541.帰る者と見送る者
住川 惠先生、『魔導具師ダリヤはうつむかない~Dahliya Wilts No More~』 コミックガーデン様6月号表紙・最新話掲載となりました。8巻、5月10日発売です。
どうぞよろしくお願いします。
「この度は身に余るご厚情にあずかり、誠にありがとうございました。この上なく素晴らしい時を過ごさせていただきました。素晴らしき御地に、重ねての繁栄がありますよう、心よりお祈り申し上げます」
スカルファロット領主館前の水面に、朝の日差しがきらめいている。
ダリヤは男爵として、領主館の主であるレナート、その妻、ジュスティーナへ挨拶をした。
彼の後ろには、ずらりとスカルファロット家の者、騎士、執事、従僕とメイド、魔導具師と並んでいる。
言葉には、今回お世話になった全員へ感謝の思いをこめた。
貴族の定型挨拶だが、レナートは笑みを浮かべてくれている。
それはグイードとよく似ていて――ヴォルフとも似ていると思えた。
昨夜の銀蛍観賞は、大蛙にくっつかれて中断した。
幸い、ズボンとブーツがちょっとベタついただけで怪我はない。
己の足にしがみつく蛙を見たときの驚きは忘れられそうにないが。
銀蛍観賞は途中になってしまったが、ヴォルフは来年もと言ってくれたので、楽しみにしている。
「父上、ジュナ様、また来ます。体に気をつけてください」
「ヴォルフも、隊の任務と酒の飲み過ぎには気をつけるように」
いつの間にか、二人に対するヴォルフの口調が、一段砕けたものとなっていた。
それを受けるレナートも同じだ。
ヴォルフの横、グイードとエルードも、それぞれに家族らしい挨拶をした。
「皆、いつでも来るといい」
「楽しみにお待ちしています」
ジュスティーナはそう言った後、視線をなぜか自分に留めた。
そして、そのまま歩み寄ってくる。
早足で続くメイドが、細長く黒い袋を彼女へ渡した。
「ロセッティさん、こちらをどうぞ。私は刺繍が得意ではないので、申し訳ないのですが……」
袋の中身は、先日見せてもらった魔導具、守護扇、護身用の扇だ。
それを入れる黒い絹の扇袋には、金糸で雪の結晶模様がいくつも刺されている。
すべてジュスティーナの手によるものらしい。
扇を取り出すと、袋の口をそっと開いて見せてくれる。
内側に、小さな黒い犬が刺繍されていた。
夜犬と護衛をかけてくれたのだろう、かわいい子犬に笑んでしまう。
「いえ、とてもきれいで、かわいらしいです。ありがとうございます」
「この扇は私から贈らせていただいてもよろしいかしら?」
「はい」
レナートよりジュスティーナから贈られる方が形式的にいいのかもしれない、そう思ったダリヤは素直に了承した。
彼女は扇を袋に戻し、両手でそれを持つ。
ダリヤを見る青の目に、光が強くなった気がした。
「ダリヤ・ロセッティ殿、男爵に成られましたことに祝いを。この先の道に、幾度も風は吹きましょう。されど揺らぐことなく、強く、気高く、お進みください。あなたの歩まれる道が光に満ち、幸い多からんことを、心より祈ります」
その唇から紡がれたのは、まっすぐな祈りだった。
貴族女性に初めて扇を渡すのは家族、中でも母、祖母などの年長者の女性が多いとは聞いていた。
けれど、自分にはどちらもおらず、こうして扇と共に祈りを贈られることなどないと思っていた。
ジュスティーナの手は震えている。
その手から、ダリヤはありがたく扇を受け取った。
「お心に感謝申し上げます」
「身も飛ばされそうな嵐の際は我が家を――こちらは遠いので、王都のスカルファロット家でも、遠慮なく相談してくださいませ」
「はい」
扇を渡して組んだ彼女の指は、いまだ震えを残している。
自分の隣にはヴォルフがいる。
馬車の襲撃を思い出し、今も心の傷と戦っているのだろう。
それでも美しく笑む姿は、どこまでも貴族夫人に見えた。
王都へ帰る馬車の扉が開けられる。
ダリヤは扇を胸に抱き、ヴォルフやグイード達と共に馬車へ向かう。
端にいたリチェットと目が合ったとき、彼が数歩前へ進み出た。
「ダリヤさん、魔導具師として、たってのお願いがございます」
