542.別邸の報告会
・『魔導具師ダリヤはうつむかない~Dahliya Wilts No More~』 8巻、5月10日本日発売です。
・公式4コマ『まどダリ』第35話更新となりました。
どうぞよろしくお願いします!
「い、行ってらっしゃい、ヴォルフ」
「行ってきます、ダリヤ!」
スカルファロット家別邸の玄関に立ち、ダリヤはヴォルフを見送る。
彼は本日から出勤、王城で魔物討伐部隊の鍛錬へ行くのだ。
そう久しぶりの登城のせいか、それとも鍛錬のせいか、とても爽やかな笑顔で出かけていった。
その背中を見送り、邸内に戻る。
愛想のいいメイド達を横に、笑いを堪えたようなマルチェラと廊下を歩き出した。
本来であれば、ダリヤは昨夜、緑の塔に帰り、荷解きやお土産の仕分けをする予定だった。
だが、安全のためこちらにいる。
昨日の夕方、緑の塔に帰宅したところ、玄関に蜂が小さな巣を作っていた。
蔦に絡まれまくった塔は、蜂が巣を作りやすい。
そのため、春の初めに忌避効果のある薬を蔦に撒くのだが、すっかり忘れていた。
というか、以前は父とトビアスがやっていたので、ダリヤは一度もしたことがなかったのだ。
業者に頼もうと思って失念し、見事に巣を作られた形である。
玄関の蜂の巣は、ドナが即、撤去してくれた。
だが、他にも蜂の巣があるかもしれない、そのついでに蜂の忌避剤も撒いた方がいいと言われた。
宿を取り、業者を探そうとしたダリヤに、ヴォルフが別邸での宿泊を勧め、ドナが専門家にアテがあると言ってくれ、こちらに移動した。
幸い、別邸には以前からダリヤの着替え用として、部屋も準備されている。
ありがたくそちらを使わせてもらうことにした。
ヴォルフと夕食を共にし、領地での出来事を語り合い、ちょっとだけ夜更かしになってしまった。
そして本日、彼を見送ったところである。
塔の蜂に関しては、ちょうどスカルファロット家の庭師二名が手空きとのことで、確認から忌避剤を撒くところまで引き受けてくれるという。
費用の支払いを申し出たが断られ、無料では心苦しいと食い下がり、小型魔導コンロを人数分贈ることでまとめた。
なお、庭師達はお酒もいけるとドナが言っていたので、緑イカの干物なども、みっちりつける予定である。
「会長、どうぞ」
マルチェラにドアを開けてもらい、ロセッティ商会用に借りている部屋に入る。
椅子に腰を下ろしたところ、イヴァーノとメーナもやってきた。
「お帰りなさいませ、会長」
「お帰りなさい、会長」
二人に笑顔でそう言われ、王都に帰ってきたと改めて実感する。
朝早くから仕事をしていたのかとイヴァーノに心配されたので、塔の蜂の件について説明した。
皆に、刺されなくて良かったと言われることになった。
「この一週間、ありがとうございました。こちら、おみやげです」
テーブルに載せた箱は三つ。
中身はスカルファロット領産の蜂蜜と、タイムの花を乾燥させたものだ。
どちらもきれいに瓶詰めされている。
三人の部下達は笑顔で受け取ってくれた。
「会長、スカルファロット領はどうでしたか?」
「いろいろな魔導具を見せていただきました。あと、スカルファロット家の魔導具師の皆様と魔石ケースの話をしたり、実験をしたり――」
改良疾風船に関しては、グイードがイヴァーノに説明するという。
先に言うのはまずいかと思うので、単語は出さず、続きを述べる。
「近くの一番村や、夜犬の飼育場も見せていただきました。子犬がとても可愛かったです」
「スカルファロット家はどうでした?」
「皆様、とても親切で、とてもお世話になりました」
緊張しており、失礼も多かったと思うのに、皆、優しかった。
今世、親戚の家にすら行ったことのないダリヤだが、本当に楽しく過ごさせてもらった。
「こちらでは何かありましたか?」
「ミトナ様がイシュラナへお戻りになりました。来月、またいらっしゃるそうです」
ハルダード商会長代理となったミトナは、かなり忙しそうだ。
次に来るときまでに水の魔石ケースの試作を準備し、彼にも相談できればいいのだが、そう考えていたところ、イヴァーノが報告を続けた。
「それと、イデアリーナさんが、馬車の車輪カバーを開発しました」
「車輪カバー、ですか?」
「グレースライムの不要分から、衝撃を受け止める素材ができたそうで、こちらがサンプルです」
イヴァーノが棚から平たい銀の金属箱を持って来た。
中身は濃い灰色の物体が丸い輪になったもの――硬く、指で強く押すとわずかな弾力を感じる。
