532.ブランチと約束の乗馬
・『魔導具師ダリヤはうつむかない~今日から自由な職人ライフ~』12巻(3月24日発売)
今回、ゲーマーズ様にて、『オリジナルアクリルスタンド付限定版』が販売となります。
どうぞよろしくお願いします!
「また寝坊……!」
ダリヤは絹の上掛けをはがし、慌てて起き上がる。
昨日はグラティア湖へ行き、隣の山からの眺めも堪能。
水門と水流に関する説明を受けた後、夕方に帰宅した。
そして、夕食はスカルファロット家の方々と取り、疲れもあるだろうと早めに休むことになった。
しかし、ウンディーネのグラティアに会うというファンタジー世界らしい体験に感動したせいか、なかなか寝付けない。
ついスケッチブックを開き、あれやこれやと考えて夜更かしをしてしまった。
部屋のカーテンを少し開け、太陽のまぶしさに目を細める。
今日もいい天気になりそうだ、そう考えたとき、ノックの音が響いた。
朝から待機してくださっているメイド達に申し訳ない、そう思いつつ、ダリヤは入室の了承を返した。
メイドに身だしなみを整えてもらった後、食堂へ案内を受ける。
室内に足を踏み入れると、ダリヤは目を丸くしてしまった。
「おはよう、ダリヤ!」
明るい笑顔のヴォルフと共に、昨日までいなかった者達に声をかけられる。
「おはよう。こちらにも慣れたかな、ダリヤ先生?」
「おはよう、ダリヤ先生」
ヴォルフの向かい、グイードとエルードがいた。
驚きつつも挨拶を返し、勧められるがまま席につく。
ベーコンエッグ、削りチーズがきれいに載ったサラダ、各種ジャムがのった白パンのスライス。
それらはヴォルフ達の前にも一緒に並べられた。
「私達も、今、起きたばかりなんだ。たまには休暇を取るようローザに勧められて、夜のうちに八本脚馬できたのでね」
「俺も兄上に付いてきた形だな。ディアは女子会で菓子を食い倒れるそうだから、邪魔をしないでくれとのことだ」
どうやら兄弟で領地に休暇に来たらしい。
ヴォルフのいつもより幼く見える笑顔に納得した。
そして、つい視線を動かしてしまう。
「あの、ヨナス先生はどちらに――?」
「今日は一緒ではないよ。今日明日と、アウグストとベルニージ様と鍛錬の約束があるそうでね」
冒険者ギルドの副ギルド長であるアウグストは、スカルファロット家の分家と聞いている。
出入りがあってもおかしくないだろう。
あと、ベルニージに関しては、最早、実の祖父と孫と言われても違和感がない。
けれど、ヴォルフは少しだけ声を落とした。
「兄上、あの、屋敷の守りは問題ないでしょうか……?」
「一切ないよ。当主相談役のヨナス、補佐にシュテファン、我が家の護衛騎士がいる。そこにアウグストも夫妻で来ているからね」
「今、水のスカルファロット家に侵入すると、黒焦げにされた後、粉にして水に流されるだけだ」
笑いながら冗談を飛ばしたエルードが、ベーコンエッグをばくりと口にする。
グイードもベリージャムのたっぷりと載った白パンを口にした。
どちらの表情にも硬さはない。
現在のスカルファロット本邸は、とても安全らしい。
「今日は昼から水の魔石製造所の見学だとか。ダリヤ先生、私達も一緒でいいかな?」
「もちろんです、グイード様」
「兄上達は、夜の移動でお疲れはありませんか?」
「俺はまだ若いから大丈夫だ」
「私も一切問題ないね」
若さを主張した兄達に、ヴォルフは安堵したようだ。
兄弟の楽しげな様をうれしく思いつつ、ダリヤはイチゴジャムの載る白パンを口にした。
話しながら食事をしていると、食堂の扉が再び開く。
「失礼します……」
やや遅い歩みで入ってきたのは、スカルファロット家魔導具師のコルンであった。
その顔色が少し白く見える。
「大丈夫かい、コルン?」
「大丈夫です一切問題ございませんグイード様」
句読点なく言い切った彼に、かなり問題がありそうな気がする。
グイードも彼に目を留めたままだ。
「やはり馬車の方がよかったね。私と二人乗りだったから、気を使って疲れたのだろう?」
「いえ、大変光栄でした! 私は、朝というか、寝起きが悪いだけで……リチェット様との打ち合わせに来たかったので、助かりました」
コルンは席に着くと、料理の皿を断り、カフェオレだけを受け取った。
疲労か低血圧かはわからないが、食欲はあまりないようだ。
そして思い出す。
グイード達とコルンがいるこの場であれば、昨日見学した湖水位制水板に関する相談ができるのではないだろうか。
それぞれが食後のカフェオレや紅茶となったところで、ダリヤは口を開いた。
「グイード様、皆様に、『湖』のことでお伺いしたいことがあり――」
そこまでの言葉で、グイードが右手を浅く挙げた。
給仕とメイドが音もなく部屋から出ていく。
「なんだい、ダリヤ先生?」
「なに、ダリヤ?」
同時に問われたので、視線の向きに迷いつつも、言葉を続けた。
「昨日見学させて頂いた湖水位制水板ですが、個別制御で、水位変更の際、騎士の皆様が小舟で回っていると伺いました」
「そうだね。一つずつ回って変更している」
「湖で疾風船を使えれば便利かと思ったのですが、『湖にお住まいの皆様』はご不快になるでしょうか?」
ダリヤの質問に、ほぼ全員が困惑を浮かべる。
「それは便利だが……彼らはどう思うだろう?」
「これまでも小舟をひっくり返すようなことはありませんでしたから、おそらくいけるのではないかと……」
