550.遅れて来た者
・臼土きね先生、コミックス『服飾師ルチアはあきらめない』5巻、7月18日発売です。
どうぞよろしくお願いします!
「お疲れ様です、会長。どうでした?」
イヴァーノは服飾魔導工房に戻るために馬車を降りた。
そこへちょうどダリヤがやって来たらしい。
自分を見つけた彼女は、足早に進んでくる。
その笑顔ときらめく緑の目に、グレースライムの布の試作会はとても楽しかったのであろうと思えた。
「とても便利なものが沢山できそうです! イデアさんとナディル先生が試作をしてくださるそうなので、仕上がりがとても楽しみです」
「それはよかったです」
ちりりと胃が痛んだ気がしたが、きっと錯覚だ。
そんな自分に、ダリヤは数枚の紙を手渡してきた。
「試作の予定品です。メモ書きですが、イヴァーノの参考にどうぞ」
「ありがとうございます」
ダリヤは副会長の自分にも、しっかり報告をしてくれる。
これからフォルトに聞くつもりだったが、前もっての心構えができそうだ。
「私はフォルトと打ち合わせがありますので、帰りは送ってもらいます。メーナは会長を送ったら今日の仕事は終わりです」
「わかりました。イヴァーノもあまり遅くならないでください」
「副会長、お先に失礼します」
そんなやりとりをした後、イヴァーノは服飾魔導工房へと足を踏み入れた。
フォルト達はまだ第三作業室にいるとのことで、そちらへ向かう。
先にダリヤのメモを見たいところだが、廊下を行き来する工房員達を目に、胸の内ポケットに入れたままにした。
作業室に入るとフォルト、アウグストと共に、グイード、ヨナス、イデア、ナディルがいた。
今回の取りまとめは侯爵であるグイードになるだろう、そう思いつつ、定型の挨拶をする。
本日ここまで、イヴァーノはフォルトに頼まれた『一艘の船』の連絡係をした。
一人で移動しようとしたところ、フォルトから服飾魔導工房の護衛――姿は従者だが、黒髪の青年を借りての移動となった。
彼を後ろに、最初に冒険者ギルドのアウグストへ伝えた。
アウグストは他業務をその場で人に回し、すぐこちらへ向かっていた。
次に商業ギルドへ行ってレオーネを探したが、外出しており連絡がつかない。
ガブリエラはいたが、伝言は避けた。
自分が直接伝える方がいいだろう、そう判断してのことだ。
そこから王城のグイードの執務室へ行き、ヨナスと共に伝えた。
その後に再び商業ギルドへ戻り、帰ってきたレオーネに話し、本日の外せぬ業務調整をして戻ったのが今である。
残念ながら試作会には不参加となったが。
昨年、スライムの粉から開発された魔導具達は大きく広がり、世をじりじりと変えている。
あのときに協力関係を結んだ『一艘の船』の者達――
発想と技術と行動力満載の、ダリヤ、ルチア、イデアの三人。
そこに、侯爵家当主グイード、前侯爵家当主ベルニージ、その孫となったヨナス、商業ギルド長のレオーネ、服飾ギルド長フォルト、冒険者ギルドの実質の長であるアウグスト。
なぜかその調整役となったイヴァーノは、彼等と胃を押さえつつ、やりとりをすることになっている。
「イヴァーノ、レオーネ殿は何かあったのかい?」
話の区切り、グイードにそう尋ねられた。
「用事があるため遅れると伺いました」
レオーネはまだ来ていない。
金銭の関わることに動きの速い彼にしては意外だ、そう思いつつ答えた。
自分と同じく、外せない仕事があったのかもしれない。
そこからはグレースライムの布で試作するものの説明を、ナディルから受けた。
ダリヤがあれだけ目を輝かせていたのに、深く納得した。
防水布の上位互換とも言えるこれは、かなり広い展開となりそうだ。
説明に聞き入りつつも、イヴァーノは隣のテーブルの音も聞いていた。
グイードが意図して柔らかな声となったのがわかる。
