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桜荘は暇で案外忙しい  作者: 寧(ネイ)
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EP 5-1

 最近、春乃櫻(はるの さくら)は悩んでいた。

 その原因は花澤美咲(はなざわ みさき)だ。

 別に美咲が問題を起こした訳ではない。むしろ非の打ち所が無い程に良い子で、もっとやんちゃをしても良いのでは無いかと心配になる程だ。

 では何が問題なのかと言えば、『生真面目過ぎる』のだ。

 美咲が子猫のチェリーを飼うと決めた時に、生き物の面倒を見る事は生半可な覚悟では駄目だという自覚を持たせる為に、桜荘での労働…という体でのお手伝い業をさせる事になった訳なのだが、それを殆ど休んだ事が無いのだ。

 一応その約束をさせた時に『友達と遊んだり用事がある時にはそちらを優先して良い』という事も伝えた筈なのだが、そういう事を一度も口にしていない。

 そうして日々真面目過ぎる程真面目に働いた結果が、先日の昏倒だ。

(もっとあの()の性格を考えて見ておくべきだった…。)

 点けっぱなしのテレビから流れる音も耳に入らない程に反省の念が頭の中をぐるぐると(めぐ)る。自身の不甲斐なさに表情も苦々しい。

「そんな顔をするくらいなら直接美咲ちゃんに言えば良いではないですか。」

 松木幹雄(まつき みきお)がコーヒーを差し出し声をかける。

「何だい、お前さんも読心術が使えるようになったかい?」

 少し驚いたように言いながらコーヒーカップを受け取る櫻。

「まさか。櫻さんがそんな顔で悩んでる事なんてそうそうあるものでは無いですからね。それなりに長い付き合いなんですから、薄々解るというものですよ。」

 そう言って幹雄は自分用に持って来たオレンジジュースを口に運ぶ。

「だがな、休めと言われて休んだのでは美咲の考えにならん。あの()にはもっと自主性と主体性を持たせてやりたいんだ。芯は強いんだがなぁ…どうにも流される部分が多い。」

 ハァと溜息を()き、コーヒーカップをゆらゆらと回す。

 その時、点けっぱなしだったテレビのニュース番組から、とある言葉が聞こえた。

『海開き』

 その言葉を聞いた瞬間、櫻がハッと顔を上げる。

「そうだ、確かそろそろ夏休みだったね。」

 櫻がポツリと呟いたその言葉に幹雄がカレンダーを見る。

「そうですね、来週の頭から夏休みが始まります。海ですか?」

「あぁ、折角だし久しぶりに数日の休暇を取ろうかね。」


「と言う訳で、夏休みが始まったら一週間の社員旅行をしようと思う。」

 桜荘の皆が集まった所で櫻がサラっと発表すると、杉山大樹(すぎやま だいき)田口稲穂(たぐち いなほ)

「また唐突ですねぇ。」

 と少々驚いた態度を見せるだけに留まったが、美咲は突然の事にポカンとするばかりだ。

「折角少々の遠出で羽を伸ばすんだ、ついでだから韮山(にらやま)一家も誘うとするか。」

 更に追い打ちをかける櫻の言葉に美咲の思考が少々停止するが

「韮山…って、百合香ちゃんのお家ですか?」

 唇に指を当てて問い掛ける。

 韮山剛(にらやま つよし)花園百合香(はなぞの ゆりか)義父(ちち)であり、超能力者一家の家長だ。家族全員の苗字が違う為に美咲には余り馴染みの無い名ではあったが、度々百合香の家の前まで行く事があった為に表札で見覚えがあり、ぼんやりと(おぼ)えていた。

「あぁ、どうせなら人数は多い方が良い。それに美咲も百合香が居た方が楽しめるんじゃないか?」

 自分への気遣いが含まれていた事を察した美咲の顔に自然と喜びの表情が浮かぶ。

 そんな様子を見て櫻は『してやったり』といった感じに微笑んだ。

「それで、今回の行き先は何処(どこ)の予定ですか?」

 大樹が当然の質問をすると

「今回はF県にあるあたしの別荘に行くつもりだ。プライベートビーチという訳では無いが穴場の海水浴場が近くに()るから泳げるぞ。」

『ふふん』と胸を張って自慢気に答えた。

「海ですか…。」

 美咲が難しい顔をする。

「あら、美咲ちゃんひょっとして泳げない?」

 稲穂が美咲の態度に心配をすると

「いえ、泳げはするんですけど、私水着を持ってないのでどうしようかなと思って。」

 遊んでとせがんで来たチェリーの相手をしながら言う。

 そんな様子に櫻が

「なら今度の土曜にでも買い物に行くか。鷹乃と百合香も誘って女だけで出掛けるのも良いじゃろ。」

 と、稲穂に目配せをすると

「そうですね、それじゃ連絡はこちらでしておきます。」

 笑顔で了承し、トントン拍子に話はまとまるのだった。


 金曜日に小学校の終業式を終えると美咲達の夏休みが始まった。

「美咲ちゃん、旅行楽しみだね。」

 うきうき声の百合香と手を繋ぎ校門を出る。

「今日もちょっと寄り道していいかな?」

 少し申し訳無さそうに聞く美咲に百合香は

「遠慮なんてしなくていいよ。あの公園でしょ?いこいこ。」

 そう言って手を引き元気に歩き出した。

 美咲は普段は学校が終わると真っ直ぐ桜荘へ戻りお手伝いに精を出して居るのだが、学校が早く終わる日には度々展望公園へ行って心を落ち着けるのが定番になっていた。

 余り手入れはされていない公園ではあるが、一応は町が管理する土地なので夏草が伸びてきた頃には草刈りが行われる。その独特の青々とした香りが風に乗って流れてくる中を進み公園へ踏み入ると、綺麗に草が狩り揃えられた光景が目に飛び込んできて二人は一瞬言葉を失った。

「わぁ、凄く綺麗になってるね!」

 百合香が思った事を素直に口に出すと

「うん、もっと草がボーボーに生えてるかと思ってたからビックリしちゃった。」

 ちゃんと自分達以外にも人が来てるのだという事に驚きながら応える。

「でもどうせ綺麗にするなら自動販売機とかも置いてくれればいいのにね。」

 皮肉っぽく笑う百合香。

「そうだね。」

 と笑顔で応えながら町を見下ろせるベンチに進むと腰掛けてランドセルを下ろす。

 美咲が頭の上に手をかざすと、子犬の姿が現れた。

 その子犬、ブロッサムを両手で優しく足元に下ろし

「さ、遊んでおいで。」

 そう言って離すと、美咲の手を離れても(なお)、ブロッサムの姿が薄れる事も消える事も無く草原を楽しそうに駆け回る。

 美咲はこうして暇を見つけては自分の能力を制御出来るように練習をしていた。

「美咲ちゃん、大丈夫なの?」

 ブロッサムの実体化に美咲の体力が持つのか不安な百合香が隣に座り顔を覗き込むが

「うん、だいぶ力加減が判るようになって、一時間くらいならこのままでも大丈夫だよ。二時間くらいすると、体育の授業くらいの疲れを感じちゃうかな?」

 そんな風に言われると何となく感覚として理解出来たのか

「そっか、あのくらい疲れちゃうのかぁ。」

 と芝居がかったように腕を組み首を傾げつつ納得はしているようだ。

 それからはブロッサムと駆け回ったり木陰で休んだりしていると、楽しい時間はあっという間に過ぎた。

「それじゃそろそろ帰ろっか。」

 ショートパンツのお尻についた草をパンパンと払いながら百合香が言うと、美咲も

「うん、そうだね。」

 と立ち上がり、スカートをパタパタと(はた)きランドセルを背負う。

 ブロッサムはいつの間にか実体化が解け、美咲の頭に乗っていた。

 山を下りると校門の前を横切り、川を渡って商店街を通り抜け、住宅地を道なりに歩けば桜荘が見えて来た。

「それじゃまた明日ね。」

 百合香が手を振りながら後ろ向きに歩いて行くのを、同じく手を振りながら見送る。

 気分をリフレッシュさせた美咲はこの後いつものように事務所でのお手伝いに精を出し、来客も無く平穏無事に一日を終えるのだった。


 日が明け、女性組で買い物に出掛ける日となった。

 女性の中で車の運転が出来るのは百合香の義母(はは)弟切鷹乃(おとぎり たかの)だけなので、桜荘の前まで迎えに来てもらう事となる。

「悪いわね、態々車を出してもらって。」

 そう言う稲穂だが、声は明るい。

「何言ってるの、折角旅行のお誘いをもらったんだもの、これくらいはお礼の先払いみたいなものよ。」

 そんなやり取りを他所(よそ)に美咲、櫻、百合香は既に後部座席に座り、出発を待ちながら雑談に花を咲かせていた。

 大人二人の井戸端会議もやっと終わり、車に乗り込むと

「それじゃ早速出発しましょう。」

 と稲穂の掛け声で鷹乃がアクセルを踏む。

(早速とか言うなら井戸端会議なぞせんで移動中に話せば良かったろうに…。)

