561.庭番の確認と庭観賞の夕食
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「ダリヤを、廊下で待っていた方が……」
そわり、ヴォルフは落ち着かず立ち上がろうとする。
だが、その前に、横に立つドナに肩を押さえられた。
「女性の支度ってのは男より時間がかかるものでしょ。学校で習いませんでした?」
「習ってない……」
なごませてくれようとしているのはわかるのだが、つい素で答えてしまった。
ドナはけらりと笑って、ヴォルフのグラスに炭酸水を足す。
最初はエールを勧められたが、酒はダリヤがきてから飲みたいと断ったのだ。
彼女と屋敷の入り口で別れた後、ヴォルフはすぐ浴場へ向かった。
きっちりと全身を洗い、しっかりバスタブに浸かった。
その間に用意された着替えは、淡い緑のシャツに白のトラウザーズ。
どちらも薄手の綿で涼しい。
襟にもズボンの折り目にも糊がほどよく利いており、だらしなさはない。
それでもちょっと落ち着かなくなるのは、淡くても緑、ダリヤの色をまとっているからだろう。
そう思うのは、きっと自分だけなのだろうが。
内でぐるぐるしつつ炭酸水を飲んでいると、ドナに名を呼ばれた。
「ヴォルフ様、内緒で聞いておきたいんですけど、ロセッティ会長の背中を踏んだのってどなたです? もしかして、次期国王様とか言いませんよね?」
「いや、違うよ」
「だと、美形で有名な第二王子様とか? 踏まれてもいいって女性が多そうですけど」
「違うけど……ドナは、知らない方がいいと思う。いや、他の人に知られる心配をしてるんじゃなく、その方に会ったときとか、気を使わせたくない」
セラフィノは、先日、スカルファロット本邸で祝いに参加した。
兄の友人なのだ。
今後も、もしかしたら来る機会があるかもしれない。
そんなとき、ドナに不要な警戒心を抱かせたくはなかった。
「それに、向こうも悪意があってのことじゃないし……」
「でも、ここだけ二人だけの話、ムカつきますよね、やっぱり」
濁していると、一段低くささやかれた。
「それは……そうだね。俺がそこにいて、踏み台になれたらよかったと思うよ」
その場合、セラフィノを受け止めることができなかったわけだが。
いや、いっそ彼を抱き上げて飛び降りるという手もあっただろう。
空中で受け止めたその体は、緊張からか硬く、意外に重かった。
もしかすると王族向け魔導具などを身に着けていたのかもしれない。
「ヴォルフ様、その方がもし次にいらっしゃることがあったら、どさくさにまぎれて犬に踏ませていいです? 艶々の黒い靴」
「駄目だよ、ドナに何かあったら嫌だ」
セラフィノの黒い靴を思い出して答えると、ドナが片手で両目を隠し、わざとらしく泣く真似をする。
「くっ、ヴォルフ様が俺をそこまで心配してくださるなんて! でも、ヴァネッサ様だったら、レナート様が踏まれた日には、『私が右に引きつける、左から行け』って言いますよ、きっと」
「母上って……とにかく、駄目だから」
最近、ドナや父、兄達から聞いて、母がとても活動的だったのは理解しつつある。
だが、相手は大公。
ドナに、わずかでも危ないことはしてほしくない。
絶対教えないようにしなければ、そう思ったとき、ノックの音がした。
ヴォルフは了承を返し、急いで立ち上がる。
その背後、スカルファロット家、庭番犬係の唇の動きは見ないままに。
「やっぱり『大蛇』じゃないですか」
・・・・・・・
「お待たせして、すみません」
メイドがドアを開け止め、ダリヤが部屋に入ってくる。
そんなに待っていない、自分も来たばかり、ヴォルフはそんな言葉を口にしようとし、声が消えた。
湯上がりのせいか、薔薇色の頬、口紅を引いた朱の唇、少し濡れたような艶を残す髪、わずかな花石鹸の香り。
着ているサマードレスはアイボリー、貴族女性のくつろぎの装いである。
体のラインがわかるわけでも、露出が高いわけでもない。
