563.ささやきと唐揚げ
・赤羽にな先生、コミックス『魔導具師ダリヤはうつむかない ~王立高等学院編~』3巻 10月18日発売
・ナレーター 梶山はる香様、ダリヤ オーディオブック5巻、10月3日より配信開始となりました。
・寺山電先生、『まどダリ』第45話、公式Xにて更新となりました。
どうぞよろしくお願いします。
「次は、領地で……二人で、船に乗ろう……」
ダリヤの目の前、ヴォルフは笑顔でそうささやいた。
昨夜、熱を出した彼は、そのままベッドの住人となった。
ヴォルフが重い病なら、王城へ行き、エラルドに治癒魔法を願わなければ――ダリヤはそう考えていたので、医師から数日で治ると聞いて安堵した。
しかし、心配ないとはいえ、熱と喉は辛そうだ。
後ろ髪ひかれる思いだったが、早々に自分が借りている部屋へ戻った。
眠れないかと思ったが、いろいろありすぎた一日なので疲れが勝ったらしい。
ぐっすりと眠り、早朝に起きた。
呼ばずともメイドが来てくれ、身繕いをすませ、ヴォルフと共に朝食となった。
ダリヤには、モーニングパイにオムレツ、サラダ、ミルクプディングにフルーツジュースと多くの皿が並んだ。
ヴォルフは残念ながら喉の腫れがひかず、食欲もないとのことで、パン粥とミルクプディングを少しずつ食べ、薄い果実水を飲んでいた。
交わす言葉は少ないものの、料理人が話をつないでくれたこともあり、終始なごやかだった。
その後、本日、品物を受け取りに行く予定だった東ノ国の酒器店へ、スカルファロット家経由で連絡を願った。
前金で購入しているのでまだ安心だが、店に迷惑をかけることにかわりはない。
借りている部屋で、短いがお詫びの手紙をしたためた。
それが終わると、広い客室へと案内された。
ヴォルフはまだ熱があるので、横になっていた方がいい。
とはいえ、寝室で話し込むわけにもいかない。
それを考慮してだろう、広い客間にヴォルフ用のベッドを置き、その横にダリヤ用の椅子、ローテーブル、そして背もたれつきの大きい長椅子が並べられた。
開かれた窓からは、白い花々が多く咲く花壇が見える。
ローテーブルには紅茶にホットミルクに水、喉の痛みに良いとされる蜂蜜、のど飴、赤と黄色いジャムのちょこんと載ったクッキーと、いたれりつくせりだった。
部屋のドアは少し開けられ、隣室にメイドと護衛騎士が待機している。
ヴォルフに何かあればすぐ対応できる形だ。
そうして、ヴォルフとの語らいは、ノートに書いてもらう形で始まった。
しかし、書く体勢が辛そうな上、やはり話した方が早い。
途中から、ベッド脇へ椅子を寄せ、ダリヤが話し、彼のささやきを聞き取る形になった。
これでヴォルフに問題はなくなった。
しかし、今、ダリヤの方に問題が生じつつある。
ささやきは近い距離でないと聞こえない。
ヴォルフに声を大きくしてもらうと、辛そうだし喉に悪い。
当然、顔を近づけ、耳元少し先でささやいてもらう形になるわけだが――どうにも落ち着かない。
ヴォルフの顔が整っているのは、今に始まったことではない。
王国一と称されるそれが、かっこいいこともきれいなこともよく知っている。
だが、この至近距離、かすれ声付きで見続けたことはなかった。
いや、ここはいっそ、国宝級の芸術を鑑賞するつもりで、その顔、そして、黄金の目を見つめ――
「ダリヤ……」
自分を少し見上げるヴォルフが、優しく笑う。
無理ー! 脳内で友ルチアのごとき勢いで声があがった。
本当の芸術というものは、見つめたまま動けなくなり、心拍数すら上げるものらしい。
ダリヤはそうならぬよう、全力で己を整える。
一定時間でヴォルフと距離を取り、水分補給と称して飲み物を勧める。
ダリヤがまだ冷めぬ紅茶にうっかり舌を赤くしかけたとき、ノックの音がした。