 呆れ顔でそう思う櫻ではあったが、その言葉は胸にしまっておく事とした。

 今回の目的地は車で一時間程走った郊外(こうがい)にあるショッピングセンターだ。地元の商店街でも水着は売っているが、やはり品揃えの量が比ではない。

 道中コンビニに立ち寄り飲み物を買うなどしながら和気(わき)(あい)々と車を走らせていると、いつの間にやら目的地に到着。

 駐車場に止まった車から降り、目の前にそびえる大きな建物を見上げ

「わぁ…。」

 と美咲は溜息交じりの声を漏らした。

 それも仕方なく、美咲はあまり遠出をした経験が無い。元居た施設のあった地域も大きい町では無かったのでこれ程の規模の建物には来た事が無かったのだ。

 そんな美咲の態度とは正反対に、百合香は既に気分が高揚している。

「早く行こっ!」

 美咲の手を取り駆け出そうとすると

「こら、走らないの!」

 鷹乃に(たしな)められ、身体が固まる。

 そんな様子を見ていた櫻は、しっかりと親子になっている二人を安堵の表情で見つめていた。

 建物の中に入ると周囲の人々の注目を集めるのは櫻だ。

 美咲達には最早見慣れ、違和感も感じなくなっていたが、櫻の真っ白な長い髪は目立つ。

「あらあら、相変わらず櫻さんは人目を惹いちゃうわね。」

 鷹乃が『いつもの事』のように言うと

「そうなのよねぇ。地元ではもうみんな慣れたものだけど、やっぱりこうして改めて見ると目立つわよね。」

 頬に手を当て稲穂も頷く。

 だが当の櫻はそんな事を微塵も気にする様子は無く、方々に構えた店舗の中を興味深げに覗いて回る。

「でも、あの(きも)の太さがあるから、私達も今こうしていられるのかもね。」

「そうね、強引な所もあるけれど、あの人の強さに助けられる事は多いものね。」

 其々に過去を振り返りながら、櫻の後を追った。


 多くの寄り道の末にやっと本来の目的である水着売り場へと到着した一行。

 美咲が百合香と一緒に沢山ある水着を見てはしゃいでいるのを稲穂は優しい目で眺めていた。

「稲穂、何だか感じ変わったわよね。」

 鷹乃が不意に声をかける。

「そう?」

 思いがけない言葉に素っ気ない返事を返してしまうと

「確かに変わったかもしれんな。鷹乃が百合香を迎えてからの変化のようにな。」

 櫻が横から口を挟んだ。

 その櫻の一言で鷹乃が察する。

「あぁ、そういう事…やっぱり女の子が居ると楽しいのよねぇ。功刀(くぬぎ)(かえで)が可愛くない訳じゃないんだけど、百合香が来てから可愛くて仕方無いもの、解るわぁ~。」

「そうね、私達は家族という形では無いけれど、娘が出来たみたいな気持ちがあるのは事実かな。つい気にしすぎちゃうわ。」

 頬に手を当て少し困った笑顔を浮かべる稲穂。

「でも美咲ちゃんはしっかりしてそうだから、余り稲穂に甘えるような事は無さそうよね。ウチの百合香は家では結構な甘えん坊で可愛いのよ。」

 嬉しそうに言う鷹乃。そんな様子に稲穂は少し羨ましそうだ。

「さぁさぁ、いい加減二人も自分の水着を選んだらどうだい?」

 櫻が会話を終わらせると、

「稲穂はついでに、美咲の水着選びを手伝ってやったらどうだ?」

 そう言って目配せをする。

「…そうですね。」

 櫻の気遣いを察した稲穂は、足早に美咲の元へと向かった。

「さて、あたしも適当なモンを選んで買っておくとするか。鷹乃、お前さんも百合香の所に行ってやりなよ。」

 手をヒラヒラとさせて立ち去る櫻。

「はい、それではまた後で。」

 その気遣いを受けて鷹乃も親子水入らずで買い物を楽しむ事にした。

 こうして其々が悩んだ末に思い思いの水着を購入し、フードコートで軽くデザートを食べたりウィンドウショッピングを楽しみ、一日がかりの買い物を終えたのだった。

 帰りの車の中でボリュームを控えたラジオから流れる音楽を子守唄に、美咲と百合香は互いの肩にもたれかかり寝息を立てていた。

「ふふ、随分はしゃいでたから疲れちゃったみたいね。」

 車を運転しながらバックミラー越しに二人を見る鷹乃。

「鷹乃も疲れただろうに、帰りも運転させてすまんね。」

「ごめんね、運転任せきりで…私も免許とった方が良いのかしら。」

 櫻と稲穂に申し訳なさそうにされ

「別に気にしなくてもいいのよ。私運転するの嫌いじゃないもの。」

 そう言って微笑みアクセルを踏み込むと、道中はたわいもない話をしながら日の沈む頃にようやく帰宅したのだった。


 そしていよいよ旅行当日。

 移動手段は桜荘組が大樹の、韮山家が剛の運転する車での、片道約三時間コースだ。

「稲穂さんの瞬間移動で行くんじゃないんですね。」

 美咲が少々意外そうに言うと

「旅ってのは道中の景色も楽しんでこそだからね。」

 櫻が荷物をいっぱいに抱えて歩きながら力説する。

「櫻さん、そんなにいっぱい何を持っていくんですか?」

 その荷物の量に驚く美咲に

「ん?まぁ備えあれば憂いなしと言うしな。あれこれ詰め込んでたらこんなになってしまったが、まぁ積むスペースはあるから問題あるまい?」

 と言いつつ大樹の顔を覗うと

「えぇ、問題はありませんよ。逆に美咲ちゃんの荷物が少ないくらいですからね。」

 余裕の表情で答えた。

 事実、美咲の荷物はバッグ一つ分の着替えや歯ブラシ等の身支度品の類の他にはチェリーを入れた移動用キャリーバッグくらいしか無い。そのキャリーも美咲が膝に抱えて乗るので場所を取るという事も無い。

 稲穂はキャスター付きの大型トランクケースを一つ、大樹と幹雄は小型のトランクケースだ。

(美咲ちゃんて、あまり私物を持って無いのよね…。)

 以前美咲の部屋に寝泊りした時から、度々部屋へ出入りするようになったが、女の子にしては余りに生活感の無い美咲の身の回りに稲穂は少々心配だ。

 そんなやり取りをしながら荷物の積み込みが終わると、丁度韮山家の車が到着。大人達が互いに軽く挨拶を交わす中で、美咲は始めて百合香の義父(ちち)・剛の姿を目にする。

 身長は大樹と大差の無い程度で、フレームレスの眼鏡をかけた優しい顔立ちに、すらりとした体型。皆と接する物腰も柔らかくとても優しそうな印象を受けた。

「美咲ちゃん、ウチのパパ見るの初めてだっけ?」

 百合香が横から美咲に抱き付き声をかける。

「うん、今まで何度か百合香ちゃんのお(うち)に行った事はあるけど、見かける事が無かったから。そういえば百合香ちゃんのお父さんは、お仕事何してるの?」

 素朴な疑問を投げかける。

「イラストレーターだよ。パパは絵を描くのが凄く上手(うま)いの!それに凄く頼りになるんだ。」

 百合香の言葉から父親への愛情を感じ、美咲も何だか心が温かくなる。

「でも普段はずっと仕事部屋に居るから、遊んでもらえる時間も少ないし、美咲ちゃんも見た事無かったんだね。」

 そう言う百合香は少し残念そうな顔になった。

 そんな事を話していると二人に近付く影が二つ。

「お前らいつもそんなベタベタしてんのか?」

 薪原功刀(まきはら くぬぎ)、韮山家の次男で百合香の義兄(あに)だ。

「そうだよ~。あたし達大親友だもん。」

 見せつけるように美咲に頬ずりをする百合香に、何故か功刀が悔しそうな表情を見せると

「本当に仲が()いんだね。やぁ美咲ちゃん、お久しぶり。」

 韮山家長男、三葉楓(みつば かえで)も右手を軽く上げて挨拶をする。

「あ、どうもお久しぶりです。」

 慌て気味に軽く会釈をする美咲。少し体温が上がったその様子に百合香が少しだけ不機嫌になる。その時、

「おーい、そろそろ出発するよ。」

 櫻の声に皆が振り向いた。

「ほらほら、お兄ちゃん達早く行こ!美咲ちゃん、また後でね!」

 慌てるように二人の背中を押しながら百合香の振る手に美咲も

「うん、また後でね。」

 と手を振り応えた。

 大樹が運転する桜荘組の車が先導する形でいよいよ出発。

 道中コンビニやサービスエリアで度々の休憩を挟み、時に百合香が桜荘組の車に乗り換えたりし、山を抜け川を越え海を横目に景色を楽しみながら、目的地の別荘へ到着すると時間は既に昼を過ぎていた。


