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桜荘は暇で案外忙しい  作者: 寧(ネイ)
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EP 3:広がる世界

日常回。

 (うら)らかな日差しが町をポカポカと照らす日曜日。花澤美咲(はなざわ みさき)は転校して来てから初めての休日、花園百合香(はなぞの ゆりか)の案内で町を散策する事になった。

 生活に必要な店等はこの町に来た時に数日に渡って桜荘の面々に教えて貰っていたが、こと娯楽に関しては(まった)くと言って良い程に何も知らなかった。

 だが決して桜荘の面々が()えて教えなかった訳では無く、美咲が『そういう事』に殆ど興味を持たなかったのである。


 ストイックな性格と言うよりは、今までも贅沢を言える生活では無かった為に、施設の大人達にたまに買って貰える新しい洋服などで満足し、喜んでいたのだ。

 だがいざ一人暮らしを始めるとなると、全ては自分で決めなくてはならない。周囲に自分を気遣ってくれる大人達は居るが、自分のメンタルケアを他者に丸投げ出来る性格では無い美咲は、これを機に少々の気分転換が出来るスポットを知る事を目標とし、百合香の誘いを快諾したのだった。

 しかしそうは言っても美咲自身、自分に趣味が無い事を自覚しているので、どういうスポットに行きたいという希望が生まれない。

「私、特に何も趣味って言えるものが無いから…どうしよう?行きたい所が思いつかない…。」

 唇に指を当てながら(うつむ)く。

 そんな美咲の様子に百合香が何か思いついたらしく、

「まずはこっちから行こうか!」

 と言うと美咲の手を取り歩き出した。


 到着したのは商店街。

 普段の生活でも度々買い物に来ている美咲にとって、比較的馴染みの場所である。そんな中を百合香に手を引かれてメインの通りから一つ中へ入ると、メインより少し幅の狭い歩行者専用道路にファストフードショップや若者向けのファッションを取り扱う店が並ぶ通りに出た。

 食料品や衣類等、普段の生活に必要な物を買い求める大人たちが行き交う大通り沿いの商店街とは違い、学生を中心に若い年代の人々が多く見受けられるその通りに、別世界に迷い込んだようにキョロキョロと周囲を見回す美咲。

「ここはね、あたし達とか中学・高校生とかが多く来る所だよ。駄菓子屋さんもあってお小遣いが少ない時とかにもよく来るんだ!」

 そう言って美咲の手を引くと、小走りに駄菓子屋へ向かい、自分の財布の中を確認してお菓子を物色し始める百合香。

 美咲は店内を見回すと、数点の見覚えのあるお菓子に目をやり、自分がかつて居た施設を思い出した。決して運営資金が潤沢とは言えない中で出来るだけ多く子供達にお菓子を食べさせてあげようと、こういう場所で安く多く買っていたのだろうと思うと胸が苦しくなる。

 そんな記憶に思いを馳せていると、

「はい、美咲ちゃん。」

 突然差し出された小さな煎餅菓子とチューブに入ったジュース。

「えっ!?私に?」

「うん、あたしの奢り!」

 驚く美咲に笑顔で答える。

「そんな、悪いよ。私、百合香ちゃんにお世話になりっぱなしなのに…。」

 申し訳無く遠慮をしようとする美咲に

「そんなの関係無いって!あたしがそうしたいからしてるんだもん。」

 そう言い、手を握って強引に渡す。その強引さに少々呆れながらも、厚意が嬉しく美咲に笑顔が浮かぶ。

「ありがとう、百合香ちゃん。今は何も出来ないけど、私、百合香ちゃんが困った時は何でもするから言ってね。」

「えっ!?何でも!?」

 思わず百合香の声が上擦(うわず)る。

「うん、何でも!」

 美咲の断言に百合香の顔が急激に赤くなった。

「どうしたの?今何か困ってる事があるの?」

 心配そうに顔を覗き込む美咲。

「う、ううん、今は何も無い…けど、そっかぁ、何でもかぁ…あはは。その時は、頼りにさせてもらうね。」

 百合香は無垢な美咲の視線を直視出来ず思わず顔を()らすと、頬を指先で()き誤魔化した。

「うん、頼ってよ!」

 文字通り無邪気な笑顔を見せる美咲であった。


 店先でお菓子とジュースを堪能した後、ゴミはゴミ箱へ。そのまま通りを見て回り、洋服店やアクセサリー店に入って商品を見ては値段に驚いたりし、時間が過ぎてゆく。

 そんな中で百合香がフと何かに気付いたように顔を遠くへ向けると、小走りに駆け出した。

(かえで)()ぃ~。」

 手を振りながらそう呼びかけた先には一人の高校生が歩いている。スラリとした長身に背筋のピンと伸びた美しい姿勢は、後ろ姿だけでも性格が伺えるようだ。手にはカバンでは無く何やら長い包みのような物を持っている。

「あれ?百合香。こんな所で遭うなんて珍しいね。」

 その高校生は百合香の声に振り向くとそう言って(かが)み、視線の高さを合わせてくれた。

「うん、今日は美咲ちゃんに町を案内してあげてるの。」

 と言い、美咲に手招きをする。

「美咲ちゃん、この人はあたしの上のお兄ちゃんの楓兄ぃだよ。」

「やぁ、こんにちは。キミが最近よく百合香の話に出てくる美咲ちゃんか。成程、聞いた通り可愛いらしいね。」

 清潔感のある爽やかな笑顔でそう言われ、美咲の心拍数が上昇する。

 子供でも大人でも無い、今まで美咲の周りには居なかったタイプの男性。以前居た施設では高校生になった子供達は皆施設を旅立ってしまっていた為、どう接して良いか解らない。

