543.王城への馬車と護衛騎士
・申し訳ありません、先週は私用でお休みをいただきました。
・公式4コマ『まどダリ』第36話更新となりました。
どうぞよろしくお願いします!
※今週2話更新です。
「流砂の魔剣って、イシュラナにあるんですよね。先代皇帝が皇子だった頃、オルディネに来たときに帯剣していたという話がありましたけど」
「今代の皇子も持ってきてくれないだろうか? 見学できる機会はなさそうだけど」
ダリヤに見送られたヴォルフは、王城へ向かう馬車に乗っていた。
御者はソティリス、自分の向かいに座り、魔剣談義を繰り広げている相手はドナである。
今は、領主館でヴォルフの部屋にあった模造品、流砂の魔剣について話していた。
ドナは魔剣にも剣にも詳しい。
騎士ではないのが不思議なほどだ、そう思ったとき、彼が笑顔で言った。
「俺も、灰手は実物を見てみたいもんです」
「……あれ?」
こんな話を、以前にもドナとしたような気がする。
既視感をたどっていると、ドナが少し首を傾けた。
「どうかしましたか、ヴォルフ様?」
こげ茶の髪、草色の目、ちょっとだけ困った表情。
それもずっとずっと前に見た覚えがある。
領主館の女性騎士がドナへ言っていた。
『ヴォルフレード様の同行者として付くならば、騎士に戻るか、従者になりなさい』、と。
幼い頃の記憶を掘り起せば、岩のヒビから流れ出る水のよう、ゆるゆると思い出の破片が浮かび上がってきた。
「ドナって、前は騎士だったよね? 髪がもっと短くて、青い騎士服で……」
「――どなたかとお間違えじゃないです?」
「いつも母の斜め後ろにいて、母もドナって呼んでて……俺に、魔剣の話をしてくれた。灰手のことも教えてくれた……」
どうして忘れていたのか、いや、思い出せなかったのか、今はわかる。
彼は、あまりに母に近すぎた。
「母の護衛騎士、ドナヴィーロ・ハーゼス。すまない、あんなに世話になったのに、今日まで思い出せなかったなんて……」
「ヴォルフ様、そこまでで。その騎士はもういません。ここにいるのは庭で犬と遊んでいるだけの、ただのドナです。でも――ドナヴィーロという男がいたら、たぶんこうしていたと思います」
ドナが座席から下り、床に両膝と手をつき、深く頭を下げる。
「ヴォルフレード様、ヴァネッサ様をお守りできず、申し訳ありませんでした!」
そのまま上がらぬ頭を見て、ヴォルフも座席から下りた。
謝らなくていい、そう言って、ドナを両手で起こそうとしたが、体を固めたように動かない。
その肩に手を置いたまま、ヴォルフは言葉を探す。
スカルファロット家の馬車が襲撃された日、ドナヴィーロも一緒だった。
母よりも先に馬車の外へ出た。おそらくは重傷を負っただろう。
護衛騎士が主を守れなかった、ドナはその責で騎士をやめたにちがいない。
騎士であるヴォルフは、それを肯定することも否定することもできない。
けれど、父は仕事、兄達は学院でいないとき、よく一緒にいてくれたのは彼だ。
庭の草花のこと、虫や小動物のこと、魔物や魔剣のこと、沢山のことをヴォルフに教えてくれた。
「言葉は受け取った。でも、俺はドナヴィーロを責める気持ちは、本当に、一切ないんだ」
「ヴォルフ様……」
「母も騎士だったんだ。母もドナヴィーロを責めることは絶対ない。むしろ、俺達が暗いままなのを知ったら、たぶん言われてる。『とりあえず、沢山食べて寝ましょう。悩みの多くはそれでなんとかなります』って」
ドナがようやく頭を起こす。
くしゃりとした笑顔がヴォルフに向いた。
「なんとかならない悩みはどうするんですかって聞いたら、『レナート様に相談します』って、言われましたね」
「母らしい、と言うべきなんだろうか? 父にも話を聞いたけど、俺の思っていた母の印象と大分違ってて……」
「思い出は美化されるらしいですよ、ヴォルフ様」
ちょっとだけ硬く笑い合うと、二人でようやく座席に戻った。
自分の向かい、ドナが浅く咳をする。
「ヴォルフ様がご不快なら、俺は今後、視界に入らぬ努力をしますし、ロセッティ会長の馬車の担当も変わります」
「気にしないでほしい。いや、ドナのままがいい」
そう言うと、彼が動きを止めた。
話が切れぬよう、ヴォルフは願いを口にする。
「よかったら今度、母のことを教えてもらえないだろうか? 父にも聞いたんだけど、覚えていないことが多くて――もちろん、仕事の延長みたいなものだと思うから、俺からきちんと支払う」
「雑談は仕事の延長じゃないんで、いつでもいいですよ。でも、意地汚い俺は、うまい酒を一本持ってきてくれるととても喜びます」
いつものドナに戻った、そう思えて少しほっとした。
話はそこからも続く。
「母は、ダンスで男性パートしか踊れなかったらしいんだけど、ドナは知ってる?」
「ええ。ヴァネッサ様は外の舞踏会には出ませんでしたけど、家の中では、レナート様と逆パートで踊ってましたね。庭でジュスティーナ様達と練習したこともありますよ」
「それは見たかったな」
「ヴォルフ様も見てましたよ。よく見えるようにって、俺が肩車をして――」
不意に思い出す、高い視界。
庭の緑の芝生の上、水色や青、白のドレス、その裾が花のように広がるのを、ヴォルフは楽しく眺めていた。
だが、肩車をしてもらい、手で押さえる騎士の頭、短いこげ茶の髪はちくちくする。
『ドナ、髪、伸ばしてください』、そんな無理を願った記憶がある。
目の前のドナ、そのこげ茶の髪は癖があって、少し長めだった。
「あの、ドナ、髪を伸ばしたのって、もしかして、俺のせい……?」
「結構気に入ってるんです、この髪型」
ドナは否定することなく、軽い声で答える。
そして、草色の目で自分を見た。
「ヴォルフ様、俺もちょっとお伺いしたいことがありまして」
「何?」
「子供の頃にしてみたかったことって、何かありません?」
「してみたかったこと……魔物ごっこというか、鬼ごっこは家でしたし、カード遊びもしたし。兄上達から宝物も受け取ったし、兄上達と一緒に馬も乗ったし、皆で川遊びもしたし。ここのところ叶いすぎて、今は思いつかないな……」
「少しは取り戻せました、子供時代?」
「ああ!」
ヴォルフは心の底からうなずいた。
自分の向かい、ヴァネッサの護衛騎士であった者の笑顔は、少し母に似ている気がした。
・・・・・・・
ドナは王城の馬場でヴォルフの背を見送った。
少し先まで歩いた彼が、振り返ってにこりと笑う。
それが昔、庭から屋敷に入るヴォルフと重なって、思いきり笑い返してしまった。
「行ってらっしゃいませ!」
数人が振り返るほどの声量になったのは忘れてもらいたい。
自分は、もう騎士にはなれない。
だが、スカルファロット家の庭の番をし、ロセッティ商会長の移動を守り、雑用をこなすことぐらいはできる。
それと、ヴォルフをこうして見守り――ちょっと背中を押すぐらいは見逃してほしい。
ドナは馬車に戻ると、窓にカーテンをひき、両手で目を押さえる。
これはきっと、強い夏の日差しのせい。
金の目のまぶしさが目にしみたわけではないのだ。
 




