91.騎士団合同演習
第一騎士団と魔物討伐部隊の百名ほどが、演習場に揃った。
多数の騎士が対面で並ぶ様は、なかなかに壮観だ。
ヴォルフは最前列の中央に立ち、短い模造剣だけを左脇に、両手を空けていた。
自分に絡んでくる一部の視線は、うっとうしく、重い。
だが、今日はそれが笑えた。
演習で個人的に狙われるのは初めてではない。勝手な恨みや嫉妬やらで、複数の打撃を受けたことも何度かある。
今回ほど大がかりに狙われるのは初めてだが、おかげで面白い作戦が立てられた。
今まであまり考えたことはなかったが、作戦を立てるのも案外楽しい。
「ヴォルフ、よろしく」
「重いが頼む」
左右のドリノ、ランドルフが、小声で告げてきたので、笑顔で了承した。
「兜落とし、始めっ!」
開始の号令と共に、三人で駆け出した。
あからさまにヴォルフに寄る人波の手前、思いきり上へ跳ぶ。跳びながら、左手にドリノ、右手にランドルフの鎧をつかみ、身体強化をかけて持ち上げた。
天狼の腕輪は、大変にいい仕事をする。わずかにランドルフの方が下がったが、それでも充分な高さがある。
驚き、見上げる男達、その伸ばした槍すらも届かない。
そして、その直後、風と言うより空気の大きな固まりが、三人の背を強く叩いた。
「うぉっ!」
あせったドリノの声が響く。
空中でさらに上へ、そして、さらに前へ押されるのは、なんとも驚く感覚だ。
高さと速度に、鳩尾のあたりがきゅうっとした。
「ははは!」
ランドルフは、耐えきれずに大きく笑った。
身体強化はあるが、重量のある彼は、ここまで高く宙を飛んだことはない。初めての高さと勢いがとても爽快だ。眼下の男達が一回り小さく見えるのも大変に楽しい。
「あとはよろしく!」
そこからさらに、ヴォルフが二人を投げるように押す。
「ああ!」
「応!」
考えられない飛距離とスピードで、二人は相手陣地へと飛び込んでいった。
いつもならば一番手で敵陣へ飛び込むヴォルフが、そのまま下りて、自陣地に走り出す。結果、飛び越えた列を後ろから追う形になった。
ヴォルフを狙うはずだった者達は慌てて戻り、陣形が大きく乱れる。
ヴォルフは敵と敵の間を不規則に駆け回る。
模造剣を当てようとすれば消え、魔法は味方に当たるので打てない。捕まえようとすれば跳び、やっとつかんだと思えば、その腕ごと取られて投げられる。
数で押そうとしても、フェイントをかけて跳ばれ、どの方向に行くのかもわからない。
「ええい、ちょこまかと!」
「この野郎っ!」
正直、追う者には腹が立つことこの上ない逃げ方である。
ちなみに、ヴォルフの方は天狼の腕輪を使って跳ぶのが楽しく、いい笑顔になっていた。
第一騎士団の陣形が完全に崩壊したところへ、魔物討伐部隊の若手がきれいな隊列で突っ込んでいく。
その列を飛び越え、ヴォルフは陣地に全力で駆け戻る。
兜の前に立つと、今度は熟練の者達が隊列を組んで攻め込んでいった。
残ったのは、ヴォルフとアルフィオの二人だけ。が、目の前の戦いを見る限り、誰もここまできそうにない。
「そろそろ、かな」
二人とも、目を細めて相手陣地を見つめていた。
ドリノとランドルフは相手陣地に飛び込んだが、まったくのノーマークだった。
ランドルフは盾を構え、複数の騎士を相手にフィールド端でとどまる。
ドリノの方は速攻で兜に向かった。
しかし、守っていた騎士達に押されて下がり、他から追われて右に逃げる。そこへ、加勢に向かって来た両軍の騎士で、あっという間に乱戦となった。
模造剣の当たる音と、気合いを入れた叫びがひときわ大きく響き、多くの者が注意を向ける。
「頃合いか」
その場で敵をあしらってきたランドルフが、大盾を目の前の騎士達に投げて走り出す。その体からは想像もできないほどに速かった。
止めようとした数人が、呆気なくはね飛ばされ、地面に転がる。