「美咲ちゃん、楓兄ぃは凄く優しくて頼りになるんだから、何も怖くないよ?」

 楓を前にオロオロしている美咲の態度に、怯えていると見えた百合香がフォローを入れると、

「あの、こんにちは…はじめまして。」

 俯きつつ上目遣いで何とか挨拶を搾り出す美咲。

「うん、はじめまして。これからも百合香と仲良くしてあげてね。」

 そう言って楓が美咲の頭を軽く撫でると、美咲の体温は急激に上昇し顔が真っ赤になった。

 美咲の変化に敏感な百合香が何かを察して慌てて間に入ると、

「楓兄ぃ、剣道部の部活の帰りでしょ?汗かいてるだろうし、早く帰ってシャワー浴びちゃいなよ。」

 と言いながら楓をぐいぐい押して遠ざける。

「そうだね。それじゃ美咲ちゃん、またね。」

 手を振り去って行く楓を見送り、緊張が解けた美咲から溜息(ためいき)が漏れた。それが安堵のものかそれ以外の意味を持つものか、美咲自身にも解らず、ただ遠ざかる楓の背に視線を向けるだけであった。

「美咲ちゃん、次行こ!」

 何故か少しむくれ顔の百合香に促されて再び町を歩き出した。


 商店街を離れ住宅地を抜け、川を渡ると美咲達の通う小学校に到着する。周囲は田園が広がり、郊外(こうがい)と呼ぶに相応(ふさわ)しい景色になる。

「こっちはもう学校と山しかないよ?」

 美咲が不思議そうに言うと、

「その山の方に行くんだよー。」

 うきうきした声で百合香が答えた。

 小学校の校門前を素通りして、その先に伸びる道を真っ直ぐ里山の方へ歩く。山に沿って(ゆる)やかな傾斜(けいしゃ)の道を(のぼ)ると、途中に山の中へ入る道が姿を見せた。周囲の木々の枝が伸びていて、一見すると道とは気付けないそこに百合香が入って行く。

「百合香ちゃん…ここって入って大丈夫な場所なの…?」

 元々山に入る事自体は抵抗は無いが、万が一にも進入禁止の場所だったらと思いながら恐る恐る後を付いて行く美咲。

「大丈夫だよ。あたし何度も来てるもん。」

 そう言って百合香はどんどん進んで行く。

 山の斜面に強引に作ったような、土剥き出しの獣道のような場所を進むと、突然開けた空間に出た。

「ここは…?」

 目の前には結構な広さの草原が桜の木に囲まれるようにして広がっている。よく見ると生い茂る草に隠れてベンチも設置されているのが見えた。

「美咲ちゃん、ほらこっちこっち。」

 百合香の手招きに誘われて小走りに駆け寄ると、いつの間にか結構な高さの場所に来ていたようだ。ここは町を一望出来る展望公園だったのだ。

「へへ~。ここはねぇ、町の人もあまり来なくて(ろく)に手入れもされてないけど、町がよく見える隠れた名所なの!春には桜が綺麗なんだよ!」

 既に見頃(みごろ)は過ぎ、葉桜になった周囲を見回しながら自慢気に胸を張る百合香。

 眼下に自分の通う小学校と、その向こうには今自分が暮らす町。その景色を一望しながら優しい風に吹かれて草花の匂いを感じると、美咲の心が何かから開放されたかのように軽くなる。

 穏やかな顔をする美咲を見て、百合香も言葉をかけず隣りに立った。

「私、こっちに来る前は学校以外で一緒に遊ぶ程の友達が居なくてね。」

 美咲が語りだす。

「学校の帰りには近くの山の(ふもと)に行って、動物達と触れ合うのが日課みたいな感じだったの。でも桜荘に来てからは色々忙しくて、そういう事が出来る環境じゃなくなっちゃったから、少し寂しかったんだって今気付いたみたい。」

 そう言うと百合香の顔を見る。

「でも桜荘のみんなと出会って、百合香ちゃんと友達になって、こんな素敵な場所も案内して貰って、私は今凄く恵まれてるって思った。今日は本当にありがとう。」

 目を見て真っ直ぐに気持ちを伝える美咲の素直さに、百合香はただ見蕩(みと)れ、

「うん…。」

 と言葉を漏らすしか出来なかった。


 二人で近くのベンチに腰を下ろし、風を感じる。

 残念な事にこの公園には自動販売機も無いので、事前に何かの用意をしていない限り出来る事がほぼ無いのだ。

「そういえば、動物達と触れ合うって言ってたけど…学校の動物達も随分簡単に懐いてたよね?」

 百合香が疑問に思っていた事を口にする。

「うん、テレパシーで『私はあなたと仲良くしたいんです。』っていう想いを届けて、それでよく遊ぶようになったの。」

「え!?テレパシーでそんな事が出来るの!?」

 さも当然のように答える美咲に驚く。それは当然で、百合香のテレパシーは言葉を頭でイメージして相手に送るものであり、想いや感情と言った心の抽象的なものを飛ばす事など出来ないからだ。

 一瞬、自分の今の感情は美咲のテレパシーの影響なのでは無いかと疑った百合香だったが、美咲の目を見て、そんな事をする()では無いと確信すると、疑った自分を恥じ両手で頬を(はた)く。

