531.スカルファロット家の大型魔導具見学(三)
・FWコミックスオルタ様、赤羽にな先生『王立高等学院編』第16話配信開始となりました。
どうぞよろしくお願いします!
時折、遠くの湖面でグラティアが跳ねるのを見ながら、ゆっくりと昼食を摂った。
その後、屋敷の端、今までの場からは陰になっていた所へ移動する。
そこにあったのは川――透明な水底に平らな石のようなものも見えるので、水路かもしれない。
グラティア湖から流れる水が、さらさらと音を立てて流れていく。
湖から川につながる部分に、巨大な板状の岩が沈んでいた。
川の流れを三分の一ほど堰き止めるような形で、黒い岩の左右を水が流れていく。
岸には、同じ黒さで記念碑のようにも見える石柱があった。
レナートはそこまで進むと、右手でそれに触れる。
魔導回路が青白く浮かび上がり、川の大岩がゆっくりと沈んでいく。
その上を、水がごうごうと音を立てて流れ始めた。
ダリヤは思わず息を止めてしまう。
「湖水制御の魔導具だ。ここから各地へ流れていく水量を調整している。詳しい仕組みは――リチェット」
レナートがスカルファロット家筆頭魔導具師を呼んだ。
ダリヤはすかさずペンとメモを構える。
一言も聞き漏らしたくはない。
「こちらは湖水制御、正式名称は『水位制水板』です。湖や川の水位を調整するため、それなりに大きい石の板を制水板として昇降させます。こちらが水位制水板の制御盤になります」
今度はリチェットが川の脇の石柱――制御盤に触れる。
岩はじりじりとせり上がり、最初に見た時よりも高くなっていく。
岩は下になるにつれ、幅を増していくようだ。
水の流れはゆるゆると減り、その音も絞られていく。
「このグラティア湖に四十八門あり、通常は半分ほどが沈んでいる形です。水を常時一定に各地に流すため、長雨のときは止め、水不足のときはグラティアに断りを入れた後、制水板を下げて多めに水を放出します」
「なるほど……!」
前世のダムではないか、ダリヤは感動しつつ、解説の続きを待つ。
「制水板は壊れぬよう耐久上げを限界までつけています。また、大海蛇の皮の付与で水流を操作するものと、風龍のウロコの付与で板を持ち上げる補助的な浮力を発生させるもの、二つの魔力を制御する魔導回路を板の下面に刻んでいます」
以前ダリヤがもらったスカルファロット家の水の魔導書、そこで見たものが刻まれているようだ。
じつに興味深い。
「制御盤は、制水板の魔力の強弱と停止を行います。また、付与する素材の個体差や劣化で制御盤の動きが鈍ったときに備え、水と風の魔石も配置しています。点検や修理の際にもこちらを使います」
「素晴らしい仕組みだと思います!」
常時稼働、保守が必須の魔導具として、運営管理も完璧であった。
感動を深くしていると、追加の説明がなされた。
「他に氷の魔石で安全機能も組み込んでいます」
「氷の魔石というと、水温管理などでしょうか?」
「いえ、物理的なものですね。昔、愚か者がこちらを動かして領地の水を止めようとしたことがありましたが、しっかり氷漬けになりました。犯罪奴隷にできず、費用だけがかかったそうですが」
それは埋葬費というものでしょうか、という問いかけは喉で止めておく。
そんなダリヤに、リチェットが青紫の目を細くして笑んだ。
「ロセッティ会長、いえ、ダリヤさん、質問があればご遠慮なく」
昨日、魔導具師仲間として名呼びを願ったのだが、まだ慣れぬらしい。
言い換えた彼に対し、ありがたく許可通りに尋ねる。
「リチェットさん、長雨などで湖面が上昇し、こちらで対応しきれないといったことはあるのでしょうか?」
「その場合は逆側の山を通る川へ流しますので、人の住む地域への影響はほとんどありません」
「素晴らしい仕組みですね」
「ありがとうございます。ですが、まだまだ改善が必要で――個別の管理に手間、制御変更に時間がかかります。最近は川底に敷いた石の劣化で、制水板が斜めになることがありました。敷石にも耐久上げはしているのですが、経年劣化で。こうなると水の流れに偏りが生じるのが問題です」
四十八門の水位制水板は、個別制御だ。
管理する魔導具師達は、グラティアの祝福のおかげで湖面が荒れていても溺れないそうだが、この広い湖を回るのはなかなか大変そうだ。
