552.人工魔剣制作10回目~空奏の魔剣
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どうぞよろしくお願いします。
「これがグレースライムの布……」
ヴォルフが両手で持つのは、グレースライムの布のサンプル、その一枚だ。
いくつかのサイズに切られたそれは、薄いもの厚いもの、何枚かある。
イデアがダリヤの研究用、そしてヴォルフへの報告用にとくれたものである。
「これに空気が入って、遠征用のマットになるんだね」
「ええ。うまくいけば、大きさは自由にできるから、遠征用マットは隊員ごとのサイズに合わせられると思うわ」
「成功するといいなぁ」
祈るように言った彼は、ダリヤに向き直った。
「遠征の馬車は全部、これでできた車輪カバーがついたんだ。アウグストが悪路の試乗調査という名目で、隊に多く回してくれたから。とても乗りやすくなって、エラルド様が一番喜んでた」
元副神殿長であるエラルドは、魔物討伐部隊員、兼、専属治癒魔法師となった。
養父となったセラフィノの依頼で、その馬車はいたれりつくせりの一台になっている。
それでも、車輪カバーによる乗り心地の改善は大きいらしい。
「物資運搬の馬車も速度が上がったし、馬の機嫌もいいんだって」
「よかったわ」
隊員だけではなく、馬の負担まで減ったらしい。
じつにいいことだ。
「いっそ蹄に蹄鉄代わりにつけたら、馬の膝に優しくなったりしないだろうか?」
「衝撃を吸収してくれるかも……イデアさんに伝えておくわね」
ヴォルフのアイディアを忘れないよう、その場でメモを取る。
ダリヤ、イデア、ルチアの三人は、それぞれ商会、養殖場、服飾魔導工房と働く場は違うが、使用感や意見、希望、アイディアはできるだけ伝え合うようにしている。
アイディア、開発案はどれだけあってもいい。
予算と時間が許すかぎり、実験と試作に打ち込みたいところである。
「ダリヤは、これに何を付与する予定?」
「まだ決めていないわ」
ヴォルフに当たり前のように尋ねられた。
確かに、いつもであればすぐ試しているところだが、これは完成品。
付与する魔力が入りづらいという性質もある。
高魔力による付与は問題ないそうだが、ダリヤには工夫がいるかもしれない。
「そういえば、耐久性を上げた車輪カバーは逆に裂けやすくなるんだって。スピードはのるし、交換も手間じゃないからいいんだけど」
柔軟性のなくなった分、破損率が上がるのだろうか。
このあたりはバランスを模索していくことになりそうだ。
車輪カバーの話をさらに聞いてから、ダリヤはグレースライムの布の付与について考え始めた。
濃灰の布の主要な素材は、グレースライム。
イデアのスライムのレポートも読ませてもらっているが、他のスライムたちのように特定の魔法は持たず、毒性もない。
区切られた場で一定以上の数になると分裂せず、核無しの体を切り離す。
そんな特性を持つ、心の痛まぬ素材である。
イデアは、この分裂方法を他のスライムにも伝えられないか、試行錯誤しているそうだ。
グレースライムの水槽を各種スライムの部屋に置いたり、核のない切り離し素材部分を水槽に入れたりしているという。
まだ結果は出ていないが、もしかすると未来の養殖場のスライムは、核無し分裂になっているかもしれない。
「見て、ダリヤ。これ、剣の形みたいだ」
ヴォルフが声を弾ませた。
手にしているのはグレースライムの布の、一番厚い一枚。
布端だったそれは剣に近い長さで、形も微妙に剣っぽい。
「でも、魔剣の素材にはできないよね……」
「硬さが足りないから、難しいと思うわ……」
残念そうな彼に、そう返すしかない。
基本、スライムも布も魔導具の素材としては扱いやすいものだ。
グレースライムの布に付与しづらいのは、加工工程によるものだろう。
だが、考えてみれば、剣に使われる金属も加工品である。
そもそも通りづらいといえども通らないわけではない。
ダリヤの魔力値でも、付与する素材によってはいけるかもしれない。
そう考えたとき、ヴォルフが布の端を持ち、ゆるりと揺らす。
