538.魔導具師達は笑う(3)
魔導具師ダリヤ12巻、3月24日発売となりました。
どうぞよろしくお願いします!
リチェットの許可を得た後、皆で小舟の疾風船化を進めることになった。
「船を二艘と、使えそうな材料を並べましょう。そこから、いろいろと試していくことにしましょうか。ただし、動作前計算は三度、命に関わることだけはないように!」
リチェットの師匠らしい声に、全員がはい、と元気な声を返す。
ダリヤもしっかり交ざった。
庭に作業台がいくつかと、素材の箱が次々と運ばれて来る。
そこからは戻ったコルンが疾風船の説明をし、仕様書を回し読む。
魔導具師と見習い達が仕様書に見入ったり質問したりする中、彼はダリヤの隣に立った。
「王城では、風と水の魔石をそれぞれ直列四つ、それを切り換え二式にし、魔石八つ使いで試行中です。操縦桿も付け、ある程度の距離は走行が可能になりました。港の試走では、操舵しやすく、魚のように速いと評判でした」
「それは――素晴らしいことですね」
見学したかった!と、喉まで出かけたが言い替える。
けれど、コルンはおそらくわかったのだろう。
「速度はそれなり、まででした。港では安全を最優先しましたので。今日は多少、速度を優先するということで――ここでは皆で開発するのです。誰がなんと言って進めたかなど、書類に一行も残りません。不敬もありませんから」
最後の言葉に、ダリヤはちょっとだけ気になった。
「あの、コルンさん、王城での疾風船の開発は、やはり大変ですか?」
「いえ、カルミネ様はじめ、王城魔導具師の皆様はお気遣いくださいますので。ただ、『銀』を名乗る方が度々いらっしゃるので緊張感はありますが……」
そのささやきに、ぴんときた。
『銀』を名乗る、それは、錬金術師ならぬ、『錬銀術師』を名乗るセラフィノのことだろう。
「何か、無理なことを……?」
「いえ、毎回、貴重な素材を積まれまして……」
笑顔で高価、あるいは珍しい素材を机に積む大公が、とてもしっかり想像できた。
「三度のお声がけをいただき、主が、『次があったら、家に連れ帰って会わせない』と」
コルンの引き抜きをしようとして、グイードにきつく注意されたようだ。
ひそひそと話すしかない内容である。
だが、それだけコルンが評価されているのはわかった。
「コルン先輩、この部分、船の浮力計算を詳しく教えてください!」
「いいですとも。ここは――」
会話の区切り、メモを持って尋ねてきた後輩へコルンが教え始める。
それを見ていると、ダリヤも呼びかけられた。
「お声をかけさせていただく非礼をお詫び申し上げます、ロセッティ男爵。裏の救命鏡についてお伺いしたいのですが、よろしいでしょうか?」
赤い目の魔導具師の固い声に、自分はスカルファロット家の賓客、貴族扱いだと納得する。
だが、今、ここでは、そういったものは横に置きたかった。
「この場で同じ作業をする魔導具師同士ですから、男爵も様付けも結構です。忌憚なく意見を交換できればと思いますので、皆様、『さん』呼びで、楽にお話しくださいませんか? 私もそうさせていただきたいので……」
「光栄です! あ、いえ、ありがとうございます、ロセッティ様、いえ、ロセッティ、さん」
彼女は緊張しつつ、それでも声をかけてから名乗ってくれた。
そこからは、周囲の者達から名乗られ名乗りをくり返し、救命鏡の説明をしていく。
近くでは、すでにリチェットと数人の魔導具師が船底を叩いていた。
普段はオールで漕ぐタイプで二人乗り、最もスタンダードな形だそうだ。
「この船の底、前半分に救命鏡を付けてもよさそうです」
「いっそ、底全面に貼ってはいかがですか? あ、ひっくり返ります?」
「ちょっと待ってください、計算するので。救命鏡の浮力がこれぐらいだと……通常の騎士の方が乗るなら大丈夫だと思われます」
思い付く者、広げる者、現実的に計算する者。
分担がなされているようにさくさく進む。
説明を終えたコルンが、救命鏡を作るべく、作業机に薄い水晶板を並べ、大海蛇の肺の粉を付与し始める。
青銀の粉が風で飛ばぬよう、低い位置から乗せ、魔力で丁寧に溶かしていた。
その横、リチェットが大きめの水晶板を置き、同じく作業をする。
端で少しだけ試した後、大瓶から板へ粉をだばりとかけた。
風で粉がわずかに舞ったが、両の手のひらからの魔力で押しつけるように広げていく。
薄青い光を帯びた鏡は、一気に仕上がった。
曇り一つないそれに、リチェットの付与の見事さを理解した。
救命鏡が仕上がると、大きさを合わせ、木の船の底全面につける。
試しに池に浮かべてみたところ、目視できるほど右へ傾いた。
「これは……リチェット師匠の方が魔力が強いので、浮きも強いようです」
「魔力の差が出ましたか」
「仮留めですので、すぐ剥がします!」