「なんでしょうか?」
改良疾風船に関する情報共有だろうか、そう思ったとき、彼は言葉を続けた。
「スカルファロット領にいらっしゃいませんか?」
「え?」
「商会をお持ちなのも、王城へ出入りしているのも存じ上げております。ですが、あなたと共に魔導具が作りたいのです。こちらに部屋を持ち、必要に応じて王都へ行かれてはいかがです? 我々、スカルファロット家所属魔導具師は全力で歓迎、協力致します」
リチェットを見ていた魔導具師達が、一斉にダリヤを見る。
その視線に熱さを感じるのは気のせい――ではなさそうだ。
考えを現実化するのにブレーキもいらなければ、さらに押す仲間がいるのはとても楽しかった、面白かった、時間がもっとあればと思った。
けれど、ダリヤには自分で背負った役目がある。
「お声がけはとてもうれしく思います。ですが、私は魔物討伐部隊の相談役魔導具師であり、ロセッティ商会の会長です。王都でその仕事に励みたいと思います」
返事に迷いはないが、白状すればちょっとだけ残念な思いはある。
もっと近くに住んでいたなら、時々は一緒に仕事ができたのかもしれない。
リチェットはそんなことを考えている自分に、目を細めた。
「では、せめて手紙のやりとりを、コルン経由でさせていただけませんか? あと、年に二度、短くともかまいませんので、こちらで共に研究と開発をお願いできませんか? できれば、ヴォルフ様もご一緒に。疾風板の改良で、運動神経のよいヴォルフ様がいらっしゃると、とても助かるのです……」
声は懇願の響きとなっていた。
ダリヤはヴォルフと顔を見合わせる。
それであれば可能だろう、目で話し合っていると、レナートが口を開いた。
「湖や沼の管理に、疾風船は欠かせないものになるだろう。王都では、我が家が試作した船を走らせられる場が少ないのでな。隊の任務は忙しいとは思うが、時間をとってもらえるなら手伝ってもらいたい」
「はい、父上」
「ぜひ参加させてくださいませ」
「じつにありがたいことです」
リチェットも魔導具師達もいい笑顔となった。
こうして、スカルファロット領から離れぬうちに再訪が確定した。
そこからは再び馬車へ向かう。
ダリヤはこれだけの人数に見送られるのは初めてで、ちょっと落ち着かなかった。
ダリヤと同じ馬車に乗るのはヴォルフ、ドナとソティリスは共に御者台である。
ソティリスは昨夜、領主館の騎士達と飲み、話が弾んで度を越したそうだ。
手綱を持つドナが『底無しにも底があったんですね』と笑っていた。
馬車の前を行くのはグイードとエルードだ。
八本脚馬に乗り、騎士二人乗りの鞍の確認中である。
移動は騎馬がメインなので、やはり馬具は重要なのだろう。
今後、イエロースライムからできた衝撃吸収材の需要が高くなるかもしれない。
青空の下、馬車が走り出す。
ヴォルフが一拍迷ってから窓を開け、領主館の皆へ大きく手を振った。
どっと上がる歓声と共に、気をつけて、また帰ってきてください、といった叫びが飛ぶ。
それに混じって、ダリヤさんもまた来てください、なるべく早く!という声が聞こえた。
ヴォルフと顔を見合わせ、共に笑ってしまう。
「また来よう、ダリヤ。次も、なるべく早く」
「ええ、なるべく早く」
領地への再訪は、夢でも希望でもなく、二人の予定となった。
それがとてもうれしかった。
・・・・・・・
「ジュナ、大丈夫か?」
ヴォルフ達の馬車が見えなくなるまで見送ると、隣の妻がふらついた。
レナートは咄嗟にそれを支え、その状態を確かめる。
「何も問題ありませんわ。これから部屋でゆっくり紅茶を飲もうかと思いまして」
それは部屋でしばらく休むという意味だ。
ヴォルフを前に無理を押してのこと。
顔色は色付きの粉で誤魔化せても、指の震えまでは隠せない。
レナートはジュスティーナの手を取った。
「部屋まで送ろう。それとも、一緒に紅茶を飲むか?」
「うれしいお言葉ですが、それは午後にしてくださいませ。ここからご予定がおありでしょう?」
「――そうだな」
我が妻はお見通しらしい。
