EP 5-2
花園百合香は夢を見ていた。
時折見るその夢はいつも同じ内容。忘れたい記憶、しかし無意識下に残り続ける辛く悲しい記憶が夢となって蘇る。
目が覚めれば夢の内容など覚えていないのに、その夢を見た翌朝はいつも憂鬱な気分になる。
しかし今回は違った。
悲しい筈の夢の中に優しさが降り注ぎ、百合香の心を温もりが包む。
胸を締め付ける辛い感情はなりを潜め、いつしか幸せな夢の中を揺蕩っていた。
てしてしと頭に当たる軽い衝撃に、夢現に百合香の目が開く。
ぼんやりとした視界に白い布地が見え、最初はソレが何か理解が出来ずにいた。
だが身体を起こそうとした時に、頭の上の方から聞こえる小さな寝息と、その頭を抱え込むように回された腕に気付き、自分の今の体勢がどういうものであるのかが段々と解ってきた。
(…!?)
百合香の鼓動が跳ね上がる。
(えっ…!?美咲ちゃん!?これはどういう状況!?)
美咲が、自分を抱き締めている。
てしてし。チェリーが百合香の頭を、美咲の腕の隙間を縫って叩き続けているが、そんな事はまったく頭に入ってこない。
頭を動かさず視線だけを上に動かすと、ほんのりと寝汗をかいた首筋に再びドキっと心臓が跳ねる。『コクッ』と唾を飲み込む音がとても大きく感じる。
更に足も絡み、身体は密着状態になっている事に今更ながらに気付くと、体温が急上昇を始めた。
どうやら最初は百合香を落ち着かせる為に頭を抱き抱えただけだった美咲が、寝ている間に無意識に抱き枕を抱くように身を寄せてしまったようだ。
この良く解らない状況の中、百合香は『もっと堪能したい』という気持ちと『このままでは身が持たない』という気持ちの板挟みで金縛りにあっていた。
だがその硬直を解いたのはチェリーの甘噛みだ。
カプリと百合香の耳に噛み付くと、痛いという程では無いが突然の刺激に『ひゃ』という、声とも言えぬ程度の喉から漏れた空気の音と共に身体がビクリと跳ねた。
「う…ん…?」
百合香の動きがそのまま美咲に伝わると、流石に美咲も目を覚ましてしまった。
その寝起きの艶のある声に百合香の興奮は極限まで高まる。
「あ、百合香ちゃん、おはよう…。」
まだ眠そうな声ではあるものの、にっこりとした笑顔で挨拶をする美咲。
変に意識しては駄目だと慌てて百合香も返事をするが
「お…ぉはょう!」
声が上ずってしまい慌てる。
そんな百合香の様子に
「あ、ごめんね。いつの間にか抱きついちゃってたみたい…凄い汗…暑かった?」
ハッとして身を離す美咲。
美咲の言う通り、百合香は全身に汗をかいていた。しかしそれは緊張と興奮から来るものだ。
(あぁ…!)
離れる美咲に百合香は心の中で涙を流しながら
「ううん、大丈夫だよ。美咲ちゃんこそ大丈夫だった?寝苦しくなかった?」
精一杯に平静を保とうと言葉を選ぶ。しかしその手は未練から無意識にわきわきと動いていた。
そんな百合香の気持ちを知ってか知らずか、チェリーが『ここは自分の場所だ』と言わんばかりに美咲の胸へ飛び込み『にゃっ』と甘えた声を出す。
「チェリーもおはよう。お腹空いた?ちょっと待っててね。」
チェリーを抱き上げベッドから下りる美咲。
「私、部屋に戻って着替えてからリビングに行くから、百合香ちゃんも着替えちゃった方がいいよ?寝汗が凄かったみたいだし、早めにお洗濯しちゃえばすぐ乾くと思うよ。」
「う、うん。」
手をひらひらとさせ部屋を出て行く美咲をカラ返事で見送る百合香。
『ぽふっ』とベッドに倒れこむと、俯せのまま深く深呼吸をし、足をバタバタさせ悶えるのだった。
その頃リビングでは、櫻を筆頭に、大人達による小さな作戦会議が開かれていた。
「まず第一に優先するべきは子供達が普通にこのバカンスを楽しみ終える事だ。その為に稲穂と鷹乃、それに時々幹雄は美咲と百合香、功刀の傍で『いつも通り』で居てくれ。」
稲穂と鷹乃が首を縦に振る。
「時々と言うのは?」
幹雄が疑問を呈する。
「お前は普段が普段だから、全く姿が見えないのは不自然だろう。どうせだから美咲達の世話をしつつ、あたしらと連絡を取って適宜対応してもらう。」
「成程、確かに幹雄さんの姿が見えないと何かあったのではと不安になりますよねぇ。」
大樹が口を挟むと
「それで大樹と剛だが。」
大樹達の顔を見上げて櫻が指を指す。
「あんた達にはあたしと一緒に町の方の散策に付き合って貰う。」
「散策…ですか?」
剛が首を傾げる。