『パンッ!』と山に響き渡る程の音を立てると周囲の木々に止まっていた小鳥達が一斉に飛び立ち、一瞬の静寂が訪れた。

「ど、どうしたの?百合香ちゃん…?」

 美咲は何があったのかと目を丸くして百合香を見る。

「んー?あたし、やっぱり美咲ちゃんの事好きなんだなって改めて思ったの。」

 照れながらそう言うと、

「私も、百合香ちゃんの事好きだよ。」

 笑顔で応える。

 そういう意味では無いと百合香も理解はしているのだが、自然と笑顔が溢れて来て、微笑み合うのだった。


 日が沈みかけて来たのでそろそろ公園を下りる事にした二人。

 小学校の前まで戻ると橋の向こうから春乃櫻(はるの さくら)が歩いてくるのが見えた。

「あれ?櫻さん?」

「ホントだ。おーい、櫻ちゃーん。」

 その存在に気付いて手を振る二人。すると櫻もその声に気付き手を振り返して駆け寄ってきた。

「おぉ、百合香、探しとったんだぞ。」

「ん?何かあたしに用事あったの?」

 自らを指差し首を(かし)げる百合香。

「あぁ、ちょっと仕事を引き受けたんだが少し面倒でな。お前さんの能力(ちから)を貸して欲しいんだ。」

 その言葉に疑問が生じ

「私では駄目なんですか?」

 ついそんな言葉が出てしまった美咲。

「うん、多分これは美咲の能力(ちから)では出来ないようだ。前にコピーした時に試してみたんだが出来なかったからな…。」

「え?百合香ちゃんのテレパシーでしか出来ない事があるんですか?」

 唇に指を添えて考える。

「あぁ。(みな)の超能力が一種類だけしか無いのは美咲も知ってるだろう?まぁあたしはコピーして二種類使えるが、これは例外だな。」

 問われて『うん』と頷く。

「だが超能力は応用が利く場合がある。例えば稲穂の瞬間移動が疑似的に千里眼のように使えたりな。そして百合香のテレパシーは、能力者二人の間に入って互いの能力を共有する事が出来るんじゃ。」

「そう、あたしの特技!そんなに使う事無いけどね…。」

 自慢したかと思うと『ふっ』と自虐的に嘲笑(ちょうしょう)、美咲はどうフォローして良いか解らず苦笑いだ。

「それでな?あたしは楓からもう能力を借りて来ておるんで、後は百合香に直接協力をしてもらいたいんじゃが、頼めるかね?」

「そういう事なら任せてよ!」

 胸をトンと叩いて快諾する百合香。

「助かるよ。それじゃさっさと現場に行くとするか。」

 そうして三人は並んで歩き出した。

「ところで気になっていたんですけど…。」

 美咲が口を開いた。

「櫻さんて、その、時々お年寄りのような話し方をしますよね?『のじゃ』とか…。でも何て言うか、本当に時々なのが不思議だなって思ってたんですけど…ごめんなさい、上手く言えません。」

 申し訳無さそうに話を切り上げてしまった美咲だが、櫻が察して答える。

「この口調はちょっと訳ありでな。あたしはこんな姿をしているが一応最年長だ。見た目の事もあって、歳相応の威厳を持った方が良いのではないかと考えた事があってな…そこで年寄り言葉を使ってみようと思い立ったんだが…。」

 軽く溜息を挟む。

「実際どのタイミングでそういう言葉を使えば良いか解らなくてな。思い出したように使っている内に、自然と不意に『じゃ』とか言うようになってしまったんじゃ。」

「へぇ~、そんな理由だったんだ。」

 百合香が何故か感心したように頷く。釣られて美咲も頷いた。

「まぁそんな訳でな。特に深い理由も意味も無い。気にするな。」

 そう言って櫻は見た目に似合わぬ豪快な笑いをあげながら目的の場所へ到着した。


「ここが依頼の現場?」

 百合香が見上げたのは十階建てのマンション。その入り口には松木幹雄(まつき みきお)が待ちぼうけて居た。

「おーい、待たせたな。」

 櫻が手を振り声をかけると、

「あぁ、やっと来ましたか…待ちくたびれましたよ。」

 と言いつつ笑顔で迎える。

「こんにちは、幹雄さん。」

 百合香もしっかり挨拶をする。

「はい、こんにちは。百合香ちゃん、来てくれて有難うございます。」

 大きな手で握手をすると早速揃って依頼主の部屋へ向かった。


 エレベーターを使い7階へ上がると『710』と書かれたプレートが貼られた部屋の前で幹雄が止まる。ここが今回の依頼の場所だ。

「今回の依頼はどういったものなんですか?」

 美咲が当然の疑問を問いかけた。

「えーとですね。何でも洗面所の排水口に指輪を落としてしまったとかで、何とか拾い上げて欲しいという事なんですよ。」

 幹雄が依頼の説明をすると、百合香が合点のいった顔をして頷く。

「つまり楓兄ぃの能力をコピーした櫻ちゃんが千里眼で指輪を見つけて、その様子を幹雄さんにあたしが伝えて、幹雄さんがそれを見ながら念動力で拾い上げるって事ね。」

「そういう事。マンションの排水管だから何処まで行ったかも判らないし、そうなるとこの方法が手っ取り早いのさ。」

 そう言って依頼主の部屋の呼び鈴を押した。

「はーい。」

 ドアホンから返事が聞こえ、

「こんにちは。ご依頼を承りました、『何でも屋 桜荘』です。」

 と幹雄が名乗ると

「あらあら、ご苦労様です。今開けますね。」

 忙しそうな声の後に入り口の鍵が開いた。

『ガチャッ』という音の後に扉が開き、中から家主の妻か、四十代程の女性が顔を見せた。が、その光景に驚きを隠せないようだ。

 それはそうだろう。扉を開けたら老年の巨漢と少女三人が居るのだ。普通に考えたら怪しいとしか思えない。

「えっ…!?」

 思わず言葉を失った依頼主の女性に対して

「あぁ、ご安心ください。決して怪しい者ではございません。正真正銘、ご依頼を受けた『何でも屋 桜荘』です。」

 そう言って名刺を差し出す幹雄。櫻も『うんうん』と頷く。

「はぁ…それでは中へどうぞ…。」

 女性は未だに多少の疑いを持ちつつも、家の中へと招き入れた。

「それでは失礼致します。」

「お邪魔致します。」

「おじゃましまーす。」

「お、おじゃまします…。」

 各々が上がり込むのを不安の目で見守る家人。最後に上がった美咲が皆の靴を揃えるのを見て、驚きながらも感心の頷きを見せた。

 問題の排水口のある洗面所へやってくると、幹雄が荷物から取り出したのは配管内視鏡だ。取り敢えずこれで中を覗く。運がよければこれで見つかり百合香の手を煩わせる事も無いのだが、案の定と言うべきか、それで見える範囲には依頼の品は見当たらなかった。

