553.騎士団仮想訓練見学
夏らしく風まで暑さを感じさせる午後、ダリヤは魔物討伐部隊棟を訪れていた。
明日は夏祭り。
ヴォルフと共に南区の店へ錫の酒器を取りに行き、屋台を回り、食料を買い込んだ後、緑の塔の屋上で花火を見る予定である。
冷蔵庫は明日の酒と肴で、すでにぎっしりだ。
「皆さん、準備はできましたね」
「「応!」」
グリゼルダの声に、待機室の中央に並ぶ隊員達が高く声を返す。
その声に、いつになく熱がこもっているように思えるのは気のせいではないだろう。
これから行われるのは、王城騎士団の合同演習。
第一、第二騎士団、魔物討伐部隊の選抜者が、対魔物向けの仮想訓練を行うという。
「グリゼルダ、遠慮はいらんぞ。次期隊長として、思いきりやって来い」
「全員、お怪我のないようお祈り申し上げます」
今回の訓練は、隊長であるグラートがこちらに残り、副隊長のグリゼルダが指揮を執る。
楽しげなグラートに対し、その護衛騎士でもあるジスモンドはやや渋い表情である。
グリゼルダと、ヴォルフを含む選抜者達は、そろって笑顔だ。
「仮想訓練が終わったら、こちらに戻って『素振り』だ」
「楽しみです!」
「早く戻ってきたいです!」
仮想訓練より、空奏の魔剣での素振りを心待ちにしている隊員もいる。
あの魔剣に心ひかれる騎士は多いらしい。
試作した日、スカルファロット家に帰宅したヴォルフが、グイードとヨナスに報告した。
グイードがしばらく、ヨナスはとことん振って確認していたそうだ。
攻撃力はない。
音は大きさも高さもある程度は調整できるので、戦いの陽動や攪乱に使える。
だが、そういったものは、すでに風魔法、笛、音の出る魔導具がある。
使用には注意が必要だが、それよりも剣の癖がわかることが重要視されたそうだ。
翌日、ダリヤはグイードから依頼を受け、スカルファロット家の別邸でコルン達へ作り方を教えた。
幸いグレースライムの布の端は、スライム養殖場に大量に余っていた。
また、スカルファロット家の素材にもセイレーンの髪の在庫があった。
ダリヤと魔導具師達は練習も兼ね、それなりの本数を作った。
途中から、護衛を兼ねるメイドの希望で短剣の長さに、警備の騎士の希望で槍の長さのものも作られた。
長さや硬さで音は大きく変わる。
終わり際には、グイードが空奏の魔剣を持つメイドと騎士を並べ、音階を表現していた。
剣の癖だけではなく、今後は祭事の剣舞、歌劇や演劇での使用など、芸術的方向にもいけるのではないか、そう笑顔で話し合った。
そうして本日、空奏の魔剣を複数、ヨナスとダリヤで魔物討伐部隊へ持ち込んだ。
三度振ったグラートから、その場で追加の大量発注を受けた。
見学していた騎士達も目を輝かせ、手にしたいと希望し――仮想訓練の後、皆で試すことが決まった形である。
「では、参りましょう」
グリゼルダの声に、仮想訓練の参加者が騎士団の訓練場へ向けて歩き始める。
彼等を見送った後、ダリヤは魔物討伐部隊棟に向けて足を踏み出した。
いつもであれば護衛のマルチェラが一緒だが、今日は馬車で待機だ。
休暇から戻ってきたマルチェラと交代で、メーナが休みとなった。
このため、イヴァーノが王城内で納品する際、マルチェラに馬車を頼んだ。
ヴォルフが戻るまで、ダリヤは客室で空奏の魔剣の短剣版と槍版の仕様書を書く予定である。
仮想訓練を見学しないかという誘いもあったが、イヴァーノにそれとなく止められた。
他騎士団から各種の魔導具のことを尋ねられたり、商会への注文を優先的にと願われたりしないよう、念のための自衛でもある。
「ああ、もう行ってしまいましたか――」
魔物討伐部隊棟の玄関前、聞き覚えのある声が響いた。
そちらを見れば、刈り取り後の小麦のような髪の主が周囲を見渡していた。
眉尻を下げ、吐息をこぼした彼に、ダリヤは控えめに声をかける。
「あの、セラフィノ様、訓練参加者にご用がおありだったでしょうか?」
「息子が訓練に参加するというので見送りに来たのです。間に合いませんでしたが」
養子であるエラルドを見送ろうとしたらしい。
その後ろには、いつものように護衛騎士のベガ、メイドのモーラが続いている。
「そういえば、グイードから面白そうな魔剣を教えられましたが、こちらに実物はありますか?」
「はい、グラート隊長の元にあります」
「グラート隊長の。今は打ち合わせのようですから、後にしますか……」
こちらも間が悪かったようだ。
肩を落とす彼に、ダリヤは鞄から布包みを取り出した。
「あの、セラフィノ様。よろしければ、こちらをご覧になりませんか?」
「それが空奏の魔剣ですか!」
「その、試作の短剣で、これはかなり柔らかめですが……」
ダリヤはそう前置きし、セラフィノの隣に立つ、護衛騎士のベガに渡す。
彼は確認のために布を開き、剣にそっと触れ、赤い目を丸くした。
無理もない。
仕様説明用に持っていたそれは、ダリヤですら指先で曲げられる柔らかさだ。
子供の玩具と言われても納得する。
短剣を持ったセラフィノが、楽しげに振る。