「あぁ、昨日はお前さんら二人だけでは何もリアクションが無かったようだが、もし狙いが子供達なのだとしたらあたしが居る事で反応は変わるかもしれん。もしそうなら不審者共の分断、若しくは動きの把握に繋がるだろう?」
「成程、囮捜査のようなものですか。」
「そういう事。それに案外何か情報が得られるかもしれないしね。」
櫻は『ふぅ』と軽い溜息をつき、
「正直今出来そうな事と言ったらこの程度だ。あとは状況に合わせて臨機応変って所だねぇ。」
そう言ってテーブルの上に並んだコーヒーカップを一つ選び、口に運んだ。
その櫻の動きに促されてか、皆も何となしにカップに手を伸ばし一息つく。
するとそこに着替えを終えた美咲と百合香が入って来た。
「おはようございます。」
「おはよー!」
子供達の元気な声に、大人達の表情も和らぐ。
「おはようございます。朝食はもう少し待っててくださいね。」
幹雄がいそいそとリビングを出ると、軽く会釈をして見送った美咲はソファに座り、手に持っていたチェリーの餌を餌用トレイをにザラザラと流し入れる。
そしてそのままトレイを膝の上に乗せると、チェリーの目を見て腿の上を『ポンポン』と叩いて見せた。
するとチェリーも美咲の意図した事が解るのか、指定された場所にしなやかな動きでトンと飛び乗ると、大人しく餌を食べ始める。
「へぇ、凄いね。美咲ちゃんの言いたい事が解るだけでも大したものだけど、膝の上で餌を食べるのも珍しいんじゃないかい?」
剛が感心気味にその様子を眺める。
「いつもは餌皿を床に置いてるんですけど、ここだとカーペットが敷いてあるので、直に置くのは悪いかなと思って。」
気恥かしそうに言う美咲に
「そんな事を気にしていたのか。別に構わんのに…。」
呆れながらも、相変わらず気の回る美咲に感心する櫻であった。
カリカリと小気味良い音を立てながら夢中で餌を食べているチェリーを皆が眺めていると、リビングの扉が開き、食欲をそそる香りと共に幹雄が顔を覗かせた。
「皆さん、朝食の用意が出来ましたよ。」
その言葉に皆が『待ってました』とばかりに食堂へ移動を始める。
するとチェリーが、まだ餌皿の餌を食べ終えぬ内に美咲の上から飛び退きテーブルの上へ立ったかと思うと、美咲の目を見て『ニャ』と短く鳴いた。
「ふふ、ありがとう。お皿、ここに置いておくね。」
チェリーにニコリと微笑む美咲。
そんなやり取りに
「賢いと言うより、本当に美咲ちゃんと言葉が通じているみたいだね。」
剛は呆気に取られながら感心した。
「それじゃ、チェリーの気遣いを無駄にしないように朝ご飯食べちゃいましょ?」
稲穂に促され皆が食堂への移動を再開。
「百合香、お兄ちゃん達も呼んでくれる?」
鷹乃の言葉に
「は~い。」
と百合香が部屋を駆け出した。
「あれ?今日はテレパシーじゃないんですか?」
大樹が疑問に思うと
「楓はともかく、功刀はまだ寝てるだろうからね。直接起こしに行かないと目が覚めないんだ。」
そう言って苦笑いを浮かべる剛。
美咲達が食堂に入ると、丁度同じタイミングで眠そうな功刀を筆頭にその背中を押す百合香と、それを見守るように後に続く楓がやって来た。
「おはようございます。」
美咲の挨拶に
「お、おぅ。おはよう…。」
不意打ちを受けたように身体が強ばる功刀と
「おはよう。」
爽やかに挨拶を返す楓。
「ほらほら、折角幹雄さんが作ってくれたご飯が冷めちゃうわよ?」
鷹乃の声に促され皆が席に着くと、厚切りベーコンのステーキに半熟目玉焼き、新鮮な葉物野菜のサラダと、外はカリッ中はフワッとした絶妙な焼き加減のトーストが食卓に並ぶ。
何れも典型的な朝食と言ったラインナップながら、どの品も普段食べるにしては上質な素材が使用されており、見た目の質素なイメージは口に運んだ途端に消し飛ぶ程だった。
そんな食事の中で美咲がチラチラと外を気にしている事に気付く櫻。
楓にそれとなくアイコンタクトを送ると、小さく頷き意識を集中させた。
楓はそもそもの能力が千里眼の為、ある程度集中するだけで能力を行使する事が出来るが、稲穂の能力は瞬間移動であり、副次的な千里眼能力は意識だけを跳ばすという文字通りの離れ業である。その為、能力を使用中は意識が身体から失われてしまうので今回稲穂に頼る事は出来なかった。
軽く食堂内を覗き見られそうな範囲を見回すが不審者の姿は見受けられず、櫻へ向けて小さく首を横に振る。
その様子を受けて櫻が美咲の心を少々覗き見ると、どうやら昨日の不審な視線に不安を残していたようだ。
(せめて今日一日何事も無く過ごせればこの不安も消えるか?)
