545.小鬼討伐と馬の話
「一匹たりとも逃がしてはなりません!」
魔物討伐部隊の副隊長であるグリゼルダの声に、騎士達が駆けていく。
ヴォルフは先陣を切り、槍を持つ小鬼に向かって行った。
スカルファロット領から王都に戻ってわずか三日。
街道で小鬼の小さな集落ができたのが確認され、副隊長のグリゼルダと、四十名ほどの隊員でやって来た。
今回の小鬼は槍を使う上、そこに毒を仕込んでいた。
先に向かった冒険者は毒にやられ撤退。
毒消しの腕輪で対応できぬ種類だったことから、神殿へ移送された。
小鬼は繁殖が早い上、魔法が使えたり、毒を使いこなしたりする個体もいる。
小さな集落でも危険と判断され、魔物討伐部隊が呼ばれることとなった。
槍は長めで攻撃範囲が広く、小鬼達の連携もそれなりに取れている。
まずは中央を分断するように斬り込んで、天狼の腕輪で回避を――そう思ったとき、己の名が叫ばれた。
「ヴォルフ、避けろ!」
ランドルフの声に、咄嗟に左へ回避する。
顔の真横を矢が飛んでいった。
槍だけではなく、弓を使う小鬼もいたようだ。
「弓使いを確認! 全員、矢と毒に注意! 盾持ちは前へ!」
グリゼルダから指示が飛ぶ。
ヴォルフの前、大盾を持ったランドルフが走る。
それに続き、盾を持つレオンツィオが駆け飛んでいく。
そして、カツカツと当たる矢をものともせず、並ぶ槍持ち小鬼をはね飛ばした。
この間に弓使いの小鬼を、そう思ったとき、弓騎士の声が響いた。
「行くぞ、カーク!」
「はい!」
弓騎士のミロが疾風の魔弓をつがえ、矢を放つ。
その軌道をカークが制御、強化した。
二本の矢をつなぐミスリルワイヤーは陽光にチカリと光り、小鬼を弓ごと、真っ二つに裂いた。
劣勢を悟った小鬼達は、ちりぢりになって逃げようとする。
隊員達はそれを各自で追いかけた。
ここから街道まではほんのわずか、集落に残るすべての小鬼を殲滅しなければいけない。
自分の視界の端、森に逃げ込もうとする小鬼が見えた。
手をつないで逃げる二匹を追いかけ、その背を斬ろうとし――足に速度がのらない。
「ヴォルフ、任せろ!」
ドリノが自分を追い越し、一刀のもとに斬り捨てる。
ヴォルフはそれを見て、その場で足を止めた。
周囲を見渡したが、すでに残っている小鬼はいないようだ。
こちらへ戻ってきたドリノが、剣を振って血を落とし、鞘に戻す。
「ヴォルフ、調子悪いのか?」
「あ、ああ、ちょっとだけ……」
おそらくそうなのだろう、鈍く頭痛がしている。
無理をするなと、ドリノに肩を叩かれた。
そこからは大きめの穴を掘り、殲滅した小鬼を埋葬、酒をかけ、皆で祈る。
この場所でなく、もっと山奥で人のいないところであれば、あの二匹も、この小鬼達も平和に暮らせたのだろうに――つい、そんなことを考えてしまった。
魔物討伐部隊が戦う相手は魔物だ。
これまで何度も斬ってきた。
それなのに、今日は妙に心がざわつく気がする。
そこからは馬に乗り、水場と馬止めのあるところまで街道を戻る。
明日の朝一で王都へ出発することとし、野営の準備となった。
テントを張った後、少し開けた場に防水布を敷き、遠征用コンロと食材、革袋のワインをそろえて、夕食となる。
ヴォルフは浅鍋で燻りベーコンを焼きながら、革袋のワインを口にした。
「ところで、領地はどうだった? ダリヤさんと銀蛍は見れた?」
ドリノに問われて思い返す。
きれいな銀蛍は見ることができたのだが、邪魔が入った。
「見たことは見たんだけど、途中で大蛙が出て、すぐ馬車に戻ったよ」
ダリヤの足にくっついた奴を全力で引き剥がしたかったが、腕の中にダリヤがいたのでできなかった。
彼女が優先だからで、やましいことは一切無い、きっと。
「大蛙って、そっちにもいるのか。せっかくのデートが台無しじゃん」
「デート……?」
オウム返しにすると、ドリノに怪訝な表情をされた。
それ以上聞かれる前にと、ヴォルフは彼への質問に切り換える。
「ドリノは、ファビオラさんと、どう?」
「ファビオラとの毎日? 控えめに言って天国です!」
一点の曇りもない笑顔で言い切られた。
その後に、一緒に料理をしており、彼女の上達が早いこと、市場へ魚を買いに行き、大きめの鍋まで買ったことを、うれしげに続けられる。
本当に幸せそうで、うらやましいかぎりだ。
自分が心からそう思っていると、隣の防水布に座っていたミロがこちらへ顔を向けた。
「ドリノ、次の戦いでまた後ろから射てやろう」