 次に取り出したのは配管用マジックハンドだ。これを排水口に突っ込むと、中に在る『何か』を掴もうとするようにゴソゴソと動かし、同時に小型のケミカルライトを中に落とし入れた。すると幹雄は隣に居た百合香の手を取り、その百合香が更に隣の櫻の手を取る。

 百合香の『他の能力を共有させる』能力(ちから)は、其々の能力者の間に入り手を繋ぐ必要がある。子供達と手を繋いで配管を探る老年の男の姿を依頼主は怪訝な目で見ずには居られなかった。

 手持ち無沙汰な美咲がそんな依頼人と目を合わせると、何となくはにかんでしまい、その表情に依頼人も何かほんわかした感情を持ち、場の空気が和らいだ。

 櫻が千里眼を使い、百合香を介しその視界とリンクした幹雄が念動力でライトを誘導し配管の中を探す事数十秒。

「お…。」

 櫻が小さく呟く。配管の途中に引っかかった指輪をようやく発見したのだ。

 ケミカルライトを指輪に引っ掛けそのまま引き上げると、指輪はマジックハンドに掴ませライトは能力でそのまま回収。マジックハンドを配管から引き抜き、その先端に掴まれた指輪を依頼主に見せる。

「まぁ!確かにこれだわ!良かった…有難うございます!」

 先程まで疑いの目を向けていた依頼主も、確かな成果に満足し態度がコロっと変わった。

「良かったですね。」

 ホッとした美咲の言葉に

「えぇ、本当に良かった…大事な結婚指輪なんです。本当にありがとうございました。」

 そう言う依頼主の嬉しそうな表情に皆が笑顔になった。


 依頼の代金を受け取り皆で依頼者に礼をすると現場を後にする美咲達。

「ねぇねぇ、今回の依頼は幾らの仕事だったの?」

 下りのエレベーターの中で遠慮無く下世話な話をする百合香。

「ん?この手の仕事は五千円が相場だね。」

 櫻が片手を広げて説明する。

「へぇ~、凄い。あたしのお小遣いより全然高い!」

 百合香が羨ましそうにそう言う中で美咲は疑問に思う。

 美咲は何度か桜荘の仕事を手伝っているが、殆どがこのような小さな仕事でロクに収入になっていない事が気になっていた。

「あの、桜荘の皆さんはこの何でも屋の仕事で収入は足りて居るんでしょうか?私も生活費を出して貰ってて、お小遣いまで貰ってしまってるのに、その、失礼だとは思うんですけど、余り収入が無いように思えて…。」

 とても小学四年生とは思えない気の遣い様に櫻と幹雄はぽかんとした顔を見合わせ呆れる。

「あのな、美咲。お前さんを引き取ると決めた時に、汚い話かもしれんが掛かる金の事もちゃんと考えておった。そのうえで充分に(まかな)えると思ったからこそ、迎えに行ったんじゃよ?」

 親指と人差し指で輪っかを作り覗き込みながら櫻が言う。

「とは言え、それは美咲ちゃんの問いに対する明確な回答では無いですね。」

 幹雄に突っ込まれ苦い顔をする櫻。

「櫻さんはね、全国に結構な土地を持っていまして、アパートやマンション、有料駐車場等の経営をしているので収入にはそれ程困っていないのですよ。(ちな)みに櫻さんがこのような姿ですので、私が代理で責任者となっています。」

「だからと言って別に桜荘の仕事が遊びとは思っておらんぞ?」

 その言葉は今までの経験で本当の事だと美咲も理解している。

「ただ、桜荘はね…あたしが出会った超能力者達が平穏無事に生活をする場として用意したものなんだ。自分も含めて、秘密を共有出来る相手が居るというのは重要だよ。ついでに能力を使って人助けが出来ればと始めたのが何でも屋なのさ。」

 幹雄をチラリと見てそう言う。

「それと、大樹と稲穂は桜荘での仕事とは別に副業を持ってるから、主にそれで生計を立ててる感じだね。」

「大樹君はパソコンを使って何かやってるようですが私はよく解らないんですよねぇ。稲穂君は服飾を趣味でやっていて、同好の方達を通じて制作物を販売したりしているようですよ。」