「うわぁ…。」

「おぉ…。」

「すっげぇ…。」

 目の前にある櫻の別荘を目の当たりにし、各々が思い思いの声で驚きを表す。

 そこは小高い丘の上に位置し、海水浴場を見下ろせる立地にありながら、背後は林に囲まれ広く私有地を擁し、別荘と言うには余りに広く大きな建物だった。

 平屋ではあるものの、部屋数は外から見ても個室がおよそ十部屋、更に皆が集まれる広さのリビングに食堂までしっかりと完備されている。まるで会社の保養施設のようだ。

「別荘と言うから、コテージを少し大きくしたようなものをイメージしていましたが、まさかこれ程とは…。相変わらず櫻さんのスケールは計り知れませんね。」

 剛が素直に感心して言葉を漏らす。

 そんな言葉に櫻も悪い気はしないのだろう、どことなく胸を張って満足気に見える。

「ほれほれ、ボーっとしとらんで中に入れ。適当に部屋割りを済ませたらリビングに集合だよ。」

 パンパンと手を鳴らし楽しげな声で櫻が行動を促すと、皆は一斉に自分の荷物を持って別荘の中へと移動を開始する。櫻は荷物を幹雄に任せ、手ぶらで悠々と歩を進めるのだった。

 個室は海側と陸側で五部屋ずつ向き合っており、海側の部屋は子供達に使わせてあげようと大人組で決めた。因みに櫻も子供組として数えられた。

 普段は子供扱いされるとむくれる櫻だが、こういう時ばかりは悪い気はしない。

 美咲は一番奥の部屋を使う事にした。桜荘でも角部屋である事から何となく落ち着く気がしたのだ。

 扉を開けると、十畳の部屋に小さな机と椅子、それにダブルサイズのベッドが備え付けられていた。

「わぁ…。」

 小さく声を上げ、恐る恐る部屋の中へ入ると、ベッド脇に荷物を置き、机の上にチェリーのキャリーバッグを乗せてファスナーを開く。恐る恐るチェリーが顔を覗かせゆっくりと姿を現すと、その動きにまるでさっきの自分のようだと思わず小さな笑みが溢れた。

 そんなチェリーの様子を横目に外側に面したカーテンを開くと、目の前にはバルコニーを挟んで一面の海。

「わぁ、綺麗…。」

 穏やかな波の水面に太陽の日差しがキラキラと反射して眩しく、その雄大さにまるで別世界に迷い込んだかのような錯覚を覚える。

 その景色に見とれている美咲の肩にチェリーが飛び乗り、暫し同じ目線で景色を堪能していた。

 すると『コンコン』と扉をノックする音が聞こえ、返事をする間も無い内に部屋の中に飛び込んできたのは百合香だ。

「美咲ちゃん、凄いね!こんな別荘持ってるなんて櫻ちゃんやっぱり只者じゃない!」

 興奮気味にそう言ったかと思うと、ハッと息を飲んで言葉が止まる。

 キラキラと輝く水面を背に、艷やかな黒髪と白いワンピースの色合いが映える美咲の振り返る姿に神々しさすら感じ、見蕩れてしまっていた。

「百合香ちゃん、どうかしたの?」

 そんな百合香の様子に美咲が声をかけると、金縛りが解けたように意識を取り戻す。

「あ、うん。何か凄いねって、感動しちゃってつい。」

 あわあわとして言葉が出て来ない。

「あ、そうだ。」

 百合香が両手をパンと合わせると

「早くリビングにいこ?」

 うわずった感じの声で美咲の手を取る。

「うん、そうだね。」

 美咲も少し小首を傾げながら笑顔で応え、部屋を後にした。


 リビングに集合した面々を前に櫻が躍り出る。

「さて、こうして目的地に到着した訳だが、今回の旅行の目的は慰安だ。この辺は特に観光名所がある訳でも無いが、自然豊かでのんびり出来る。皆も羽を伸ばして日頃の疲れを癒してくれ。後は各々自由に過ごして構わんが、人様に迷惑をかけるような事は無いようにな。」

 功刀を見て意地悪い笑みを浮かべると、それを察してむくれ顔になる。

「この辺は田舎だが、車で三十分も走れば大型のショッピングセンターがある。食材や生活用品で必要な物があったらそこに行くといいだろう。」

 そう付け加えて説明を終えると、皆が自由に動き出した。

「美咲ちゃん、海行こ!」

 美咲に背中から抱き付きはしゃぐ百合香。

「そうね、折角水着を買ったんだもの、体力の充分な今の内に海を楽しんでおきましょ。」

 稲穂がその話に乗ると、周囲の面々も自然と海へ行く流れになって行った。

 海水浴場には掘っ立て小屋のような更衣室はあるものの海の家も無い為、別荘で着替えてからの出発となる。

 別荘から直接海水浴場へ下りられる、舗装もされていない獣道のような道を通り海水浴場へと到着すると、流石は穴場と言う程に人影は無い。

「こんなに綺麗な海なのに、本当に人が居ませんね。」

 水着の上にパーカーを羽織った姿の美咲が少々の驚きを含んで呟く。

「この辺は過疎化が進んでいて町興しも観光も既に諦めている地域でね、折角の綺麗な海も殆ど知られる事もなく地元民がたまに涼をとりに来る程度なのさ。」

 そう言う櫻の顔は少し寂しげだ。

「まぁ地域としては悲しい事だが、そのお陰で悠々と海を堪能出来ると思えば悪い事ばかりでも無い!」

 自らの落ちた気分を持ち上げるように胸を張る。

 すると

「櫻さん、準備は終わりましたよ。」

 幹雄が少し離れた位置から声をかけた。

 見ると数本のパラソルと、ビニールシートにデッキチェアまで用意されているではないか。

「あら幹雄さん、流石手早いですね。」

 鷹乃が感心すると

「剛さんも手伝ってくれましたからね。」

 と謙遜。

「あら、流石剛さん。気が利くわね。」

 稲穂が褒めると鷹乃も気分が良さそうに微笑み頷いた。

 それでは早速と女性陣が羽織っていたパーカーを脱ぐと、其々に個性のある魅力的な姿が(あらわ)になる。

 美咲はおとなしめの白いワンピースだが胸元と腰についたフリルが可愛らしさを際立たせる。三つ編みにした髪もチャームポイントだ。

 対して百合香は正面から見れば普通のスクール水着のような紺色のワンピースながら、背中が大きく開く、所謂(いわゆる)モノキニタイプのようなデザインで子供用ながらに頑張ったセクシーさを演出。

 稲穂は色気控えめ、シックな黒いビキニだが大人の落ち着きを感じさせる。

 鷹乃は逆に平均より布面積気持ち少なめな赤いビキニ姿を大胆に披露。

 だがその女性陣の中で一際目立ったのは櫻だ。

 重要な部分以外を隠す布など無いとばかりに大胆なマイクロビキニ姿で堂々と腰に手を当てての仁王立ちである。そのとんでもない姿に、男性陣だけでなく女性陣の目も釘付けだ。

「櫻さん、そんな水着あの売り場にあったんですか!?」

 呆れと驚きの声で稲穂が問うと、

「うむ、実はあの売り場に気に入った水着が無くてな?店員に他の品は無いのかと()(ただ)したら奥から『とっておき』を取り出してくれたのだ。」

 何故か自慢気に見える態度で答えた。

「あれ、子供サイズだけど絶対に『大人用』よね…。」

「いかがわしさが物凄いわね…。」

 稲穂と鷹乃が呆れ顔で呟いた。

 しかしそんなやり取りを余所(よそ)に、美咲に向ける視線が二つ。

 百合香と功刀だ。

 百合香は堂々と凝視しているのに対して、功刀は横目にチラチラと盗み見ては顔を赤くしていた。

「功刀、どうしたのさ?」

 楓がそんな様子に気付き声をかけると

「ぅあ!?べ、別にどうもしてねぇよ。」

 声をうわずらせ慌てて駆け出し海へ飛び込み、

(チクショウ、何意識してんだ俺は…相手は百合香と同い年の小学生だぞ!?ガキだろ!?)

 頭まで潜って自分を冷ますように言い聞かせるのだった。

「取り敢えず日焼け止め塗っておきましょ。美咲ちゃんこっちにおいで?」

 稲穂が手招きすると美咲も素直に小走りで駆け寄り、手足や顔に満遍(まんべん)なく塗ってもらう。

 その様子を見ていた百合香は

(うぅ、あたしが塗ってあげたかった…。)

 と悔しそうな表情を浮かべていた。

「ほら、百合香は私が塗ってあげるから。」

 そう言って鷹乃が百合香を背中から抱き寄せ、娘の成長を確かめるように丁寧に身体を撫でながら日焼け止めを塗る。

 そんな様子に櫻は

「ふふ、知らない人が見たら親子ふた組だね。」

 と満足そうに呟いた。

 一方男性陣は…

「いやぁ、天気も良いし波も穏やか。絶好の海水浴日和ですねぇ。」

 大樹が眩しげに空を仰ぎながら柔軟運動をすると、

「まったく、普段家から出ない生活ですから、このお誘いは本当にありがたいです。」

 その横で剛も身体を(ほぐ)す。

「剛君と鷹乃さんが桜荘を出てから殆ど会う機会がありませんでしたからね。こういうのもたまには良いものです。」

 トレーの上に人数分の飲み物を乗せて執事のような物腰で幹雄も登場。

「いやぁ相変わらず逞しいお身体は健在ですねぇ。あ、ありがとうございます。」

 190cmの筋肉質の巨体に見下(みお)ろされながら飲み物を受け取り会釈し、

「そうだ、折角だから後でデッサンのモデルになってくださいよ。その時に積もる話でもしましょう。」

 と誘うと

「えぇ、良いですよ。私で良ければ喜んで。」

 眩しい笑顔で快諾した。

「よし、それじゃ準備運動も終わった事だし、久々に身体を動かしますか!」

 自身に気合を入れるように言うと剛は百合香と鷹乃の元へ向かう。

「それでは我々も行きますか。」

 大樹も幹雄に声をかけ、櫻達の元へ。

 丁度日焼け止めを塗り終えた女性陣と合流すると、その後は泳ぎ、ビーチボールで遊び、パラソルの下で海風を感じ、時間は瞬く間に過ぎ去り夕日が照らすまで遊び続けた。


「よし、そろそろ切り上げて夕飯の仕度をするか。」

 デッキチェアでくつろいでいた櫻が砂浜に降り立ち背伸びをする。

「おーい、そろそろ戻るよ。」

 海辺に櫻の声が響くと、全員がぞろぞろと集まって来た。

 皆の何事もない無事な姿を確認して櫻が満足気に頷く。

「それでは皆さん、別荘玄関のすぐ横にシャワールームがありますので、そちらで身体を流してくださいね。」

 幹雄はそう教えてくれるとパラソルの片付けを始める。

 そんな様子を見て美咲も

「あ、私も手伝います。」

 と幹雄に駆け寄り、ビニールシートをたたみ始めた。

(やれやれ…相変わらず仕事癖が抜けないねぇ…。)