「では、魔力の強弱の鑑定は私が、それで左右対称になるように貼り直せばいいでしょう」
スカルファロット家の魔導具師達は、分担作業に優れているようだ。
船は池から引き揚げられ、救命鏡はすぐ外された。
そして、鑑定の後、魔力の高低で分けられる。
船の底が乾いている方が作業がしやすいので、隣の船につけ直すことになった。
魔導具師がバランス取りをしている間、リチェットとコルンは動力である魔石の準備を始める。
ダリヤもそちらに交ざる形になった。
「風の魔石は三つ直列、最初はこれぐらいでどうでしょう? まずはこの池だけですし」
「いいと思います、リチェットさん」
「王城で、水の魔石を同時に使う方も進めていましたので、この際、水も三つ直列でいこうかと。安全計算上も問題ないですし」
「コルンさん、操縦する方に危険はないでしょうか?」
「あちらの岸は傾斜がゆるやかなので、まちがえて速度が出ても、乗り上げて終わりです」
それは本当に危険ではないのか、そう思ったとき、近くの魔導具師達が小声で言った。
「ああ、『無謀のコルン』が帰ってきたな……」
「本領発揮ですね……」
「私は無謀じゃありませんよ。挑戦はしますが」
振り返って言い返すコルンに、その素を見た気がする。
その後に笑い合う彼等は、とてもいい仲間らしい。
ちょっとうらやましかった。
その後、リチェットが箱の中に風と水の魔石を設置し、コルンが魔導回路をひいていく。
それを船内に設置、二本の細い金属管を船体の後ろへ通した。
あとは船の前方に舵をつけ、金属管の方向を動かせるようにする。
本来であれば、船の後ろに板状の舵板があり、それを舵で動かすのだが、今回は急ぎなので仮の仕組みだ。
仕上がった改良疾風船を池に移し、最初に乗ったのはコルンである。
水を割り、すうーっと滑るように進む船は、屋敷正面の橋をくぐり、池を回って戻って来た。
皆、息を詰めて見守った後、わあ!と高く歓声を上げる。
だが、コルンは今一つ浮かぬ顔だった。
「私では安定性が今一つで、速度が出せませんでした。もう少し重い方で、俊敏な方がいいかもしれません」
「あの! 自分にやらせていただけないでしょうか?」
右手を高く上げて操舵を希望するのは、最初に池に落ちた騎士だ。
「すでに濡れているので落ちても問題ありません。グラティア湖で船の操作をしたこともありますし、鎧をつけても泳げます!」
強く希望されたので、お願いすることにした。
彼がゆっくりとした速度で練習する間、それを観察する者達と、船の改良をする者達に分かれる。
ダリヤは後者に交ざった。
「もっと浮力があれば速いのでは?」
「救命鏡に、魔力を高めに入れましょう」
「風魔法と水魔法が強ければ速いのですから、やはり魔石の数だと思います!」
「この池では、五個直列までが限界ですかねぇ」
「速度でしたら、船そのものを小さくしてみてはどうでしょう? 人が乗れるぎりぎりの大きさにするとか……」
ダリヤもつい思いつきを口にする。
近くにいた見習いの少年が、ぽんと手を打った。
「それなら子供の水遊びの船はどうでしょう? 裏に救命鏡を付ければ大人でも浮きますよね?」
「それに魔石五個にすれば……計算上、駄目かしら?」
「ブレーキというか、進みを止める――噴射をずらして急旋回させるとかはできないでしょうか?」
「これだけ魔導具師がいるのです。全部やってみればいいでしょう」
にっこりと笑んだ、スカルファロット家筆頭魔導具師。
その横、よく言えば自由、悪く言えば好き勝手に盛り上がる声を、コルンがさらさらとメモ帳に書き留めている。
危ういようにも感じるが――ダリヤは違う意味で安堵していた。
自分のこれまでが危ないわけではなかった。
魔導具師は基本こういうものだ、たぶん。いや、きっと。
船と子供用の小舟に魔導具師達がわらわらと群がり、改造と改良と試行錯誤が続く。
疾風船の運転に慣れた騎士が、水飛沫をあげ、きれいな旋回を見せた。
「子供用の船でも、直列五つでいいですよね?」
「コルン、操るのに危なくないか?」
「あの騎士の方なら、大丈夫でしょう。最初の倍ぐらい速くなってますよ」
「舵がもっと速く切り換えられればいいのでは? このあたり、なんとかなりません?」
「出力の管を二本から四本にしてみますか……」
夕焼けが薄れる時間となっても、にぎわいに衰えはない。
船を浮かべては試走、上げては改良、操舵する騎士もいつの間にか増えていた。
疾風船は、ダリヤにとっては限りなくモーターボートを思わせる勢いとなった。
改造しまくった子供用の船には、小柄な女性騎士が乗り込む。
船幅が狭く、ひっくり返らないかと心配したが、重心が低く、安定性はいいそうだ。
「では、いきます!」
船はスタートから勢いよく進む。
やはり小型なせいか、他の船よりも速い。
