガキがどうなってもいいのか!?」

 西田がナイフを持つ手に力を入れて声を荒げる。

 しかしその状況を冷ややかな目で見据え

「一つ言っておきましょう。人質を取るというのはその時点で詰みなんですよ。人質は無事でなくては交渉の材料足り得ない。だがその人質の人質たる価値を失ってしまえばもはや其方(そちら)の強みは存在しない。」

 更に一歩前へ出て

「ついでに言っておきますと、その()は僕の(むすめ)ではありません。ですから僕に対して人質としての価値は低いと言わざるを得ませんよ。」

 そう言い放つ声には既に普段の軽さも無く、西田に威圧感を与える。

 するとその時、『ベリッ』と粘着テープの剥がれる音が聞こえ、

「もういいぞ。」

 西田のすぐ(そば)から幼い、しかしそれに見合わない強い声が聞こえた。

 その声に応えるように目の前の四人が戦闘態勢を解くと、西田は何が起きたのか再び理解に苦しんだ。

 恐る恐る自分が掴んでいる少女の方に顔を向けると、その目に飛び込んできたのは怒りに満ちた眼で自分を睨みつけている顔だ。とても幼い子供のする表情ではない。

 思わず髪を掴んでいた手を離すと、その少女を縛っていたロープが勝手にビリビリと音を立てて千切(ちぎ)れて行くではないか。

 自分の目の前で起きている事に現実感を失い、酒のせいで頭がやられたのかと自分を疑う西田。

 そんな西田を余所に、自由になった櫻は稲穂の胸元を指しチョイチョイと合図を送る。

 その合図に察した稲穂は胸ポケットに挿していたペン型のボイスレコーダーのスイッチを切った。

「コイツはあたしがやる。お前さん達はそこらでノビてる連中を外に出して全部縛り上げておいとくれ。」

 櫻の指示に大樹達は頷き

「油断はしないでくださいね。」

 とだけ言葉を残し指示された通りに動き出した。

「な、何なんだテメェは!ナメやがって!」

 大きな声で自分を奮い立たせ、西田がナイフを振りかぶった。

 しかし櫻は西田の顔を見据えるだけで微動だにせず立ち尽くす。

 振り下ろされるナイフが櫻の額を貫こうとした瞬間、西田の腕は強い力に阻まれたように動きを止めた。いや、正確にはナイフが櫻に触れる寸前で止まってしまったのだ。

「…まさか本気で刺す気とは、最早手加減する価値も無いね…。」

 強い怒りを含んだ櫻の声。危機感を覚えた西田が、ナイフをどうにかしようと押すも引くも微動だにしない。慌ててその手を離し距離を取る。

 すると櫻の前で止まっていたナイフがいびつに歪み、音を立ててへし折れ、そのまま金属音を響かせ床に落ちたではないか。

 西田はこめかみの辺りから汗が流れた事に気付き、慌てて(ぬぐ)う。

「ほう?恐怖を感じたな?」

 櫻がにやりとすると、図星を指された事に西田は更に動揺し冷静さを失っていく。

「ナメんじゃねぇーー!!!」

 恐怖を打ち消すように大声を上げて櫻に掴みかかろうとする西田。だが櫻に恐怖し、警戒をしながら動く西田には既に以前のような『考える前に動く』程の度胸は残っていない。

 櫻に行動を読まれ、からかうように、紙一重で(かわ)される。

 室内のテーブルやソファーを倒しながら荒々しく櫻を追いかけるが、櫻の身のこなしは軽やかで全く触れる事が出来ない。

 だが流石に櫻もからかうのに飽きたのか、その動きを止めた。

「やっと観念しやがったか!」

 息も荒く、最早どちらが追い詰める側なのかという状態にも(かかわ)らず未だに自身の敗北を認めない西田に、櫻は大きな溜息をついた。

「いいよ、何をしたいのかやってみな。」

 手をクイと動かし挑発する。

 余りに舐めた態度に西田の単純な頭は怒りに震え、目の前にあった倒れたテーブルを櫻に向かって蹴り飛ばした。

 だが櫻は飛んできたテーブルに手を突き出すと受け止め、その陰から飛びかかってきた西田に向けて打ち上げた。テーブルの角が西田のボディに見事にヒットし、そのままの勢いで天井へ叩きつける。

 腹部と背中、両側から走る衝撃に西田が痛みで顔を歪めた。しかしその中で眼下にある散乱したテーブルや椅子が目に入ると、落下時の危機を想像し、

「うわあぁぁぁーーー!!」

 と情けない程の悲鳴を上げた。

 そしてそのイメージ通りに身体が落下を始める。

 西田は必死に身を守ろうと両腕をクロスさせて顔面を庇う。しかし想像した痛みが襲ってこない。どうしたことだと恐る恐る目を開けてみると、テーブルが目の前にある状態で身体が止まっているではないか。