シュンと小さく――それでいて、ちょっといい音が響いた。
「魔物は斬れなくても、風魔法をつけて振動を大きくしたら、少し音が出せるかも……どんな音になるかはわからないけれど」
「音の出る魔剣だね! 楽しみだ!」
剣の形であれば何でもいいのか、そう聞きたくなったが、キラキラしている金の目に考えを改めた。
これも試作である、無駄はない。
「風魔法といえば、グリーンスライム?」
「ええ。まずは試してみないと」
幸い、素材の在庫はそれなりにある。
小さいグレースライムの布の横、グリーンスライムの粉を使った薬液を少量準備した。
計算も工程も紙面では安全だが、ポーションも横にきっちり準備する。
そして、指先から魔力を流し、薬液を濃灰の布に広げ――すべてがつるりと滑り落ちた。
通りが悪いを通り越して、魔力がまったく入っていかない。
三度試してあきらめた。
「スライム同士の縄張り争いだろうか?」
「そうかもしれないわ」
切り換えるように言ってくれたヴォルフに、笑んで返す。
実験と試作はうまくいかないことの方が多い。
落ち込むことなどないのだ。
「では、ここでとっておきの素材、鷲獅子を出したいと思います」
「お待ちしておりました、かっこいい魔物素材!」
わざと丁寧に言えば、今度はヴォルフが笑んで合わせてくれた。
ダリヤは棚にある銀の魔封箱から、鷲獅子の鷲部分、その長い黒茶の羽根を取り出した。
一番小さいそれの先端の柔らかな部分を切り、父カルロの魔導書にあった薬液を準備する。
すでに暗記していたが、比率は再度確認した。
少し緊張しつつ、作業机の上、グレースライムの布に薬液と鷲獅子を混ぜたものを並べる。
指先の魔力で持ち上げるそれは、想像よりもねっとりと重い。
鷲獅子の魔力の特性か、そう思いつつ付与を開始した。
ダリヤの虹色を帯びた白い魔力で、布の上にきれいに広がっていくそれ。
問題なさそうだ、そう安心しかけたとき、ぴしぴしと細かいヒビが入り始めた。
「あ!」
半透明の虹が砕けるように光った後、作業机の上には焦げ茶色の破片がパラパラと散る。
魔力が多すぎたか、それとも少なすぎたか、そう思って試したが、こちらも連続で三度失敗した。
せっかくの鷲獅子だが、相性が悪いらしい。
頭を整理しつつ結果を書き留めていると、ヴォルフが口を引き結んで自分を見ているのに気づいた。
「ダリヤ、疲れてない? 今日はもう休んだ方が……」
「大丈夫。そんなに魔力は使っていないから」
心配されてしまったが、まだ魔力にゆとりはある。
ただ、少し部屋が暑いようだ。
汗が首筋から胸元へつたうのが感じられ、ダリヤは作業場の窓を開けた。
窓からの涼やかな風に、まとめていた髪が一筋落ちる。
髪の先が目に入りそうになったことで、ダリヤは一つの素材を思い出した。
棚へ向かうと、下段から魔封箱を取り出す。
中にあるのは月光を閉じ込めたような美しい金髪――とはいえ、人のものではない。
「ダリヤ、それは? 俺には人の髪に見えるんだけど」
「セイレーンの髪。魔道具の『声渡り』に使う素材だけれど、これは古くなってきたから、そろそろ魔力が抜けてしまうの。だから試してみようと思って」
セイレーンの髪は色合いこそそのままだが、指先に感じる魔力は以前より弱い。
声渡りを作る際も少量で間に合うので、長く在庫となっていた。
オズヴァルドに注意を受けたが、素材というのは適正に使える期間というものがある。
今回の試作で使いきってもいいだろう。
「『声渡り』って、ダリヤのお父さんが開発した魔導具だよね。俺と最初に会ったダリさんのときの」
「ええ」
ヴォルフには、声渡り、イコール、ダリらしい。
「声渡りは純銀にセイレーンの髪を付与して、変声と声の強弱の効果をつけるの。それをグレースライムの布に試してみようと思って」
「じゃあ、ついに喋る魔剣が?」
「喋るのは無理だけど、音の調整はできるかも。ヴォルフはどんな音がいいという希望はある?」
「そうだな……風を斬る音が大きく響いたら、かっこいいと思う」
「風を斬る音……」
それは魔物討伐部隊の鍛錬でよく聞く音ではないのだろうか?
