EP 0:美咲と櫻、その出会い
サブタイトルの通り、前話より以前の話、美咲が桜荘へ来る切っ掛けの物語です。
物凄く短いです。
花澤美咲は孤児だった。
生まれついてテレパシー能力を持っていたが故に母親に気味悪がられ捨てられたのだ。
赤ん坊が、言葉ではなく感情を直接、時も場所も選ばず脳内に送りつけてくる日々…いかに母親と言えど精神が持たなかったのだろう。それを責める事が出来ようか。
だがせめてもの愛情の証としてか、『美咲』と名前の付いた札が添えられ、孤児院の入り口に捨て置かれていたという。
それからも美咲が物心付くようになるまでは同様のケースにより気味悪がられ育児を放棄され、度々孤児院を転々とする事となる。
やっと自分の能力を認識し、周囲の生活に溶け込めるようになった頃。美咲は自分が捨てられた事についてよく考えるようになる。
自分の能力が原因である事は自覚していたが、赤ん坊の頃の話とは言えども自分の身勝手が両親を困らせたのだろうと思うと、自然と大人に対する態度が形作られていく。
『大人の言う事に素直に従い困らせない。礼儀正しく行儀よく居よう。』
生来の気質というものもあったのだろうが、子供がここまで自分を律し大人の顔色を伺う生き方は余りに苦しい。
そんな美咲の心の癒しが動物たちとの触れ合いであった。
美咲のテレパシーは言葉だけで無く感情・想いを乗せる事が出来る。それは野生動物にすらも安心感を与え、彼らと仲良くなりたいと想う美咲の周りには生き物が寄ってくるようになったのだ。
それと同時に相手から向けられる想いも朧気ながら解るようになっていく。
小学校にあがり、同年代の他者と触れ合うようになっても美咲は自分から輪の中には入らず、かと言って決して他者からの好意を無碍にはしない。
だが人形のように容姿の整った外見と、自分からは一線を引いたようなその態度は近付き難く、周囲から浮く要因となってしまっていた。
美咲自身も他者に頼らず迷惑をかけずを信条としていた事もあり、特段生活に不便も不満も無かった。施設での生活でも自分の身の回りの事はほぼ自分で出来る『良い子』になっていった。
周囲の大人達もそんな美咲を見て『手のかからない良い子』だと褒め称えるが、何故そんな風に育ったかを考える者は居ない。
美咲は大人を頼りにしていなかった。
別に大人という存在を見下していた訳では無いが、この歳になるまで甘えるべき母の胸も、頼るべき父の背中も知らないままに育ってしまった美咲にとって、大人とは頼る存在では無く単に自分が歳を重ねた後の姿という認識に過ぎなかったのだ。
そんな折、美咲は『桜荘』の面々と出会う事になるのだ。
いつものように美咲は学校帰りに近くの山へ入ると動物達と触れ合っていた。猫や兎、狸や鹿などの動物達が無邪気に美咲の足元にまとわりついたり身体を寄せたりしてくれる。その裏表の無い素直な感情がとても心地よい。
美咲もお気に入りの白いワンピースが汚れるのも構わずに動物に触れ、抱き上げ、心を癒していた。
しかし最近よく嫌な感情を向けられている事にも気付いていた。これは人間から向けられているものだと理解はしていたが、幸か不幸か美咲は今まで大人の害意を直接身に受けた事が無い。それ程危険なものだとは考えていなかったのだ。今までもたまに奇異の目で見られた事もある…という中途半端な経験が尚の事油断を生んでしまった。
ガサガサと草むらを乱暴に踏み分ける音が聞こえると動物達が一斉に逃げ出す。
その事に気付いたほんの僅かの間に美咲は後ろから覆い被さってきた影に口を抑えられ、小脇に抱えられると近くの道路に止めてあったワンボックスカーに押し込められた。
突然の出来事に、混乱と恐怖で身体が動かない。声を発する事も出来ず、自然と身体が小刻みに震える。
目の前にはガムテープを延ばしジリジリと迫る男の姿。逆光になっていて顔はよく見え無いが大人という程の体格でも無く、かと言って子供でも無い、恐らく二十歳前後だろう。
だが女の子を力ずくで押さえ込むなど、何の苦も無い。美咲の身体に馬乗りになり両手の自由を奪い、悠々と口にガムテープを重ねて行く。その次は後ろ手にされた両手、両足と順に縛り上げる。
焦りか、元々気を遣うつもりが無かったのか、加減の無い締め付けに美咲の手足が痛む。血の流れが止まっているのでは無いかと思う程だ。
恐怖に震えモゴモゴと助けを求めるが、声を出す事は出来ず身動きも取れない。
本来であれば美咲にはテレパシーがあるのだ、誰か知り合いに助けを求めてしまえば簡単な事だ。
しかしこんな状況になっても美咲は『大人に迷惑をかけない』という自身の信条に捕らわれ、施設の大人達に助けを求める事をしなかったのだ。
美咲のテレパシーは見知った相手をきちんと意識しなければ送る事が出来ない為、何処かの誰かに助けを求める事は出来ない。
(誰か助けて…助けて…助けて…!)
