540.夕食会と銀蛍の夜
・FWコミックスオルタ様、赤羽にな先生『王立高等学院編』第16話
臼土きね先生『服飾師ルチアはあきらめない』第28話、配信開始となりました。
・公式4コマ『まどダリ』第34話更新となりました。
どうぞよろしくお願いします!
改良型疾風船の試運転を終え、屋敷に戻る。
一部後ろ髪をひかれまくっている者達がいたが、本日はダリヤの宿泊最終日、準備もあるのだと聞くと、即、帰り支度をしていた。
楽しい時間に水を差すようで、ちょっと申し訳なくなった。
なお、グラティアはヴォルフの乗っていた改良型疾風板がお気に召したらしい。
陸に戻っても、しばらく板に張り付いていた。
このため、グラティア湖を守る騎士達は、改良型疾風船と疾風板の操縦を学ぶことに決まった。
もっとも、ぜひ乗りたいという者達ばかりでほっとしたが。
帰路もにぎやかだった。
ダリヤはリチェットとコルンと同じ馬車で、テーブルの上に図面を広げ、改良点について話し合った。
前を走る八本脚馬では、ヴォルフと父であるレナートが、新作の騎士二人乗りの鞍を試し中だ。
後ろではグイードとエルードが、馬を並べて話していた。
体感としては短い時間で、スカルファロット領主館へ戻った。
午後のお茶の時間過ぎからは、夕食会と歓談となった。
席に着いたのはダリヤとスカルファロット一族――レナート夫妻、グイードとエルードとヴォルフ、そして、従弟妹であるアンドレアとアレッシアだ。
スカルファロット領主館での夜は、本日が最後。
話す時間を取りたいという名目で、フルコースでのもてなしを受けた。
「スカルファロット家、そしてロセッティ家の繁栄を願って、乾杯!」
「「乾杯!」」
レナートが乾杯の指揮を執り、スパークリングワインと炭酸水で乾杯した。
最初に出されたのは、ラルドという、豚脂の塩漬けが載った薄切りのバゲットだ。
このバゲットは、パン分け――一つのパンを参加者で分けて食べ、親睦を深める意味合いのものだろう。
カリッと焼かれたバゲットの上、半透明の白いラルドがとろりと載る。
バターともチーズとも違った感じである。
「ダリヤ先生、ラルドは生ハムの脂身のようなものだ。溶けている方がうまい」
肉に詳しいエルードが教えてくれた。
バゲットは一口サイズにカットされているので、ラルドが落ちぬよう、そっと口に運ぶ。
口内に最初に広がったのは、バゲットの香ばしさ。
続いて、ラルドの脂の甘みがそれを包み、濃い旨みがじわじわ広がる。
ほんのりとわかるローズマリー、きりりと味を引き締める胡椒、すべてがきれいにつながった。
後味にくどさはないのに、余韻は残る。
「おいしい……」
口に出す前に、隣のヴォルフに言われた。
「追加と言いたいところだが、次の皿が来たようだ」
微笑むグイードの言うとおり、銀のワゴンが部屋に入って来た。
「仔牛肉のツナソースがけでございます」
白い皿の上、ピンク色の薄切り肉、緑の葉、そしてクリーム色のソース、盛り付けも色合いもきれいだ。
野菜と煮込んだ仔牛肉をスライスし、ツナソースをかけたものだという。
一番小さい肉を口にすれば、冷やされている肉なのに柔らかく、丸みのある味わいだった。
それがなめらかなツナソースと合わせると、華やかなものに変わって、二度おいしい。
家ではとても真似できないそれを、しみじみと味わった。
料理を口にしながら、歓談も進む。
最初の話題は、スカルファロット領から魔石を運ぶ道についてだった。
「今の倍、四線にしたいのだが、国の認可が取れたのは三線までで――」
グイードは馬車が四台通れる道幅を希望しているのだが、国からは三台で間に合うと判断されたそうだ。
魔石を運ぶ馬車の量、万が一の事故の迂回、そういったことを説明したが、微妙らしい。
かといって、王都と街道につながる道は、国に認められないかぎり、新規増設と大幅な拡張ができない。
「私の代で王都に攻め込む予定はないのだがね」
「陸路ももうないだろう」
「二人とも、冗談が過ぎますよ」
ぼやいたグイードへエルードが冗談を投げ、母に叱られていた。
しかし、領地に来るときも事故については聞いた。
旧道で迂回できるとはいえ、運搬と安全を考えれば、やはり道幅は欲しいだろう。