難しい顔をする櫻。するとそんな様子に
「櫻ちゃんどうしたの?まさかサラダに嫌いな野菜が入ってるとか?」
百合香の茶々が入る。
「子供じゃないんだ、たとえ有ったとしたってそんな事で残したりしないよ。」
言うが早いか目の前のサラダを一気に口に掻き込み、頬を膨らませた。
「櫻さん、その食べ方が既に大人と言い難いですよ?」
稲穂に突っ込みを入れられ、皆から笑いが溢れる。その中で大樹だけは苦笑いで冷や汗を浮かべていたのだった。
朝食を終えると皆其々に自由に動き出す。
とは言うものの、実質美咲達の警護のような状況になっており、櫻を筆頭に先に決めた通りの行動を開始。
「美咲ちゃん、今日も海に行こ?」
百合香の誘いに二つ返事で『うん』と頷く美咲。それを受けて大方の動きが決まった。
美咲と百合香が仲良く食堂を出て行くのを確認すると、稲穂と鷹乃も小さく頷き後に続き、功刀が出て行ったタイミングで櫻が楓を呼び止めた。
「すまんが今日は遊びより周辺の警戒に注力してくれんか。あたしらは情報収集に出かけたいんで美咲らの傍には居られん、頼む。」
両手を合わせて申し訳無さそうにする櫻。そんな様子に
「そんなに畏まらないでくださいよ。僕だって妹とその友達に何かあるかもしれないと思えば遊んでばかり居られませんからね。協力するって言ったじゃないですか。」
と笑顔で答えた。
「よく言ったね、楓。それでこそお兄ちゃんだ。」
剛が満足そうな笑みを浮かべ褒めると、流石に少し照れくさいのか楓は頭を軽く掻いた。
「さて、それじゃあたし達は外に出てくるんで、不在の理由は適当に誤魔化しておいてくれんか。」
楓に丸投げして出て行く櫻。
「楓、百合香達を守るのは確かに大事だけど、お前も危険な事はあまりするなよ?」
剛が真剣な目でそう言うと
「大丈夫だよ。僕だって自分の出来る事と出来ない事は弁えてるつもりだから。」
そう言い微笑み応える。
「もし何かあったら幹雄さんに頼ってください。あの人なら大抵の事は何とかしてくれますよ。」
大樹にも助言を貰うと『はい』と頷き、
「それじゃ僕も行って来ます。父さん達も気をつけて。」
軽く手を振り食堂を出て行く。
「いやぁ、好青年になりましたねぇ。」
「ははは、自慢の息子ですよ。」
そんなやり取りをしていると櫻が食堂の扉から顔を覗かせ
「お前らいつまで待たせる気だい?」
と少々不機嫌そうに呟く。
「「あ、済みません、今行きます。」」
二人が慌てて櫻の元へ駆け寄ると、ようやく町へ出発するのだった。
町へは徒歩で訪れた。
車を使うと細かな所まで見て回る事が出来ないからである。
「それで、何で僕が?」
少々不満を含む大樹の声。
それもその筈で、町に着いてから大樹は櫻を肩車して歩いていた。
「ん?流石に子持ちに余所の子供を担がせるのは悪い気がせんか?」
大樹の頭をガシっと掴み櫻が二人にだけ聞こえるような声で理由を説く。
「いや、まぁ。」
(普段は子供扱いすると拗ねるのになぁ。)
何となく納得しつつ
「それにしたって何故肩車?」
「一つはあたしの視野が広がるって事。もう一つは、出てくる前に楓に能力を借りていてね、それを使う為にあたしの注意が散慢になるから身を守って貰う為さ。」
周囲を伺いつつ話を続ける。
「それにしても本当に寂れちまったねぇ…。以前来た時には少なくとも食料品店や生活雑貨店は開いていたもんだったが、すっかりシャッター街になっちまって。」
