548.グレースライムの布の試作会(1)
・コミックス『服飾師ルチアはあきらめない』5巻、7月18日発売予定です。
・公式4コマ『まどダリ』第38話更新となりました。
どうぞよろしくお願いします。
「何ができるか楽しみ!」
ダリヤはルチア、そして服飾魔導工房の魔導具師と共に作業室へ向かう。
皆、少し早足だ。
先頭のルチアにいたっては、歩みがほぼスキップになっている。
案内された作業室は想像よりも広かった。
微風布の大きなサイズも加工できるように作られた場だという。
作業室に入って間もなく、イデアと共に、スライム養殖場に勤める男性がやってきた。
二人が引いてきたワゴンには、濃灰の布の巻き布やカットしたものが山と積まれている。
それらは複数の作業テーブルに分けて積まれた。
皆が興味津々に見学しているところへ、フォルトもやってきた。
「ここからは、グレースライムの布の技術担当者より説明させていただきます」
イデアの声に、黒髪の男性が進み出る。
文官を思わせる細身の彼は、緊張した表情で話し始めた。
「担当のナディル・ロッシと申します。こちらの加工についてご説明いたします」
グレースライムの粉へ、酸や硫黄を入れ、いくつかの加工工程を経る。
材料の割合によって、車輪カバーのような硬質なもの、この布タイプのような弾力のあるものをある程度、作り分けることができる。
この素材は水に強く、それなりに丈夫だが、高熱と酸に弱い。
聞くほどに、前世のゴムに似た可能性あふれる素材である。
もっとも、まだ安定した素材とは言いがたい。
制作ロットにより、ひび割れの多いものが発生したり、硬すぎるものができたりすることもある。
屋外での使用でどれぐらいもつか、経年劣化などはここから確認が必要だという。
そこからは、質問が続くことになった。
秘匿される材料などに関するものはないが、強度や耐久性については問いかけが多かった。
また、一度決まった形になったものを再加工できるのか、廃棄する場合はどうするのかなど、すでに運用を見据えた問いもあった。
その質問をしていたフォルトは、ナディルへさらに問いかけを重ねる。
「成形時など、どれぐらいの魔力がいりますか?」
魔導具であれば必ず確認されることだ。
魔導具師の魔力量で、作れる、作れないが決まるものも少なくない。
けれど、ナディルは首を横に振った。
「グレースライムの粉があれば、それ以後は魔力を必要としません。薬品と機材のみで加工できます」
その答えに、周囲が薄くどよめく。
これは魔導具ではなく、完全な技術品ということだ。
魔力のない者も制作することができるなら、設備を整えれば大量生産もしやすい。
「それは、また――凄いことですね」
緊張か、声を少し硬くして、服飾魔導工房の魔導具師が言った。
ダリヤも同感である。
「では、ここからは可能性のある開発品を模索してみましょう。話だけでも構いませんし、材料はできるかぎり取り寄せます」
フォルトがにこやかに言うと、皆、作業テーブル上の濃灰の布に手を伸ばした。
ダリヤの隣には、椅子から立ち上がったルチアがいる。
その向かい、イデアと技術担当者がやってきた。
「まずは先程まで話していたものからいきましょう。馬車の床、荷馬車の下に敷くマット――こちらはカットだけでいけますね。カットしますから、当方とスライム養殖場の馬車で試してみませんか?」
「お願いします」
イデアが了承すると、フォルトは服飾ギルドの裁断師を呼ぶよう従者に告げる。
通常のナイフでは切りづらい素材なので、大型のミスリルナイフでの切断になるからだ。
「次は防音がどれぐらいあるかですね」
薄いグレースライムの布を敷き、各自、その上を歩くことになった。
笑顔であったり、興味深そうであったりと様々だ。
ルチアが靴を脱いで跳ねていたが、音は響かなかった。
「思ったより音が消えますね。通常、防音は絨毯を使いますが、こちらの方がいい」
「汚れたときの掃除も楽ですし、病院と神殿の廊下にぴったりだと思います!」