頼る事は他人に迷惑をかける事。そう頭では思っていても恐怖が助けを呼ばずには居られない。
そんな美咲の苦悩を知る筈も無く、男は車のエンジンをかけると今まさに走り出そうとしていた。
― 同刻 ―
夕陽が照らす土手上の遊歩道に大柄な老年の男と、その腕に座る白髪の少女の姿があった。
「櫻さん、もうそろそろ自分で歩いたらどうですか?」
「何を言う?折角の女子の尻の感触、事務所まで堪能せい。」
「あのですね…私ももう歳なんですから、そんな欲はとっくに枯れてるんですよ。ましてや子供相手に…まぁ、この柔らかさは心地良いと思いますがね。」
そんな冗談を言い合いながらのんびりと仕事帰りの道を歩いていたのは松本幹雄と春乃櫻だ。
だがそんな和やかな雰囲気の中で突然櫻の表情が変わる。
「…?櫻さん、何かありましたか?」
幹雄も長い付き合いからその事の重要性を察した。
「何か…助けを求める声が聞こえた。これは恐らくテレパシーだね。」
周囲を見回してから
「あっちだ。」
と指差す。
「幸いそろそろ黄昏時だ、見つかっても正体まではバレん。幹雄、飛べ!」
そう指示を出すと幹雄は頷き、自らの念動力を自身へ向け空へと舞い上がった。
上空から眼下を見下ろしテレパシーの主を探す。
(何処じゃ?もう一度念を飛ばせ!)
最初に感じた助けを求める声の危機感に嫌な焦りを覚える。
本来櫻の持つ能力『読心術』は、相手の姿を見て居なければ使う事が出来ない。しかし美咲が恐怖の内に無意識に周囲へ飛ばしたテレパシーが櫻の能力と反応して拾い上げたのだ。
《助けて…!》
「…!来た!」
意識を先程の声に集中させていた櫻の脳にハッキリと声が届いた。
「あの車だ!行け!」
人通りの少ない道を選んで走っているのであろうワンボックスカーを指差す。
「了解です!」
進行方向に先回りして櫻を降ろすと幹雄が車の前に立ちはだかり念動力を発動させ、中に居るであろう人物を気遣いゆっくりと減速させながら車体を持ち上げ動きを止める。
「な、なんだ!?」
男がアクセルを踏み込むが、エンジン音が鳴り響きタイヤが空回りするだけだ。
フロントウィンドウ越しに櫻が運転席の男の思考を読む。その瞬間櫻の顔が嫌悪と怒りに満ちた。
「幹雄、あの男に容赦は要らん!」
そう言うと幹雄も
「解りました!」
と覇気のある声で応える。
車を横倒しにして逃げられないようにしてからボキボキと指を鳴らし男へ近付く。
夕日を背に迫り来る巨漢を目の当たりにして男はパニックになり、後部座席へ這い入ると身動きが取れず藻掻く美咲を抱え、天井となったスライドドアを何とか開けて外へ出た。
慌てて逃げようとするが必死に暴れる美咲を抑えきれずバランスを崩し道路に倒れる男。既に眼前まで幹雄が迫っている状況に更に追い詰められ、懐に仕舞っていた折りたたみナイフを取り出し美咲の喉元に突き付けた。
「な、何だお前ら!この娘の関係者じゃないだろ!?俺達に関わるなぁ!」
最早理屈にならない事を怒鳴り出した。
(さてどうしますか…念動力でナイフを無力化するのは容易いですが、超能力を見られるのは極力避けたい処ですね…いや、車をこうした時点でそんな事を言える状況でも無い…か?)
横目に倒れた車を見ながら幹雄が男を前に動きを止め考えを巡らせる。
しかしそんな事をしている間にも男の震える手がナイフを揺らし、ヒタヒタと美咲の肌に触れている。
(えぇぃ、今はこの状況を何とかする事が優先ですね…!)
そう決断した時、その表情に何かの危険を感じた男の手に力が入る。
そして遂に『ちくり』とナイフの先端が美咲の肌に刺激を与えた。
「きゃぁぁぁーーーーーー!!」
美咲の目が大きく見開き、腹の底からの全力の悲鳴が上がる。
その瞬間、美咲の中で膨れ上がっていた恐怖が一気に爆発した。そしてその感情が目の前で自分へナイフを向ける男の脳裏にダイレクトに突き刺さる。
男は突然全身を支配した感情に困惑した。『恐怖』。最早言葉に出来るものではない、動物の本能として怯え、竦み、全身が震え出し身動きが出来ない。
更にその感情はどんどん大きくなって来る。混乱から錯乱へ。腕に抱えていた美咲を放り出すと、男の目が何処を見ているのか解らない状態になり、身を縮めたり手足をバタバタと暴れさせ始めたのだ。
突然の事に顔を見合わせる櫻と幹雄。
だがそんな事は重要では無いと幹雄が走り出し地面に落ちていたナイフを蹴り飛ばし美咲を保護する。首筋を見てマチ針で刺したような小さな傷と少しの出血を確認したが、幸い痕になるようなものでは無かった。幹雄の口から安堵の息が漏れた。
少女が無事な事をアイコンタクトで確認した櫻が錯乱して転げまわる男に肩を怒らせツカツカと近付くと
「っこの…下種がああぁぁぁーーー!!!」
怒りを込めた全力の蹴りを男の鳩尾に叩き込む!
