530.スカルファロット家の大型魔導具見学(二)
・書籍『魔導具師ダリヤはうつむかない』12巻・特装版、3月24日発売です。
・コミックガーデン様3月号、住川惠先生『魔導具師ダリヤはうつむかない』プレゼン回掲載となりました。
どうぞよろしくお願いします!
ダリヤは投げ損ねた氷砂糖を拾い、ポケットに入れる。
何気なさを装ったが頬は熱い。
ヴォルフはすでにグラティア達に氷砂糖を渡し終え、何か言いたそうに自分を見つめていた。
その近く、レナートは迷いを込めた目でこちらを見ていた。
親子でよく似た状態である。
もっとも、それは周囲も一緒だろう。
視線はこちらを向いているが、誰も声をかけてこない。
ダリヤはこれ以上気を使われまいと、グラティアに残りの氷砂糖を渡すことにした。
とはいえ、また同じようなことになるのは避けたい。
グラティアに近づけるよう、湖へ近づいていく。
気を使ったのか、グラティアも岸辺近くへ飛んできてくれた。
「ええと、どうぞ」
近くなったおかげで、無事、残りの氷砂糖を渡すことができた。
ほっとしたとき、周囲の気配が動いた。
「えっ?」
横を見れば、グラティアの一人が湖から出て、ヴォルフへ向かって宙を泳いでいる。
まさか、ウンディーネもあの美貌に夢中に――
ダリヤがそう危惧したとき、レナートが口を開いた。
「ヴォルフ、大丈夫だ。そのままで、手を前に出せ」
「はい!」
父に素直に従ったヴォルフが、右手を前に出す。
グラティアはさらに彼へ近づくと、右の手のひらをヒレでぺちぺちと叩いた。
きらきらと水が舞い、すぐに消える。
そうすると、そのままくるりと旋回し、湖へ戻っていった。
ウンディーネ式の挨拶のようなものだろうか、そう思っていると、今度は自分の方へグラティアが――正確には、ダリヤが氷砂糖を渡したグラティアが飛んできた。
「次はロセッティ殿の番だな。その場から動かず、手を伸ばすといい」
「わかりました」
腕を伸ばし、透明な大魚の訪れを待つ。
間近で見ても、水でできた魚のよう、陽光にところどころを虹色に輝かせる姿はとても美しい。
そのグラティアが、ダリヤの手のひらをヒレでぺちぺち叩く。
温かくも冷たくもない水の当たる感触、それでいて手が濡れないのだから不思議である。
不思議がっていると、一度ヒレを止めたグラティアが、さらにぺちぺちと叩いた。
自分が感触を不思議がったのと同じかもしれない、そう思ってされるがままになっていると、左に回り込まれた。
左手が気になるのかもしれない、そう思って前に出せば、また同じように数度叩かれた。
それで満足したらしいグラティアは、するりと湖へ帰っていく。
きゃらきゃらという声が次第に遠ざかり、風にまぎれて消えた。
「これでお二人とも安心ですね! この湖で泳ぎ放題ですよ」
ドナに言われて振り返る。騎士達も笑顔だ。
意味がわからずにいると、レナートが説明してくれた。
「グラティアの挨拶を受けると、この湖で溺れなくなると言われている。実際、溺れた者は一人もいないそうだ。ただし、他の池や湖、海では無効だから気をつけてくれ」
「わかりました、父上」
「ありがとうございます、レナート様」
なんと、グラティアは溺れ防止を自分達に付与してくれたらしい。
知っていたならあのぺちぺち時、魔力が動いていないか、どのような魔力かを観察するべきだった! ダリヤがそう残念がっていると、ヴォルフがじっと己の手を見ていた。
彼の考えていることが手に取るようにわかったので、ダリヤもちょっとだけ手から魔力を出してみる。
残念ながら、水魔法が使えるようにはなっていなかった。
それにしても、氷砂糖と引き換えに溺れ防止というのは驚きである。
この湖だけでも溺れないというのは、なかなかいい付与ではないだろうか。
「父上、グラティア様のこれは、皆が持っているのですか?」
「残念ながら全員ではないな。スカルファロット家と、その繋がりの深い者で、グラティアが気に入った者だけが与えられる」
「では、兄上達もすでに?」
「ああ、持っている。ただし、グラティアについてはこの湖の見える場でしか話せないという約定があるため、連れてこないと教えることもできない。グイード達もお前に自分で教えられないことを悔しがっていた」
「そうだったのですね」
初めてここに来たヴォルフが知らないわけである。
そして、ダリヤはスカルファロット家と繋がりの深い者として認定されたらしい。
ありがたいことである。
「グラティア様は優しそうでしたが、今まで気に入らなかった方というのはいらっしゃるのですか?」
「強い火魔法持ちやその血族によっては、スカルファロット家と繋がりがあっても難しい。あとは純粋に好き嫌いもあるだろう。具体的な名は聞かない方がいいかもしれんぞ……」
「ちょっと気になりますね」
レナートが言葉を濁したのに対し、ヴォルフは声をひそめ、子供のような期待の目を向けている。
彼に言いたい。
そういうときは大抵聞かない方がいいものだ。
ダリヤは視線をずらしたが、レナートの声は風にのってしっかり聞こえた。
「以前、太陽のごとくまぶしき一族の方がいらしたことがある。グラティアの体に大変興味をもたれ、中身はどうなっているのだろうかと口にした。そこからしばらく、氷砂糖を袋で出してもグラティアに出てきてもらえず、湖面が荒れた……」
「うわぁ……」
どうにもならぬ声が出た。
ヴォルフも自分も同じような表情をしているに違いない。
王子の見本のごとき金髪青目の、いや、実際王子なのだが――ストルキオス殿下を思い出し、ダリヤは固く口をつぐむ。
さわさわと湖面が揺らいだ気がした。
そこからは湖畔での昼食会となった。
ハーブ塩をかけた鶏肉・夏野菜のグリルの串、根菜多めのチーズスープ、ガーリックバターを塗ってカリカリに焼いた薄切りパン、色鮮やかなベリーのパイなど、いくつものテーブルにずらりと載ったそれを、各自で取る形である。
「ダリヤ、どうぞ」
自分の好みを把握しているヴォルフが、皿に山と盛ってきてくれた。
お礼を言って受け取っていると、若い騎士が白ワインの入ったグラスを配っていく。
皆がそれぞれの手にグラスを持ち、湖を見た。
乾杯の指揮はやはりレナートだった。
「スカルファロットとグラティアのとこしえの友好を願うと共に、新しく祝いを受けた者へ、乾杯!」
「「乾杯!」」
何人かの騎士が氷砂糖を遠投する。
離れた湖面で、グラティアがしっかりと受け取っていた。
グラティアにとって、氷砂糖は嗜好品なのだろうか、いや、そもそも水の精霊の食事とはなんだろう?