橋の下を一瞬でくぐり抜け、池を滑走し、魚を追い立てるように進む。
まるでレースボートのよう――ダリヤがそう思ったときだった。
「ああっ!」
数人が悲鳴を上げる。
速度が出過ぎたらしい。池の端で旋回が間に合わず、そのまま斜めに乗り上げ――
芝生の上を気持ちいいほどの勢いで滑走していく。
ようやく止まった先、船から下りた騎士が立ち上がった。
怪我がないと知らせるつもりだろう、片手を上げて振る。
その様に、ダリヤはほっとした。
と、自分の向かい、リチェットが青紫の目を輝かせているのに気づいた。
「あの船は、芝の上も走れるようですね……」
待ってほしい。そうではない、これは事故である。
いや、確かにそれはそれで楽しそうだが――
つい考えてしまったことを横に置きつつコルンを見れば、こちらも暗緑の目に星を宿していた。
「芝や草原の移動に使えるかもしれません。底の補強と、管が折れない改良が必要ですが」
「一区切りついたら、そちらもやってみましょう」
リチェットとコルンの会話に反論はない。
いや、白状するならとても興味深い。
草原がいけるなら、湿地帯もいけないだろうか、期待は膨らむばかりだ。
「金属でも船にできるんですね。ガラスの船だったら、海の底がきれいに見えそうです」
「それは優雅でしょうね。人魚に会えるかもしれません」
自分の横、魔導具師見習いと騎士が、浪漫あふれる会話を始めた。
確かに、水底がきれいに見えるのはいい。
疾風船であれば、移動しながら海や川の魚もよく確認できるだろう。
「ガラス製なら、魚介類の生息確認や養殖にも使えるかも……」
自分のひとり言を、コルンがすかさず拾い上げる。
「グイード様経由でアウグスト様にお伝えしましょう。研究用に、丈夫で透明度の高い水晶板か、丈夫なガラスを準備していただけると思います、おそらく無料で」
じつに話が早い。
そして、予算対策としても完璧であった。
夕暮れ、少し涼やかさの混じった風が心地いい。
魔導ランタンがあちこちに置かれ、虫除けの防虫香が独特の甘い香りを流し始める。
ダリヤは自分でも気づかぬうち、口角を上げていた。
老若男女の魔導具師がいて、話題も発想も豊富、試行も改良も即行。
緑の塔の仕事場よりできることは広く、素材も充実している。
互いをさん付け呼びすることになり、最初はぎこちなくも、魔導具の話をすれば壁など崩れる。
王城より気負いなく口が開け、スカルファロット家の武具工房より人手が多く、魔導具について話せる相手がたくさんいる。
魔導具師として羽を伸ばせる、楽しい場となった。
そして、その逆でもあった。
スカルファロット領内で働く魔導具師と、魔導具師見習いは、ダリヤ・ロセッティに失礼のないようにと注意を受け、とても緊張していた。
新進気鋭の魔導具師、商売にも長けた商会長、めざましい功を上げ、短期で男爵となった方。
けれど、話し始め、互いに『さん』付けで呼び合おうという配慮をもらった。
気取りも厳しさも感じない。
ただ、付与を見ればその技術がとても高いのがわかる。
こちらが思いつきを口にしても楽しげに笑み、視点の違う提案をくれ、共に形作ってくれる。
やりとりは楽しく、作業は互いに学びがあり、緊張は綺麗に消えていった。
疾風船の改良作業に取り組んでいるのは、魔導具師と見習い。
そして、スカルファロット家の騎士は、池や川に親しみが深く――
船を好む者、速い船に憧れる者も多かった。
疾風船の改良を強く押す者はあっても、止める者は一人もいなかった。
・・・・・・・
毛布巻きの一行は近くまで帰ったものの、領主館の前、魔導具師達が試作をしていると知らせを受け、来た道をこっそり戻った。
毛布一枚で馬車から屋敷へ入るのは無理だったからだ。
そこから向かった先は夜犬の犬舎、その隣の従業員宿舎でシャワーを借り、着替えを届けてもらい、身なりを整えての帰宅となった。
領主館に帰ったのは、夕食の時間少しすぎ。
魔導ランタンが多く光る、にぎわい高き中、馬車から降りた。
「完成したようですね」
ヴォルフは期待を込め、水音のする方を見る。
領主館の池は狭いとばかり、シュパパパ!と高い飛沫をあげる銀の船。
後ろに続く小さな船はさらに速く――その船体は半分以上、水面に浮いていた。
進んだ先、そのまま勢いよく岸に乗り上げ、芝生を滑走していく。
操舵する騎士が下りることもなく旋回すると、当たり前のように池に戻って進み始めた。
予想外の動きに、目を丸くするしかない。
「船、か……?」
「船、ですね、一応……」
前当主と現当主が抑揚少ない声を交わし、胃の辺りに手を当てる。
完全に同じ動作だった。
ヴォルフとエルードは顔を見合わせた後、池の縁へ目を向ける。
点々と見えるのは、はくはくと口を開け閉めする魚達。
呪詛を吐いていそうな彼らに詫びながら、池の静かな場所へ戻した。