ダリヤがそう思っていると、レナートが口を開いた。
「グイード、先日も道の脇が崩れて一時馬車を止めたのだ。一度、『ゆっくり』点検をしてはどうだろう?」
「そうですね、父上。『ゆっくり』確かめる必要があります。アンドレア、イシュラナの魔石の方は区切りがつけられるだろうか?」
「イシュラナへの送付分はまとめて朝一番で通し、その直後から『ゆっくり』点検して頂ければ問題ないと思います」
ゆっくりが三度強調される中、皆、涼しい表情で酒と食事を味わっている。
ダリヤもひたすらに、チーズとハーブと共に焼き上げられた、線状の夏野菜を咀嚼していた。
「王城と一部の貴族家には魔石の遅れでご迷惑をおかけするかもしれないが、点検は必要だし、道幅が足りないのだから仕方がないね」
「領民と商業関係は、点検の休憩中に通せばいいですしね」
グイードとアンドレアが息の合った会話を交わす。
点検で道を止めれば、当然、魔石の運搬は遅れる。
遅れる先は王城と一部の貴族家のみにうまく調整されるらしい。
とはいえ、点検をおろそかにして土砂崩れなどが起きたら、その方がまずい。
水の魔石は反対意見もざばざばと流し去りそうだ。
「ところで、庭師から話がありましたが――」
話を切り換えたのはジュスティーナだった。
「船で傷んだ芝は直せますが、魚は治せないとのことです」
「一部の魚はポーションで治療したのですが」
「命はつながりましたが、領主館正面、特に橋に寄りつかなくなったそうです」
「心に傷を負ってしまったのですね」
アレッシアの言う通りである。
庭に跳ねる銀の魚を思い出し、ダリヤは内でそっと詫びた。
「橋からうまい餌を三日も撒いたら、忘れてくれないだろうか?」
「鳥ではないので難しいかと思います、エルード兄上……」
魚の心の傷はどうやったら癒えるものか、皆で話し合ったが答えは出ない。
今後はスカルファロット家が管理する近くの池、またはグラティア湖での試走を基本とすることでまとまった。
次に出てきた料理は、川魚の塩釜焼きだった。
料理人に塩の固まりを割ってもらいつつ、皆、ちょっと神妙な面持ちになってしまう。
しかし、その身の味わいは素直で、とてもおいしかった。
料理と歓談はゆっくりと続く。
領主館裏手の森にクッションリスがいて、時折飛ぶのが見られること、夜犬の散歩が成犬になると大変なことなど、身近な動物の話。
スカルファロット領内で行われる秋の収穫祭、冬の保存食、推奨されている編み物のこと――どれも興味深かった。
それぞれが領地を誇りに思っているのも感じられた。
隣のヴォルフは、金の目を輝かせて話に入っている。
兄達、父母、そして親族と楽しそうに話す彼は、もう一人ではない。
緑の塔よりここの方が、彼にとって楽しい場所になったかもしれない。
デザートの苺シャーベットのせいだろうか、胸の内側が少し冷えた気がした。
「ダリヤ、これから移動は平気? 酔いが醒めるまで少し休む?」
「――大丈夫です」
食事が終わったのに、立ち上がるのがちょっと遅くなってしまった。
ヴォルフはそれをスパークリングワインの酔いだと思ったらしい。
食事を終えた今がいつもの夕食の時間だが、これから出かける予定がある。
スカルファロット領内の沼へ、ヴォルフと銀蛍を見に行くのだ。
銀蛍は名前の通り、銀色の羽根を持つ蛍である。
通常の蛍よりも大きく、輝きも強い。
その羽の粉は光沢出しや蓄光が可能なため、魔導具の素材にもなる。
王都の衛兵が持つ夜警用魔導ランタン、そのカバーの塗料にも使われている。
銀蛍はそれなりにいいお値段になるので、この時期、領民が網を持って捕まえるそうだ。
もっとも、行く予定の沼では、網を持った者と出会うことはないだろう。
スカルファロット家が水質確認や湖魚の生態観測に使用している沼だからである。
「急いで着替えてきますね」
「ゆっくりでいいよ。俺も着替えがあるし、虫除けも塗らないと」
廊下でそう話し、それぞれ準備に向かうことにする。
沼地に向かうのだ、長袖シャツにズボン、足下はブーツ、出ているところには虫除けをしっかり塗らなくては。
そして、銀蛍をしっかり観察しよう!
