558.馬車での報告と雑談
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・『護衛騎士ヨナスはふりむかない』9月25日発売
・コミックス『魔導具師ダリヤはうつむかない ~王立高等学院編~』3巻 赤羽にな先生 10月18日発売予定
・『このライトノベルがすごい!2026』 Webアンケート開始、魔導具師ダリヤも対象にしていただいております。
どうぞよろしくお願いします!
「お疲れ様でした、会長。本当に、災難としか言い様が……」
ロセッティ商会の馬車で待っていたイヴァーノに、深い同情の目を向けられた。
王族が絡むので巻き込みたくなかったが、グイードからイヴァーノにはすべて話しておくようにと言われている。
「マルチェラとメーナには、私から伝えてもいいですか? 王城の襲撃訓練の近くに会長がいて、巻き込まれた、知らなかった会長は驚いた、お詫びがあって金貨を頂いた、これは内々にする、というように」
「お願いします」
ほぼ事実であるし、それ以上の説明は不要な心配をさせることになるだろう。
ダリヤが了承を返すと、イヴァーノが言葉を続ける。
「エラルド様については、会長とヴォルフ様の胸の内としてください。私は聞かなかったことにします。そうしないと、家族に何かあったとき、願ってしまうことがあるかもしれませんから」
「イヴァーノの家族であれば、お願いしますよ」
「会長のお気持ちはありがたいですが、高度な回復魔法は一握りの人しか受けられないものです。会長がいつかご家族をもつときのためにとっておくべきです」
イヴァーノの言うこともわかる。
だが、彼に、そしてその家族に何かあったなら、自分は迷わず願うだろう。
だから、ダリヤは商会長としての立場を主張する。
「現状、私には家族がいませんし、今の商会員は家族のようなものだと思っています」
「もちろん、それはありがたいですし、そうありたいですが――ヴォルフ様も、会長へ何とか言ってくださいよ」
困り顔となったイヴァーノは、ダリヤの隣へ話を振った。
ヴォルフの金の目が、自分に向かってちょっとだけ揺れる。
「ええと……ダリヤ、ハイポーションを使うか、先に神殿へ行き、回復できないときにエラルド様に願うという形はどうだろう?」
「はい、それでいいと思います」
自分達の会話を聞きつつ、イヴァーノは紺色の目を細めていく。
その後の呼びかけは、ヴォルフへと向いた。
「それにしても、オルディネ王の即位記念金貨ですか……だいぶ高くなりましたね、ヴォルフ様?」
「金貨なんだから、保管されても、有効活用されてもいいと思うよ」
商業ギルド勤めであったから、イヴァーノはあの金貨について詳しいらしい。
対するヴォルフは、コイン収集の趣味はないようだ。
そうして、話題は夏祭りへと移った。
「明日の夏祭りから商会は夏休みです。私は引っ越しを手伝って移動するので、何かあればマルチェラにお願いします。マルチェラは明後日から、昼間は鍛錬でスカルファロット家にいるそうですので」
「わかりました。夏祭りの時期にお引っ越しだと、大変そうですね」
「そうですね、人の移動が多いですから。でも、ちょうどキャンセルの馬車があって、安くあがったんですよ」
引っ越しに関しては、すでにイヴァーノから聞いている。
妻の父母が高齢になったため、医者と神官の多い王都へ引っ越してくることになったのだそうだ。
「家に同居してくれたら楽だったんですが、断られまして。速記と書記の仕事を続けるから、職場近くがいいと」
「イヴァーノ、それならロセッティ商会にお願いすればよかったのでは?」
「会長、妻の父親と仕事をするというのはちょっと……義父からも遠回しに嫌だと言われましたし」
「そういうものですか?」
「会長はどうです? 仮に義理の父と一緒に仕事をするのはしんどくありません?」
「優しい方であれば、きっと、大丈夫でないかと――」
待て、自分。今、思い浮かべたのは誰だ?