そして思い出す。
疾風船があれば、この湖の管理も楽になるだろう。
しかし、ここで言い出すわけにはいかないので、王都に戻ったらスカルファロット家魔導具師のコルンに伝えようと思う。
「ダリヤさんであれば、どう改良しますか?」
「え? そうですね……」
問いかけに、頭から疾風船を追い出し、水位制水板を見つめる。
仕様も制作も運営も完全に近い。
だから、自分は重箱の隅をつつくようなことしか思い浮かばなかった。
「川底に敷く石も大きい物にして魔導回路を付け、制水板と噛み合う動きにするのもありかと――」
言ってしまってから気づく。
それでは予算も工程も二倍になる。
大海蛇の皮に風龍のウロコを使っているものに簡単に言うべきことではなく――
「なるほど、それも面白そうですね。予算が余っていますので、次の一門で試してみたいところです」
スカルファロット家の魔導具に関する予算は豊潤らしい。
試した結果は手紙で教えて頂くと共に、設置後の見学を約束した。
水位制水板の見学が終わると、再び場所を移すことになった。
「ロセッティ会長、ご気分はよくないかと思いますが、こちらにどうぞ」
そう言ったドナが、ダリヤに背を向ける。
そこには九頭大蛇戦でも見たことのある『背運び』――前世の背負子に似た革と金属の器具で、重い物を運ぶのに使われるものが載っていた。
「お世話になります。重いのでご迷惑をおかけします……」
目に入るのは急勾配の山の斜面、細道ではあるが、自分の足では難しい。
そのため、以前、ヨナスがグイードを運んでいたように、ダリヤがドナに運んでもらうのだ。
「ロセッティ会長なら子犬より軽いですよ」
「ドナ、俺が背負うよ」
ダリヤが背運びに腰を下ろす前に、ヴォルフが止める。
ドナは半分だけ振り返って答えた。
「駄目ですよ。俺がもし転けたとき、ヴォルフ様は後ろで、ロセッティ会長を支える係です。ついでに到着まで話をしていてください。急な坂を上るのに慣れていないと、結構緊張する方も多いんですから」
「あの、ヴォルフにも、お世話になります……」
ドナの説明でも心配が消えぬのか、ヴォルフは少しばかり渋い表情をしている。
そんな彼へ願うと、こっくりと深くうなずかれた。
「任せて。いつでも転がってきていいよ」
「ヴォルフ様、俺への信用はないんですか?」
ドナは笑っていたが、ちょっと申し訳なかった。
背運びに座ると、腰部分の革ベルトをしっかり締める。
その上で両腕を背中からの太い革に通し、手を組んだ。
椅子に座って逆方向に運ばれるような形だ。
「それじゃ、立ち上がりますよ」
ドナはそう言うと、ゆっくり立ち上がる。
彼が少し前屈みで運ぶので、ダリヤの視界は青空が多くなった。
これなら急斜面を登るのも怖くないかもしれない。
「では、行くとしよう」
そう言ったのはレナートだ。
急斜面の細い道、先頭はソティリス、次にレナート、ダリヤを運ぶドナ、ヴォルフ、そして騎士達と続く。
自分以外、皆、特に構えることもない表情である。
対するダリヤは、一歩も歩かず運ばれておきながら、揺れと緊張に体を硬くしていた。
どう運ばれるのが一番ドナに負担がないか、置物のように姿勢を変えない方がいいのでは、そんなことを考えていると、不意に動きが止まる。
くるり、右に九十度体を動かしたドナは、明るい声で告げた。
「ロセッティ会長、少し先、紫の花が見えますか?」
「はい、見えます」
少し先、かわいらしい小さな淡紫色の花々が密集して咲いている。
花瓶に飾れぬ丈の、素朴な野の花だ。
花が風にゆれると、爽やかさのなかにわずかな甘さを含んだ香りが流れてきた。
光景に見入っていると、ドナがさらに説明してくれる。
「あれ、野生のタイムです。葉っぱをむしっても、花を乾燥させて、ラムチョップにちらしたのも、タラのバター炒めに一緒に入れてもうまいです」
「きれいな花ですね。こうして咲いているのを見るのは初めてです」
「おいしそうだね」
きれいからおいしい話に変わったが、ヴォルフの好みであればぜひ試してみたいところだ。
「本邸の料理人にも頼まれているので、後でちょっとむしります。ヴォルフ様もロセッティ会長も好みの味ですよね。干し終わったら塔の方にお分けしますので」
「ありがとうございます」
ありがたくもおみやげが増えたようだ。