「そういえば、イデア先生、事業を後押ししたいと声をかけてきた方があるとか。話の一つに聞いてもいいかな?」
一艘の船の通行妨害をしようとする愚か者の名は、自分もぜひ知りたいところである。
一度視線を落としたイデアが、声をささやきに変えた。
「その……ザナルディ公爵家に籍を置く方です……」
ザナルディ公爵家といえば、当主セラフィノが王位継承権三位のオルディネ大公だ。
横槍もありえるか、ついそう思ってしまったとき、緊張感のない声が続いた。
「当主のセラフィノではないね。彼の従弟あたりかな?」
「はい……」
「それなら心配いらない。セラフィノは私の友人だ。早めに話してくるからその話は忘れていい」
「ありがとうございます」
グイードがオルディネ大公の名を呼び捨てに微笑む。
その様に、イデアが胸をなで下ろしていた。
イヴァーノとしては、グイードがセラフィノに釘を刺しに行くと聞こえた気がする。
結氷侯爵の腕はどこまで長いものか。
まあ、自分にはまるで接点のない大公のことなので、口は閉じておくが。
「だが、ここから君達の安全確保は必要だね。ナディル先生、ちょっといいかな?」
彼はこちらの説明の区切りも聞いていたのだろう。
呼ばれたナディルと共に、イヴァーノも隣のテーブルへ移った。
「安全のため、スライム養殖場からしばらく出ないようにしたいと思います」
「その間に、護衛のできる上級冒険者を確保し、各自に護衛をつけます」
イデアとナディルの判断に、アウグストが続けた。
上級冒険者が護衛であれば安心だろう。
だが、グイードは足りないというように続けた。
「二人の貴族保証人はアウグストだったね。冒険者ギルド長に書き換え――いや、ウォーロック公に願うといい。ザナルディ家への抑止にもなる」
友人と呼んだ者の家を、容赦なく抑止するつもりらしい。
しかし、アウグストは一切の反論なく了承していた。
「イデア先生、ナディル先生とも、ご家族や親しい者には早めに話しておく方がいい。ここから見合いと養子の話が山とくる。面倒なときは、アウグストか私に遠慮なく相談してほしい」
「ありがとうございます」
「ありがたく思いますが、自分にそういったものがくるとは……」
ナディルが声に疑いを潜ませる。
だが、そこで笑んだのはフォルトだった。
「お二人は、自分の価値を正しく理解すべきです。『防水布を超えた』、そうダリヤ先生がおっしゃったではありませんか。来年あたり、お二人共に男爵の叙爵になると思いますよ」
「男爵……」
「男爵……?」
オウム返しに返す二人に、周囲もうなずく。
ナディルの顔がみるみる青くなるのに、昨年のダリヤが重なったが、とても言えない。
「『ナディル先生』、スライム養殖場に戻ったら、今度こそ担当から主任へ昇進してもらいますね」
「……はい」
笑顔のイデアに、ナディルが神妙にうなずいていた。
・・・・・・・
一応の解散――イデアとナディルを、アウグストがスライム養殖場まで送る形で帰っていった。
打ち合わせを理由に応接室に移ったのは、フォルトとグイード、ヨナス、そしてイヴァーノである。
熱い紅茶にブランデー、サンドイッチにクッキーなどのそろったテーブルを前に、それぞれがソファーに腰を下ろした。
「ヨナス、どうだったね?」
ここまで口数の少なかった護衛騎士に、グイードが声をかける。
ヨナスは紅茶にブランデーを注ぎながら答えた。
「末恐ろしいな……ダリヤ先生に続いて、イデア先生、ナディル先生も」
「そこは期待が高いと言うべきでは、ヨナス殿?」
「失礼しました、フォルト殿」
軽いやりとりを横に、イヴァーノは胸ポケットのダリヤのメモ、試作品一覧を改めて見た。
ああ、これは俺の手には乗りきらない、それが感覚としてわかる。
一艘の船ですら、一歩間違えば傾きそうな代物。
