62.一角獣のペンダント
暑さが厳しいので、作業場で朝から冷風機を動かす。
レインコートの布をまとめ、運送の馬車でルチア宛に送ると、作業場はがらんと広くなった。
掃除をしながら、ダリヤは昨日のことを思い返していた。
ギルドからの帰り際、イヴァーノが『ロセッティ商会で働かせてほしい』と言ってきた。
ロセッティ商会は、『商会』と名はうっているが、実際はダリヤ一人で、商売のことはまるでわからない。
商会長として勉強しなければいけないとあせっていたので、彼の申し出はとてもありがたかった。
ヴォルフが推薦すると言うことと、本人の強い希望もあって受けることにした。
本当に商業ギルドを辞めてもいいのか、後悔はしないのか、三度ほど聞いてしまったが。
給与について保証ができないという話もしたが、イヴァーノに今回の靴下と中敷きで充分利益が出ると力説され、不安なら利益が出るまで給与はいらないと言われた。
そういうわけにはいかないので、ギルド職員給与と同等を基本とし、より利益が出たら話し合いで追加ということにする。
イヴァーノがギルド退職後、ロセッティ商会の保証人から外し、商会員となることで合意した。
今回の話はありがたいが、いろいろと気にはなる。
まず、商業ギルド、特にガブリエラにひどく迷惑はかからないか、それが心配だ。
あと、ヴォルフとイヴァーノは、いつの間にあんなに仲良くなったのか。
男同士の冗談が言えるほどなのだから、きっとウマが合ったのだろう。
しかし、『胸派』『腰派』『足派』など、男達の基準がわからない。いや、別にわからなくてもダリヤが困ることではないが。
作業場にある鏡の前を横切りながら、一瞬、自分の腰に視線を向ける。
ごく普通というか、まったく魅力的には思えない。
そういえば、前世ではヒップアップの体操とかいろいろあったような気がするが、今世では本屋にそういった美容の本はあるのだろうか。
「何を考えているのかしら、私……」
昨日の商業ギルドの会議で、いろいろと疲れているせいに違いない。
首を横に振ると、そのまま掃除を続けた。
掃除のついでに棚を片付けていると、イレネオからもらった一角獣の角の箱が目に入った。
細めの角だが、長さはそれなりにあった。少しだけカットして、材質を確かめるのもいいかもしれない。
魔封箱を開けると独特の魔力がこぼれてくる。
中にあるのは少し金色を帯びた、純白の角。よく見れば、斜めに薄く巻きがあった。
ヴォルフの見たユニコーンも、角が薄い金色だったと言うので、これが基本の色なのだろう。
魔物図鑑では『主に白色』としか書かれていなかったので、実際に確認しないとわからないものだ。
この角は、取られてから、まだそう日数が経っていないのかもしれない。
持っているだけでそれなりの魔力がこぼれてくる。ゆるゆると動く魔力は指先に少しあたたかく、くすぐったい。
質感としては、前世の象牙と似ているが、それよりも重めで、密度がつまった感じだ。
布を使ってそっと固定すると、根元の部分は直径2.5センチほど、それを八ミリほどの厚さに切った。魔導具としての糸鋸で切ったが、かなり硬かった。
『完全無毒化と水の浄化、痛みの軽減』という効果があるそうだが、この大きさではどれぐらいの効果があるものなのか。
効果を試すのは少し難しそうだが、なんとも興味深い。
切り取った角は、遠目でみれば白だが、手元で角度を変えると、場所によってキラキラと金色に光る。
ちょっとしたアクセサリーにいいかも、そう思いつつ、周りを整え、表面を磨いた。
綺麗な素材なので、つい凝ってしまい、表面に薄く、簡単な薔薇模様を彫り込んでみる。
なかなかうまくできたので、ついでに少し薔薇の立体感を出してみたり、より細部を彫り込んでみたり、ペンダントトップになるように加工したりと、時間を忘れて熱中した。
喉の渇きに顔を上げたときには、すでに太陽が真上にあった。
仕上げに指先から魔力を回し、耐久性のために『硬質強化』を付与しようとし、見事にはじかれた。
