549.グレースライムの布の試作会(2)
・コミックス『服飾師ルチアはあきらめない』5巻、7月18日発売予定です。
どうぞよろしくお願いします!
本来であれば客室で休憩を取るべきところ、服飾魔導工房の作業室からは誰も離れたがらない。
結果、テーブルの上、グレースライムの布とアイスティーが一緒に載ることになった。
外の小雨は続いている。
少し蒸す部屋でアイスティーを飲んでいると、新たな客が訪れた。
「お招きをありがとう。遅れてしまったかな?」
悪戯っぽく笑んで入ってきたのはグイード、続くのはヨナスだ。
グイードは魔導師のローブ、ヨナスは青の騎士服である。
どうやら王城から直接やって来たらしい。
「ようこそ、グイード侯。今のところ、制作予定はこちらです」
フォルトがスケッチブックを開き、開発品目を見せる。
グレースライムの布による防水マット、防音マット、魔物討伐部隊の遠征用マット、容れ物――
周囲には話のときに出た疑問や意見、懸案事項なども細かくメモされている。
「どれも楽しみなものばかりだね。ヴォルフとベルニージ殿が遠征なのが残念だ」
「祖父はとても悔しがるでしょう」
ヨナスが孫らしい言葉を述べていると、彼等にもアイスティーが出された。
侯爵であるグイードが来たことで、作業室にいた者の一部は緊張に身を固くしている。
少し静かになった場、技術者であるナディルが紹介されると、グイードが口を開いた。
「この布でもレインコートは作れるかな?」
「形は可能ですが、重さ、機動性とも大幅に劣りますので、実用には難しいかと思います。また、加工に時間と金額がかかります」
「なるほど。このあたりの住み分けはそのままになりそうだね」
グイードは、レインコートの代替素材の可能性を考えたらしい。
その指先が薄い方のグレースライムの布を撫でた。
「この硬さのものを服飾関連に使うとしたら、どんなものができるだろう?」
やわらかな声と笑みを向けられ、服飾魔導工房の者達が息を飲んだ後、互いの顔を見る。
緊張感なく答えたのはルチアだった。
「お洋服の芯材や補強にいいかと思います。レインコートの肘や肩などは切れやすいので、そこにポイントで使えるかもしれません」
「なるほど、レインコートが長持ちしそうだ。家の庭師にもぜひ使わせたいね」
グイードの肯定に、周囲の硬い空気が溶け始める。
彼がフォルトやヨナスと親しげに歓談を始めると、周囲もグレースライムの布が服飾関連で何かに使えるかと、だんだん声が上がってきた。
「踵が切れない丈夫な靴下になってもらいたいところだ。家の子の靴下はすぐに穴が開く……」
「踵の補強……あ! それなら、ズボンの膝当てもいいかも!」
服飾魔導工房の魔導具師の切実な声を拾い、ルチアが続ける。
滑りや硬さの問題はあるだろうが、補強にはとても良さそうだ。
ルチアは裁断師に願い、グレースライムの布を切ってもらい始める。
踵の補強は周囲の靴下に当てられ、膝当てはズボンの男性陣に回された。
続いて、組み合わせて靴下にできる形状にカットしたものは、糊代わりの薬剤を筆にとった魔導具師が彼女に確認しつつ、形にしていく。
それを見ながら、ダリヤはふと欲しかったものを思い出す。
「手袋が成形できたら、実験で使えるかも……」
前世のゴム手袋である。
手袋は多くの種類があり、ダリヤは魔導具師用の魔物素材のものを複数持っている。
だが、やはり完全防水で安全、かつお手頃な手袋が欲しいところだ。
「成形は可能です。かなりゴワゴワになりますが……」
「ゴワゴワでもよくない? 水が入ってこないなら、手袋も靴も、お洗濯とかお掃除の人とかに喜ばれそう!」
フォルトが視線をこちらに向け、スケッチブックにしっかり書き足していた。
斜め向かいのナディルにいたっては、手帳のページが炭芯で真っ黒になり――次のページへ移った。
「これ、靴下じゃなくて、完全に靴よね……あと、こっちは鍋つかみに良さそう!」
ルチアがハイヒールからグレースライムの布製靴下――濃灰のゴム長に似た試作品に足を通す。
彼女にはちょっと大きすぎる、同素材のミトンも手を通された。
「うん、なんとか歩けそう!」
「ボス、転ばないように」
よちよちと試し歩く彼女を、服飾魔導工房の副工房長が心配している。
周囲もルチアの足下を興味深く見守っていた。
「ルチア先生、大変防御力が上がっておられるようで」
「はい、ヨナス先生、水からは完全に守られそうです!」
明るいやりとりに、周囲から笑い声が上がる。
隣のテーブルでは、アウグストがグレースライムの布を袋状にしたそれに、己の水魔法で水を注ぎ込んでいた。
ぱんぱんになったそれからは、一滴の水もこぼれない。
彼は、それをとても満足げに抱っこしていた。
魔物の素材運搬バケツになるか袋になるか――どちらでも製品になるのも早そうだ。
しかし、あれに入っているのは水。
代わりにエアーマットのように空気を入れたら、どのぐらい浮くだろうか。
ダリヤはその疑問をナディルに尋ねる。