「今時商店街が賑わうのは人口の多い土地くらいですからね。小さな町では郊外の大型ショッピングセンターや通販に生活を依存するようになってしまうんですよ。私達の町だっていつそうなるやら。」
剛も溜息を漏らしながら周囲を見回す。駅前に位置する商店街…だった場所は、すっかりその面影を失い人通りも見当たらない、一見するとゴーストタウンかと思う程の寂れ具合だった。
「流石にこんな所を観光している体で歩くのは少々無理が無いですか?」
大樹に正論を言われると流石に苦い顔をして
「うむむ…。」
と口を噛み締める櫻。
「いや、待てよ?」
何かを思い出したように大樹の頭をポンと叩くと
「この町の山の方に天然温泉が売りの旅館があった。そこがまだ営業しているかどうか確認しに行くという事で道なりに歩いてみるとしよう。」
そう言うと、大樹の頭を両手で掴み、進行方向へグリッと向ける。
「確かあっちじゃ。ほれ、行ってみるとしよう。」
馬を歩かせるかのように足で指示を出す櫻。
「はいはい、仰せのままに。」
苦笑いを浮かべながら指示に従う大樹。剛も相変わらずの櫻の様子に笑みを浮かべ後に続いた。
海辺では美咲と百合香が波打ち際ではしゃいでいた。
足元を波が抜ける感触に楽しげな声をあげ、水を掛け合い笑い合う。
そんな様子を波に揺蕩いながら眺める功刀の姿があった。
(あいつらいつも一緒だな…。)
呆れ半分ではあったものの、もう半分の気持ちは自身ですら理解出来ずモヤモヤとしていた。
気持ちが落ち着かず、立ち泳ぎをしながら周囲の景色をぐるりと眺めていると、遠方の林の中からキラリと光るものに気付く。
「ん?何だ?」
思わず声が出る。
見間違いかと思いながらも光の見えた方向へ目を凝らすと、再びその輝きが見えた。
(あれは太陽の反射か…?)
功刀の中に妙な不安感が沸き起こる。
軽く急ぎ砂浜へ上がると、ビーチパラソルの下で休んでいた楓の元へと歩み寄った。
その影に気付き見上げた楓に
「兄貴、あっちに何か居るっぽいんだけど、見て貰えねぇか?」
と親指を立てて光が見えた方向を差した。
楓もその方向に顔を向けると、丁度良いタイミングで光を目撃する。
「うん、確かに何かあるね。功刀、今更だけど念の為に気付いてないフリをしておいてくれるかい?」
普段温厚な楓から真剣な声で言われ、
「あ?あぁ。解った。」
戸惑い気味に首を縦に振る。
楓が瞳を閉じ、意識を集中させる。楓の千里眼能力は、遠方を観る程に集中力を必要とする。建物の周辺程度であれば目を開けたままでも大丈夫ではあったのだが、流石に距離が離れている為に能力に集中せざるを得なかった。
その様子に気付いた鷹乃も、横でくつろいでいた稲穂を肘で突き顎で指すと、警戒を強め美咲達に注意を向けた。
楓の意識が問題の光の元へ届くと、そこに居たのは昨日見た男とは別の男。少々小太り気味でサイドを刈り上げたオールバックの髪型が印象的だ。
(しまったな…カメラを用意して貰うべきだったか…。)
後悔したものの今また意識を戻すのは効率が悪いと、一先ず相手の様子を調べる事にした。
光を反射していたのはカメラかと思っていたが双眼鏡だ。どうやら別荘周りを観察しているようにも見えるが、今はほぼ全員が海辺に居る為にそちらに集中しているようだ。
そして気になったのが右耳に挿しているイヤホンと、その先にある機械…どうやら何らかの受信機のように見える。
そこで楓はハッと気付く。
(昨日はあれだけ別荘の近くで様子を伺っていたのに…まさか?)