フォルトとルチアの息の合った会話を聞きつつ、ダリヤもグレースライムの布の上を歩く。
今日の靴は少し踵が高い。
その踵に引っかかる感じが少しあった。
「こちら、ダンスのとき、人によっては踵に引っかかるかもしれません」
「なるほど。ダンスの練習に使うには、床板の下に貼り付ける方がいいかもしれません」
自分の言葉にフォルトが即座に提案してくれる。
こちらは後で部屋を準備し、別途試すこととなった。
「次はダリヤの言ってた、魔物討伐部隊用の遠征用マットね!」
ルチアに話を振られたので、遠慮なく希望を述べることにする。
「遠征で眠る際の敷物にできればと思います。薄い方を半分に折って袋状にし、中に空気を入れ、上で人が横になるようにできないかと――」
頭にあるのは、前世のエアーマットレスである。
隊のテントはそう広くない。
人の幅ほどの敷物であれば、重量も少しは抑えられないだろうか。
そう思いつつ言うと、ナディルの紫紺の目が、自分で止まった。
「あの、きちんと作るには薬品を加えて加工するか、最初のときから成形する方がいいですが、周囲は薬品で仮止めできますので、お作りしますか?」
「ぜひお願いします」
食いつかぬように声を整えたが、上半身がちょっと前へ出てしまった。
グレースライムの薄い布を二つ折りにし、一部を残し、周りにぐるりと薬品を塗って貼り合わせる。
本来であれば、固定器具できっちり押さえて固まるまで待つのだが、今回はそれぞれ立って端に乗るという力業になった。
その作業の間に、ダリヤは服飾魔導工房の魔導具師と、ドライヤーを加工する。
最初は一つずつに風の魔石から空気を送ることを考えていたが、その魔導具師にドライヤーを勧められたのだ。
確かに、一つずつ準備するより、その方がいい。
簡単そうに思えたり、聞けばすぐ納得することも、一人では思いつかないことは多い。
ダリヤは共に作業ができる仲間に喜びつつ、ドライヤーの加工を話し合った。
結果、出力の大きい毛皮加工用の低温ドライヤーを、冷風のみで使うことにした。
先端には細い筒をつけ、そこから袋状にしたグレースライムの布に空気を入れる形である。
「こちら、固まりました」
「ありがとうございます。では、空気を入れたいと思います。お願いできますか?」
「え、私ですか?」
ナディルに問いかけると、意外な表情をされた。
「はい、できましたら――薬剤で固定した強度がわかりませんので、よろしければお願いできないかと……」
そう願うと、イデアも横から勧めてくれる。
彼はおそるおそるドライヤーを手にし、細い筒から空気を入れ始めた。
「簡単にふっくらするんですね……」
「これは寝心地がいいのでは?」
周囲はそれを興味深く見守る。
それなりに膨らんだところで、ナディルがドライヤーを止めた。
空気の出入り口は仮止めされ、グレースライムのマット、試作品の完成である。
「横になりたい方がいらしたらどうぞ。それで破けるようなことはありませんので」
その声に、ルチアがまっ先に手を上げる。
そして、マットの上にころんと横になった。
「いい感じ! これ一枚で充分眠れそう。背中も痛くないし――でも、背中をぴったりくっつけると、やっぱり蒸れそう」
彼女に続き、ダリヤ、イデアもマットに横たわってみる。
ごわつく感じはあるが、背中や腰の痛みはなく眠れそうだ。
ただし、ルチアの言う通り、蒸れもしっかり感じられた。
その後は、フォルト達、男性陣が続いた。
女性が試している間は視線をずらし、終わってから男性が試すというのは、貴族男性であるフォルトの気遣いらしい。
「私の重さですと、これは腰が床につきますね」
「自分もちょっと厳しいです」
全員が試した後、フォルトと長身の魔導師がちょっと渋い表情となった。
体重があると、支える強さが足らず、腰が床についてしまうようだ。
「蒸れは上に布を一枚張ればましになると思いますが、底付き感は――もう少し厚めにして、空気が多く必要ですね」