 呆れ顔でその様子を見て小さな溜息をこぼす櫻であった。

 結局全員で荷物を適当に分担して抱えつつ別荘へ戻ると、夕日も随分と沈み辺りは薄暗くなっていた。

 別荘玄関の横に設置されたシャワールームには温水シャワーが4本備え付けられており、女性陣を優先して使わせた。

 美咲も海水を洗い落とし、用意されていたタオルを羽織ってシャワールームを出ると玄関へ向かう。

 玄関の扉に手をかけたその時、美咲は背後から良く無い視線を感じハッと振り返った。しかし別荘を囲う林の木々は薄暗くなった空の(もと)で影を濃くし、何者かが居たとしても見当たるものではない。

(…?)

 唇に指を当て小首を傾げると

「美咲ちゃん、どうかしたの?」

 百合香が心配そうに声をかける。

「う…ん、今誰かに見られてたみたいな感じがあって。」

 不安と言うよりは困惑の声。

「えぇ…?何それ怖い。」

 百合香はおどけたように言ったが、内心では少々本気の怯えを覚えた。

「でももう感じないから、多分居なくなっちゃったよ。」

 そんな百合香の様子に安心させるように優しく微笑み明るい声で言う。

「それより早く着替えちゃお?」

 そう言うと玄関を優しく開け、百合香を中へ促した。

 この美咲の優しい物腰に百合香の思考は不安を吹き飛ばし、

「うん、そうだね。早く着替えちゃお!」

 美咲の手を取り別荘の中へ飛び込むのだった。


 (ところ)変わって別荘から少し離れた寂れた商店街。

 駅前通りですら開く事の無いシャッターが並ぶ中、更に少し路地を入った場所に明らかに営業していないであろう元スナックバーの空き店舗があった。

 何処から電気を引いているのか照明も薄暗い元店内は、夜逃げでもしたのかテーブルやソファーが営業時の面影をそのままに残す。その中に立ち込める煙草の煙と、数人の人影。

 そこに少々息の乱れた男が飛び込む。

「西田さん!やっぱあの建物、個人所有の別荘ッスよ。家族ふた組が我が物顔で使ってました。何か使用人みたいなオッサンも居たし、絶対金持ってますよ!」

 見てきた事を所感(しょかん)交じりに口にすると

「やっぱりそうか。会社の保養所にしちゃぁ小さいと思っていたが、個人であの規模なら余程の金持ちに違い()ぇ…見慣れ無ぇ連中が入って来たと思ったが、金ヅルとなりゃ大歓迎だ。」

 壁際のソファーにふんぞり返る、西田と呼ばれた男が煙草(たばこ)をふかしながらニヤリと笑う。

「それで?狙い目は。」

 西田の眼光が鋭くなる。

「はい、女は五人。母親二人にガキが三人です。狙うなら母親の方ですかね?ガキ持ちとは思えない程の身体でしたよ。…男の方は、さっき言った使用人っぽいオッサンの他に父親二人と中学か高校くらいのガキが二人、こっちはどうしますかね。」

 下卑(げび)た笑みを浮かべ手下と(おぼ)しき男が見てきた事柄から判断する。

「ふん…まずは女のガキを狙う。そいつらを餌にして母親に言う事を聞かせる方が楽だ。問題は男共とどうやって引き離すかだな…。」

 無精髭(ぶしょうひげ)の生えた顎をさすりながら薄暗い室内の天井を眺め思索する西田。

 だが物事を力でねじ伏せて来たのであろうその頭では、作戦など考えつく筈も無い。

「…取り敢えず木村と山口、お前ら二人交代で連中を見張れ。何か動きがあったら知らせろ。」

 飛び込んできた男ともう一人を煙草で()(あご)で命じると、二人は『ウスッ』と低い声で返事をして出て行った。

「さて、お前らはカメラでも集めとけ。いい()が撮れるヤツをな。」

 残った面々にそう命じ、全員が出払うのを確認すると、西田は元はスタッフルームであろう奥の部屋へと入り鍵をかけ、狭い室内に唯一あるソファに横たわり目を閉じ、瞼の裏で下卑た想像を膨らませ、顔をニヤつかせながら眠りに落ちた。


 別荘では幹雄、稲穂、鷹乃、そして美咲により夕飯の準備が進められていた。

 本来は幹雄一人でやる筈だったのだが、美咲が落ち着かなかった為に手伝いを申し出たのだ。稲穂と鷹乃も料理が嫌いでは無いのでコミュニケーションの一環として自主的にその中に加わる事とした。

 目の前に並べられた大量の食材に圧倒されながらも幹雄の指示で出来る事を懸命に頑張る美咲。その手捌きは流石に普段一人暮らしで自炊をしているだけあって危なげない。

「美咲ちゃん、その歳で凄いわねぇ。ウチの百合香は包丁もロクに握った事が無いのに…。」

 鷹乃が思わず手を止めて感心してしまう程だ。

「ふふ、鷹乃は過保護だものね。」

 稲穂にそう言われると

「ウチでもお料理の練習をさせた方がいいのかしらね?」

 と小首を(かし)げた。

 すると幹雄が口を挟み

「そういう事は自主的にするようにならないと。無理やりに教えられては嫌いになってしまいますよ。」

 料理をテキパキと盛り付けながら言う。

「大丈夫ですよ、百合香ちゃん、家庭の授業の時凄く頑張ってますから。」

 美咲もフォロー。

「へぇ、あの子って学校での自分の事をあまり話さないから興味深いわ。ねぇ美咲ちゃん、学校での百合香ってどんな感じか教えて?」

 唐突に求められた美咲は、どこをどう説明したものかと頭を(ひね)らせた。

(あ、鷹乃さんになら超能力を隠す必要も無いし、これなら判り易いかな?)