能力を解除し意識を戻した楓は、傍で見守っていた功刀に目を向けると
「僕はちょっと幹雄さんの所へ行ってくる。功刀はこの事については何も言わずに百合香達と遊んでて欲しい。頼んだよ。」
そう言って肩を叩き、別荘へ戻っていった。
何か面倒事が起きていると薄々感じる功刀ではあったが、一先ず楓の言う通りに百合香達の元へ歩み寄り遊びの中へ交じった。
平静を装いつつ別荘へ向かう楓ではあったが、その足取りは少々早い。
別荘の入り口まで辿り着くと丁度中から飲み物と昼食の入ったバスケットを持った幹雄が姿を現した。
「おや、楓君。丁度今皆さんにお昼ご飯を持っていこうと思っていた所でしたよ。」
出会い頭に少々驚きを交えつつ笑顔の幹雄。そこに楓も笑顔で返しつつ無言で小さく指を指し建物の中に入るように促すと、意図を察し
「おっと、そういえばもう一つ持ってくる物があったのでした。いやぁ、うっかりうっかり。」
と声を弾ませ建物の中へ戻って行った。楓もその後に続く。
個室の向き合う廊下まで入ると楓に振り向き
「何かありましたか?」
神妙な顔で幹雄が問い掛ける。
楓は今見た事を説明した上で
「あれは多分盗聴器の受信機では無いかと思うんです。ただ、建物の中に侵入されたとは思えないですから、建物の外周で尚且つ中の音が拾えるような場所に仕掛けられているのではないかと…。」
と推測を述べた。
「ふぅむ。盗聴器は小さいので探し辛いですし、見つければ相手に気付かれますね。今は泳がせておいて、櫻さんが戻ってきたら報告するとしましょう。その間は皆が超能力の事を口にしないように注意しないといけませんね。あ、取り敢えず写真は撮っておきましょう。」
言うが早いか懐から携帯電話を取り出し楓に手渡す。
「それと、功刀君にも現在の状況を説明しなくてはならないでしょうね。」
その言葉に
「そうですね。功刀は除け者にされると機嫌が悪くなりますから。」
そう言って苦笑いを浮かべる楓だった。
その頃、温泉旅館を目指しつつ町の様子を窺っていた櫻達も思わぬ遭遇を果たしていた。
旅館へ通じる道から一本ずれた通りに、昨日見た写真に写った男を含む複数人の男達を発見したのだ。
「大樹、ちょっと寄り道じゃ。」
大樹の首をぐいっと曲げて進行方向をコントロールする櫻。
「櫻さん、もう少し優しく…。」
流石に剛も大樹の身を案じる程の勢いだ。
「昨日の写真の男が居る。勘付かれんように近付け。」
櫻の言葉に二人も集中力を高める。
通りを隔てる建物の隙間に身を潜め集団に接近を試みる。何をするでも無く煙草をふかし屯している連中を遠目に、櫻が写真の男に読心を試みた。
その男の中にある記憶を読み取り、西田という男に指示され別荘を…というよりも、一行の動向を監視している事、その目的が脅迫材料を手に入れ金銭を継続的に巻き上げる事であるという事実が判明する。
「はぁ…。」
眉間に皺を寄せて目頭を押さえ溜息を吐く。
能力に合わせ年の功と言うべきか、櫻は多くの人間の汚い部分を見てきた。その為こんな連中の下卑た考えも言ってしまえば良くある部類と流す事が出来る。
見知らぬ場所で沢山の不埒者により多くの犠牲者が生まれている事も理解しているし、その全てを助ける事など出来ないと知ってもいる。
だが、事身内に降りかかろうとするこの不逞の輩の魔の手は絶対に触れさせる訳には行かない。
自身が正義などでは無いと知っては居ても、櫻の瞳には、この外道共を許す事など出来ないという怒りに似た炎が燃えていた。
だがいくら櫻達が事の真実を知っていても、単に暴力で解決を図る事は出来ない。
先ずは相手が手を出し、それに対し決定的な証拠を押さえ、そのうえで徹底的に叩きのめす。これが最善だ。
「櫻さん、どんな感じでした?」
櫻から発せられる不愉快感を感じた二人が恐る恐る声をかける。
「あぁ、詳しい事は戻ってから皆の前で話すが、取り敢えず今も別荘を見張ってるヤツが居るという事が判った。」
声のトーンが低い。明らかに不機嫌。だが建物の隙間を抜け安全な場所へ出ると、
「まぁ取り敢えず温泉旅館の状態を確認してのんびり帰る事にしよう。」
と気持ちのスイッチを切り替え再び大樹の肩へ登った。
大樹と剛は顔を見合わせたものの、苦笑いを浮かべるのが精一杯だ。
「ほれほれ、さっさと出発せんか。」
大樹の胸に踵をトントンと当てて移動を催促する櫻。
そうして道中に点々と在る案内看板を頼りに道なりに進むと件の温泉旅館が見えて来た。