白髪の多い銀の髪、青い目の紳士を思い出してしまったので、慌てて違う人を考えてみる。
父の世代であれば、オズヴァルド、レオーネ、ジルドとそれなりにいる。
中でも同じ魔導具師、先生役をしてくれているオズヴァルドであれば、仕事もほぼ一緒。
それほど気を使わずに仕事を――考えてふるりとした。
「オズヴァルド先生の前で仕事をするのは、ちょっと厳しそうです……」
「えっ?」
ヴォルフに一段高い声を上げられた。
「父と同世代で仕事が一緒と考えたら、オズヴァルド先生なんですが、やっぱり先生じゃないですか、こう、常に試験になりそうで……」
「俺は君がそうならないよう、全力で祈るよ」
真顔のヴォルフに、早く魔導具師として成長しなければと思えた。
そこで馬車の速度が落ち、イヴァーノが鞄を持ち直す。
「先に送っていただいてすみません。引っ越し先の鍵を受け取りに行かなくてはいけないので。では、お二人とも、よい夏休みをお過ごしください」
「イヴァーノも、よい夏休みを、引っ越しが終わったらしっかり休んでください」
「イヴァーノ、よい夏休みを」
挨拶を交わし合った後、商業ギルドの馬場で別れる。
夏祭り前で道が混んでいるので、馬車はすぐに動き出した。
だが、隣のヴォルフは、いつものように向かいの席に移らず、自分の隣のままだ。
馬車の揺れのせいだろう、そう思いつつ、ダリヤは思い出したことを尋ねる。
二人だけになったので、口調も親しいものに切り換えた。
「今日の訓練のとき、ヴォルフがエラルド様と戻ってきたのは、どなたかが怪我を?」
「いや、魔物討伐部隊棟に戻ったら、セラフィノ様がダリヤを訓練見学に同行させたからすぐ護衛に行けって、隊長に言われた。誰かに捕まって、空奏の魔剣を売ってくれって言われたら面倒だろうって。エラルド様はセラフィノ様に用事があるそうで、一緒に行くことになったんだ」
グラートの采配だったらしい。本当に、助かった。
「来てくれてありがとう、ヴォルフ。どうしていいかわからなかったから……」
巻き込んでしまったのは申し訳ないが、ありがたく頼りになる護衛だった。
バルコニーで一人、うずくまったとき、ヴォルフが来てくれて本当にうれしかった。
「ダリヤ、今日はこれから別邸に来ない? 夕食は簡単なものを頼めるし、もう少し話もしたいし、なんなら魔導具の本もあるし――」
妙に早口になった彼を、つい見上げてしまった。
「ヴォルフ、何かあった?」
「その――君の手が、ずっと震えているから。一人でいてほしくなくて……」
言われてようやく気づいた。
膝の上に組んだ手が、ほんの少し震えていた。
セラフィノやイヴァーノと笑顔を作って話していても、自分が気づかなくても、ヴォルフにはわかったらしい。
「あの威圧を見学した上に、本当の襲撃だと思ったんだから、怖さがそう簡単に抜けるわけはないよ。俺だって、初めて小鬼を斬ったときには、その赤さが怖くて――」
小鬼の血は、赤ではなく緑ではなかったか、そう思ったが、もしかすると変異種だったのかもしれない。
それより、こめかみに指をやったヴォルフが、とても苦い表情になった方が気になった。
「騎士のヴォルフでも、怖かったのね」
「ああ、だから君が威圧や訓練で怖かったのも当たり前なんだ」
ヴォルフに当たり前だと言ってもらえたら、肩の力がすうと抜けた。
「今日の魔物討伐部隊のグリゼルダ様とヨナス先生の威圧、上から見ていても怖くて……」
「ああ、すごかったからね」
「訓練で、ベガさんが隣の部屋で威圧をかけたそうだけど、あれもとても怖かった……」
気も抜けたのだろう、するすると口から弱音がこぼれ落ちる。
「魔物討伐部隊の俺でも怖いんだから、ダリヤはもっと怖かったね」
幼子をあやすような優しい声。
それに安堵しつつも、思い出すのはバルコニーで動けなくなった自分だ。
「セラフィノ様の後に飛び降りようとしたのに、動けなくて、もう駄目かと思ってしまって……」
ぎりぎりのあのとき、自分は思わずヴォルフの名を呼んだ。
「俺を呼んでくれて、うれしかった」
「え?」
「いや、君が怖い思いをしたのに、こういう言い方は駄目だよね! 実際、俺は行っただけで何もしてないし……でも、やっぱり、俺が呼ばれたい。次はもうちょっとかっこよく、早めに駆けつけたいけど」
きれいな笑顔で、少年のように慌て、その後に明るい声で願われ――
最後まで身にまとわりついていた恐怖と冷えが、彼の隣、溶けるように薄くなっていく。
「次はもうちょっと早く呼ぶわね。でも、その前に、私は危険にならない努力をするわ」
なんとか表情を整えて言った自分に、ヴォルフが笑む。
「夏祭りの前夜祭ということで、別邸に遊びに来ない? 領地の子犬が別邸に二匹来たから、それと遊んで、魔導具と魔剣の話をしながら食事をして、魔導具の本を見るか、カードで遊んで、眠くなったら帰ればいい」
「でも、急で別邸の方にご迷惑が――」
「いつでもつれてきてくださいって。むしろ俺の来客がなさすぎて元が取れないから、もっと使うように、執事に言われた」
いつもより近い、隣からの声。
ヴォルフが向かいの席に移動しなかったのは、おそらく指だけではなく、この身が震えていたからだろう。
その心配と心遣いに、ダリヤは少しだけ迷った後、笑んで答えた。
「じゃあ、遊びに行かせてください」
「ああ」
震えも、背の冷えももうなく――
わずかに触れる彼の腕があたたかだった。