するりと外された手は、メイドが代わって支えた。
スカルファロット家当主となって、駆け通しでここまできた気がする。
当主を引退したら領地でゆるりと過ごせる、周囲にそう言われたこともある。
自分も少しぐらいは歩みをゆるめられるかと思っていた。
だが、そうはいかないらしい。
かわいい息子達は、父である自分に仕事を山と積んでいった。
大蛙の調査と殲滅、これはできるかぎり急ぐべきだろう。
また、魔導具師達には改良型疾風船をさらに進めさせ、騎士達には乗りこなす技術を積ませる必要がある。
あとはグラティアと共にいたという、シルフらしきものの確認も必要だ。
グイードが王都から緑のリボンと銀の鈴を送ってくれるというので、次は風魔法に強い騎士に疾風板を預けてみるべきか。
次の季節までには、ワイバーンの発着場と厩舎も準備しておきたい。
王城には、非常連絡用として届け出れば問題ないだろう。
だが、餌の確保と保存は計画的にやる必要がある。
頭の中で組み立てていると、視界の隅に我が家の筆頭魔導具師が見えた。
「リチェット、望むものはないか?」
「そうですね。ちょっといい蒸留酒をお願いしても?」
前置きなしに聞いたが、待っていたかのように答えられた。
水の魔石で功高き魔導具師は、それ以外にも長けている。
相手に大きな願いごとをし、断られたところで下げた願いを述べる。
人はそれで受け入れやすくなるといわれる。
そのせいかどうかは定かでないが、ヴォルフとダリヤは再訪を約束した。
魔導具作りとして受けた以上、ダリヤが遠慮する理由はない。
ヴォルフも懸命に休暇を作ろうとするはずだ。
二人の再訪はリチェットにも利はあるが、自分にとってとてもうれしいことだ。
願えるなら早くうまく決まってほしいものだが――
こればかりは恋と愛の女神にでも祈るしかないだろう。
「後で届けさせる。板ハムもつけるよう言っておく」
「ありがとうございます、レナート様」
「改良で必要なものは随時購入してくれ。泳ぎも忘れるほど楽しみになさっている方もあるようだからな」
「次のお届けで水晶板を予定しております。もしかすると、よりお気に召して頂けるかもしれません」
グラティアの名は出さず、それでも話は通じた。
話を終えたリチェットは、研究室へ向かって歩き出す。その歩みは速い。
後ろをついていく魔導具師達も、皆、早足だ。
メイド長に時間毎に必ず食事をとらせるよう言付けておく方がいいだろう。
そして忙しい中にもう一つ、外せぬことがある。
視線を動かせば、目の合った執事がやってきた。
「旦那様、何か?」
「ジュゼス、薬品の開発を追加する」
「わかりました。領内の樹木、薬草を使用したものであれば、候補のリストをお持ちしますが?」
スカルファロット領内の木の皮や薬草からは、咳止め、鎮痛剤、浮腫取りなどの薬品が開発されている。
水の魔石のように目立つものではないが、どれも重宝されている薬だ。
領内のものを有効に使うのはいいことだが、今回にかぎっては別である。
「いや、領内だけではなく、領外の素材を使ってもかまわん。完全な新薬扱いで、薬師と錬金術師と早めに打ち合わせをしたい」
「早急に準備します」
王都のスカルファロット家を取り仕切るはずだった執事は、グイードの命でこちらにやってきた。
息子は、意見の相違があるので領地行きを勧めた、そう言っていた。
ジュスティーナの専属メイドは、執事であるジュゼスの妻。
領地で家族と共に過ごせるようにしたか、長い働きに報いたものと思ったが――
レナートの仕事が減らないのを見越してのことだったかもしれない。
新しいスカルファロット当主は、まちがいなく自分より有能だ。
そう納得し、少しだけ会話の間が開いた。
「失礼ながら、レナート様、どなたかが病に……?」
要らぬ心配をさせてしまったらしい。
声を潜めたジュゼスに、レナートは真顔で返す。
「薬効高い胃薬が欲しい。我々はもちろん、子供達にも必須だろう」
これまで、どのような命令でも滅多に表情を崩さなかった執事が、耐えきれぬように笑い――
共に笑いあった。