「時々稲穂がフリル沢山の洋服を持ってくるだろう?あれは稲穂が自分で作ってるのさ。」

 度々新しい洋服を持ってきては自分を着せ替えて遊んでいたのはそういう事だったのかと納得が行った美咲。

「そう言えば今日は百合香に町を案内してもらっていたんだったな?巻き込んでおいて言うのも何だが、もういいのか?」

 そう言われても既に辺りは暗く、これから何処かへ出掛けるなど出来るものでもない。

「う~ん、もう少し案内したい場所もあったんだけどなぁ。」

 百合香が少し残念そうにそう言うと、

「今日は沢山案内してもらって、素敵な場所も教えて貰えて、とっても楽しかったよ。ありがとう、百合香ちゃん。」

 美咲は満足そうな笑顔を見せた。


 暗くなった町を子供一人で帰らせるのは危ないと言う事で、百合香の家を経由して送り届けてから桜荘へ戻る事にした。

 百合香と別れて桜荘への帰りの道中、今日一日の出来事を楽しそうに話す美咲。だが突然その言葉が途切れるとピタリと足を止め、周囲をゆっくりと見回し始めた。

「美咲、どうした?また変な視線でも感じたのか?」

 以前の事もあり櫻が軽く警戒する。

「いえ、声が聞こえたような気がして…。」

 そう言うと、何かに気付いて上を見上げる。視線の先には街路樹、そしてその上に真っ黒な子猫が震えていた。

 辺りは暗く木の葉の陰になっている事もあり、ちょっと見ただけではまったく姿が見え無い。

「よく見つけたね…。」

 櫻が感心半分呆れ半分で声を漏らす。

「あの子、下りられなくなっちゃったみたい。」

 か細く小さな声で時折鳴く子猫を見つめ

「大丈夫、今助けてあげるね。」

 と、優しく声をかけると周囲をキョロキョロと見回し始めた。しかし子猫の位置まで手を伸ばす手段が見つからない。そんな様子を見かねて櫻が考えあぐねる美咲に声をかけようとした時、

「幹雄さん、肩車をしてもらっていいですか?」

 美咲がそう発案する。

「えぇ、勿論(もちろん)構いませんよ。」

 普段(ふだん)(ほとん)ど他人に頼ろうとしない美咲が自分から他者に協力を求めた事を喜ばしく思いながら幹雄がスっと腰を落とすと、美咲も躊躇(ためら)いなくその首に(またが)る。

 街路樹の根元まで近付き美咲が手を伸ばすが子猫には微妙に届かない。

「私の念動力(ちから)で下ろしましょうか?」

 幹雄がそう言うと美咲は軽く首を振り、

「ううん、突然そんな事したら子猫がパニックになっちゃう。私にやらせてください。」

 ハッキリとした口調で自信を持って言った。

「ほら、大丈夫だから私を信じて。私に飛び乗って。」

 優しく言葉をかける。

 すると震えて身を縮めていた子猫が立ち上がり、美咲めがけて飛び降りて来た。美咲はまったく動じず子猫を頭に飛び乗らせると、両手で優しくその身を受け止める。

 余りにスムーズに事が運んだ為に驚く櫻と幹雄。

「凄いな。まったく美咲を警戒していない…。」

 幹雄から下りた美咲の腕の中で子猫が安心しきって居た。

「昔から野生の動物とは良く遊んでいたので、こういうのには慣れてるんです。」

 そう言うと身を屈め、優しく子猫を地面に下ろす。

「さ、お母さんの所へお帰り?」

 美咲がそう言って子猫を遠ざけようとするのだが、子猫は美咲に擦り寄ってきて離れようとしない。

「あれ?どうしたの?」

 困惑する美咲。だが状況を思い出し、ハっとする。

 親猫が近くに居たのなら下りられなくなった後に遠からず助けに来ていた筈。子猫の声がこんなに小さくなるまで助けが来なかったという事は、親猫とは既にはぐれてしまっていて帰り先が解らないのだろう。

 困った顔で子猫を見つめる美咲。その様子に櫻が口を開く。

「きちんと最後まで面倒を見る覚悟があるなら、事務所に置いてやってもいいぞ?どうする?」

 櫻の目は真剣だ。生命(いのち)を預かるというのは軽い気持ちでは駄目なのだと、その目が言っているのが解る。

 だから美咲も真剣に答える。

「はい。この子を連れて帰ります。」

 その覚悟の篭った言葉に櫻がフッと軽く笑う。

「美咲ちゃんが学校に行ってる間は私が面倒を見ますから、安心してください。」

 幹雄もフォローを申し出てくれると、美咲の顔に喜びが溢れた。

 早速足元から動かない子猫を抱き上げると胸元に抱え、慈しむように優しく撫でる。子猫も美咲の想いを感じ、ゴロゴロと喉を鳴らして頬ずりをし、親睦を深めた。


 さて動物を飼うとなると色々と物が入り用になる。

 本来真っ直ぐ桜荘に帰るつもりだったが商店街を経由し、取り敢えずの凌ぎとして百円ショップで柵や餌等の最低限の必要品を購入する事になった。

 だが流石に子猫を抱えたままでは店内に入る事が出来ない。櫻と幹雄が買い物を済ませる間、美咲は店の外で待つ事になった。

 元々大人しい美咲は、腕の中でお腹をぷくぷくと動かし寝ている子猫を見守りながら黙って立ち尽くす。

 田舎と言う訳では無いが決して人口の多い町でも無い。商店街も日が落ちるともう人もまばらで、店内の音楽だけが漏れ聞こえる程度の静けさが美咲を包んでいた。

 そんな中、突然美咲に声をかける人影。

「おい、お前こんな所で何してんだ?」

 美咲が驚いて顔を上げると、中学生らしき男子が睨んでいる。

「え…?あの…。」

 余り整えられているとは言い難いツンツンした頭髪に釣り目気味で鋭い目付き。身長は美咲より頭一つ分程も高く、見た目に乱暴そうな印象を受けるその男子の姿に、美咲は咄嗟に身構えるも突然の事で思考がまとまらない。

