529.スカルファロット家の大型魔導具見学(一)
朝方までの雨はすっきりと止み、本日は快晴。
ダリヤはわくわくと馬車の外を見つめていた。
窓の向こう、鮮やかな緑の木々が風に揺れ、道の脇の草花は雨のなごりに輝いている。
遠く連なる山々は、頂に少し雲を宿し、水彩画のようでもあった。
馬車の車輪の音と共に、鳥のさえずりと川の水音が聞こえてくる。
この馬車にはヴォルフとドナ、もう一台の馬車にはレナートと筆頭魔導具師のリチェット。
そして、騎馬の騎士達が十数名同行している。
朝早くに領主館を出発し、馬を二度休ませて道を進んできた。
目指すのは、グラティア湖。
スカルファロット家の大型魔導具のある場所だという。
湖水を管理する魔導具の定期点検という名目だが、おそらくダリヤに見学させてくれるためであろう。
すでに、馬を休ませてきた場所でも大型魔導具は見学してきた。
以前グイードからもらった魔導書にもあった、浄水関連の魔導具だ。
『浄水盤』は、川の水に有害な成分が混じっているとき、一定まで浄化するものだ。
川幅を広くとり、流れをゆるやかにした場を作り、常時確認をしながら稼働させているという。
側にある建物の中には、ダリヤの背よりも大きな金属箱が四つ並び、その表面に長い魔導回路が刻まれていた。
使用されているのは水の魔石と土の魔石、浄化石、一角獣の角、緑馬の肺、クラーケンの外皮などだ。
効能の似た魔石と魔物素材を複合で使い、有害な成分を逃さぬ設計。
半数が故障しても残りで充分カバーできる、余力ある運用。
同一魔導具を四つ並べ、メンテナンスしやすく、故障もわかりやすい運用。
これぞ人の命に関わる魔導具、と言いたくなるものだった。
加えて、浄水盤の魔導回路が、四つとも寸分違わず引かれている様に感心した。
しかも、これは一人の作ではなく、リチェットを含むスカルファロット家の魔導具師三人がひいたものだという。
高い技術力に感動しつつ、リチェットの解説に聞き入った。
次に見学するグラティア湖の魔導具も楽しみでならない。
「もうそろそろです。それにしても、ロセッティ会長、そのお姿もお似合いですね」
「ありがとうございます。動きやすい方がいいかと思いまして」
向かいのドナに声をかけられたので、明るく返す。
本日の服装は、水色のシャツにしっかりした生地の紺色のズボン。踵の低いブーツに麻の上着を羽織り、髪はきっちりと結い上げている。
グラティア湖の側には管理用の館もあるが、本日は全体を見渡せるやや高い所へも行く予定だ。
そのため、山歩きを想定して準備してきた。
「ダリヤ、手を」
先に降りたヴォルフが笑いかけてくる。
ズボンにブーツなので、彼にエスコートしてもらわなくても問題はない。
けれど、馬車を降りるのにありがたく手を借りた。
その後、皆と一緒に館へ移動する。
貴族の別荘のような佇まいだが、グラティア湖の管理場である。
通路にある幾巻きものロープは、小舟に使うためのものかもしれない。そう思いつつ裏手の馬場から屋敷の正面に進み、ようやく湖を目にした。
「わぁ……!」
「こんなに大きかったんだ……!」
ヴォルフと共に声をあげてしまったが、仕方がないと思う。
湖は予想以上の広さだ。
はるか遠くまで続く湖面は青く澄み、陽光をきらきらと反射させている。
ところどころで水鳥たちがゆるやかに泳いでいた。
二人そろって見入っていると、ドナが木の丸椅子を持ってきてくれた。
「ロセッティ会長とヴォルフ様は初めてなんですから、昼飯準備の間はゆっくり見ててください」
彼に気を遣われているのはわかったが、貴族の配膳はその役目を担う者しかできない。
素直に従うことにした。
館の正面からゆるやかに下がった先の岸辺、風で作られた波が打ち寄せる。
その風はそのまま陸にも上がり、暑さを吹き飛ばしてくれるように心地いい。
ダリヤ達の正面で水面が大きく揺れ、光が跳ねる。
おそらく、魚が陽光に光ったのだろう。
それなりに大きい魚もいるようだ、そう思ったとき、レナートが傍らへやってきた。
「さて、『グラティア』へ挨拶をしよう。二人とも、問題ないから身構えなくていい」