 そう考え

「こんな感じです。」

 一言そう言うと、突然鷹乃の脳裏に学校での百合香の様子が流れ込んできた。

 それは言葉ではなく、まるで自身の記憶を呼び起こすような感覚。だがそれは明らかに鷹乃の中にある記憶ではない。

「えっ!?これ、美咲ちゃんの超能力(ちから)!?」

 思わず驚きの声を上げると、幹雄と稲穂も何事かと目を見張った。

「私、上手く言葉で説明するのが苦手なので…この方が判り易いかなって思って。」

 普段動物へ想いを伝える時にやっている事の延長、イメージの伝達だ。特別な事をしたつもりなどまったく無い美咲はサラリと言ってのける。

「凄い…テレパスだって聞いてはいたけど、こんな事が出来るのね…。」

 驚きと感心が入り混じる声、そして

「ふふ、あの子って学校でもこんなに元気なのね。」

 微笑み、安心と喜びが混じった声でそう言った。

 その一連の流れを見ても今ひとつ状況が飲み込めないで居る幹雄と稲穂。

「ねぇ、一体何があったの?」

 問わずには居られずに思わず声をかけるが

「美咲ちゃんの能力が凄いって事。説明は後でするから、今はまずお料理を運んじゃいましょう。冷めちゃうわ。」

 と話をはぐらかし、調理台の上の料理をトレーに移し食堂へと持っていった。

 美咲達も続いて料理を運ぶと、食堂のテーブルにテキパキと並べ、瞬く間に夕飯の仕度(したく)が完了した。

「それじゃ(みんな)を呼んできましょうか。」

 鷹乃がそう言ったかと思うと

「お、準備は出来てたみたいだね。」

 と、櫻を先頭に百合香と功刀がやって来た。

「あれ?今呼びに行こうと思ってたのに、どうして?」

 美咲が首を(かし)げて少々驚いた。

 その様子を見て百合香が抱えていたチェリーを櫻が指差し笑う。

「いや、コイツがソワソワし出したと思ったら良い匂いが強くなったものでね。」

 見るとチェリーは沢山のご馳走に目を輝かせ、今にも百合香の腕の中から飛び出しそうな程。

 料理のラインナップは肉に野菜に魚とバランスの取れたもので、当然チェリーの嗅覚にヒットするものもあった訳だ。

「チェリーにはちゃんと別にご飯を用意してあるから、人用に味付けしたものは食べちゃ駄目だよ?」

 美咲がチェリーの額を指で優しく撫でながら(さと)すと、少しガッカリした様子で百合香の腕の中に丸くなった。

 そんな様子に微笑む美咲達と、その美咲の笑顔に見とれる功刀。その功刀の様子を見た鷹乃は何かを察したように笑みをこぼすのだった。

「それじゃ、残りの男連中を呼んじゃいましょ。百合香お願いね。」

 鷹乃がそう言うと

「うん、わかった!」

 元気に返事をし、各々の部屋へ向けて少々首を動かしたかと思うと

「伝えたよー。」

 と鷹乃に近付く。

 鷹乃はそんな百合香をギュっと抱きしめ

「はい、ありがとうね。」

 と優しく頭を撫でると、百合香は満面の笑みを浮かべた。

 だがそんな様子を見ていた美咲、櫻、稲穂の三人の存在に気付き、百合香の顔が真っ赤になったかと思うと、咄嗟に鷹乃から離れてしまう。

 どうやら普段家でやっている事を無意識にやってしまい、周囲の目を忘れていたようだ。

「別に恥ずかしがる事もあるまい。」

 櫻が微笑ましいものを見たと言った感じの笑顔でそう言うが、百合香は恥ずかしくて何も言えず鷹乃の(かげ)に隠れてしまった。

 そんな様子を美咲が少し羨ましそうに見ていると、稲穂が美咲を後ろから抱きしめ

「美咲ちゃんも甘えてくれないかな~?」

 と耳元で囁いた。

 その優しい声と耳にかかる吐息がくすぐったく、思わず身を縮めるが、

「あ、あの…。」

 続く言葉が出て来ない。

 精一杯の意思表示として稲穂の袖口を摘んで顔を伏せると、稲穂もその意を汲んだのだろう、美咲の頭を優しく撫でた。

 そんな中、大樹と剛が食堂の入り口に姿を見せた。

「や、お待たせしました。」

「いやぁ、お腹が減ったなぁ。」

 大樹が鼻をスンスンとさせながら腹をさする。

「わぁ、これは美味しそうなご馳走だね。」

 少し遅れて来た楓が真っ先に料理に興味を持つと、

「よし、揃ったね。折角美咲達が作ってくれた料理だ。温かい内に食べなけりゃバチが当たる。早速頂くとしよう。」

 櫻が思い出したように言う。

「いえ、私はお手伝いをしただけで、(ほとん)ど幹雄さん達が作ったんですけど。」

 自分の名前を挙げられて少々困り顔の美咲。

「なに、謙遜(けんそん)するな。手伝いもしない男連中に比べたらその貢献は雲泥の差だ。」

『にしし』と笑い皮肉っぽく言う櫻。

「櫻さんだって手伝ってねぇじゃん。」

 功刀がふてくされ気味に言うと

「お前、あたしのこの身体で料理の何を手伝えってんだい?」

 子供用の椅子の上に仁王立ちになり何故か自信満々の態度で反論する。

「本当に大人なのか未だに信じられねぇ…。」

 呆れる功刀。

「まぁまぁ、取り敢えず早く食事にしましょう?僕もお腹がすいてしまいましたし、折角の料理が冷めてしまいますよ。」

 大樹の言葉に促されて全員が席につき、『いただきます』と声を合わせると早速料理に手をつけ始めた。

 食事は見た目に(たが)わず美味しく、各々の近況やたわいもない話で楽しく時間が過ぎる。

 その中で先程の美咲の能力の話題も上がった。

「ほぅ、美咲のテレパシーはそんな事が出来るのか…。いや、チェリーと意志疎通をする時にイメージを伝えるとは聞いていたが、人間にも…。」

 櫻が感心している中でハッと思い当たる。

 それは櫻が美咲と初めて会った時の事だ。

 美咲にナイフを突き付けた男が突然半狂乱になったあの光景。

(そうか、あの男…という事は、美咲も相当な恐怖だったろうに、よく耐えたものだ。やはり強い子だ。)

「櫻さん、どうかしたんですか?」

 考え込む櫻を見て美咲が心配そうにする。

「いや、何度か美咲の能力を借りた事があるだろう?でもあたしにはそんな芸当は出来なかったからね。多分経験か才能によるものだろうから、美咲にしか出来ないんだろうと思ったのさ。」

 そう言い、目の前の料理を頬張(ほおば)り口を塞いだ。

「なに?櫻ちゃん、そんなにお腹すいてたの?」

 百合香が少々の驚きで目を丸くすると

「普段はこんなに選り取りみどりな食事は出来ませんからね、櫻さんも好きな物が無くなる前に食べてしまいたいのでしょう。」

 と、幹雄がフォローを入れた。

 上手く誤魔化せたとはいえ、気恥ずかしく赤くなる櫻に皆が笑顔で声を上げて笑う。

 そんな中で美咲だけは何か嫌な視線を感じ、ハッと顔を外に面した窓ガラスに向けた。

 だが室内の明かりが反射して皆の姿が映る中、目を凝らしても外に見えるのは闇夜のみ。

 自分の感覚を信じない訳では無かったものの、何かを見た訳でもない内に皆に不安を与えるのは良く無いと、美咲はその事を胸の内にしまっておく事にしたのだった。


 楽しい食事の時間はあっという間に過ぎ去る。

「食器の片付けは任せて、女性方はお風呂でもどうぞ。」

 料理を残らず平らげて貰えたからか、上機嫌に食器を重ねながら幹雄が言う。

「ここの別荘は個室に浴室を付けてない分、それなりの大きさの浴場を設けているんだ。五人程度なら余裕で入れるから一緒に入るとしようじゃないか。」

 ウキウキと、ややスキップ気味にリズムを刻みながら櫻が先陣を切ると

「そうね、せっかくの旅行だもの、裸の付き合いも良いわね。」

 稲穂も美咲と百合香の肩に手を掛け、促すように浴場へ向かう。鷹乃もその後に続いた。

「と、その前に。」

 先を行っていた櫻が『とととと…』と小走りに引き返してきたかと思うと

「楓、ちょっと能力(ちから)を貸せ。」

 と、楓を手招きで呼ぶ。

「はい?良いですけど、どうしたんですか?」

 櫻へ歩み寄り、膝を床へ着ける楓。

「いや、ちょっと調べたい事があるだけだ。」

 そう言うと楓の額に自分の額を当て能力をコピーした。

「さーて、それじゃ風呂に行くとするか。」

 立ち上がり再び浴室へ向かい歩き出すが数歩歩くと振り向き

「功刀、覗くなよ?」

 からかうように釘を刺す。

「誰が覗くか!」

 顔を真っ赤にして否定する功刀を見て、櫻は笑いながら走り去った。

「ちくしょう、何で俺ばっかからかわれるんだよ…。」

 ぶつぶつ不満を漏らしながら部屋へ戻る功刀。ベッドに転がり(うつぶ)せに顔を塞ぎ視界を閉じる。『覗くな』と言われた事が頭に蘇ると何故か脳裏に美咲の姿が浮かんだ。再び顔を真っ赤にして枕に顔を(うず)め、そのイメージを振り払う。

(違う!俺はそんなんじゃねぇ!アイツは何か危なっかしい感じがするから気になるだけだ!)

 ベッドの上で暫くの間悶え続ける功刀であった。


「いやぁ、若さだねぇ。」

 目を閉じ、浴場の湯に浸かりながら櫻がボソっと呟く。

「?この中で一番若いのは櫻ちゃんじゃん?」

 美咲と洗いっこをしていた百合香が先に身体を流し終え、頭に浮かんだ事を素直に口にしながら、バシャンとしぶきを上げて浴槽に飛び込んだ。

「こら、百合香。危ないしお行儀が悪いわよ。」

 鷹乃に(たしな)められると

「ごめんなさい…。」

 と肩をすくめシュンとする。

「百合香ちゃんも素直で良い子よねぇ。」

 母娘のやり取りを微笑ましく眺める稲穂。

 そこに身体を流し終えた美咲が歩いて来た。

「凄く広いお風呂ですね。まるで銭湯みたいです。」

 感心しながらそろりとお湯に足を入れる。

 広い円形の浴槽は小さめのプールかと思える程の広さを持ち、海側に面した一面の強化ガラスで眺めも抜群。洗い場のスペースも広く取ってあり、この設備だけで十分に客を取れるのではないかという程だ。

「まぁ何もない所だからね。こういう場所でくつろぐには、美味い食事とゆったり身体を休められる設備がキモだ。だからコンセプトに則った部分には手を抜かないのさ。」

 櫻の説明に美咲と百合香は『なるほど』と言った感じに頷いた。

「でもこの一面ガラス張りの窓は覗きとか心配じゃないかしら?」

 稲穂が疑問を投げかけると

「この窓の外側は人一人立つ隙間すら無いし、下からでは角度的に中は見えん。窓辺に立って見せ付けん限りは大丈夫だよ。」

 そう言いながら窓辺に歩み寄る。

 月明かりを映す海面を見下ろすと、そのまま目を閉じた。

(さて…?)