いや、これも剣だから、やや音を硬く変え、大きくすればいいのかもしれない。
脳内でイメージを固めつつ、セイレーンの髪を丁寧にほぐす。
そして、作業机の前、再びグレースライムの布に向き合った。
セイレーンの髪、そのキラキラと金色の光を巻き込んで、ダリヤの魔力が剣を模した布に向かっていく。
「あ……」
不意に鉄板に当たった風が流れるように、魔力が横に大きくそれた。
金色の塗料がついたように、布には薄く付与跡が残る。
入りづらいのは覚悟していたが、気負いすぎたらしい。
三度、深呼吸をして、左手で濃灰の布を持つ。
そして、再度、右手の人差し指と中指を向けた。
音が高く、大きくなるように――それに対し、付与はできるだけ薄く、平たく魔力を絞る。
そうして、刀身となる部分の下から上へ、包帯を巻くように重ね部分を作って付与していく。
油断すると重なりがなくなるので、つい息をつめてしまいそうになった。
先端まで付与を終えると、ここからヒビが入らないか、剥がれ落ちないか、内心はらはらしながら観察する。
けれど、魔力に揺らぎはなく、無事落ち着いた。
虹色に金を混ぜ込んだ魔力は、濃灰の刀身にくるりと薄く金の斜線を付けた。
よく見なければわからないほどだが、なんだかヴォルフらしいと思えてしまう。
「なんだかかっこよくなった……」
やはり彼らしくなったかもしれない。
その後、一角獣の角の粉で魔力遮断、上に首長大鳥の嘴で硬質化をかけた。
幸い、こちらの付与も問題なくできた。
これで剣がぐにゃりと曲がることはない。
とはいえ、ヴォルフが本気で振ったら折れるかもしれないので、先に注意しておく。
柄は、以前、武器屋で購入した長剣のものを使用した。
斬れない刃とはいえ外れぬよう、ヴォルフに頼み、しっかりと固定してもらう。
布で仕上げ拭きをした後、両手で持ってみる。
それなりに重みがあり、なかなか剣らしい。
とはいえ、ダリヤは剣の扱いは素人、正しい素振りのやり方もわからない。
ただ上から下へ軽く動かせば、シュッと、いい音が響いた。
まるで速度はないので、純粋にセイレーンの髪の効果だろう。
「あとはヴォルフが試してください」
「ありがとう! じゃ、振ってみる」
グレースライムの布からできた形だけの剣だが、ヴォルフは宝剣のように恭しく受け取る。
そして、壁際まで下がった。
彼は構えを取った後、鍛錬と同じ動作で振る。
シュン!と、ダリヤのときよりも高くしっかりした音が響いた。
つい、にじり下がりたくなったほどなのは内緒である。
「三倍くらいいい音が出る気がする。これ、外で試してみてもいいかな?」
ダリヤはすでに笑顔のヴォルフにうなずいた。
・・・・・・・
塔の庭に出ると、ヴォルフは、ゆっくりめに三度、剣を振った。
それでも、シュン! と、しっかり音が響く。
「やっぱり、すごくかっこいい音だ!」
その後、少しずつ速度を上げていく。
シュンという音はギュンッ! という音に変わり、迫力が増した。
ヴォルフの笑顔も大きくなっている気がする。
「これ、素振りの確認ができるかもしれない。人によって、悪い振り癖が出ることがあるから、音で左右どちらに力がかかっているとかが判断できる」
ダリヤには音の強弱と高低だけだが、彼には左右の違いもわかるらしい。
だが、これで魔物討伐部隊用の素振り確認の模造剣ができそうだ。
安全な上、なかなか魔物討伐部隊相談役らしい開発ではなかろうか。