小柄な子供の力とはいえ、加減のまったくない全力の蹴りを無防備な急所に食らえばひとたまりもない。男は悶絶し、激痛と呼吸困難で意識を失った。
「お嬢さん、しっかり。もう大丈夫ですよ。」
幹雄が美咲の両肩に手をかけ軽く揺すると、放心していた美咲もやっと気を取り戻した。
周囲を見回し、ガムテープでぐるぐる巻きにされている男を見て状況を思い出すと緊張の糸が切れ、地面にへたり込む。
するとその瞬間…。
『チョロチョロ…。』
という音とともに白いワンピースのスカートに滲みが広がっていく。
「「あ。」」
櫻と幹雄は思わず声を上げてしまった。
そんな状況を少し遅れて理解した美咲は、見知らぬ人の前で失禁してしまった恥ずかしさと、今まで直面していた恐怖からの解放、それに洋服を買ってくれた施設の大人達への申し訳無さ等、様々な感情が入り混じり大声で泣き出してしまった。
人目も憚らず泣きじゃくる美咲を見て櫻が優しく顔を抱き寄せると、泣き止むまでずっと頭を撫でて慰めるのだった。
幹雄が呼んだ警察が駆けつけ、状況の説明諸々の手続きが終わると美咲は施設へ送り届けられた。
その様子を確認した櫻が幹雄に言う。
「あの娘には、秘密を打ち明けられる理解者が必要なんじゃなかろうか?」
その問いに
「また回りくどい事を言いますねぇ…私は別に構いませんよ?むしろ大歓迎です。」
そう言って親指を立てて見せた。
それから数日後…。
美咲の居る施設に子連れの夫婦のような三人組が訪れた。
杉山大樹と田口稲穂、それに櫻だった。
大人二人が施設の大人達に『美咲を引き取りたい』と言う話をする一方で、櫻が美咲と接触する。
「あ、あの時の…。」
美咲が櫻に気付き、自分より小さい女の子に慰められた事を思い出し気恥かしそうに肩を縮めた。
そんな様子を気付きながらも遠慮なしに距離を縮める櫻。そうして美咲にここに来た理由と『桜荘』の秘密を教えると
「どうする?決めるのはお前さん自身だ。」
と決断を迫る。
「これは大きな決断になる。まぁそんな急いで返事をする必要は無いさね。」
そう言う櫻に対して思いがけず美咲が出したのは即決での『桜荘』行きであった。
更に二日後、身の回りの整理を済ませた美咲は施設のスタッフ一人一人に挨拶をして回った。一緒に過ごした子供達も別れを惜しみつつも、仲間の新たなスタートを祝福してくれた。
『よしっ』と気合を入れて空を見上げ、新たな地への不安を希望で塗り潰す。
すると丁度大樹が運転する自動車が到着した。
「どうも、お迎えにあがりました。」
大樹と稲穂が車を降り、施設スタッフに会釈をし挨拶を交わす。そんな様子を後部座席の車窓から顔を出して見ている櫻に気付いた美咲が今度は自分から駆け寄り
「よ、よろしくお願いします!」
と言いながら深々と頭を下げた。
そんな様子に
「これから一緒に過ごす仲なんだ、そんなにかしこまる事じゃないだろう?」
そう言って車の後部座席へ手招きする。
美咲は施設を振り返り皆に手を振り深々とお辞儀をすると、自分の荷物を持って車に乗り込んだ。
その表情はまだ硬く、緊張の色が濃い。心から打ち解けるには時間がかかりそうではあったが、櫻は心配して居なかった。
大樹と稲穂が車に戻ってくると
「さて、それでは『桜荘』へ向かいましょうか。」
と車のエンジンをかける。一瞬『ビクッ』とした美咲に気付いた櫻がその手を握ると、美咲の顔を見て頷いてみせた。そんな櫻の力強い表情に美咲も嫌な記憶を振り払う。
「前に施設に来た時にも自己紹介しましたが、改めて。僕は杉山大樹。『サイコメトリスト』です。」
「私は田口稲穂。『瞬間移動能力者』よ、これからよろしくね美咲ちゃん。」
「そしてあたしが春乃櫻、『読心術』を持っておる。この間のデカいのが松本幹雄と言って『念動力者』じゃ。今まではこの四人が『桜荘』の住人だったが、今日からは美咲、お前さんを入れた五人だ。よろしくな。」
「はい、宜しくお願いします!」
元気な返事に一安心すると車内の空気も軽くなった。
こうして花澤美咲は『桜荘』の住人として、新たなスタートを切る事になったのだった。
何故これが最初の話じゃないのかと言われると、メインキャラを取り敢えず全員紹介してからの方が良いかなと思ったからです。
この話は美咲の掘り下げに必要だと思ったので、短いとは思いつつも上げさせて頂きます。