しかしその間、櫻の頭の中は例の無法者達への対処方を考える事で一杯で周囲の事などまるで目に入るものでは無かった。
「櫻さん、旅館に着きましたよ。」
大樹の声にハッと俯いていた顔を上げると、目の前には少々寂れながらも未だに営業を続けている温泉旅館が建っていた。
「おぉ…懐かしいな。記憶の中の姿そのままだ。」
大樹の肩から飛び降りて入り口まで駆け寄る。
その横には立て看板で料金表が書かれており、『宿泊』の他に『お食事』『日帰り温泉』としっかり記載されている。
入り口から見える旅館の内部もきちんと営業しているようで一安心。
不愉快な案件が発生した事で気分が悪かった櫻だが、
「よしよし、後日皆で温泉に入りに来よう。」
と気を持ち直し、その様子に大樹と剛もホッと胸をなで下ろした。
すると、櫻の腹から『クゥ~』と腹の虫の鳴る音が聞こえた。
「む?そういえば昼食を食べておらんな。時間は…もう午後の一時も過ぎてしまったか。」
携帯電話の時計を見た櫻が二人に向き直り
「そろそろ戻るか。」
そう言うとスタスタと歩き出した。
「あれ?肩車はもういいんですか?」
大樹が意外そうな声で問うと
「子供じゃないんだ、いつまでもそんな事してる訳にいくかい。」
酷使した事に悪いと思ったか、少々申し訳無さそうに言い、別荘への道を歩くのだった。
櫻達が別荘へ戻ると、リビングでは幹雄がくつろいでいた。
「おや、櫻さんお帰りなさい。」
幹雄は手に持っていたジュースの入ったコップをテーブルに置き、櫻に軽くウィンクをして見せた。
その合図に櫻は幹雄の思考を読み取り、小さく頷いた。
「…まぁ、お前さんには毎日世話になってるしな。のんびりしててくれていいぞ。何か食べるものが残ってたら助かるが、あるかい?」
「それでしたらお昼の余りが厨房の冷蔵庫の中にあります。それ程多くはありませんが、夕飯までの繋ぎには足りるかと思いますよ。」
その言葉を聞き、
「じゃぁあたしがそれを持ってくるから、大樹と剛もここで待ってな。」
とリビングを出て行く。
大樹と剛が幹雄を向くと、幹雄はにこやかに小さく頷き、それに促され二人もソファに腰を下ろした。
数分後…。
「お待たせ。」
そう言ってサンドイッチとコーヒーをトレーに乗せて櫻が戻って来た。
「これはありがとうございます。」
剛がそれらをテーブルの上に取り分けると
「重労働の後の食事は格別ですねぇ。」
大樹がパクパクとサンドイッチを口に運ぶ。
その皮肉に櫻は引きつった笑顔を浮かべるしかなかった。
「それで?」
サンドイッチを手に取りつつ櫻が幹雄に問う。
「はい、ざっと別荘の周囲を見て回りましたが、盗聴器と思しき物はリビングと食堂の窓の外に付いている程度でした。他にも見落としている可能性は否定出来ませんが。」
盗聴器という単語に大樹と剛の動きが止まる。
「…どういう事です?」
剛が小声で聞くと
「窓の外にあるという事はそれ程大声で話さない限りは聞き取れる訳が無いさ。警戒に越したことは無いが幹雄くらいの声で大丈夫だろう。」
櫻に突っ込まれた。
「まぁ早い話が、昨日の不審者の仲間が、直接見張るのでは気付かれると踏んで遠方からの情報収集にシフトしたという事だな。」
その言葉に幹雄が頷きつつ、懐から写真を取り出しテーブルの上に差し出した。
その写真を見るや大樹が
「あ、コイツ…昨日僕と幹雄さんが見かけたヤツですよ。幹雄さんはハッキリ姿を見てなかったようですが、僕はサイコメトリーでしっかり見てますから間違いありません。」
サンドイッチを持つ手に力を込めながら力説する。
「…ともあれ、色々話をするのは全員集まってからだな。無論美咲と百合香が寝静まってからの話だが。」
口元に手を当て櫻が言うと、その場の全員が頷いた。
日も沈み、皆が揃っての夕飯を済ませると女性組が先に入浴を済ませる事となった。
「はあぁぁ~~…。」
浴槽の縁に寄りかかり大きな息を漏らす櫻。
「櫻さん、まるでお年寄りみたいですよ。」
呆れ顔の鷹乃がお湯に爪先を入れると
「あたしゃそもそも年寄りだよ。」
と自分で言いながらも複雑な表情を浮かべた。
「知識としては理解しているけど、姿を見るとやっぱり忘れちゃう時があるのよねぇ。」
稲穂も湯の中に身体を沈め、話に交じる。
「まぁ、お前さんらに会った時には既にこんな形だったし、元の姿を知ってるのなんて幹雄や沙羅のように古い付き合いの奴等だけだ、仕方無いさ。信じて貰えるだけで十分だよ。」