「おはようございます、ヴォルフ様、ロセッティ会長! もうお茶の時間ですけど」
「おはようございます、ドナさん」
ヴォルフに付き添っていたドナだが、交代で休むように言われ、夜明けに交代となったそうだ。
ちょっと戻りが早すぎる気がするのだが、その表情は爽やかだった。
「グイード様は、夜、神殿からこちらへいらっしゃるそうです」
「兄上へ……無理しないで、と……伝えて……」
ヴォルフの言葉はよくわかる。
夏祭りの日は、貴族当主の多くが神殿へ祈りに行くと聞いている。
グイードもそちらへ参加しなければならないので、忙しいだろう。
「お伝えするのはいいですが、ヴォルフ様の顔を見るまでは安心できなくて、それこそ無理だと思いますよ。今朝も王城へ行く前にこちらへ寄ろうとして、ヨナス様に止められたそうですから」
ヴォルフが心配でたまらないにちがいない。
花火の後にいらっしゃることになりそうだ、そう思っていると、ドナが自分へ呼びかけた。
「ロセッティ会長、塔へは、これからすぐでいいですか? 午後からだと道が混みますから」
「お手数ですがお願いします。飼育しているスライムがいるので、こちらに持って来たいものですから」
「ミズマリと……アオマリ……だね」
塔で飼育している二匹のブルースライムである。
イデアからは、数日ご飯をあげなくても問題ないと言われているが、栄養液を朝晩あげていたのに、いきなり絶食させたくない。
他にも、着替えや髪留めなど、細々と持ってきたいものはあり――そして、思い出した。
「あ、冷蔵庫の中身を冷凍してこないと……」
酒は問題ない。チーズなどの肴も、冷凍できるものはしてしまおう。
野菜の味噌漬は、漬かりすぎてしまうが仕方がない。
問題は、冷凍庫に入りきらない量の鶏肉である。
「ロセッティ会長、もしかして、夏祭りの料理とか冷やしてました?」
「いえ、料理というか漬物を少しと、あと唐揚げ用の鶏肉とタレの準備をしていました」
「ダリヤの……唐揚げ……」
金の目をうるりとさせ、自分を食料呼びにしないでいただきたい。
しかし、唐揚げが好物なのはよく知っているし、病人で弱っているのだ、できるかぎり叶えてあげたい。
「ヴォルフ、小さく切れば食べられそうです?」
「ああ、大丈夫……! 自分で、切る……」
拳を握って言うことではない。
だが、食欲が戻りそうなのをよしとすべきだろう。
「……本当に重症ですね、ヴォルフ様」
ドナが草色の目を向けて苦笑している。
「塔で少し揚げてもってきましょうか? あ、こういったことは、料理人の方に失礼にあたるでしょうか?」
この屋敷には料理人がいる。
素人のダリヤがヴォルフへの料理を持ち込むのは失礼ではないか、そう思って尋ねれば、ドナが首を横に振った。
「そういうのは大丈夫です。ただ、向こうで揚げるとなると移動の時間が後ろ倒しになるので……俺とソティリス先輩で、丸ごと運びますから、うちの料理人に教えてもらえません? ヴォルフ様の好む味なら、今後を考えて知っておきたいと思うので。もちろん、レシピ代は――グイード様が払います」
「いえ、レシピ代をもらうようなお料理ではないので。メモだけでわかると思います」
特別なことはなにもない。
イルマ含め友人達、そしてご近所さん、そして今は、魔物討伐部隊員も多く知る味である。
「じゃ、馬車の準備をしてきます。ヴォルフ様は一度着替えて、少し休まれては?」
「俺……汗臭い……?」
そのささやきを聞き逃したのか、ドナがずいとヴォルフに身を寄せた。
「なるべくきれいにしておいた方がいいでしょ? とっても近くで話すんですから」
ドナまで低い声になったので聞き取れなかったが、二人でうなずき合っている。
そうして、ダリヤは緑の塔へ向かうこととなった。
・・・・・・・
「私が揚げたものより、ずっとおいしいです……」