シュッ!と小気味好い音を立てたそれを、次第にゆっくりした動きに変えていく。
「確かによく曲がり――こんな音も出るのですね」
びにゃんびにゃんと微妙な音を立て始めた剣に、ベガとモーラが肩を震わせつつも耐える。
想定外の音に、ダリヤも口をきつく結んだ。
「振り癖がわかるそうなので、ベガも試してみますか?」
「はっ!」
笑いを耐えていたベガだが、やはり自分の剣の癖は気になるらしい。
風を斬るような音を立てながら確認しはじめた。
その横、セラフィノがいつもの口調でダリヤへ話しかける。
「ロセッティ、仮想訓練の見学をしませんか? 私はこれから騎士棟へ行きますので。上の階から見ると陣形や動きがわかりやすいですよ」
「お声がけをありがとうございます。ですが――」
興味深くはある。
だが、ヴォルフもマルチェラもいない状態で受けるわけにはいかない。
理由をそのまま言っていいものか、そう迷ったとき、セラフィノが声を続けた。
「ああ、護衛が席を外していますか。ヴォルフ君は訓練ですし――ジルド君に声をかけたら、同席の時間が取れるでしょうか?」
多忙な王城の財務部長の名を、気軽に出さないでいただきたい。
あと、声をかけたら来てくれそうでそれも怖い。
ここはきっぱりお断りを、そう決めたとき、セラフィノがくるりと向きを変えた。
「ちょうどよかった。叔父上!」
銀色の魔封箱を持ってやってきたのは、王城魔導具制作部のカルミネだった。
「どうかなさいましたか、セラフィノ様?」
「騎士の仮想訓練見学に、ロセッティと一緒に騎士棟へ付き合ってくれませんか? 今後の対魔物の参考になるかもしれません」
「わかりました。私も拝見したいので、同席させてください」
ダリヤが断る前に見学が確定した。
とはいえ、正直、興味があるのも確かで――
ダリヤは魔物討伐部隊の受付に移動を伝えた後、カルミネと共にセラフィノの後に続いた。
・・・・・・・
王城の騎士棟は、魔物討伐部隊棟からは距離がある。
馬車で移動すると、正面玄関ではなく、裏の目立たぬドアに向かう。
メイドのモーラに鍵を開けてもらい、中へ入った。
騎士棟は魔物討伐部隊棟より新しく、一段華やかに見えた。
廊下の壁には幾枚もの画。床には青い絨毯が敷かれ、足音を吸い込む。
コンソールテーブルの花瓶には、夏の花が彩りよく飾られていた。
もっとも、ダリヤとしては魔物討伐部隊棟の方が落ち着くが。
そこからすぐに階段を三度上る。
向かった部屋、黒いドアの左右に、騎士が二人待機していた。
セラフィノの前、ドアが大きく開かれる。
五人でそのまま中へ進んだ。
細長い部屋を抜けた先、応接室と思える広い部屋がある。
開け放たれたバルコニーの窓から、風と共に騎士達の声が入ってきた。
「ちょうど始まるようですよ」
セラフィノが足早にバルコニーへ進み、カルミネとダリヤを手招きする。
金属の手すりは高め、やや広い間隔の隙間から、訓練場がよく見えた。
黒く塗った大盾を構えるのはランドルフとレオンツィオ。
彼等は大猪役である。
距離を開けた向かいに並ぶのは、第一・第二騎士団の精鋭だろう。
模造剣を持って、余裕の表情だ。
「始め!」
グリゼルダのかけ声に、ランドルフ達が高く咆吼を上げて走り出す。
体が大きい上、速さもある。
それはまさに大猪を思わせる走りで、たちまちに騎士達に迫った。
「か、囲め!」
「間に合いません!」
陣形が崩れた、迎撃が遅れた、それを仮想の大猪達が見逃さない。
大きく動いたのはランドルフ、黒い大盾は顎の突き上げのよう、騎士を天高く跳ね上げた。
「うわあっ!」
悲鳴が空中を移動していく。
騎士が落下する場に走り込んでいったのは赤い鎧の主――ダリヤにはヴォルフの動きがはっきり見えた。
彼は騎士を受け止め、共に地面を転がる。
そこへエラルドが駆け寄り、怪我の確認をしていた。
治癒魔法を使っていないということは、おそらく怪我がなかったのだろう、それにほっとする。
「すばらしい! 本物は見たことがありませんが、あのように迫力があるのでしょうね」
「あのような動きを……すごいです」
セラフィノとカルミネがそれぞれ感動の声を上げている。
ダリヤもただ感心して見入っていた。
と、バリン! バリン! と高い音が二度響いた。
レオンツィオが大盾で、向かってきた騎士達の模造剣を折ったのだ。
丸腰になった騎士は逃げ下がる以外、選択肢がない。
「あははは! まだまだいけますとも!」
レオンツィオが、まだ立っている騎士達に自ら向かって行く。
楽しげに笑う声が魔物のように思えるのは、きっと気のせいだ。
その後ろ、再びの咆吼を上げたランドルフが続く。
待機していた騎士達が網を広げて囲もうとし――そのまま引きずられていった。
「本物の魔物は、あれより怖いのでしょうね」
セラフィノの言葉に、ダリヤは以前行った大豚の牧場を思い出す。
そこに突撃してきた大猪は、騎士達に倒され、旨み深い燻しベーコンになった。
「魔物討伐部隊は、皆様、強いので……」
そう返すと、彼は水色の目を細めて笑む。
「ロセッティは本当に、魔物討伐部隊員ですね」