人工魔剣の時のことを思い出し、ただ魔力を当てるのではなく、外側を包むように魔力を入れてみる。しかし、それでも魔力はするりと四散してしまう。
『硬質強化』がだめならば、物は試しと『軽量化』を付与しようとして、こちらもはじかれた。
「うーん……」
考えられるのはふたつ。
一つ、一角獣の魔力が強すぎ、ダリヤでは魔力付与が無理である。
二つ、一角獣は『魔力をカットする』性質がある程度あり、魔力付与そのものがしづらい。
一つ目を試すには、強い魔力のある魔導師に頼むしかないだろう。
二つ目については、魔導具の糸鋸で切れるのだから、魔力を完全にはじくというわけではないだろう。
短剣を分解し、一角獣を素材として付与できるか、それで魔力カットができるのかは、やってみないとわからない。
これに関しては、ヴォルフのいるときに試さないとまずい気がするので、今日はやらないことにした。
一角獣の角のペンダントをテーブルに置き、ダリヤは大きくのびをする。同じ姿勢でいたせいか、肩がばりばりに凝っていた。
思えば、雌の一角獣の角は、『痛みの軽減=肩こりに効く素材』である。
手持ちの革紐を通し、ペンダントの後ろ部分が胸に直接つくように首から下げてみた。
半信半疑だったが、肩の重さは、かなりましになった。大きさのせいか、材質のせいか、痛みや凝りを完全になくすことはできていないが、軽減なら充分使える。
これさえあれば、長時間作業もラクになりそうだ。
この一角獣を付与素材にするとして、どのぐらい魔力が必要だろうか――そう考え、過去最大に魔力をとられた素材を思い出し、眉間に皺が寄った。
天狼の牙。
ユニコーンと同じく、金色の輝きをまき散らす艶やかな白銀で、とても美しい牙だった。
天狼は、漆黒の毛並みと金や銀の目を持つという獣型の魔物だ。
空を駆けるように走り、コカトリスや一角獣、天馬など、他の魔物を食べると言われている。
天狼の牙は、父が大型給湯器の依頼関係で、客側から渡されたものだと言う。
そのときに、余ったからと、小さな欠片を二つもらった。
『厄介な素材だから、すぐには使うな。もう五年か十年もしたら、ダリヤも使えるようになるだろう』父からは、そう言われた。
だが、もらったのは好奇心旺盛な学院生時代である。
夜中に自室でこっそり試し、手を離せないままに、気絶する寸前まで魔力を持っていかれ、その後にひどく吐いた。
天狼の牙の魔力吸収は、とんでもなかった。
一度、魔力付与を始めたら自分では止められない。無理矢理はがして持っていかれる。
喰われるようにずるずると魔力を奪われる感覚は、妖精結晶とは違い、より根源的な恐怖がある。
ちなみに、父は大型給湯器に『風魔法効果の熱暴走防止』を問題なく付与したと聞いた。
あれから四年。
五年には一年足りないが、魔力量は上がったはずだし、少しは魔導具師としての腕も上がったと思いたい。もちろん、父の腕にはまだまだおよばないが。
「あの欠片、部屋の引き出しに入れていたはず……」
父に知られたくなくて自室の机に入れ、そのままのはずだ。
失敗した方の欠片であれば、魔力が少しは入っていただろう。あれにさらに魔力を足し、一番硬質な腕輪に付与してみることはできないだろうか。
すでに魔力付与は失敗となり、無駄な素材になってしまっているかもしれないが。
一度失敗したものだ。試して駄目でもあきらめはつく。
塔には、ダリヤ一人だけである。倒れたら助けはない。
しかし、言いかえれば、倒れても心配をかけないではないか。
魔力がなくなったところで、ひっくりかえって気絶するだけである。
何の問題も、いや、多少はある気がしないでもないが、とりあえず大丈夫なはずだ。
前世には『思い立ったが吉日』。そんな言葉があった。
今世では『思い立ったら影を見よ』と言う。
思い立ったことは、まず足下を見て熟考せよという感じの言葉だが、今ひとつ好きではない。
「寝る直前に試せば、たぶん、問題ないはず……」
挑戦者のつぶやきは、作業場の素材達だけが聞いていた。