グレースライムの布からの開発品の可能性は大きく、広い。
「今回のこれは、利は特大だが、求めすぎると危ない。冒険者ギルドとスライム養殖場に他ギルドが提携、そこでアルドリウス殿下を願うべきじゃないかな? 王太子の業績にはいい重さだ。ほどほどに見てくれるだろう」
王太子としての業績に加える代わり、無駄に口を出させない。
それを言下に込めたグイードに、誰からも反論はない。
「運送ギルドにも声をかけますか? 馬車の車輪の件では、冒険者ギルドに日参していたそうですから」
「そうだね――」
話の途中、ノックの音がした。
了承の声に入ってきたのは、レオーネとその従者だ。
応接室に入るのは、基本、呼ばれた本人だけだが、従者はトランクを運んできたからだろう。
「申し訳ありません。遅れました」
レオーネが侯爵家当主のグイードに対し、型通りの挨拶をしようとする。
だが、それはあっさりと止められた。
「レオーネ殿、このメンバーのときなら言葉も態度も楽に。私はまだまだ、あなたから学んでいる後輩だ」
「光栄な申し出だ、グイード侯。では、楽にさせていただこう」
答えたレオーネが、従者に視線を向ける。
それに答えた従者が、テーブルに大きめのトランクを置いた。
ごとりと響いたそれは、なかなかに重そうだ。
中身はおそらく、みっちりの大金貨だろう。
役目を終えたらしい従者は、一礼して退室した。
「とりあえず私からの出資金だ」
「よろしいのですか? 出資割合も決めていないうちですが」
聞き返したのはフォルトだ。
金銭に厳しいレオーネだ。自分も同じ問いかけをしたかった。
「車輪カバーに続く物ができるのだろう? 割合など、後でなんとでもなる。ここからは人材確保、設備構築だろう。いい人員を集め、いい場所を得るには、金を積むのが一番早い」
至言である。
できる人間があまりに限られているが。
「重そうなトランクだが、追加は私からも回そう」
「もちろん、私の方からもお送りします」
グイード、フォルトが声を続けたが、レオーネはそれに答えない。
ただ、その己の髭を指でなぞった。
「若い頃はまばゆい金に惹かれたものだが、今は白くなったものの方がいい」
いきなり妻ガブリエラの髪の話になったようだ、一瞬そう思いかけ、イヴァーノは思い出す。
トランクを持っていたレオーネの従者は、今までになく硬い表情をしていた。
まばゆい金ではなく白――
トランクの中身はすべて白金貨だ!
その確信と共に、笑い出しそうになった口を押さえる。
向かいのグイードとヨナス、フォルトも気づいたらしい。
なんとも微妙な空気が流れる。
そんな中、グイードが青い目でレオーネを見据えた。
「ここまで出すということは、商業ギルドが主体を取りたいと?」
「いや、個人的希望だ。この事業は大きくなっても、国を主体としてほしくない。冒険者ギルドを筆頭に、服飾ギルド、商業ギルド、運送ギルド、傭兵ギルド――他のギルドを追加しても構わない。連携を広げた上で、国の境なく、ゆっくり確実に回してもらいたい。代わりにかかる費用はできるかぎり準備しよう」
「それが商業ギルドの利になるという判断ですか?」
「それもあるが、隣国エリルキアとの緊張を避けておきたい。イシュラナや東ノ国との友好も、今まで通り保持したい」
この中で最も年齢が上のレオーネは、ギルドや国の利よりも、世界の平和を口にした。
そんな彼へ、皆が尊敬のまなざしを向ける。
「すばらしい視点ですね。レオーネ殿にはぜひ陞爵を受け、外交の重職を担っていただきたいものです」
フォルトから期待に満ちた声で言われたが、レオーネは首を横に振った。
「役など不要だ。国境街には妻の実家がある。ガブリエラに心労をかけぬためなら安いものだ」
その言葉に、皆が堪えきれず、笑い声を弾けさせる。
イヴァーノだけは、笑えなかった。