だが、薄手のそれを着たダリヤはとてもきれいで、あまりに無防備で。
今すぐ防御力高いマントをかぶせ、己の後ろに守らねば――そんな感覚に陥った。
「……ヴォルフ?」
「っ……!」
自分がどのぐらい見とれていたのかわからない。
ダリヤに名を呼ばれ、ドナから背を肘でつつかれた。
「ご挨拶が遅れたことをお詫び申し上げます。夏祭りに一日早い今日、美しき女神の訪れに目も声も奪われておりました」
「ヴ、ヴォルフ……?」
ダリヤが目を丸くするのも無理はない。
慌てた口から出たのは、自分より爵位が上、気になる貴族女性への褒め言葉。
同時にエスコートの腕まで伸ばしている。
前公爵夫人であるアルテアから教わったそのままに。
ダリヤに別邸でリラックスしてもらおうと思ったのに、ここで貴族挨拶をしてどうするのか。
きれいだ、ドレスも似合っている、そう言い直そうとしたとき、彼女が自分へ二分の笑みを向けた。
「――この夏の日にありましても、貴方は心地よい夜風のようです。今宵はどうぞ、その涼やかさを皆のために長らえてくださいませ」
それは夜会に参加した相手に、長くいてくださいと告げる言葉。
夏らしい返しを口にする彼女は、初々しくとも、貴族の淑女であった。
その姿は美しく――整えた笑みは、少しだけさみしい。
「あ! でも、今日の場合、皆というのは合わないですよね。ええと、言い換えさせてください。今宵はどうぞ、その涼やかさを、私のために長らえてくださいませ」
素の笑みで自分の手に指を置いてくれた彼女に、ヴォルフも素で笑い返す。
「もちろん! 夜更かしでも朝まででも付き合うよ」
「徹夜で錫の器を受け取りに行くのは避けたいところですね」
徹夜は駄目だが夜更かしは許されるようだ。大歓迎である。
そろって歩き出すと、心からの言葉を向けた。
「ダリヤ、本当にきれいだ。そのドレスもすごく似合ってる」
「素敵なドレスをありがとうございます。とても着心地がいいです」
「よかった。ルチアさんに、『別邸で着やすい服を』ってお願いしたんだけど、スケッチブックだけだと俺の想像力が足りなくて、迷って候補を八枚にしたから」
ルチアとルチアの部下達からアドバイスを受けまくったが、絞りきれなかった。
あと七枚も、魔導具制作作業後にくつろいでもらうための置き服として、別邸に届く予定だが、今ここで口は閉じておく。
「ヴォルフ、スケッチブックを何冊見ました?」
「厳選の七冊だって」
「厳選、とは……?」
いつもの調子で話しながら、廊下をすぎていく。
ドナが案内してくれたのは食堂ではなく、屋敷の裏手の庭が見える部屋だった。
「わぁ……!」
部屋に入ったダリヤが、小さく感嘆の声をあげる。
開け放たれた大きな窓、そこから見える庭には、緑の木々と夏の花が咲く。
本邸とは違い、華やかさは少なめだが、代わりに小型魔導ランタンが数多くおかれていた。
これだけ光の数があっても虫は見えず、わずかに甘い香りが漂っている。
虫除け付き小型魔導ランタン――ダリヤの父、魔導具師カルロ・ロセッティの開発品だ。
虫除け付き小型魔導ランタンは一般的ではない。
魔導ランタンを消しているときは使えず、メンテナンスが面倒。
少し甘い香りのする液体の防虫香は、固形よりも高く、消耗が早い。
そんな理由から、固形の防虫香の方が普及している――そうダリヤに教わった。
けれど、夜の庭には、この灯りの方が似合う気がする。
「とても素敵なお庭ですね」
「ありがとうございます、ロセッティ会長。庭師に伝えます。とても喜ぶと思います」
「俺も礼を言っていたと――いや、後で直接言うよ」
「ぜひ、そうしてください、ヴォルフ様。喜びますから」
ドナが話しながら、二人の椅子を引いてくれる。
テーブルは庭の見える窓に近く、椅子は横並びで、外を見ながら食事ができるようになっていた。
ダリヤをずっと見ていられないのはちょっと残念だ、そう思ってしまう己を振り切り、椅子に座る。
そうして、ようやくダリヤとエールで乾杯した。