頂いたときは、東ノ国の味噌を使った甘ダレ第二弾をお返しの品にするのはどうだろうか。
後でヴォルフに相談することにしよう。
ドナは再び前を向くと、また急斜面を登り始める。
彼が上体を少し倒したので、ダリヤが空を向く角度がさらに上がった。
この勾配、このペースでは自分には絶対に登れなかったと体感で納得する。
ドナが時折植物について教えてくれ、ヴォルフへも話を振る。
いつの間にか景色を楽しんでいたダリヤの頬に、一段涼やかな風が当たった。
「わぁ……!」
目的地の山頂で、思わず感嘆の声をこぼしてしまった。
眼下の景色が絵のようだ。
「とてもきれいで――いい眺めだ」
ヴォルフも静かに感動している。
ダリヤは背運びから下ろしてもらうと、ドナに礼を言う。
そして、改めて山の上からの景色に見入った。
幾重にも重なる丘陵、青々とした草原、点在する湖。
ここからそこへつながっているであろう川は、優雅なカーブで銀の糸を紡いだように輝いている。
その先には広大な畑、点在する街と村、整備された道があった。
人の姿は見えないが、この地域の豊かさがわかるような気がした。
「水の豊かさは地の豊かさと言われるが、初代がグラティアと友好を結んでくれたことに感謝せねばならんな」
レナートの静かな声に、ソティリスが深くうなずいている。
「父上、初代とグラティアはどのように友好を結んだのでしょうか? 俺はこれまで不勉強で知らず――」
「いや、子供には教えられないようなこともあってな……」
すみません、危うい話になるようであれば、聞こえない程度に離れますので――
ダリヤは二人からそっと距離をとろうとする。
しかし、ちょうど騎士が果実水の入った水筒を配り始めた。
景色を満喫するにはいいのだが、レナートやヴォルフ、ソティリスと並ぶ形になり、動くに動けなくなる。
「ここからグラティア湖が見えるからいいだろう」
レナートの視線の先、木々の間から見える湖面が返事をするようにきらきら光る。
そういえば、湖が見えないとグラティアについては話せないと言っていた。
「初代は魔法剣士、その妻は魔力持ちの騎士だった。散策中にこの湖を訪れ、水辺を散策中にウンディーネがやってきたそうだ」
「それで親交を深め、今の関係が築けたのですね」
「いや、初代夫人が強い水魔法持ちだったため、興味をもったウンディーネが湖に引きずりこんだ。氷魔法持ちの初代がウンディーネごと湖面を凍らせ、叩き割って妻を取り戻したと聞いている」
「はっ?」
「えっ?」
ヴォルフとそろって固まってしまった。
いきなり妻の拉致、命の危険である。
しかし、その対抗措置もウンディーネが泣きそうだ。
「その後、初代はこの地を荒らした責であれば自分が死ぬ、だから妻に手を出さぬように願った。ここのウンディーネは人間を見たことがなく、水中で人が生きられないとは知らなかった。それを互いに伝え合ったそうだ」
不幸な行き違いであった。
しかし、意思疎通も大変だったに違いない。
「凍ったウンディーネがかわいそうだと火の魔石でお湯を作って溶かし、元気がなかったので持っていた氷砂糖を渡したところ、この湖で溺れない祝福をくれた。『グラティア』という名はそのときにつけたそうだ」
湖面で大きく白い飛沫があがる。
跳ねたのは魚ではなく、グラティアにちがいない。
「それから、水の足りぬ年はグラティアが補ってくれたり、湖で火魔法持ちのワイバーンが朽ちたときはスカルファロット家が引き上げたりした。そういったやりとりを経て、今日まで友好が続いている」
「そういった秘密があるから、大人になるまで教えられないのですね……」
ウンディーネの存在、周辺の水に関することは、やはり秘匿したいのだろう。
ヴォルフの隣、ダリヤも納得していると、レナートが声を低くする。
「それに関しては――昔、グラティアと遊びすぎた子供が重い風邪をひき、成人して落ち着くまで禁止になったのだ」
その表情の昏さに、不安を感じた。
もしや、その子供はそのまま――聞くに聞けずにいると、彼と目が合ってしまった。
青い目は伏せられた後、ついとずれる。
「二人とも、次にここへ来るときは水着をあつらえてくるといい。ただし、風邪をひかぬようにな。我が家の風邪薬はよく効くが、とても苦い」
 