 意識を集中し千里眼を使うと、別荘の周辺をぐるりと調べ始める。

 正面入り口から個室周りに食堂周り、建物を一周して少し範囲を広げ、海水浴場へ下りる道や周囲の雑木林に意識を巡らせると…明らかに不審な人影が木の陰から別荘の様子を伺っているのを発見した。

 見た感じ二十代だろうか。だがまともな職に付いているとは到底思えない風体(ふうてい)の男が、別荘へ近付いたり離れたりを繰り返しながら何かを(さぐ)っているように見受けられる。

(美咲が気にしていたのはコイツか?物取(ものと)りのようには見えんが…何者だ?)

 ふぅ…と小さな溜息を吐き窓から離れると、美咲へ向かってザブザブと湯をかき分けて歩き出し

「美咲、能力(ちから)を貸してくれ。」

 と言ったかと思うと『コツン』と額を合わせる。

 何事かと驚きはしたものの、美咲は櫻を信頼している。きっと何か意味のある事なのだろうと

「はい。」

 と迷い無く返事をし、意識を集中させた。

 美咲の能力をコピーした櫻が即座に幹雄にテレパシーを送る。

 《幹雄、雑木林に怪しい男が居る。何者かは知らんが美咲が気にしているようだ。大樹と一緒に様子を見てきてくれ。》

 指示を飛ばすと、後は任せたとばかりに湯の中に身体を沈め、『はぁ~』と溜息をついた。

「櫻さん、どうかしたんですか?」

 一連の櫻の行動が解らず首を傾げる美咲。

「ん?あぁ。着替えを用意するのを忘れて入ってしまったんでな。幹雄に持ってきて貰おうと思っただけさ。」

「何それ。櫻ちゃんヌケてる~。」

 櫻の誤魔化しを疑いもせず百合香が笑うと、釣られて美咲も微笑んだ。

 そんな様子に稲穂は『何かがあったのでは』と察し、意識を飛ばし周囲の状況を探るべきかと葛藤していたが、鷹乃に肩でつつかれる。

「櫻さんが何も無い事にしようとしてるんだから、ね。」

 耳元で囁かれ、稲穂も思い(とど)まり大きく深呼吸をすると、首までお湯に浸かり

「そうね。今は(みんな)でのんびりする時間だものね。」

 湯気の煙る天井を眺め呟いた。


 皆で揃って浴室を出ると、稲穂がウキウキと脱衣所に用意しておいた紙袋を取り出した。

「美咲ちゃんと百合香ちゃんにコレ、用意しておいたのよ~。」

 そう言って取り出したのは、お揃いのデザインでフード付きの、手作りパジャマだ。

「こっちが美咲ちゃんで、こっちが百合香ちゃんね。」

 白を美咲、茶を百合香に手渡すと、早速着替えさせる。

 半袖・ショートパンツタイプの夏用パジャマだがフードに猫耳が付いていて、ペアで白猫・茶トラ猫になる。

「白猫の(つい)は黒猫かなとも思ったんだけど、案外悪くないわね。」

 うんうんと頷き満足そうな稲穂。

「あらあら、これ手作り?貰っちゃってもいいのかしら?」

 鷹乃も楽しそうに眺める。

「えぇ、勿論(もちろん)。百合香ちゃん用に作ったんだもの、貰ってもらわなきゃ持て余しちゃうわ。…百合香ちゃんが気に入ってくれればだけど。」

 少々不安そうに百合香を見る。

 だがそんな不安は瑣末な事だった。百合香はお揃いのパジャマに大喜びで美咲の腕に抱き付き楽しそうにしている。

 美咲も『自分の為』に作られたパジャマにとても感動していた。

「あの、ありがとうございます。」

 両手を揃えてお辞儀をする。

「そんなに(かしこ)まらなくてもいいのよ?私が趣味でやってる事なんだから、気に入ってくれたならWin-Winよ。」

 余りに嬉しそうにお礼を言われ、趣味を押し付けた側としては逆に申し訳なくなる程だ。

「そうだ、折角お揃いのパジャマなんだから、今日は一緒に寝よう!?」

 百合香がはしゃいで提案すると、

「うん、いいよ。どっちの部屋で寝よっか?」

 素直に快諾され、今更に自分の言った事の意味を理解し百合香の顔に熱が上がる。

「う、う~んと…それじゃ、あたしの部屋で!」

「うん、わかった。」

 そう言うと、二人仲良く手を繋いでリビングへと歩いて行った。

「本当に仲の()い二人ねぇ。」

 微笑ましく二人の後ろ姿を見送る鷹乃。

 そんな中に幹雄と大樹がやって来た。

「櫻さん…っと!?」

 女性が居る脱衣所に踏み込んだ事に気付き、気まずそうに踵を返そうとすると

「構わん、どうだった?」

 櫻の一声で向き直り

「…はい、確かに人影を確認はしたのですが、向こうも此方(こちら)に気付き林の中へ姿を消してしまいました。あの林はそれ程厚くありませんからね、恐らく向こうの町中まで突っ切ったと思われます。」

 身振り手振りを交えて幹雄が説明をすると

「一応男が立っていた場所でサイコメトリーを試みましたが、この建物の中の様子を(うかが)おうとしている事以外は見て取れる事はありませんでしたね。」

 大樹が補足を入れる。

「ふーむ、結局何も判らず終いか…。」

 腕を組み少々不満気な声。

「まぁ解らん事をいくら考えても仕方無い。もしまた来るならその時にとっ捕まえてやればいいか。」

 気持ちを切り替えると

「手間をかけて悪かったね。男連中もさっさと風呂を済ましちまいな。」

 そう言い残して女性陣は脱衣所を後にした。

「櫻さん、何かあったんですか?」

 先を行く櫻に稲穂が疑問を投げかける。

「う…ん。」

 少々考えた後に

「まぁお前さんらになら言ってもいいか…。」

 小さく溜息を交えて応える。

「夕方に海から戻った辺りからかね、美咲が何かを気にしている様子だったんでチョイと覗かせて貰ったんだよ。」

 親指と人差し指の間に僅かの隙間を作って少々バツが悪そうに言う。

「するとどうやら良く無い視線を感じたらしい。この『良く無い』って感覚は美咲の経験から来るものだろうから、あたしにもイマイチ解り辛いんだがね。」

 長い白髪(しろかみ)手櫛(てぐし)()きながら首を(ひね)る。

「更に夕食時にも視線を感じたようだし、恐らく何者かが張り付いていると踏んだ訳だ。」

成程(なるほど)、それで大樹さんと幹雄さんに調べさせたんですか。」

 稲穂は合点(がてん)がいったように握った右手を左掌(ひだりて)にポンと打ち付けた。

「せめてバカンスのつもりで誘った韮山一家の耳には入れないようにとも思ったんだが、どうにも鷹乃は(かん)が良いからねぇ。誤魔化すのも気分が悪いと思って聞いてもらったよ。」

 振り向き鷹乃に流し目をすると

「あら、美咲ちゃんが心配なんでしょう?それなら私達だって同じなんですから、何も遠慮する事は無いですよ。何か力になれるなら昔のように使ってください。」

 そう言い微笑んだ。

 稲穂もそんな鷹乃に同意するように(うなず)く。

「そう言ってもらえると助かるよ。まぁ出来る事なら大人組だけで対処したい所だねぇ。」

 腕を組みカラカラと笑いながら希望を口にはするが、

(果たして相手が何者なのか…それすら判らんではどうなる事やら…。)