「まさかこれで終われると思ってもらっては困るぞ?」

 顔を上げた西田の眼前に櫻の意地悪い顔がニヤリと笑った。

「さて、まずは自分がした事を身をもって知ってもらおうか。」

 そう言うと、櫻は全力の握りこぶしを西田の顔面に左右から叩き込む。子供の腕力ではなかなか威力は出せないが、それでも十発、二十発と数をこなす内に西田の顔は赤みを帯びて行った。

 殴り疲れた手を『ふぅー』と吐息で冷ましながら

「さて次は…。」

 と壁を見つめる。

 その仕草に西田は次に何が起きるかを把握し、腫れ上がった顔が青ざめた。

「ま、待ってくれ…!」

 情けを求める声。しかし櫻は(はな)からそんな言葉を聞く気は無い。

 西田の襟首を片手で掴んだかと思うと、ハンマー投げのようにぐるぐると振り回し勢いを付けて壁目掛けて投げつける。

『ダァン!』と派手な音を立て、建物が揺れる程の衝撃を全身に受けた西田が今度は受け止める力も無く床へ落下すると、全身に走る痛みに呼吸もままならないままに眼前に迫る少女の姿に恐怖し、その目には涙が浮かんでいた。

 先程から櫻が行っている行為は当然ながら全て幹雄からコピーした念動力によるものだ。つまりは櫻自身は身動き一つ取らずとも西田を蹂躙する事など造作もない事であった。

 だが櫻は、この救いようのない外道が今後一切自分とその周囲、()いては世間に牙を剥くような気を起こせない程に徹底的に痛めつけ、精神的に立ち直れないようにする事を既に決定事項としていた。(ゆえ)の、幼い少女にボコボコに()されたという実感を与える為の行動である。その行為に正義は無く、容赦も無い。

「た…助け…て…。」

 呼吸もままならず涙を流し許しを請う西田。

『お前は今までそう言ったか弱い女性達をどれだけ(はずかし)め人生を奪ってきたと思っているんだ?』

 口を開き、思わず言葉にしそうになった陳腐(ちんぷ)な文句を飲み込むと口をキュっと結び、横たわる西田の頭に片足を乗せ、体重をかける。

 見た目小学一年生程度の少女の重さだ。それ程のダメージにはならない。だがその目はとても歳相応の迫力ではない。自分を見下し、いつでも命を奪えるとでも言うような視線を受けながら頭にジリジリと掛かる痛みが、そのまま頭を踏み砕かれてしまうのではないかという恐怖を生み出した。

「うわあぁぁ~~!!」

 呼吸が整わず全身にも痛みが走り、ろくに動けない身体も生命の危機となれば多少の無理は利くのだろう、必死で片腕を振り上げると櫻の足に掴みかかる。

 だがその掴んだ筈の足から西田の指が一本、また一本と剥がれて行く。いや、剥がれるどころではない。その指は更に後ろへ反り返ると『ポキ』っと軽い音を立てて手の甲へピッタリとくっついてしまった。