ダリヤは気持ちを切り換えて歩き出した。
・・・・・・・
「お待たせしました」
ヴォルフが領主館の玄関で待っていると、ダリヤが眼鏡なしのダリ姿でやってきた。
最初に出会った日と似た服装だが、今の方がさらにかわいい。
そんなことを考えていると、グイードとエルード、騎士達もそろった。
ヴォルフとダリヤは銀蛍の見学だが、兄達は水質確認だ。
本日向かうのは、スカルファロット家の観測沼――元々、湖魚や銀蛍などの状況を確認をしている沼なのだという。
ここのところ湖魚の稚魚数が減っているので、王都に戻る前に見ておきたいとのことだった。
そうして、馬車二台と騎馬四頭で沼へ向かう。
ダリヤと共に、ドナが御者をする馬車に乗り込んだ。
水質確認の薬品準備のため、兄達は別の馬車である。
少し揺れる馬車の中、ダリヤと話をする。
二人だけの話に盛り上がっていると、すぐについてしまった。
林の中のわずかな平地で馬車を降りる。
すべてが深い群青に沈んだ中、木々の緑と水辺の匂いがしていた。
馬車と馬を止められるのはここまで、銀蛍の見える場までは徒歩だ。
魔導ランタンを手に、沼横の細道を歩くことになる。
沼は細長い形で、それなりに大きい。
乗馬服姿の兄二人と騎士達は、細道を右に曲がっていった。
「滑りますから、足下に気をつけて。この沼、結構深いので」
道を左に進もうとしたとき、ドナから注意を受ける。
ダリヤが肩に力を入れたのがわかった。
「ダリヤ、安全のために手をつないでもいいだろうか?」
「お願いします……」
ヴォルフは先行するドナの後ろ、左手に魔導ランタンを持ち、右手はダリヤとつないで進むことになった。
沼とはいうが、見える水面はとても広い。
細い道を進むと、ふわふわと白い光が見えてきた。
「じゃ、俺はもう少し先に行ってきます。小遣いを稼ぎたいので」
ドナは背中に背負っていた虫取り網を手にした。
どうやら銀蛍を捕まえるようだ。
ヴォルフは少々気になったことをドナにささやく。
「ドナ、もしかして、家からの給与が足りない……?」
「いえ、しっかり頂いてます! ただ、ちょっと酒で溶かしまして……」
彼が草色の目を泳がせた。
魔導具師にある酒の支給は、庭番にはないらしい。
今度、酒を差し入れよう、そう思いつつ了承すると、彼は道を進んで見えなくなった。
ヴォルフはダリヤと沼に近づき、魔導ランタンを消す。
目が暗闇に慣れてくると、白く淡い光がよく見え――次々に増え始めた。
ちょうどいい時間だったのか、それとも風向きか。
白い光はゆったりとした鼓動のように点滅し、時折、銀の光を反射させる。
「きれい……これが銀蛍……」
ダリヤが感嘆のつぶやきを落とした。
銀蛍は蛍よりも数段明るく、その光はより白い。
あたりは濃い群青を墨黒に変えつつある。
その水面に、空の星と銀蛍の明滅する光が映り込み、まるで天と地が曖昧になったかのように思えた。
近くには兄達やドナもいるのに、ダリヤと二人きり、世界から切り取られた場所にいるようで――
ヴォルフはそっと隣を見る。
彼女は白い光に魅入られたよう、まっすぐ飛び行く銀蛍を見つめていた。
それがとても美しくて、目がそらせなくなる。
転ばないようにとつないでいた手は、自分だけ汗ばんでいた。
ヴォルフは一度、口を開きかけ、きつく閉じる。
告げたいことは山とある。
けれど、友達でいる約束を破って、ダリヤの傷にも負担にもなりたくない。
ここからなんとか距離をつめて、秋に自分が男爵位を取ったなら――そう思っている。
だから、今の自分が願えるのは、これが精一杯。
「ダリヤ……来年も、再来年も、俺と一緒に領地に来てもらえないだろうか?」
ちょっとだけ見開かれた目、この暗さでも、優しく笑った彼女がはっきりわかった。
「ええ」
「ゲコ」
ダリヤのうれしい返事、何かそれ以外のものも聞こえた気がするがどうでもいい。
彼女が一度うつむき、肩を震わせ、顔を上げたその目は潤んでいて――
「ヴォルフ!」
転ぶように飛びついてきた彼女に、他の一切合切の思考が飛んだ。
「ダリヤ?!」
抱きしめて、その心地いいぬくもりに酔いそうになり、何を言っていいか言葉が消え、肩を震わせている彼女に我に返る。
「ダリヤ?」
「あ、足に、大きい、蛙が……」
その言葉にすぐ視線を下げる。
彼女のブーツからズボンのあたり、奇妙な影の塊がある。
目をこらせば、すぐその正体は知れた。
「ゲコ!」
「大蛙! なんでこんなときに……!」
許すまじ、ダリヤの足をホールドする大蛙!