「ん?それ、猫か?」

 美咲の腕の中に丸まっている存在に気付いたその男子が手を伸ばすと、

「駄目っ!」

 と咄嗟(とっさ)に身を(かが)め背中を向けて子猫を庇う。

 流石にこの反応にカチンと来たのか、声を強め

「おい、お前っ。」

 と美咲の肩に手を伸ばしかけた時、百円ショップの自動ドアが開き、中から櫻と幹雄が出てきた。

「ん?美咲、何をやってるんだい?」

 その状況に櫻が疑問を投げかける。

「あ、櫻さん!いえ、この人が…。」

 そう言って視線を恐る恐る男子に向ける。釣られて櫻と幹雄もその視線の先を見ると、

「なんだ、功刀(くぬぎ)じゃないか。お前なに子供を虐めとるんじゃ?」

 呆れた顔で言う。

「なっ!?櫻…さん。何?コイツ知り合い!?」

 功刀と言われた少年は美咲を指差し慌てる。

「知り合いも何もその()はウチのモンだ。泣かせるようなら少し痛い目遭ってもらおうか?」

 櫻の脅しに少年が圧倒されたじろぐと、

「ち、違うんだよ!こいつがこんな時間にこんな場所でボーっと突っ立てたから、家出(いえで)でもして途方に暮れてたんじゃないかと思って声をかけたんだ!」

 そう言って必死に弁明する。

 その様を見ていた櫻が

「ふん、嘘では無いようだね。一つ重要な事を隠してるようだが…。」

 と言って意地悪くニヤリと笑った。

「あの、櫻さん、この方とお知り合いなんですか?」

 そのやり取りを呆気に取られて見ていた美咲が口を挟む。

「あぁ、こいつは薪原功刀(まきはら くぬぎ)と言ってね、百合香の兄だよ。楓の弟とも言うがね。」

 その言葉を聞いて数秒の思考を置くと、

「えぇぇ!?」

 美咲にしては珍しい程の声で驚く。血の繋がりの無い一家だとは知っていたが、これ程百合香や楓とイメージの離れた兄妹だとは思っていなかったのだ。腕の中で様子を伺っていた子猫も流石に声に驚き、美咲の肩に逃げる。

「えっ!?百合香ちゃんのお兄さん…?あ、ご、ごめんなさい。突然だったので怖い人かと思ってしまって…。」

 深々と頭を下げて謝る美咲を前にして功刀も申し訳なさそうに

「い、いや。俺も声のかけ方が悪かった。すまねぇ。もう気にしてねぇから謝るの止めてくれよ。」

 手をあわあわとさせて美咲をなだめようとする。

 そんな様子に美咲が顔を上げて功刀の顔をジっと見つめる。すると今度はその視線に功刀が顔を赤らめ、フイッと顔を逸らした。

『フフッ』と櫻が笑い

「こいつは元々目つきが悪くてな。そこに周囲の暗さと店の照明のせいで顔がよく見えなくて怖い顔にでも見えたんじゃないか?」

 そう推論立てると

「悪かったな、こんな目つきでよ…。」

 功刀も自覚している事を指摘されて少々むくれる。

 美咲もその説が正しいような気がして、失礼な勘違いをしてしまったと再び

「あの、本当にごめんなさい。」

 と謝り始めた。

「あーもー!お前はさっき謝っただろ!それでもう終わったんだ。いつまでも卑屈になってんじゃねぇよ。」

 そっぽを向き腕を組みながらそう言うと、立ち去ろうとする。

「そういえばお前さんは何しにこんな時間にここに来たんだい?」

 櫻の質問に功刀が振り返り

「いや、単に夜食の菓子を買いに来ただけ。んじゃな。」

 そう言うと手を振り店内に入って行った。

「騒がしい奴だねぇ。まぁいいや。取り敢えず明日の朝までを過ごすだけの物は買ってきたよ。早速帰ってご飯を食べさせてあげようじゃないか。」

 櫻の言葉に幹雄が手に持った荷物を見せると、桜荘事務所へ戻る事にした。


 何事もなく事務所へ到着すると、大樹と稲穂が出迎える。

「お帰りなさい…あら?美咲ちゃん、その子どうしたの!?」

 稲穂が驚きの声を上げると大樹も何事かとその陰から覗き込む。

「おや、子猫ですか。可愛らしいですねぇ。美咲ちゃんが飼うんですか?」

「あぁ、一応飼い主は美咲という事になる。だが流石に一人暮らしの小学生に任せっきりは無理があるんでな、昼間はこの事務所で世話をする事にした。」

 櫻のその言葉に誰も反論は無く

「それじゃ桜荘のマスコットとして相応しい名前を付けてあげたいわね。」

 嬉々として稲穂が言う。

「まだ名前は決めて無いんですか?」

 大樹が美咲に問い掛けると

「はい、まだ何も決めて無いです。」

 そう言って、今まで触れ合ってきた動物達にも特に決まった名前を意識した事が無いという事を今更ながらに気が付いた。

(そっか、名前かぁ…。)