教科書にもないそれをつい考えていると、ドナが金属の皿を持ってやってきた。
「ロセッティ会長、ヴォルフ様、焼き立ての湖魚です。がぶりといってください!」
「ありがとうございます」
皿の上の湖魚は、前世で食べたことのあるヤマメに似ている。
串に刺された熱々のそれは、この場では女性騎士も含め、皆が囓って食べている。
本日は礼儀作法は気にせずとのことなので、ダリヤも丸椅子に座り、湖魚焼きを頂くことにした。
「あふ……!」
齧り付いた一口目、外の薄皮はパリッと香ばしく、塩の粒がいい感じに乗っている。
その先は熱々でふっくらとした白身。
噛みしめるとじんわりと味が濃くなった。
淡泊でありながらも滋味深いそれは、海の魚とはまた違う。
飲み込んだ後味もすっきりとしていて、白ワインによく合った。
ゆっくり味わって食べていると、周囲の音がボリュームを落とすように小さくなる。
「ダリヤ」
不意にヴォルフに名を呼ばれ、顔を上げた。
何か話しかけられるのかと思ったが、その視線は自分の背後に向いていた。
いや、彼だけではない。
レナートや周囲の騎士達の視線も自分の背後に向いており――ダリヤは慌てて振り返る。
きゅ!と、さきほどのグラティアに、予想外の至近距離で声をかけられた。
待って頂きたい、自分が食べていたのは湖魚である。
けして、あなたのお仲間ではない。
いや、そもそもそれを言うならば、湖畔で湖魚を食べているスカルファロット関係者全員が非難されることに――
ダリヤは混乱しつつ湖魚の皿をテーブルに置き、グラティアに向き直る。
「グラティア様、何か、ご用でしょうか?」
言ってしまってから気づく。
こちらの言うことは大体理解してもらっている気がするが、逆はどうなのか。
答えてもらってもわからないではないか。
だが、その迷いは不要だった。
グラティアはダリヤの目の前に右ヒレをぴんと伸ばし、そこで止める。
そのヒレの上、小石が一つ載っていた。
ヒレをちょこちょこ伸ばされたので、手を出して受け取る。
そして思い出した。
自分のポケットの中には氷砂糖が残っている、それが欲しいからきたのではないか。
さきほどのぺちぺちの回数が多かったのもそれかもしれない。
ダリヤは急いで氷砂糖を出すと、ハンカチで拭く。
そして、それをグラティアのヒレに載せた。
「ありがとうございます、グラティア様」
正解だったらしい。
一段高くきゃらきゃらと声を上げたグラティアが、湖へ舞い戻っていく。
そうして、辺りにようやく音が戻った。
「グラティアが二度来るのは珍しい。何か渡していったようだが?」
「ポケットに一度落とした氷砂糖があったので、それを取りにいらしたみたいです。物々交換なのか、小石を頂きました」
レナートに答え、手のひらを開く。
そこにあるのは黒い小石だ。
湖畔の波で角がとれたのか、まん丸で、なかなかいい手触りである。
「ダリヤ、その小石、危ないものじゃないよね?」
「ロセッティ会長、すごい魔核とか、価値のある宝石だったりしません?」
「普通の小石だと思います。魔力は一切感じられませんし、磨いても輝きそうな感じはないです」
ヴォルフとドナに問われたが、どう見てもただの小石である。
一応、彼らに渡して見てもらい、その後、魔導具師の先輩であるリチェット、宝石にそれなりに詳しいという女性騎士にも見てもらった。
その上で、魔核や宝石ではなく、普通の小石だろうということでまとまった。
とはいえ、これをくれたのはウンディーネのグラティアだ。
ダリヤはレナートの許可を得て、記念に持ち帰ることにした。
ヴォルフと共に、ウンディーネから溺れない付与をされた記念の日である。
ただの小石でも、大切な思い出の品になるだろう。
黒い小石は氷砂糖と入れ代わりに、ポケットの奥、大事にしまわれた。