が、一刀両断したくても、今、怯える彼女が腕の中にいるのだ。
まずは岸へ少し下がり、この大蛙をダリヤから引き剥がさなくては――
そう思ったとき、小道を飛んでくる影があった。
「だーっ! お前、なんてことをっ!」
風のように駆けて来たのはドナ。
即座にダリヤの足から大蛙を引き剥がすと、沼に勢いよく投げ捨てる。
放物線を描いたそれは、沼の中央で大きく白い飛沫を立てた。
「えっ……?」
ぷかり、先程投げた大蛙が浮かんだのかと思いきや、数匹が水面に顔を出した。
どうやら、この沼を住処にしているらしい。
宙を舞う銀蛍が、その大きな口でぱくりと捕食された。
「ヴォルフ様、ロセッティ会長を馬車まで運んでください。大蛙は弱いと言っても毒があるので、ロセッティ会長の怪我の確認を。あと、途中でまたくっつかれないよう注意してください」
「わかった。ダリヤ、ごめん、このまま運ばせてもらっていい?」
「す、すみません、お願いします……」
大蛙は子犬くらいの大きさで五、六匹。
討伐に慣れたヴォルフは何とも思わないが、ダリヤには怖いものだろう。
ヴォルフは彼女を抱き上げ、馬車へ向かうことにした。
「銀蛍、とてもきれいだったのに……」
残念さと怖さが入り混じったつぶやきを耳が拾ったので、できるだけ明るい声を出す。
「来年の春、大蛙の卵を駆除すると思うから、また見に来よう」
腕の中の彼女は、ええ、とうなずいてくれた。
次の約束が得られた、それだけでとてもうれしかった。
・・・・・・・
ドナがヴォルフ達を見送ってすぐ、正面から魔力のゆらぎを感じた。
咄嗟に身構えると、冷えきった声で詠唱が紡がれる。
「氷壁!」
詠唱は壁だが、作られるのは床だ。
反対岸からこちらまで、分厚い氷の道がたちまちにできあがった。
氷蜘蛛短杖を手にしたグイードを先頭に、エルードと騎士達が氷の道を渡ってくる。
この時点で、ドナの背筋にも氷が当てられた気がした。
「ドナ、報告を」
「ヴォルフ様がロセッティ会長と銀蛍を鑑賞中、大蛙が出現。ロセッティ会長の足をホールドしていたため、引き剥がして沼に投げました。お怪我はありません。現在、お二人は馬車に移動しています」
「そうか……」
お邪魔虫ならぬお邪魔蛙を、私心から思いきり沼へ放り投げてしまった。
しかし、高く上がった水音に、グイード達が有事か事故かと心配するのは当然だろう。
謝罪しようと思ったとき、グイードが沼に振り返った。
まだ溶けぬ氷の橋を気にもせず、水面をすいすいと泳ぐ大蛙。
それは先程投げた個体のような気がしてならない。
ゲコゲコと喉を鳴らしている個体もいる。
どれもこれもとても肉付きがいいように見えるのは気のせいか。
あと、いつの間にか二匹増えた。
「湖魚の稚魚が減ったのはこの蛙達のせいだね。銀蛍も、今年は数が少ないと思ったんだ」
毎年、魔物討伐部隊の討伐対象となる大蛙は、沼地で主に虫を食べる。
この沼にいるのは、銀蛍の幼虫と湖魚の稚魚。
導き出される答えは一つである。
「うん、殲滅しよう、そうしよう」
「ああ、兄上。きっちりしよう、そうしよう」
グイードが袖から氷蜘蛛短杖を、エルードが脇の長剣を引き抜いた。
二人の足下、雪の結晶らしきものが舞っている。
弟への邪魔にとてもお怒りでいらっしゃるが、ドナとしても止めたくない。
「グイード様、こちらは湖魚の観察と水質を確認する沼です」
一番年上の騎士であるソティリスが、忠臣らしい進言をした。
それに対し、スカルファロット当主はにこやかに笑む。
「もちろん、けして私怨ではないよ。湖魚と銀蛍を守り、領地を整えるためじゃないか」
「はい。ですので、氷魔法以外でお願いします。湖魚と銀蛍へ被害が及ばぬよう、かつ、大蛙の生き残りを一匹も出さぬよう」
ソティリスも完全に駄目だった。
闇が濃いのを理由に、ドナはもう乾いた笑いを隠さない。
「念のために積んできた疾風船を出しておくれ。エルードは全力で威圧、浮かんだ蛙は回収して始末、岸に上がってきた蛙は私が凍らせよう」
「応!」
「はっ!」
人の恋路を邪魔するものは、八本脚馬に踏み潰されろと言われる。
ヴォルフの恋路を邪魔する者は、スカルファロット領ではとりあえず殲滅されるらしい。
「ドナは、二人を先に屋敷に送り届けておくれ」
「わかりました。任務完了次第、疾風板もお持ちします」
もちろん、ドナも戻ってきて全力で加わる予定である。
一礼の後、細道を勢いよく駆け出した。
「ゲコーーッ!」
この夜、スカルファロット家の観測沼はとてもにぎやかだった。
来年の湖魚の稚魚と銀蛍の数は、元に戻るに違いない。