「そうすると重量が嵩みますね……」
「ナディルさん、布を耐久限界まで薄くし、空気を多く入れることは可能でしょうか?」
「イデア主任、それだと裂ける確率が上がります」
皆で話し合う中、ダリヤは懸命に考える。
布の耐久性を上げ、重量も嵩を上げず、体格のいい隊員も底付きを感じない方法――
浮かばぬままに視線を動かしていると、ルチアのワンピースが目に入った。
「縞々……」
小さくつぶやけば、そこからたちまちにつながっていく。
「あの、空気を入れるところと入れないところを、横に交互に、こうストライプのようにできないでしょうか?」
「横に交互に……?」
「ストライプ……?」
ナディルとイデアに同時に尋ねられたので、スケッチブックを開いて図を描く。
マットに対して横、ストライプのように交互に、空気を入れた層と入れない層を並べる。
そうすれば底付き感は減るし、耐久性は上がるだろう。
加工費に関しても、かなり上がりそうだが。
「これは薬品で試すのは難しいです。成形で試してみてもよろしいですか?」
「ええ、ぜひ。かかる費用はいつでも服飾ギルドへ回してください」
フォルトがギルド長らしい言葉を返したとき、ノックの音がした。
「アウグスト殿、早かったですね」
「楽しい場へお呼びいただいてありがとうございます」
外の雨に当たったのだろう、藍色の髪と肩を濡らした男性が入ってきた。
冒険者ギルドの副ギルド長である、アウグストである。
「出遅れましたね。もう素敵なものができあがってるのでは?」
「いえ、ここからですよ」
フォルトの説明を受けたアウグストは、すぐグレースライム布のマットを試し、イデア達と成形の打ち合わせを行った。
予算は一切気にしないよう言い切るあたり、こちらもギルド長――正確には副ギルド長だが、じつに安心感がある。
話が一区切りつくと、アウグストは、赤茶の目を作業テーブルへ向けた。
興味深そうに厚い方の布を手にし、持ち上げたり、伸ばそうとしたりしている。
「これは――魔物の素材を持ち帰るのに使えるかもしれません」
「アウグスト殿、素材の運搬ですか?」
「はい。素材の多くは防水布に包んで持ち帰ることができますが、液体や水気の多いものは木樽か陶器です。破損することもありますし、重さもそれなりですから。これで容れ物が作れればありがたいのですが」
そう言った彼は、イデアに顔を向けた。
「野生のスライムの捕獲と運搬にもいいと思いませんか?」
「すぐに成形してみましょう!」
出来る上司というものは、部下がやる気を出す方法をよく心得ているらしい。
納得していると、隣のルチアがぽつりとつぶやく。
「グレースライムが、ものすごくたくさん要ることになりそう……」
本当にその通りである。
もっとも、他のスライムのように分裂させて粉にするわけではない。
グレースライムに餌をあげ、核のない分裂部分をもらうので、効率はいいかもしれない。
そう思うダリヤの向かい、フォルトが口を開いた。
「ところで――イデア先生はスライムをとても好んでいらっしゃいますが、素材にするのはお辛くはありませんか? グレースライムは別ですが」
その質問に、イデアは迷う様子なく答える。
「確かに、素材となるスライムはかわいそうだとは思いますし、グレースライムのような増え方になればとも思います。ですが、私は、スライムの絶対数を増やすこと、そちらを目標にしています」
「スライムの、絶対数……?」
聞き返したフォルトだけではなく、周囲も彼女を見た。
青藤の目に確かな光をたたえ、イデアは続ける。
「スライムは繁殖力は強いものの、戦闘に向かず、環境変化によって簡単に全滅します。ですから、スライムにとっては、様々な地域、様々な場で、絶対数を増やすことが、先々に必要なことだと思っております」
「なるほど。あなたはスライムを好む姫君ではなく、繁栄の女王ですね」
「まあ……」
イデアは一度目を丸くしたが、否定の言葉はなく――
その顔に、ただ美しい笑みが浮かんだ。