 最早自分に起きている事への理解も追いつかない。その中で折れた根元から焼けるような痛みが脳の認識する所となると

「うぁぁ~!?ゆ、指がぁぁ~!?」

 ()しもの西田も遂に泣き叫びだした。

 櫻はこの時点で既にスカっとしては居たものの、徹底的に壊すと決めたからには手を抜かない。そういう性格だ。

 頭に乗せていた足をどけると、そのまま西田の身体を踏みつけながら足へ向かう。そして態々自らの手で靴を脱がせると足の指先に手を伸ばし

「ふん…足の指も全部健在だね。さて残り十五本だ。」

 わざと西田に聞こえるように確認をする。

「…!?ま、待っ…。」

「さて何本目まで耐えられるかな?」

 西田の声など聞こえないとばかりに言葉を被せると、汚いものを触るかのようにそろりと西田の足先へ人差し指を伸ばし、触れる。

 そのまま軽く引き上げると、再び『ポキ』。

「ぎぃあぁぁ…!!」

 人気のない夜の田舎町に木霊(こだま)する程の西田の悲鳴。

「うるさい奴だねぇ。」

 周囲を見回すと、櫻の口を塞ぐのに使った粘着テープの残りを発見。西田の口を塞いだ。

 満足気に元のポジションに戻ると再び足の指を順番にへし折っていく。その度に西田の悲鳴が喉から上がっては鼻を通りくぐもった音となって建物内に響いた。

 しかし足の指を全て折ったところでその音が出なくなった事に気付く。

「ん?もう終わりかい?まだ手の五本が残ってるってのに。」

 まだ遊び足りない子供のように頬を膨らませると、腫れた痛みに今更ながら自分の状態を思い出した。

 西田の身体から降り、周囲をキョロキョロと見回す。

「お、あったあった。」

 稲穂が投げたボタン型盗聴器と、櫻が破壊した盗撮眼鏡を回収、そこへ中が静かになった事を察した大樹達がやってきた。

「櫻さん、終わりましたか?」

 建物内の惨状を見渡しながら大樹が声をかける。

「あぁ、まだやり足りない気もあるが、これ以上やると本当にショック死しかねんからね。取り敢えずはこれで見逃してやるさ。」

 横たわる西田を一瞥(いちべつ)して向き直ると

「鷹乃、すまんがアイツの手足の骨だけ治しておいてくれんか。過剰防衛とか言い出されちゃかなわんからね。」

 そう言う櫻に対し

「分かりました。けどまず櫻さんからですよ?そんな顔で帰ったら百合香と美咲ちゃんが心配しちゃうでしょう?」

 と櫻の顔を優しく手で包み治療する。

 腫れと痛みがみるみる消え、口内と唇の裂傷もすっかり無かったかのように完治した。

「いつも世話になってすまんね。」

「この程度の事、貸しにもなりませんよ。」

 怒りの表情はすっかり消え、互いに微笑み合う。

 鷹乃の治癒能力(ちから)で西田は骨折だけを治し、痛みの感覚はそのまま残すと、あとは大樹と剛によって縛り上げられ外の連中と一纏(ひとまと)めにされた。

「はい、櫻さん。」

 大樹が(ふところ)から櫻の携帯電話を取り出し手渡す。

「お、気が利くね。」

 受け取ると早速何処かへ電話をかけ始めた。

 数度のコール音の後に

『はい、もしもし。大沢です。』

 電話越しに出た相手は所長こと大沢静流(おおさわ しずる)だ。

「あぁ所長。すまんね、こんな夜分遅くに。実は()()って頼みがあってね…。」

 …約一時間後。

 何台ものパトカーと数人の警察による捕物(とりもの)…というには余りに動きの無い『回収』があり、現場での事情聴取は所長経由で粗方(あらかた)を伝えられていた警察に大樹が細部の説明をする事で解決。

 証拠音声や映像は一度専用の機器でデータを取り出さねばならないという事にして後日ちょっとばかりの編集を加え提出となったのだった。


 余談ではあるが、別荘にも物取り目的と見られる不審な人影が二名程あったものの、恐らくは全員が出払ったか残っていても子供だけと油断していたのだろう。

 待ち構えていた功刀、楓、幹雄に返り討ちにされると一目散に逃げ、警察に囲まれたアジトを見て狼狽(うろた)えていた所を気付いた警官に肩を叩かれ職質からの御用となっていた。


 警察が別荘まで送ろうかと提案してくれたものの、丁重に断り夏の夜風を堪能しながら道なりに歩いて帰る事にした一同。

「それにしても櫻さん、よく念動力を保持してましたね。写真を見た時は気を失っているように見えてヒヤリとしましたよ。」

 剛が心底感心したように言う。

「あぁ、実際本当に気を失いそうではあったんだが、壁に投げつけられる時にあの男の予備動作が大きかったお陰で念動力(ちから)を使って衝撃を逃がす事が出来たのが大きかったね。」

 手を後ろに回して背中をさするような仕草をして見せた。

「あとは読んでいた思考から連中が何をするかを想像出来たから、気を失ったフリをして流れに任せたのさ。泣き真似は苦手だが、狸寝入りは得意なんでね。」

 ハハッと軽い笑いが起きるが

「それにしてもあの連中、まだまだ余罪がありそうですね。」

 大樹が思っていた事を口に出すとまた空気が重くなってしまった。

「あぁ、頭の中を覗いた時に沢山の被害者が居るのは解っていた。恐らくはそのせいで命を絶ってしまった人だって居るかもしれない。出来れば極刑を望むが、それはあたし達がどうこう出来る範疇じゃないからね…この国の司法がまともである事を願うだけさ。」

 言葉も無く足音だけが夜道に響いた。

「ま、そんな話はもう終わりだ。あんたら、そんな暗い顔を美咲達に見せたら承知しないよ?」

 先頭を歩いていた櫻が振り向き激を飛ばす。

「そうですね。私達は慰安旅行に来て、何事も無く楽しい一週間を過ごすんですから。」

 稲穂が明るい声で返すと、皆も同意し気持ちを切り替え、既に日付を(また)いだ時間にも(かかわ)らず功刀達が出迎える別荘へ帰り着いたのだった。

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