湯気の煙る天井を見上げて遠い目をした。
「でもお陰で可愛い服を着せて楽しめるんだもの、櫻さんには感謝してるわ。」
「あたしゃお前さんの玩具か…。」
にこにことする稲穂に呆れながらも、奇異の目で見る事の無い仲間達の存在に心が救われていると再認識するのだった。
今日も仲良く洗いっこをしていた美咲と百合香が一緒に湯船へ入ると、皆が『ほぅ』っと溜息をついてゆったりとした時間が流れる。
櫻がこっそりと美咲の心中を覗いてみると、どうやら今日は不審な視線を感じなかったのか、今朝までの不安はもう無くなっているようだった。一日中百合香と楽しく過ごした事で、そんな事は忘れてしまったのだろう。
(ふぅ、今日は何事も無く終わってくれたようだね…あとは早い内にケリをつけて気兼ね無く残りの日を過ごせるようにせんとな。)
「さて、湯あたりしても何だし、そろそろ上がるか。」
「は~い。」
櫻の一言に皆が浴場を後にする。
朝の内に洗濯機に放り込んでおいたパジャマはすっかり乾燥も済み、洗剤の良い香りを漂わせて美咲たちを包んだ。
「美咲ちゃん、今日も一緒に寝よ?」
百合香が平常心を心がけながらも誘うと
「うん、いいよ。」
美咲は笑顔とはずむ声で快諾をする。
「遅くまではしゃいで夜更ししちゃ駄目よ?」
鷹乃が注意をすると
「「はーい」」
と元気な声を返し、小走りに脱衣所を出て行った。
「美咲ちゃんて物静かで大人しい娘だと思ってましたけど、ああして見ると歳相応の普通の女の子ですね。」
鷹乃が意外という感じに言うと
「そりゃそうよ。ちょっと人見知りの所があるけど、周りを警戒しなくて良い状況なら安心して素を出せるわ。」
美咲の事に関してはそれなりに解っているという風に稲穂が語る。
「そうだねぇ、その素の状態で居られるように、あたしら大人が守ってやらなきゃね。」
口調は軽い、しかし真剣な櫻の言葉に稲穂と鷹乃は静かに頷くのだった。
時計の針は既に午後十時を回り、美咲と百合香は既にベッドの中で寝息を立てていた。
その様子を確認した鷹乃がリビングへ戻ると、残りの面々が思い思いにくつろぐ形で揃っていた。
その中で稲穂と楓が建物の周囲を見回り、不審者の有無を確認。幹雄が部屋のカーテンを閉め、外側からの視界を遮り櫻へ頷く。
「さて、先ずは功刀に大体の説明をしとかんといかんかね。」
腰に手を当てた櫻が功刀を見ると、功刀も櫻を見返す。
時間にしてものの五分とかからずに大方の状況を説明すると
「…何で俺を除け者にしようとしたんだよ…。」
功刀は明らかに機嫌を損ねたような声を出した。
「別にお前さんだけを特別扱いした訳じゃないさ。本当なら楓にも関わって欲しくは無かったんだがね。」
やれやれと両手を上げ、オーバーに首を振って見せる。楓はバツが悪そうに笑うだけだ。
「だがまぁ、不本意ながら知られてしまったお前たち二人にも、何か出来る事があるなら役立ってもらう方が我々としても助かる。だから今お前さんはここに居る。いいね?」
その言葉に一応納得したのか、功刀は大人しく首を縦に振り床に胡座をかいて座り込んだ。
「それでは最初に言っておく事だが…。」
皆が櫻の言葉に耳を傾ける。
「このリビングと食堂、あとはひょっとしたら見つけていないだけで他の部屋の外にもだが、盗聴器がある。」
その事を聞かされて居なかった功刀・稲穂・鷹乃は『ハッ』とした表情で思わず口を押さえた。
「見た処安物の盗聴マイクだ、窓越しではろくに音声を拾う事は出来んよ。普段より少し声を抑えた程度で十分会話は出来るさ。」
そう言いながらも櫻も自然と声が控えめになっていた。
「それで先程功刀にも説明した不審者の事に繋がる訳だが、先ずは結論として連中の目的は我々の中から女子を拐う事、そして金銭を要求する事だ。」
本当はもっと段階や狙いがある事を櫻は知っていたものの、功刀と楓が居る手前余り詳細を話す事には抵抗があり、敢えて大雑把にボカして話した。
「何だよそりゃ!フザケやがって!」
功刀が激昴すると楓が
「功刀、声を抑えて。」
とたしなめる。
『グッ』と声を飲み込み拳を握り込む功刀。
「昨日はこの別荘を囲む林から直接こちらの様子を伺っていたようだが、今日はどうやら遠方からの様子見に切り替えたようだね。それで双眼鏡で覗いていたのを功刀が見つけたって訳だ。」
そう言って気付く。
(…それなら今日も美咲は見られていた筈だが…視線の察知には距離が影響するという事か?)