前世のゴムに近い感じだ。
グレースライムは、タイヤになるらしい。
「金属より減りは早く、耐久性は落ちるそうですが、乗り心地は段違いです」
イヴァーノはすでにグレースライムタイヤの馬車に乗ったようだ。
今までも弾力のある木や金属の組み合わせ、サスペンションなどの仕組みなどはあったが、これはかなり画期的なものだろう。
「グレースライムを急いで増やすことになりそうですね」
「それが、グレースライムはちょっと変わった習性で、飼育している場の広さで数が決まり、それ以上は増えないんだとか。それで、餌を食べて成長し、古い部分を廃棄――核のないスライムのように分裂するんだそうです。その切り離された部分を乾燥させ、薬品と熱を加えて形を整えると、この車輪カバーになるそうです」
「グレースライムって賢いんですね。それなら出荷されることなく、そこで人間に餌をもらって、ずっと暮らせるわけですから」
メーナが感心していた。
確かにそう考えるとすごいことである。
人間と暮らすスライムは何をどうしたのか、双方にいい方法へ進化したらしい。
「グレースライムは、なんでそんなふうになったんだろうな?」
マルチェラが首を傾げるのに対し、メーナが軽い声で返す。
「ニコレッティさんが言い聞かせたんじゃないですか?」
「そんなことは――」
ダリヤは言いかけて、そっと口を閉じる。
あれほどスライムを愛するイデアだ、意思疎通ができるようになってもおかしくない、気がする。
「グレースライムをガラス瓶で飼い、家庭内の生ゴミを食べさせて飼育すれば、餌代も不要、生ゴミの回収も楽になるのではないかと、今、関係者の家で試しているそうです。生きているものや新鮮なものは食べないそうなので、人間やペットにも害はないかと」
「素晴らしいことですね」
馬車の車輪カバーが低価格で大量にできそうだ。
ゴミの回収は有料なので、一部ではこっそり捨ててトラブルになったりもすると聞く。
環境にも経済的にいいものになるかもしれない。
ダリヤとしても期待を寄せるばかりである。
「マルチェラ、今日はもう帰宅して、明日から一週間、しっかり休んでください」
話が区切りとなったので、ダリヤはそう呼びかけた。
グイード達が領地にいる間、スカルファロット本邸もにぎやかだったらしい。
ヨナスとベルニージ、アウグスト夫妻が鍛錬をしているところにマルチェラも呼ばれ、ディアーナ、スカルファロット家の騎士、魔導師の一部も参加。
差し入れを届けに来たベルニージの妻とローザリアが観戦。
最終的にグイードの愛娘であるグローリアも参加したそうだ。
皆が楽しげなのに誘われたのかもしれない。
「大変充実した鍛錬生活でした……スカルファロット家は次世代も安泰だと思います……」
今朝会ったマルチェラは、燃え尽きているように見えた。
鍛錬による疲労と、周囲への気苦労だろう。
本日は早めに帰宅してもらい、明日からの一週間しっかり休んでもらいたいと思う。
その次はメーナに休んでもらう予定だ。
「じゃ、俺はマルチェラさんを送ってきます」
「いや、俺は歩いても――」
「イルマへのおみやげもあるので、馬車を使ってください」
妻を理由にすると、マルチェラは頭をかきつつ了承してくれる。
そうして、メーナと共に部屋を出て行った。
「さて、水の魔石ケースの件ですが、グイード様から魔鳩でお手紙を頂きましたので、砂漠蟲の外皮を、一山集めておきました」
「ありがとうございます、イヴァーノ」
グイードもイヴァーノも仕事が早い。
一山あれば、コルンと早いうちに試作ができそうだ、ダリヤはそう安堵した。
なお、一山が倉庫一つ分だと知るのは、少し先の話である。
「あとは会長宛のお手紙です。確認して対応しましたが、これは俺が開けていいかわからなかったので――」
差出人は人ではなく、『鈴音』という店の名だ。
年配の店主が、酒器を売っているところである。
白い便箋には少し太めの文字で、短い挨拶と連絡が綴られていた。
「南区の東酒用の酒器を売っているお店からです。注文していた錫の器が届いたそうなので、今回のお礼に、レナート様へ贈る予定です」
「なるほど。錫はきれいな銀色なので、スカルファロット家の皆様に喜ばれそうですね」
イヴァーノの言葉通り、気に入ってもらえればと思う。
お礼として遅くならないよう早めに取りに行こう、ダリヤはそう思いながら、そっと便箋を戻した。