模造剣を上げたまま固まり、斬り込むタイミングを逃した者達もいた。
今日の強襲者はヴォルフでもドリノでもなく、このランドルフである。
魔物討伐部隊の副隊長と並ぶ巨漢、大盾持ちでありながら、赤鎧として、命がけで魔物と戦ってきた日々。
鍛え上げた巨体に強化魔法をかけ、戦場の殺気を放った男を止めるには、もう三倍の人数は必要だったろう。
棒の前、ランドルフはようやく左腰の模造剣を手にする。
棒の折れるばきりという音と共に、銀の兜が空高く飛んでいった。
・・・・・・・
「ヴォルフ、礼を言う。実に楽しかった」
「うまくいって良かったよ、ランドルフ。俺も楽しかった。剣を抜かないのは初めてだったな」
勝負がついた後、演習場でそれぞれが簡単な反省会を行う。
魔物討伐部隊は、作戦の成功確認後、グループごとの語らいになっていた。
すでに今日どこに飲みに行くかについて、店の議論をしている者達もある。
「レオナルディ、君にも礼を言いたい。空は大変楽しかった」
ランドルフの満面の笑顔に、近くにいたカークが固まる。
いつも寡黙な先輩が、目の前で年下の少年のように笑っていた。
「いえ! 押してるだけで制御も下手で……グッドウィン先輩が兜を落とせて、よかったです!」
「ランドルフでいい。グッドウィンと叫ぶと、ここで七人はふり返る」
「ええと、ランドルフ先輩。じゃあ、俺もカークでお願いします」
一日で名前呼びの先輩が二人増えたことを、カークは素直に喜んだ。
「カーク。空は、とてもいいものだな……大変気持ちがいい」
「ランドルフ先輩?」
「ランドルフ?」
言葉とはうらはらに、男はひどく苦い顔をしていた。
「……先祖には申し訳ないが、土魔法ではなく風魔法が欲しかった、そう思ってしまった」
しみじみとした言葉に、ヴォルフとカークが顔を見合わせ、笑った。
「みんな、ないものねだりなんですね、きっと」
「そうだね。自分にあるものに感謝しなくちゃいけなかったね」
和やかな声に時々笑い声が混じる向かいで、第一騎士団も反省会をしていた。
しかし、こちらの反省会は、半分が沈黙、半分がぐだぐだな話になっている。
「なぜ、あいつに一撃も当てられん!」
「そうおっしゃっても、あれでは……」
「風魔法の使い手もいるようで、予測ができない動きで……」
「まったくこれだけの人数で何もできないとは、不甲斐ない」
「そこまでだ。この『不甲斐ない負けっぷり』は誰のせいだ?」
嘆く男に向かい、今日、一度も口を開いていなかった壮年の騎士が尋ねる。その目はひどく暗い色をしていた。
「なんだと?!」
「女一人もつないでおけない男が、八つ当たりとは笑わせる。悔しければ、あれぐらい動ける騎士になってみろ」
「貴様、そんな口をきいて」
「第一騎士団を家柄で渡れると思うなよ。団長が、お前に隊長格の権限を与え、確かめよと言うから、ここまで黙っていただけだ。期待を見事に裏切ってくれたが」
「な……!」
言葉が出なくなった男の横、騎士達が少しほっとしたように表情をゆるめる。
だが、壮年の騎士はその者達をじろりとにらんだ。
「第一騎士団に名をおきながら、止めない者達も不甲斐ない。団長に報告の上、性根から叩き直してやるから覚悟しろ……」
地鳴りに似た低い声に、目の前の騎士達が青ざめる。
第一騎士団の人数は大変多い。しかし、入団希望者、他の騎士団からの異動希望も多い。
このため、能力がない、人格的に問題があるとされれば、再訓練か異動が待っている。
訓練時だけではなく、演習や遠征でも試されていることを、若い騎士達は気づいていなかった。
じっと地面を見つめる者、深いため息をつく者、小さく嘆きの言葉を吐く者、いまだ怒りが収まらぬ表情で彼らをにらむ騎士――
フィールドの向こう、それを眺める黒手袋のアルフィオが、晴れやかに笑んでいた。