 事務所中央のテーブルの上に子猫を乗せて見つめる。

「取り敢えず性別を知らないといけませんね。」

「それもそうね。」

 稲穂がひょいと子猫を持ち上げ、覗き込む。

「あら、女の子ね。」

 身体の向きを裏返して皆に見せると、子猫が『にゃっ』と小さく鳴いた。

「美咲ちゃんは何か案がある?」

 稲穂に聞かれ、唇に指を当てて考える。

「…桜荘でお世話になるので、チェリー…とか?」

「ふむ、チェリーですか。」

 幹雄が子猫に手を伸ばすと、その大きな影に怯えて美咲の陰に隠れてしまった。

「これは困りましたね。明日からのお世話が出来るか心配になって来ましたよ…。」

 手のやり場無く困り顔の幹雄を見て、

「大丈夫だよ、ここに居る人達はみんな、あなたと友達になりたいんだよ。」

 美咲が子猫にそう言い聞かせると、美咲の目を見てから皆の匂いを嗅いで回り、直ぐに怯えは全く無くなった。

「美咲ちゃん凄いわね…動物と話が出来るみたい。」

 稲穂が驚く。

「こいつを助けた時からそうだったが、妙に動物と意志の疎通が出来ている気がするな。」

 櫻も子猫を見つめながら少し前から気になっていた事を口にする。

「いえ、言葉が通じる訳では無いんです。ただ、『仲良くしたい』っていう想いを送ると、動物は解ってくれるんです。」

 さも当たり前のように答える美咲に驚く面々。

「成程、美咲ちゃんらしい能力なのね。」

 そう納得した稲穂に、

「美咲ちゃんを見ていると、その能力の性質が凄くしっくりきますねぇ。」

 大樹も大きく頷き同意する。

 皆の反応に頭の上に大きな『?』が浮かぶ美咲。

「それで、名前はチェリーで決定という事で問題無いのかい?」

 櫻が皆に聞く。

「えぇ、私は全く異論はありませんよ。」

「私も問題無いと思うわ。」

「僕も。何せ美咲ちゃんが出した案ですからね。」

 その返事で

「よし、今日からお前は『チェリー』だ。」

 櫻がチェリーを指差し宣言をし、皆が拍手を送る中、桜荘に新メンバーが加わったのだった。

「よろしくね、チェリー。」

 自分が名付けた事で、今まで触れ合ってきた動物達よりも特別な存在となった子猫の名を、愛おしく呼ぶ。

 チェリーも『にゃ』と小さく鳴き、美咲に返事をした。


 それからはちょっとした事務所の改装作業となる。

 先ずはお客の対応をする事務所のメインルームに余り出入り出来ないように各部屋との間に柵を設置し、奥の談話室をチェリーの普段過ごす部屋として簡易的な囲いと餌入れ・水入れ等を設置。トイレと爪砥ぎ板も設置すると、美咲に頼んでしっかりとその場所と用途をチェリーに教え込んで貰った。

 一通りの設置が終わり、ようやくチェリーにご飯を与える。子猫とは言っても生後三ヶ月程は経っているようで、子猫用の猫缶を食欲旺盛に食べ始めるとアっという間に平らげた。

「余程腹を空かせておったのかの?」

「女の子なのに大きくなるのかしらね?」

 そんな事を言いつつチェリーを眺める皆の目は優しい。そんな皆の視線は既に気にならないのか、チェリーはペロペロと毛繕いに夢中だ。

「さて美咲、飼い主として最初の大仕事をしてもらうよ。」

「は、はい!?」

 突然櫻にそう言われ、身を正して身構える。

「夜はお前さんの部屋で飼うんだ、これを部屋にも設置しておきな。」

 そう言われ別のビニール袋に分けられていた猫用品一式を手渡され、

「それと、最初は身体を洗ってやれよ。」

「はいっ、わかりました!」

 その指示に満面の笑顔で応えた。


 そそくさと部屋へ戻る美咲を見送る一同。

「美咲ちゃん、嬉しそうでしたね。」

 稲穂がにこにことした顔で言う。

「あぁ、動物が好きだという話は聞いた事があったが、あそこまでとはね。」

「ですが、猫はいずれ美咲ちゃんより先に寿命が来ます。美咲ちゃんが悲しい思いをするのは避けられないですよ?」

 大樹が不安を顔に出す。だがその言葉を受けて櫻は、

「それは大丈夫さ。美咲は妙に達観(たっかん)した芯の強さがある。一時(いっとき)悲しみに沈んでも気持ちの切り替えは出来る筈さ。」

 そう断言する櫻の言葉を受け、多少の心配を含みながらも見守る事を心に決めた一同であった。


 一方美咲は、部屋に戻るとリビングに猫砂と爪砥ぎを設置し、玄関とリビングの区切りに簡易柵を置くと、ベッドの横に寝床を用意。その作業を楽しそうにこなしていた。

 チェリーも美咲の後をくっつきながら何処か楽しそうに歩く。

『ピピーッ』と浴槽にお湯が貯まった合図が鳴ると、

「さぁ、チェリー。一緒にお風呂に入ろうね。」

 ウキウキしながらチェリーを抱き抱え浴室へ向かった。

 脱衣所で衣服を脱ぐと、それにチェリーがじゃれつく。

「あぁ、駄目だよ!もぅ…明日チェリーが遊ぶ用のタオル買ってこようかなぁ?」

 少々困りながら一緒に浴室へ。

 美咲がシャワーを浴びようと蛇口をひねり、シャワーノズルから『シャー!』と勢いよくお湯が出てくると、その音に驚いたチェリーがパニックになり逃げようと扉を引っかき始めた。

「あ、大丈夫、大丈夫だから落ち着いて!」

 慌ててシャワーを弱めると抱き抱えて『安心して』『怖くない』『大丈夫』と想いを送る。

 胸に伝わるチェリーの心拍数が落ち着いていくのを感じてホっと一安心する美咲。

 今度はゆっくり慎重に、弱いシャワーの音を徐々に近付けて慣れさせながら洗面器にお湯を張ると、そっとチェリーの身体をその中へ浸し、手でお湯をすくい上げて優しくかける。

「ほら、何も怖くないでしょ?温かくて気持ちいいんだよ。」

 声をかけながら身体をワシャワシャと揉み洗うと、お湯が茶色くなった。

「やっぱり結構汚れてたのね。」

 特に驚きもせず感想を漏らす。野生動物と触れ合う事に抵抗の無い美咲にとっては、自然の汚れは気にする程も無い事であった。

「私も身体を洗うから、そこで待っててね。」

 そう言ってチェリーの入った洗面器を浴槽の縁に寄せると、美咲も手早く身体を洗う。ボディーソープを泡立てながら

(やっぱり人間用の石鹸を猫に使うのは駄目かなぁ?)