「口頭で聞けないんだ。浮かべてみて、嫌がられたら戻せばいいんじゃないか?」
「ダリヤの作るものなら、きっと大丈夫だよ」
過去のデータがないので、こういった回答になるのは仕方がないだろう。
なお、ヴォルフに関しては自分への信頼が厚すぎる。
「嵐や冬は、溺れないにしても騎士への負担はあるからね。すでに作ったことのあるものであれば問題もないだろう。試作を頼めるかな、ダリヤ先生とコルンで?」
「もちろんです」
「お受け致します」
こうして、ダリヤはコルンと共にグラティア湖用の疾風船を試作することになった。
とはいえ、ダリヤは午後から水の魔石製造所を見学することになっている。
お茶を飲み終えると、それぞれが準備に向かった。
・・・・・・・
「夜駆けをしてきたのに、まだ元気がありあまっているようだ。せっかくだから相乗りするかい?」
ヴォルフが空いている馬に目を向けていると、グイードに声をかけられた。
その後ろでは、いつもはヨナスの乗る黒の八本脚馬が、走り足りないというように蹄を地面に打ちつけている。
今から父や騎士達と共に、水の魔石製造所へ向かうところだ。
ダリヤとの二人乗りも考えたが、昨日の湖への移動で足の疲れが残っているようなので、コルンや女性騎士と共に馬車に乗ってもらった。
「お願いします、グイード兄上」
せっかくの機会である。
少しだけ気恥ずかしいが、兄の提案を受けることにした。
「帰りは俺と乗ろう、ヴォルフ!」
すでに馬上にいるエルードから声が飛ぶ。
ヴォルフはそちらに振り返り、少し声を高くする。
「いえ、国境に行く前に、エルード兄上がグイード兄上と乗ってください。俺はこれからいつでもグイード兄上と乗れるので」
そう答えると、エルードは難しい表情となった。
「ヴォルフとグイード兄上、どっちも捨てがたいな……」
「どちらも捨てないでおくれ。帰りはエルードで、王都に戻るときに交代すればいいだろう。あと、エルードが次にこちらに来るまで、三人乗りに向いた大型の八本脚馬を探しておくよ」
「それもいいが、次は俺がワイバーンに乗ってこよう。そうしたら兄弟そろって空の旅だ!」
「なるほど、この領地を空から見るのも楽しそうだね」
ヴォルフは笑んでうなずきながら、ワイバーンに連れ去られたことを思い返す。
眼下の景色を楽しむことなどできず、他の誰のことも考えなかった。
けれど、あのとき自分に万が一があれば、父や兄達を深く悲しませただろう。
それに気づかぬ自分はどれだけ子供だったのか――
内の苦さを払いのけ、八本脚馬に乗るためにグイードの元へ行く。
だが、いざ馬に乗ろうという段になって、兄は眉を寄せた。
「ああ、そうか。ヴォルフを前に乗せたら、私では前が見えないね……」
「兄上が前に乗って、俺がつかまればいいと思います」
「では、そうしよう」
手綱を持つのは兄である。
二人で乗った八本脚馬、兄の背丈は自分より低いのに、その背は大きく感じられた。
しっかりつかまると、ちょっとくすぐったいねと笑われたが。
周囲の騎馬と馬車もそろう。
先頭にいる父が自分達に振り向いて目を細めた後、前へ向き直った。
「出発する」
青空の下、隊列が動き出す。
吹きつける風に、夏草の香りが混じっていた。
あの日――スカルファロット本邸の庭、ボスと呼んでいた大きな犬から転げ落ちたときも、草の香りのする風が吹いていた。
『ヴォルフ、もう少し大きくなったら、領地で一緒に馬に乗ろう』
泣いている自分へかけられた優しい声が、はっきりと耳によみがえる。
それに重なるよう、風に混じるつぶやきを耳が拾った。
「やっと、ヴォルフとの約束が果たせた……」
それは自分に聞かせるためのものではなく、兄が思い出をなぞるもの。
けれど、聞こえないふりはしたくなかった。
「ありがとうございます、グイード兄上」
「――いいや、兄として当然のことをしたまでだ」
背をわずかに揺らした兄は、笑ったようだ。
「俺は、世話になりっぱなしで――兄上に、何かお返しできることはないでしょうか?」
「魔物討伐部隊での営業役に、武具工房の手伝いに、今でも充分だよ。そうだね――たまにゆっくり話して、愚痴でも聞いてもらえれば助かるが」
「いつでも聞きます」
そんなことならいつでもかまわない、そう勢い込むと、グイードが一つ咳をする。
「では、今一つ愚痴ろうか。兄として、弟に背を抜かれたくはなかったよ……」
「それは、その……申し訳ありません……」
予想外のことに、つい背を丸めてしまう。
それに対し、グイードは声を上げて笑った。
「あはは……それなりに年上なのに、かっこ悪い兄ですまないね」
「そんなことはないです。グイード兄様はすごくかっこよくて――俺の自慢の兄です!」
心の声はそのまま口から、しかも勢いがつきすぎたらしい。
近くのエルードも聞こえたらしく、俺も言われたい!、と声が飛んだ。
騎士達の一部も笑いをこらえているらしく、肩の揺れている者がいる。
グイードも笑っているらしい。
背中がわずかに震え――そのとき、一際強い風が吹いた。
兄は左手を手綱から離し、顔をこする。
「兄上?」
「目にちょっとゴミが入っただけだ――さて、行く途中に見えるものを教えていこう。この領地は、我々の故郷なのだからね」
進む先、緑豊かな地に青い川が長く伸びている。
それを目にしながら、ヴォルフは兄の領地解説に聞き入っていた。