 小さく溜息を吐き、気持ちを切り替えるとリビングへと足を運んだ。


 リビングでは三匹の猫…いや、美咲と百合香、それにチェリーが戯れていた。

 二人共猫耳のフードを被り、チェリーをあやしては楽しそうな声を上げていた。

「あらあら、可愛い猫ちゃんが三匹も。」

 愛らしい光景に稲穂の声が緩む。

「あ、稲穂さん、櫻さん。随分遅かったですね?何かあったんですか?」

 第一声に他者を気にかける美咲の性格に、大人三人は顔を見合わせて苦笑い。

「いや、稲穂と鷹乃の胸のサイズの話で盛り上がっていただけじゃ、気にするな。」

 櫻から出た誤魔化しの言葉に稲穂と鷹乃がギョっと驚くと同時に顔が赤くなる。

「あー、ママのおっぱいおっきいもんね。稲穂さんもおっきいけど、ママには負けるかな~?」

 百合香の何気ない言葉に微妙にダメージを受ける稲穂。

「でも、稲穂さんの胸にギュってされると、柔らかくて暖かくて、凄く安心します。大きさは関係無いですよ。」

 美咲がフォローのつもりなのかそう言うと

「ほほぅ?それじゃ比べてみようか。」

 櫻がニヤリと笑う。

「え?」

「比べるって?」

 稲穂と鷹乃が声を揃えて櫻を見ると

「二人共、そこのソファに座ってくれんか。」

 と、丸テーブルを囲むように並べられたソファを指差した。

 お互い顔を見合わせ頭に『?』を浮かべながら、言われた通りに座る。

「それでは稲穂から。」

 言うが早いか櫻は稲穂の膝の上に座ると頭を稲穂の胸に乗せてリラックスし始めた。

「さ、櫻さん!?」

 驚く稲穂。

「おー、これは確かに気持ちいい…。この独特の柔らかさはクッションや枕では生み出せんなぁ。」

 頭を左右に転がしながら感触を楽しみ、

「さて次は鷹乃だな。」

 と今度は鷹乃の膝の上へ。

 稲穂の様子を見ていた分だけ覚悟は決まっていたものの、やはり気恥ずかしい。

「あまり勢いよく乗せないでくださいね?」

 少々怯えながら櫻へ注意を促すと

「あたしだって昔はあったんだ。どの程度で痛いかくらい、想像がつくさ。」

 言うと同時に頭の重みが胸の形を変える。

「う~ん…?」

 稲穂の時と同じように頭を動かして感触を確かめると

「確かに厚みや質量は鷹乃の方が上だが、柔らかさは稲穂の方に軍配が上がるかね?」

「えぇ!?」

 櫻の率直な意見に今度は鷹乃にダメージが入った。

 そんな様子を見ていた百合香が

「櫻ちゃんばっかりずるい!あたしもおっぱい枕したい!」

 と言い出し鷹乃に駆け寄り、櫻を手で押し退け膝の上に乗ると胸に頬を当てるように乗せ、『えへへ』とはにかむ。

 突然の流れに呆気に取られていた美咲。

 すると稲穂がそれに気付き、

「美咲ちゃん、こっちにいらっしゃい。」

 と手招きをし、膝をぽんぽんと叩いた。

「えっ…?あ、あの…。」

 察した美咲が恥ずかしそうに躊躇(ためら)うと

「遠慮するな。」

 櫻が美咲のお尻を『ぱん』と軽く叩いて後押し。

「は、はい。」

 おずおずと稲穂に近付き

「失礼します…。」

 と申し訳なさそうに膝の上にちょこんと座る。

 すると稲穂に肩を引き寄せられ、その胸に頭を乗せる形になる。その柔らかな感触は記憶にない母の温もりを感じるかのような安心感を生んだ。

 まだ恥ずかしさの残る表情の中に安堵の色が見え、稲穂は慈しむように美咲の髪を撫でる。

(妙な流れでこんな事になったが、これで美咲の不安が少しでも忘れられれば上手く誤魔化せたもんだねぇ。)

 この光景に櫻も一安心するのだった。

「うぉ!?何してんだ!?」

 突然の声にその場に居た全員がリビングの入り口を見ると、入浴を終えた男性陣が戻ってきた所だった。

「うん?どうしたんだい?」

 驚き固まっている功刀の後ろから幹雄が顔を覗かせると、そこにはパジャマ姿の魅惑的な女性二人と、その胸に顔を(うず)める少女達。

 櫻を除いた女性陣の顔がみるみる赤くなる。

「…あ~…。」

 流石に気まずさを感じた大樹。振り向き剛と幹雄に頷くと、功刀を抱えて脱兎の如くその場から離脱。楓はそんな大人達の背中を見送ってから悠々と後に続いた。

 一瞬の静寂。

 女性陣が顔を見合わせると、誰ともなく自然と笑みが(こぼ)れ始め、リビングの中に明るい笑いが満ちる。

 その声は外まで逃げた男性陣にも届く程だ。

「ったく、何なんだ一体?」

 功刀が現在の状況に納得が行かないように呟くと、

「まぁ、たまには気兼ねなく甘える事も必要という事ですかね。」

 大樹が頭を掻きながらポツリと言う。

「まぁまだガキだからな。仕方ねぇ。」

 ふてくされ気味に言う功刀。

(何も甘えたいのは子供に限った話では無いんだよねぇ。とは言え、流石にこれを口にすると鷹乃さんに怒られそうだから黙っておこう。)

 稲穂の柔らかな表情を思い出しながら顔を(ほころ)ばせる大樹。

 するとその背後に背中を合わせるように剛が近付いて来て(ささや)く。

「そこの木陰に誰か居ます。」

 その言葉にハッとするが視線は向けず、

「僕達はもう少し夜風に当たりながら世間話をしてるから、楓君と功刀君は先に中に戻っててよ。」

 と敢えて背中を向け、子供達を遠ざけた。

 二人が建物の中へ姿を消した事を確認すると遠くからでも判るように大げさに背伸びをする。

「さて、浜辺の方にでも行かないかい?」

 剛の肩に腕をまわし、わざと大きめの声を上げると、剛も意図を察して

「えぇ、いいですね。湯上りに夏の海風は心地よさそうだ。」

 と相槌を打つ。

「それでは私は何か冷たい飲み物でも持っていきましょう。先に行っていてください。」

 幹雄がそう言い残して建物の中へ一度引っ込むと、大樹達も浜辺へ向かい歩き出した。

 功刀と楓を交えてくつろいでいたリビングに、扉を『コンコン』とノックする音が響き、トレイに飲み物を載せた幹雄が入って来た。

 その場に居た皆に飲み物を配りつつ、櫻の傍へ近付くと

「櫻さん、ちょっと宜しいでしょうか?」

 と耳打ちをする。

 小さく頷き

「あたしはちょっとトイレに行ってくるよ。」

 と言うと櫻が先に部屋を出る。その僅か後に幹雄も続いて部屋を出て行った。

 素直に言った通りにトイレの前で櫻が腕を組んで待ち構えていると、幹雄も足早に歩いてくる。

「それで、何かあったのかい?」

「はい、また林の中に人影が。今大樹君と剛君が別で様子を(うかが)っていますが、何も連絡が無いという事は動きは無いようですね。」

「ふん、となると狙いはこの建物の中か…もしくは…?」

 口元に手を運び可能性を考える。

「う~ん、とっ捕まえて頭の中を覗いちまえば話は早いんだがなぁ。」

 目を(つむ)り、眉間(みけん)(しわ)を寄せながら首を傾げる。

「いっそ警察に連絡をしてしまえば良いのでは?」

「いや、確かにこの辺はあたしの私有地だから不法侵入で行けなくもないが、それでは折角の慰安旅行が台無しだ。特に美咲には気付かれたくない。」

「う~ん、どうしたものでしょうねぇ…?」

 幹雄も腕を組み、櫻と共に首を捻るものの、良い対応策が思い浮かばない。

 するとそこに

「それならせめて顔だけでも見ておいたらどうでしょう?」

 そう言って現れたのは楓だ。

「楓。お前いつから?」

 少々驚くと共に呆れた声の櫻。

「『とっ捕まえて』の辺りからですかね?」

 盗み聞いていた事を少々悪いと思っては居るのか、バツが悪そうに答える。

 そんな様子に、

「聞かれてしまっては仕方無いね。今更誤魔化すのも無駄だろうし、折角なら協力してもらおうか。」

『ハァ』と小さな溜息交じりに楓に状況を説明した。

「成程、不審者ですか。確かにそんな事を聞いたら折角の旅行も楽しい気分にはなれませんね。」

 普段はニコニコと爽やかな笑顔を崩す事は殆ど無い楓だが、流石に表情が曇る。

「それじゃぁ幹雄さん、カメラはありますか?」

 幹雄を見上げ問うと

「携帯電話のものでしたら。」

 と、懐から取り出す。

「お借りしますね。」

 そう言って受け取ると白い壁に向かって立ち、目を閉じる。

「居た。」

 ポツリと呟くと『カシャ!』と、シャッター音を真似た電子音が静かな廊下に響いた。

 そうして写った画像には、白い壁と、林の中に身を潜める男の姿が重なるように映し出されていた。

 これは楓の能力『千里眼』の応用による『念写』だ。

 楓は千里眼で見た状況をカメラを用いて念写する事が出来る。しかし写る画像は実際にカメラのレンズの前にある景色と被って写ってしまうので、出来るだけ何も無い被写体の前でシャッターを切る必要があるのだ。

 そうして判明した不審者の容姿は、パっと見ではこれと言った特徴が無い、何処にでも居るような男であった。しかしその中で特徴となるのが右目の下の辺りにある、恐らくは刃物傷。そしてソレを隠すようにフレームの厚い眼鏡をかけている。

「いいねぇ、相手が気付いていないとはいえ、見事に正面から捉えた素晴らしい写真だ。」

 櫻がニヤリとし、楓を褒める。

「だが、コイツはあたしがさっき見たヤツとは別人のようだね…。まさか無関係の人間が同時にこの別荘に興味を持つとは思えないし、ある程度のグループと見るべきか…?」

「その可能性が高いでしょうね。そしてたった二人で行動している大樹君と剛君に興味を示さないという事は、狙いは建物自体か、建物の中に残っている方々…。と言うよりは、美咲ちゃんが『良く無い視線』を感じたという事はそういう風に見られていたという事でしょうから、推して知るべしと言った所でしょうか?」