 などと考えていた。

 浴槽に浸かり膝を立ててチェリーをその上に乗せると、お湯にすっかり慣れたチェリーは大人しく目を閉じている。そんな様子を微笑みながら見守り、今日一日の出来事を振り返る。

(今日はいろんな事があったなぁ。百合香ちゃんのお兄さん達と知り合って、初めての場所に沢山行って素敵な場所を知れて、知らなかった事を色々聞いて…。)

 膝の上で眠りそうになっているチェリーを見つめ

(この子に出会って、一緒に暮らせる事になった。)

 お湯に落ちないように手を添える。

(こっちに来てから色々忙しかったけど、今日が一番凄かったかな…。)

 様々な事を思い返して微笑む。

「さ、チェリー。そろそろあがろうね。」

 チェリーを抱き抱え浴室を出ると、自分の身体より先にチェリーの身体を拭き、『これから起こる事も怖い事じゃないからね』と(あらかじ)め教えておいてからドライヤーのスイッチを入れる。

 結構距離を取ってスイッチを入れたものの、その音に流石にチェリーの身体が一瞬『ビクッ』となる。だが美咲を信頼するようになっていたチェリーはその身を任せて温風を受け入れてくれた。

「ふふ…いい子いい子…。」

 チェリーの身体をタオルで優しく揉みながら温風を当て、美咲はその手の中に在る生命(いのち)を慈しむのだった。


 美咲も身体を拭き、パジャマに着替えると遅めの夕食をとる事にする。

 ベーコンと野菜を炒めたものをオカズに白飯と味噌汁というシンプルなメニュー。

「いただきます。」

 と手を合わせると、テーブルの上に乗ったオカズを『フンフン』と嗅ぐチェリー。

「駄目だよ?チェリーにはしょっぱすぎるからあげられないの、解ってね?」

 そう言うと、『ミャ』と小さく鳴いてテーブルを下り、美咲の膝の上に乗った。

 自分に甘えてくれるチェリーが可愛くて仕方無い美咲はいつもより手早く食事を終えると、チェリーが疲れるまで遊び相手をしたのだった。

 チェリーが疲れて眠りそうになったので寝床へ連れて行く。時計を見るともう夜十時になる所だ。美咲も明日の学校の準備を済ませると歯磨きを済ませてベッドに入り込んだ。

 横を見るとベッドの脇にはすっかり安心して寝息を立てる子猫。その様子に微笑み、

「お休み…。」

 小さく声をかけて美咲も瞳を閉じた。


 翌朝。美咲は顔にふわりとした感触を覚え目が覚める。

 ゆっくりと目を開けると、目の前で丸くなっているチェリーが居た。

「…おはよう、チェリー。」

 まだ眠い声を出すが、その言葉は嬉しさに溢れている。

 美咲の声に『ミャゥ』と返事をすると、ベッドから下りた美咲の足元に擦り寄る。

「うん、今ご飯をあげるね。」

 リビングに行くと昨日櫻から渡された袋の中から猫缶と器を取り出し、スプーンでほぐしながら()け、もう一つ容器を出すと(ぬる)めの水を入れて差し出した。チェリーは空腹だったのか、出された食事に夢中になる。

 そんな様子を見ながら美咲も朝食を用意。朝は軽くトーストとコーンスープとサラダだ。手早く済むので結構な頻度で食べているメニューである。

 食事を済ませ食器を洗い、身支度を整えるとランドセルを背負いチェリーを抱き抱えて事務所へ向かう。

「おはようございます。」

 明るい声で挨拶をする美咲に皆も(こころよ)く挨拶を返してくれる。

 そんな中で櫻が美咲に声をかける。

「さて美咲。今日から昼間はチェリーを事務所で預かる訳だが…。」

 そう言いながらチェリーを受け取る。

「飼い主はお前さんだ。一つの命を預かるという事の責任と義務があるのは理解してるな?」

 真剣な声と眼差しで問われ気圧されるものの、美咲も真剣に

「はい、理解しています。」

 と迷い無く答える。

「よし、じゃぁ今日からお前さんには今まで以上に仕事を手伝ってもらう事とする。チェリーの餌代やその他諸々の代金はその仕事の手間賃から差し引いて出される事になる。良いね?」

「は、はい!解りました!」

 まるで軍隊かのように背筋をピンと伸ばしハッキリした声で答える美咲。その答えに頷いて応える櫻。見守る一同も安堵の息を漏らした。

「それじゃ、今日からは放課後特に用事が無ければ事務所に詰めて、お茶汲みや依頼の手伝いを前より多めの頻度でやってもらおうと思う。頼んだよ。なに、友達と遊ぶ約束なんかがあったらそっちを優先しても良いさ。」

 櫻の声から威圧感が消え、その言葉に美咲も緊張が解ける。その時

《美咲ちゃん、もうすぐ着くよー。》

 元気なテレパシーが飛んで来た。

「あ、もうすぐ百合香ちゃんが来るみたいです。」

 そう言うと慌てて

「幹雄さん、チェリーの事、宜しくお願いします。チェリー、また後でね。」

 と言うとチェリーに手を振り事務所を出て行った。


「櫻さん、少し厳しい気がするんですけど?」

 稲穂が不満そうに言う。

「はは、お前さんらも本気にしたか?流石にこの事務所で働いたからって収入はたかが知れてるんだ、それで生き物を養うのは例え猫の子一匹でも大変だ。あれは単に美咲の覚悟を試したまでさ。頑張ったらその分だけ小遣いを考慮する。それに…。」

「それに?」

「子供に労働なんてさせたら偉いさんに怒られるだろ。『お手伝い』レベルの事しかさせる気は無いさ、出来るだけね。」

「あぁ…そりゃそうですね…。」

 大樹が納得して頷く。

 大人達がそんな話をする中でも、チェリーはマイペースに玩具(おもちゃ)と戯れる。


 こうして美咲に、守るべき存在が出来た。新たな生活の目的が出来、改めて気合が入るのだった。

日常回と書きましたが、実際は大きな出来事の方が少ないものです。


頭脳が大人な子供や某少年の周辺じゃないんですからそんな頻繁に事件が起きる訳無いですよね。

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