そう思う自分の前、ヴォルフは再び剣を振るい始める。
音はさらに高く、ビィーン! と空気を震わせるように響いたり、ヒュウ! と鳴くように聞こえたりと変化する。
続けて聞くと、剣が意志を持っていろいろな音を奏でているようで――剣というより楽器のようでもある。
ヒュウー! と、一際高い音が、空に向かって響く。
そのとき、ヴォルフがぴたりと動きを止めた。
「母の剣の音みたいだ……」
空を見上げ、小さくつぶやいた彼に、何と言えばいいのか。
迷いつつもその名を呼ぼうとしたとき、硬いものがぶつかる強い音が響いた。
「ヴォルフ様っ! ロセッティ会長と塔の中へ! 敵は私どもが!」
門柱を駆け上がり、ドナが上から降ってきた。
両手に黒塗りの短剣を持っている。
その姿と敵という言葉に、ダリヤは身を固くした。
「敵!?」
「複数の剣の音がしました!」
「あ! 違うよ、ドナ! これ、ダリヤの作ってくれた魔剣の音」
「魔剣の、音?」
ドナの草色の目が丸くなった。
と、再びガツンと重い音が響いた。
門を蹴るように飛び越えてきたのは、ソティリスだ。
右手にはすでに抜かれた剣、いつも穏やかな顔が仮面のような無表情に固定され、ちょっと怖い。
「ソティリス! 敵じゃないから、素振りだから!」
「ヴォルフ様の剣の音ではありませんでした。周囲に敵が隠れている可能性もありますので、確認させてください」
「いや、そうじゃなく――ダリヤに作ってもらった魔剣の音なんだ」
「魔剣の、音?」
ソティリスの水色の目も丸くなった。
顔に疑問符を張り付けた二人に、ヴォルフと共に必死に説明する。
その後、斬れぬ刃を振って音を聞かせれば、二人の表情がようやく緩んだ。
「そういう魔導具なんですね。剣の音がこんなに変わるとは……」
「振るとクセがわかるのはいいですね。悪い癖がつくと直すのは大変なので、スカルファロット家の騎士にも、ぜひ使わせていただきたいです」
警戒からすぐ興味深そうに切り替わるのは、彼らが騎士、そして護衛という立場だからだろう。
「この剣の名前は何にしようか?」
「そうですね、素直に名付けたら、『素振り用、音追加魔剣』ですね」
「うん……的確な表現ではあると思う……」
「とても……わかりやすくはありますね……」
ヴォルフとドナが微妙に声をそろえた。
ソティリスは無言で、肩を震わせて耐えている。
いっそ三人で笑っていただきたかった。
「私が今まで作った魔剣は、全部ヴォルフの命名じゃない」
小声で言うと、ヴォルフが晴れやかに笑う。
「じゃあ、今回も俺が。これは――『空奏の魔剣』かな。奏でる音が空の向こうにまで聞こえそうだ」
空の向こうにいる母、ヴァネッサを思っての名付けかもしれない。
だが、それを口にすることなく、うなずいた。
「きれいな名前だし、合うと思うわ」
ドナとソティリスも同意した。
なお、二人の目は、しっかりヴォルフの手元に向いている。
「それ、ちょっとだけ貸していただいてもいいですか?」
「ああ。これ、すごく楽しいよ」
「じつに興味深いですね」
庭の奥へ移り、三人が交代しつつ、空奏の魔剣を振る。
より高い音を奏でようとするヴォルフ、己のクセ探しに左右の腕で試すドナ、音階が作れそうだと試すソティリス――
ダリヤは安全、かつ有効な仕上がりに安堵しつつ、実際の運用を興味深く見つめる。
青空の下、魔剣は笑い声をまとい、長く音を奏で続けていた。