 幹雄の推論に櫻も表情を曇らせ無言で頷く。

「そういう事なら僕に何か出来る事があったら言ってください。手伝いますよ。」

 楓の申し出に、成り行きとは言え一度協力させた手前遠慮は要らない。

「あぁ、その時は頼むよ。」

 櫻が景気よく楓の尻を『パン』と叩いた。


「何もリアクションがありませんね。」

「こちらにはまったく興味なしという感じですねぇ。」

 浜辺で佇む男二人。

「確かにこんな中年男二人を狙う魅力は無いですからね…。」

 言った剛が『ハッ』と何かに気付いたように顔を上げると

「ま、まさか…!百合香が変質者の目に止まって狙われているのでは!?」

 大樹を向き声を震わせる。

「有り得ない話では無い…いや、百合香の愛らしさなら、その可能性は高い!」

 オロオロと慌てる剛。

「いや、剛さん落ち着いてくださいよ。いくらなんでも話が飛躍し過ぎでは?」

 大樹が『まぁまぁ』と言った(てい)に両手で諌めると

「何ですか?大樹さん、まさか百合香には狙われる程の魅力は無いと?」

「いや、何もそこまでは言っていないでしょう?」

 変なスイッチが入った剛にグイグイと来られてたじろぐ。

「確かに百合香ちゃんは可愛いです。でもそれを言ったらウチの美咲ちゃんだって負けてないですよ?」

 話の矛先を変えようと無理やりに話題を引き出した大樹。しかしその言葉が剛の想いに火を付けた。

 少々『ムッ』とし、口をへの字に曲げ

「確かに美咲ちゃんは可愛らしい子です。でもウチの百合香の可愛さは世界一と言っても過言では無いのです!私をパパと呼ぶ声、駆け寄る仕草、その笑顔!全てが私の天使と呼ぶに相応しい!他にも言葉では言い表せない程の魅力を日々これでもかと…。」

 延々と百合香の魅力を語り続け、余りの圧に大樹が押されていると、不意に正気に戻った剛が言葉を(こぼ)す。

「大樹君、キミと稲穂さんと美咲ちゃん、(はた)から見て居てもとても自然な感じに見えたよ。まるで親子のようだった。」

 その言葉に大樹も神妙になる。

「その、余計なお世話かもしれないが…君たちも私達のように一緒になって、美咲ちゃんを養子にしたらどうだろうか?稲穂さんと、悪く無い感じなんだろう?」

 剛の言葉を大人しく聞き、暫しの間の後に大樹は躊躇(ためら)いがちに口を開く。

「確かにそうなったらきっと良い事かもしれないですね。でも僕達は、今の距離感が一番良いって思ってるんです。美咲ちゃんがそれを望むのなら(やぶさ)かでは無いと思っても居るのですが、稲穂さんも美咲ちゃんも大事ではあるけれど、少なくとも今は…急ぐべきじゃないと思ってるんですよ。」

 たどたどしく言葉を選びながら想いを吐露する。

「そっか。」

 少し申し訳無いような表情で笑う剛。

 二人はそのまま無言で月明かりの映る水面を見つめる。穏やかな波音が暫し時の流れを忘れさせた。

「さて、そろそろ別荘へ戻りますか。」

 大樹に促されると『フッ』と息を吐き、

「そうですね。流石に櫻さんと幹雄さんが居るのに何かがあったとは思えませんが、少々心配なのは確かです。少し目立つように戻って揺さぶってみるのも良いかもしれませんね。」

 そう言うと、二人は少々オーバーリアクション気味に酒に酔ったかのようにフラフラと別荘正面入り口へ戻る。

 だが既に林の中に不審な影は無く、二人は顔を見合わせると

「そういえば幹雄さん、結局飲み物持って来てくれませんでしたね…。」

「そうですねぇ…。」

 互いに複雑な表情を浮かべ扉を閉めた。


 大樹と剛がリビングへ戻るとそこへ居たのは大人達だけだった。

「おや、子供達はもう寝たのかい?」

 剛が少々の驚きと共に壁にかけられた時計に目を向ける。時間は既に夜の十時を過ぎていた。

「あぁ、流石に一日はしゃいだからね。大分(だいぶ)疲れたんだろう。」

 ソファの背もたれで姿が見えなかった櫻が身を乗り出して答えた。

「それで、丁度いい所に戻ってきたね。ちょっとこっちに来てくれ。」

 ちょいちょいと手招きをすると、部屋の入り口に立っていた二人は素直に中央の丸テーブルの(そば)まで歩み寄る。

「これを見てくれ。」

 そう言いテーブルの上に差し出されたのは、先程楓が撮った念写の写真だ。

「これは…?」

 大樹が疑問を口にすると

「楓の念写だね。ひょっとして例の不審者ですか?」

 剛が櫻に視線を送る。

「うん、本当は楓にも秘密にしておきたかったんだが、話を聞かれてしまって成り行きで協力して貰った。お陰でこうしてはっきりとした顔が判ったのは有り難い。」

 少々申し訳無さそうに剛と鷹乃を見る櫻。

「成程。まぁ自分から首を突っ込んだなら仕方ないでしょうし、別に協力を頼んだとしたって櫻さんが悪いとは思いませんよ。気にしないでください。」

 剛の言葉に鷹乃も頷いた。

「そう言って貰えると助かるね。それで本題なんだが、一応この写真の男の顔を覚えておいて欲しい。コイツはあたしが見た不審者とは違う男だ。その事から不審者は複数人…下手をすればグループ単位という可能性がある。」

 一息つき

「不審者の目的が何かは解らんが、不安要素がある事を子供達には知られたくない。そこで折角の慰安旅行なのに悪いとは思うが、あんた達には子供達を護る為に力を貸して欲しい。」

 テーブルに両手をつき、皆の顔を見渡す。

「水臭いですね、櫻さん。今でこそ桜荘を出ていますが、元々そうやって櫻さんの指示で仕事をしていたんですよ?以前のように気兼ね無く頼ってくださいよ。」

「剛さんの言う通りよ?それに子供達に気兼ね無く楽しんで欲しいのは私達だって同じだもの。子供達を護るのは親の務め。喜んで協力するわ。」

 剛と鷹乃の快諾に櫻の表情が(やわ)らぐ。

「それで、何か具体的な方策は考えてあるのですか?」

 いつの間にか大樹と剛の分のコーヒーを()れて来た幹雄が口を挟むと

「いや、それは今晩ちょっと考えてみるさ。とは言え、このテの案件のやり口は大概同じだがね。」

 櫻が両手を上げ『やれやれ』と首を振る。

「それでは明日から気が張る事になるかもしれませんし、今晩はゆっくり休むとしましょう。」

 幹雄が冗談気味に皆に声をかけると

「そうですね。それでは少々早いですが、休ませて頂きます。」

 剛の言葉を皮切りに皆がリビングを後にし、各々の部屋へと姿を消した。

「はぁ…。」

 大きな溜息の櫻に

「どうぞ。」

 一言添えてコーヒーを差し出す幹雄。

「すまんね。」

 湯気の立つカップに一口付け

「さて、どうしたものやら…。」

 テーブルに肘を着き顎を乗せて目を閉じる。暫しの思索の後に出た答えは

「ま、なるようになるか。」

「現状では情報が無さすぎますから、仕方無いですね。」

 結局の所、向こうから出てきて貰わねば次の手を考える事が出来ないという結論に達したのだった。


 百合香の部屋。

 少し前まではベッドの上で美咲と戯れはしゃいでいた百合香も、流石に疲れがピークに達したのか電池が切れたかのように眠りに落ち、小さな寝息を立てていた。

 美咲はと言えば、時々稲穂と一緒に寝る事はあっても未だに誰かと同じベッドで眠る事には緊張を覚え、ウトウトはしながらも寝付けずに居る。

 空調の効いた部屋は暑くも無く寒くも無く、二人に覆い被さる布団が適度な暖かさを与えてくれる。

 そんな布団の中をチェリーがもぞもぞと動くと、そのまま美咲の胸の上に乗り布団から顔を出した。

 寝付けない美咲を案じるかのようにその瞳を見つめ、首を傾げる。

 その仕草に顔をほころばせていると、隣りで寝息を立てていた百合香から小さい(うめ)きのような声が漏れ始めた。

 どうしたのかと驚き身体ごと百合香の方を向く美咲。

 すると

「おとうさん…おかあさん…。」

 百合香の口から(こぼ)れた小さな声。

 そしてその目に涙が滲んでいる事に気付く。

 普段両親の事を『パパ』『ママ』と呼んでいる百合香の口から出た言葉に違和感を覚えた美咲であったが、その言葉の意味を理解するのにさして時間は要らなかった。

 美咲は以前稲穂にして貰った事を思い出す。

 眠りを妨げぬように優しく百合香を胸に抱き寄せ、頭をぽんぽんと優しく撫でると額に口づけをする。

 言葉はかけず、代わりにテレパシーで優しい気持ちを直接百合香へ送ると、その表情は徐々に和らぎ穏やかな寝息が戻ってきた。

 その様子に美咲も安堵の吐息を漏らす。

 いつもは表に出す事の無い想いだが、無意識下ではきっと忘れる事が出来ない悲しみを今も抱え続けているのだと思うと、胸に言葉に出来ない感情がこみ上げてくる。

(私は百合香ちゃんに沢山助けられてる。私も何か力になれたら…ずっと百合香ちゃんと一緒に居て、助け合っていけたらいいな…。)

 胸の中で眠る百合香を見ていると、釣られて美咲にも睡魔が襲ってきたようで、そのまま瞳を閉じると深い眠りへと落ちていった。


 こうして各々が思い思いの夜を過ごし、(せわ)しなかった旅行の一日目がようやく終わるのだった。

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