「まぁ、そんな事もあって今日あたしらは町の方に情報収集に出かけていた。成果は上々という感じで先程の話、相手の狙いが判った訳だね。」
「ほとほと疲れましたがね…。」
「私は普段余り出歩かないので良い運動になりましたよ。」
大樹と剛が感想を漏らした。
「で、だ。そんな連中には痛い目を見てもらおうと言う訳だが、如何せん此方から手を出すのはマズイ。」
腕を組み困ったような顔をする。
「何でだよ?悪党なんざサッサとブチのめしちまえばいいじゃんか。」
功刀が鼻息荒く拳を突き出す。
「功刀、こちらに何の害も無い内に手を出してしまえば、悪者になるのがどちらか、解らない訳じゃないだろう?」
剛にそう言われ気付いたのか、腕をゆっくりと下ろした。
「ま、そういう訳さ。なので…あいつらに悪者になって貰う。」
何か腹を決めたような櫻の表情に皆が困惑する。
そんな様子を余所に櫻が後ろに用意していた荷物を『どっこいしょ』と手前に出す。
「櫻さん、これは何ですか?」
鷹乃が不思議そうに聞くと
「あ、これって櫻さんの妙に量の多かった荷物…。」
と大樹が呟く。
「備えあればとは言ったが、まさか本当にこれを使う羽目になるとはね…。」
そう言って中身を開けると、そこに入っていたのは様々な電子ガジェットの数々。
「うわぁ、何だこりゃ…。」
功刀が呆気にとられると
「まるでスパイの道具ですね。」
と楓も呆れ気味に感心する。
「使い方はすぐ解るから説明はそれ程必要なかろう。取り敢えず明日の作戦を説明するから聞いとくれ。」
同じ頃、町中の溜まり場では西田が苛立ちを募らせていた。
「おい、まだ餌を捕まえる事すら出来ねぇのか?」
そう問われるとバツが悪そうに刈り上げ部分を掻きながら、見張りを交代して戻ってきた男…山口…は
「済みません…一日見張って様子を窺っては居たんですが、ガキ共だけになる隙が見つからなくて…。」
と口篭った。
西田は短気な男である。まだ一日しか経っていないにも拘らず、自分の思い描く通りに事が運ばないと直ぐに機嫌が悪くなる。そして衝動に対してブレーキの効かない男でもあり、それが手下を従わせている要因の一つになっている。
「ふん…いいか?アイツ等がいつまでここに居るか判らねぇんだ、このまま金ヅルをのこのこと逃がすような事になったらテメェの腹カッ捌いて売り飛ばすぞ?」
実際の処、西田にそんなコネクションはありはしない。だが後先を考えずに本当に実行に移してしまいそうな迫力が周囲の者達を強ばらせた。
「どうせ今晩はもう動かねぇだろうしな…明日からは三~四人連れてって、隙を見せたガキを多少強引にでも攫って来い。」
周囲に居る手下達にぐるりと指差して見せると自らの足元を指し、咥えていた煙草を吐き捨て踏み潰す。
「でも西田さん、そんな力ずくで良いんなら、目当ての女共を攫った方が早く無いですか?」
その山口の発案に
「あぁ?テメェ俺のやり方に口出しすんのか?」
睨みを利かせて語気を強めると
「いいか?無理やりひん剥いてヤったっていい加減面白くねぇんだよ、画面的にもアッチ的にもな…。」
西田が下品なジェスチャーをして見せる。
「弱みを握っておいて服従させるんだ。屈辱に塗れた顔で俺達の言う事を聞く様を収めておけば脅しの材料としての質が上がるってもんよ。」
下卑た笑みを浮かべ懐から煙草を取り出すと、傍に居た手下が慌てて火を用意する。
火の着いた煙草を一気に吸い込み『ふぅ~』と煙を吐き出し傍らに置いてあった酒瓶を手に取る。
「ん?もう中身が無ぇな…おい、お前ら、酒買ってこい。」
そう言うと懐からシワだらけの札を取り出し放り投げた。
手下達が慌てて拾い上げると我先にと溜まり場を出て行く。
西田の力の下で甘い汁を吸いたい連中ではあるが、その実本人の傍に四六時中居る事には息が詰まる。その為、使い走りという役割は『役に立ちつつ傍を離れる事が出来る』という願ってもない時間なのだ。
「ケッ、トロくせぇ連中だ…。」
吐き捨てるように言うと元店舗スペースに置き去りにされたソファーにどっかと身体を広げ寛ぎ、立ち上る煙草の煙を虚ろな目で眺めるのだった。
「…と言う事で、後は連中の出方次第と言う感じかね。」
櫻の作戦に皆の表情は明るくない。
「いや、櫻さん。いくらなんでもそれは行き当たりばったり過ぎるのでは?もし櫻さんの意識が失われるような事があればリスクは跳ね上がりますよ?」
大樹が普段は見せないような心配顔で意見するが
「なに、お前さん達ならあたしに何かあってもどうにかしてくれると信じてるよ。」
と言われてしまうともう言葉が出て来ない。
櫻以外のその場の全員が諦めの溜息を零すと
「分かりました。でもそれなら私達に出来る限り無茶をさせないように、櫻さんも出来るだけ自分の身は自分で守ってくださいね?」
幹雄が皆を代表して櫻に注意を促す。
「当然じゃろ。あたしだってむざむざと外道共の思惑通りになってたまるか。」
腕を組んで自信満々の櫻。
その姿に皆も信頼し、詰める話も無くなった事で全員解散となり各々が部屋へ戻り、旅行の二日目が終わった。