「グレースライムの布は、空気を入れたら水にしっかり浮くでしょうか?」
「理論上、空気が逃げなければ、浮くかと――ちょっと試してきます」
ナディルがカットしてある布を持ち、廊下へ出る。
おそらく水場を借りるのだろう。
ダリヤはそれについていくかちょっと迷い、ルチアに視線を向ける。
だが、彼女は靴下をブーツ形状にしようと奮闘中だ。
次に目を向けたのはイデアだが、アウグストから水入りのグレースライムの布袋を受け取ったのでやめる。
彼女も、とてもいい笑顔で抱きしめていた。
「浮きました! まったく沈みません!」
作業室へ戻ってきたナディルが、大きい声で教えてくれた。
その両袖から水をたらしつつ、彼は目を輝かせる。
「水に浮くなら、救命具に使えるかもしれません……!」
この場合の救命具は、浮き輪である。
今世の浮き輪は魔物の胃袋を円状にしたものだ。
劣化が早く、破れることも多い。
だから魔導具の救命鏡が重宝される――オズヴァルドからそう習った。
グレースライムの布に耐久性があれば、浮き輪も長持ちする。
より使い勝手のいい救命具が生まれそうだ。
ナディルは作業で汗をかいたのだろう。
ハンカチで顔を懸命に拭っていた。
そこへアウグストとイデアがやってきた。
いつの間にか、グレースライムの布袋が二つに増え、それぞれが抱っこするように持っている。
「グレースライムの布は、防水布と並ぶほど、すばらしいものになりそうですね」
「いえ、防水布以上だと思います」
アウグストに対し、ダリヤは即答する。
グレースライムの布は、防水布以上の効果と範囲が見込まれる。
きっと多くの人々の役に立つ。
魔物討伐部隊の遠征改善にも一役買ってくれるかもしれない、そううれしくなっていると、ナディルと目が合った。
彼は一瞬肩に力を入れた後、声を落とす。
「その――グレースライムの布は魔導具ではないので、ロセッティ商会長は残念がっておられませんか……?」
自分の魔導具好きは第三者にまで知られているのか、そう思いたくなるような質問だが、きっぱり否定する。
「いいえ。技術品も魔導具も関係なく、このように有益なものを作り出されたのはすばらしいことです。ここから何に使えるか、とても楽しみです」
魔導具師としては、ちょっとずれた台詞かもしれない。
でも、前世のゴムのように大きく広がれば、とても便利になりそうだ、そう考えるとどうしても笑顔になってしまう。
「いえ、生み出したのはイデア主任で――私は、ただの実験員ですから」
「すごい開発者であり技術者ではないですか! ここからグレースライムの布が広がったら、きっと防水布を超えて便利になります」
「……防水布を、超えて……」
小さなつぶやきと共に、ナディルの紫紺の目が丸くなる。
そこへ、話を振ってきた者があった。
「いろいろと案が出されたが、試作品がとても楽しみだよ」
「お、お言葉をありがとうございます、スカルファロット侯! できるだけ急いで試作を――」
庶民らしいナディルは、侯爵からの声がけにぴしりと背筋を立てて答えている。
緊張の濃さは、昨年のダリヤと同じくらいかもしれない。
そんなことを考えていると、グイードがナディルの正面に立った。
「私のことは『グイード』と呼んでかまわない。『ナディル先生』」
「え? あっ? はいっ?!」
声の上ずりが三段階で高くなる。
グイードは技術高き彼に対し、呼称に敬意をこめたのだろう。
「私もそうさせていただきたいですね、『ナディル先生』」
ヨナスも同意して追随する。
ナディルの顔がみるみる青くなった。
「も、もったいなく! 失礼があっては――」
「服の芯、ズボンの膝当て。防水の靴、実験用手袋、救命具、か。あちらでは新しいコルセットの材料や、義足の補強素材という話も出ていたよ。まだまだ追加がありそうだ」
「私としては、これの厚手のものを簡易の盾として使ってみたいですね。金属より軽量ですから、取り回しも楽かと。訓練にも使えるやもしれません」
グイードの言葉に、すかさずヨナスが続ける。
さすが武具男爵である。目のつけどころが違う。
「それでしたら、貼り合わせたものを、今、お試しになりますか?」
「ぜひお願いします、ナディル先生」
願われたナディルが、緊張を横にして、すぐ作業に取りかかる。
彼の先生呼びも、すぐ定着するだろう、そう思えた。
そこからも作業室はにぎやかな声をたたえ、開発話と試作が続けられていった。
夕陽が完全に落ちると、それぞれが帰路につく。
ダリヤも後ろ髪を引かれつつメモをまとめ、メーナの迎えで退室した。
なお、このとき、作業室の端で、ルチアと副工房長が厳しい表情で壁に向き合っていた。
難しい仕事の打ち合わせかと、周囲は距離をおいている。
二人の指先には、グレースライムの布を切断した端の余り、とても細い紐状のもの。
彼等は無言のまま、ひたすら引っ張って戻す作業をくり返していた。
後に『伸縮紐』と呼ばれるそれは、服飾ギルドに騒動をもたらすことになるのだが――
今は知らぬ話である。