九頭大蛇戦でも活躍した弓騎士らしく、にやりと笑う。
しかし、ドリノはそれに動じない。
「そういうミロ先輩こそ、ご再婚おめでとうございます!」
「――ありがとう」
一拍遅れたが、オリーブ色の髪をした弓騎士も笑った。
ミロこと、ミロレスタノ・カジミーリは、先月に結婚し、ミロレスタノ・マルトレッリとなった。
酒が入ったとき、遠征から帰ったら妻がいなくなっていたと笑っていた彼だが、九頭大蛇戦後、その妻と縁を結び直し、再び結婚したのだという。
「どうだ、二度目の結婚は?」
同じ弓騎士仲間が、なかなか遠慮のない質問をした。
「まあ、揉めたな。挨拶に行ったら、あちらの父上に、もっと早く再婚しろと怒られて――」
再婚は予定の範囲だったらしい。
革袋のワインを啜りつつ、続きを待つ。
「婿に入るなら結婚を許すと言われた。確かに、妻を一人、家で待たせておくよりずっといい。妻は待つことより、私が何も気持ちを話さないことに疲れていたそうだ。薄っぺらな矜持で、家を一軒用意して格好を付けなくても、最初から腹を割って話せばよかったのだが……」
「遠征のことは言いづらいからな。守秘もあれば、どう話しても愚痴になるだろう」
大切な人に対し、愚痴は言いたくない。
格好いいところだけを見せたい。
その思いが、遠さに思われることもあるのだろう。
一人で待つ身であれば、なおさらに。
ふと、ヴォルフはダリヤを思い出す。
彼女は今、緑の塔に一人でいるのだろうか。さびしいと思ったりはしないだろうか――
つい思いを馳せていると、向きの変わった風を頬に感じた。
少しだけぬるいそれに、ランドルフが口を開く。
「ここ数日、急に夏になった気がする」
「まあ、夏も本番だからな。でも、今年はしっかり眠れそうだからいいじゃん」
「確かに。携帯温風器で風だけ設定を使えば、充分眠れますね!」
今年からは、暑く寝苦しい夜でも、弱い風で涼みつつ眠ることができる。
防水布や遠征コンロに続き、これもまた、ダリヤのおかげだ。
「ありがたい相談役には、次あたり、腰が痛くなくなる魔導具でも作ってもらえるといいんだが……」
「それは魔導具というより、錬金術師か薬師の区分では?」
先輩方の会話が続いている。
気持ちはわからなくもない。
テントで眠る際は、ごろりと横になり、毛布をかけて寝るだけだ。
薄手の敷物はあるが、ベッドのようなクッション性は到底望めない。
年齢が上の隊員ほど、朝、起きたとき、腰を拳で叩いている率が高い気がする。
まあ、そういう自分も起きたら腰を伸ばしたりしているわけだが。
ちなみに、今回の遠征を率いようとしたグラートを止め、グリゼルダが指揮を執っているのもこれが原因だ。
「グラート隊長大丈夫ですかね?」
「お辛そうだったな。王城ではエラルド様が治療していたが、腰は癖になりやすいとか」
「どれだけ元気な緑馬だったんでしょうね……」
グラートは以前の馬が高齢となったため、新しい騎馬を探していた。
一時は、借りた八本脚馬に乗っていたこともある。
だが、やはり専用の騎馬の方がいいらしい。
そうして決めたのは馬ではなく、緑馬――風魔法を使って飛ぶような速さで走ると言われる魔物だった。
草原で捕獲された緑馬の若馬は、とても足が速い。
しかし、気性が荒いのか、それとも気位が高いのか、鞭打たれても人に背を任せない。
前の持ち主二人が振り落とされて怪我をしたという、いわく付きの一頭だ。
グラートは休暇の二日間でその緑馬を乗りこなしたが、少々無理もしたらしい。
腰にその名残が残り、椅子から立ち上がる際に唸っていた。
年のせいではない、騎馬のせいだと力説なさっていたが。
「今頃、ジルド様あたりに注意されていそうですよね、グラート隊長」
カークが小声で告げてきたので、ドリノ達と共に納得のうなずきを返した。
昨年まで不和と言われていた二人は今、誰がどう見ても親しい友である。
魔物討伐部隊棟の廊下を連れ立って歩く姿も、よくみかけるようになった。
思えば、二人に話すように勧めたのもダリヤで――
ヴォルフはそこで、焦げかけた燻しベーコンに齧り付いた。
まったくどうしようもない。
何を見ても考えても、すぐ彼女につながってしまう。
隣で革袋のワインを飲んでいたドリノが、動きを止めた。
その青の目は、王都の方向へ遠くなる。
「……ファビオラ、今、何しているかなぁ……」
そのつぶやきが、よくよく理解できた。