前菜のハムやナスのマリネを食べつつ話していると、背の高い料理人が銀のワゴンを引いてきた。
「サフランパスタでございます」
白い皿の上、見事に黄色いパスタが載っていた。
貝柱とたっぷりのチーズが入ったそれは、味がしっかりしていて、エールが進む。
ダリヤはその見事な色を褒め、楽しげに食べていた。
「サフランは頭痛薬にもなるそうですね」
「そうなんだ。隊では、頭痛防止に寝る前のカモミールのお茶が流行って――一ヶ月で、酒に戻ったけど」
「そこは他のお茶に替えてみるという選択肢はなかったんですか?」
少し耳に痛い魔物討伐部隊相談役の指摘を受けつつ、サフランパスタを食べ終えた。
「白身魚のアクアパッツァ風煮込みです」
次に運ばれてきたのは、白身魚がメインの魚介と野菜の煮込みだ。
ニンニク、トマト、オリーブの香りに彩られた白身魚を噛めば、その旨みが口いっぱいに広がった。
味わいは夏らしい軽さだが、食べ応えもしっかりある。
何より、最後にすくったスープの深さに感心した。
ダリヤは後半、無言で味わっていた。
おそらく、自分が作るときにはどうするかを考えているのだろう。
彼女が緑の塔食堂を開いたら、自分は給仕として住み込みで働きたい。
最早、酔っていなくてもそんな考えが出てくる。
己の重症さを感じていると、じゅわじゅわという音を耳が拾った。
「ラムチョップと夏野菜のグリルです」
運ばれてきた鉄の皿の上、脂が音を立てていた。
色よく焼けたラムチョップは、骨と肉の間にナイフが入れられ、すぐ食べられるようになっている。
大きめの肉を口に運べば、肉の味わいと爽やかなタイムの香り――
思い出したのは、グラティア湖近くの山の斜面、可憐に咲く紫の花。
隣のダリヤも思い当たったのだろう、二人で目を合わせてうなずいた。
「このタイムは、スカルファロット領のものだろうか?」
「はい、湖近くのものだそうです」
料理人に微笑まれた。
もしかして、ドナが採ったものだろうか、そう思って視線をあげたら、すでに部屋にいなかった。
犬達の食事の時間なのかもしれない。
それにしても、領地から戻ってきて、それほど時間が経っていないのに、とても懐かしく思えるから不思議だ。
ラムチョップを味わいつつ、話はずっと、スカルファロット領でのこととなった。
デザートは、レモンのセミフレッドだった。
半分溶けたかのようなアイスケーキは、外側に酸味強めのレモンソースがかけられ、内側に甘いレモンジャムが仕込まれていた。
ダリヤは少し酸っぱそうな表情になった後、内の甘さにほどけるように表情を綻ばせる。
そうして、スプーンで運ぶ一口分をさらに小さくし、しっかり味わっていた。
好みのものを見つけたときのそれに、ヴォルフは全力で二切れ目を勧めた。
しばらく後、皿を下げ、酒と肴、菓子を並べる料理人に、ヴォルフはねぎらいの声をかける。
「急にお願いしたのにありがとう。全部、とてもおいしかった」
「ありがとうございます。どれもおいしいものばかりでした」
ダリヤも続けて言うと、料理人は緊張を崩しかけ、その後にあわてて整えた笑みを浮かべてきた。
「光栄です。次は時間をかけ、よりおいしい皿を味わっていただきたいです……!」
少し潤んだ目に思う。
料理というのは、食べる時間は短いが、下拵えを含め、できあがりまでとても時間と手間がかかるものだ。
魔物討伐部隊、そして、ダリヤの料理を塔で手伝うようになってよく知った。
「次にここで食事をするときは、前日には使いを出すよ」
「ヴォルフレード様、こちらはあなた様の屋敷です。即日でももちろん大歓迎です。ですが、もし叶いますなら、特別な料理は四日前から仕込みをさせていただきたく……」
そこまで言った料理人が、その高い背を曲げ、自分との距離を詰めてささやく。
「とびきりおいしいチーズケーキも研究しておりますので、ぜひ、次に……!」
「うん、わかった」
次にダリヤを呼ぶときには、四日より前に知らせなくては――
両の指を組んだ懇願を前に、ヴォルフは神妙にうなずいた。