「うれしいお言葉をありがとうございます」
灰色の髪の料理人が、ぱっと笑顔になった。
塔へ行って、別邸へ戻ったのは昼近く。午前中に行ってよかった、そう思うほど道は混んでいた。
戻ったときにヴォルフがまだ眠っていると聞いて、先に料理人へレシピの説明をする。
昨日今日と料理をしてくれた料理人は、ヨハン・フェンレイと名乗った。
ヨハンはせっかくの機会だからと、レシピを見つつ、調理室で鶏の唐揚げを実作した。
片方は塩とコショウにニンニクとショウガを効かせたもの、そしてもう一方は、醤油と蜂蜜を合わせ、少しのレモン汁を足したものだ。
どちらもレシピ通りの分量、そして作り方なのだが、ダリヤが揚げたものより、からりとしておいしい気がする。
やはりプロ、腕の差だろう。
今はテーブルを囲み、ドナとソティリス、そしてベテランのメイドが真剣な表情で試食中だ。
小さく切った唐揚げでは食べ応えがないのではとも思ったが、今のヴォルフを仮定しているのかもしれない。
「こちらは野菜の味噌漬けです。もったいないので持ってきてしまったのですが、よろしければどなたか……」
試食ついでに、ダリヤは野菜の味噌漬けの容器をテーブルに載せてもらった。
漬かりすぎてしまう前に、と思ったが、即、口を開いたのはドナだった。
「ヴォルフ様達の分、最初に取り分けましょう!」
ヨハンが素直に従い、取り分けたものを大きな冷蔵庫へ入れる。
その後に各自の小皿に盛り、こちらも試食となった。
「こちらもおいしいですね。味噌はスカルファロット家でも試しているのですが、東ノ国の本の通りだと、塩が強くなってしまうことが多かったです」
「保存向きにしてあるのかもしれません。あとは、味噌の種類が違うのかも――」
ヨハンと味噌と東ノ国の調味料の話になったので、一応、漬け物のレシピも渡しておいた。
その横でパリパリとドナが味噌漬けを食べ、ソティリスとメイドが一時、姿を消し、なぜか黒エールで乾杯することになった。
とりあえず、皆、笑顔でささやかな試食会を終えたのでよしとする。
そこでヴォルフが起きたと知らせを受けたので、ドナと共に客室へ向かう。
二匹のブルースライム――ミズマリとアオマリは、客室の手前側の部屋に置かれ、それぞれカラフルな果物の皮をもらっていた。
形を整えられて与えられたそれは、塔のものよりおいしいのか、ぷるぷるといつもより大きく震えている。
いや、ガラスにくっつくように見ている若いメイドが、かわいいかわいいと繰り返しているせいかもしれない。
先の部屋に進むと、ヴォルフがヘッドボードに枕を並べ、上半身を起こしていた。
少し顔は赤いが、額に汗はない。
今のところ、熱は下がっているようだ。
「いい匂いがする……」
「揚げたての唐揚げです」
小さく切って食べてもらえるよう、ナイフとフォークも付けてある。
パン粥に野菜のポタージュ、白身魚と野菜のテリーヌ、ダリヤにはボリュームのあるサンドイッチも足された昼食だ。
「しっかり食べて、夜の花火に備えてください」
ドナにそう言われ、二人で遅い昼食を取り始めた。
ヴォルフは宣言通り、鶏の唐揚げを小さく小さく刻み、大事そうに口にする。
それはヨハンが揚げたものより、今一つ、色がよくない気がする。
作業に見逃しがないか知りたいので、ダリヤにも揚げてみてもらえないか、彼にそう願われたので揚げたところ、そのままヴォルフの分になってしまった。
一番熱々だからそれがいいとドナに押しきられたが、本当によかったのか。
特別なお肉でも、調味料でもなく、ただ、いつものように準備をしたもの。
揚げたのは素人のダリヤ。
次こそは、ヨハンが揚げたものを食べてもらおう、そう思う自分の前、ヴォルフは見惚れるほどきれいに笑った。
「ダリヤの唐揚げが……一番おいしい……」