「ご挨拶、ですか?」
「湖に挨拶を?」
レナートは答えることなく笑むと、そのまま湖へ向かって行く。
騎士や従僕が一斉に手を止めて、その背を見た。
生活水の源でもあるというグラティア湖だ。
もしかすると、スカルファロット家当主として感謝の祈りを捧げるなどの風習があるのかもしれない。
ダリヤがそう考えたとき、レナートの両腕が湖へと伸ばされた。
「銀の雪」
湖に向けて撃たれたはずなのに、こちらまではっきりとわかる強い魔力。
なぜここで攻撃魔法をと思いかけ、見えるものに声を失った。
湖面に大量に舞い落ちる、銀の光を帯びた雪。
ふわふわと舞うそれに太陽の光が当たり、湖面の光と重なり合う。
それはとても幻想的な光景で、ただただ見とれるばかりだ。
強く吹いた風にわずかな雪が流れてくる。
指に触れたそれは、ひんやりとした感触を残して消えた。
最後の雪が湖面に落ちる。
鏡のようなそこに映るのが空の青だけとなったとき、ざばり、湖面が割れた。
思わぬほど高く飛び上がった大きな魚達は、太陽の輝きでよく見えない。
再び水に潜り、高く飛び跳ね――
こちらへ近づいてくるにしたがい、その異様さがわかった。
魚達の胴は細身で、背びれと胸びれは長く、まるで優雅な観賞魚のよう。
しかし、その体に一切の色がない。
擬態ではなく、水そのものでできたような透明さは、確実に魚ではなかった。
魚ではありえぬ滞空時間、次第に重力を無視した動きとなったそれらは、レナート近く、三匹で飛んでいる。
「『グラティア』、スカルファロットが変わらぬ友好を願う」
魚のようなものから、きゃらきゃらと不思議な音が響いた。
なんとなくだが笑っている気がする。
魚のようなものには失礼かもしれないが、状況がわからず、ただただ凝視してしまう。
「ヴォルフ様、ロセッティ会長、ちょっとお願いが」
沈黙を破り、ドナからいつものような声をかけられた。
ダリヤは慌てて彼を見る。
「これ、グラティア様達へ向かって投げてくれませんか? 俺だと犬臭くて、精霊のウンディーネ様には失礼かと思うので」
「ウンディーネ様!」
あの透明な魚のようなものは、水の精霊であるウンディーネだったようだ。
ダリヤは勝手な思い込みで、波打つような髪の女性形をイメージしていた。
だが、魔物事典には『ウンディーネは不定形、人魚のようであったり、魚型であったりもする』、そうあったではないか。
ウンディーネを改めて見れば、水と最も調和する姿だと納得できた。
その揺らぎのない強い魔力もよくわかる。
「ダリヤ、大丈夫? もし無理そうなら俺が――」
「大丈夫です、ちょっと見とれていただけなので」
ドナから受け取ったのは氷砂糖の載った小皿だ。
ウンディーネは甘い物が好きなのか、それとも儀式的なものなのかわからない。
とりあえずヴォルフと共に、レナートへ歩み寄る。
「父上、投げるときの作法などはありますか? あと、何とお呼びすれば?」
「作法は特にない。この湖のウンディーネは我が家と長い付き合いがあるので、『グラティア』と呼んでいる」
「じゃあ、俺は右の二ひ、いえ、右のグラティア様、お二人へ!」
二匹と言いかけたヴォルフが慌てて言い直す。
そして、氷砂糖を勢いよく投げた。
ヒレを手のように合わせて受け取ったウンディーネ、改め、グラティアは、きゃらきゃらと声を上げる。
それに安心したらしい。
ヴォルフはすぐ次の氷砂糖を中央のグラティアへ投げていた。
「では、私も――失礼します」
投げるのは氷砂糖、それほど距離はない。
きっと大丈夫、己にそう言い聞かせて投げたが、だいぶ手前に落ち――宙を飛んできたグラティアが、片方のヒレでキャッチした。
水の固まりのようなグラティアに受け取られた氷砂糖は、口に運ばれることなく溶け消える。
甘さに喜んだのか、きゃらきゃらという音が高くなった。
もう一個、というように口をパクパクさせられたので、ダリヤは再び氷砂糖を持つ。
今度こそ届くように投げよう!
思いきり力を込めて投げたそれは、数歩先の地面を勢いよくバウンドした。
キュウと響いた音は、グラティアが『気にするな』と言っているように聞こえた。
 




