528.ロセッティ商会の子犬
・アニメ「魔導具師ダリヤはうつむかない」 オリジナルサウンドトラックが配信開始となりました。
・公式X『まどダリ』第28話公開となりました。
どうぞよろしくお願いします。
「かわいい……ふわふわね……」
ダリヤが蕩けそうな目で見ているのは、胸に抱いた子犬である。
黒い子犬は彼女に撫でられながら、とても居心地よさげに尻尾を振っている。
本当にうらやま――いや、ダリヤが楽しそうでよかった、ヴォルフは自分に言い聞かせるように思い直した。
魔導具見学後、夕食までに時間があったことから、スカルファロット家が運営する犬の飼育場を見ることになった。
かわいい子犬がいるので、ダリヤが喜ぶだろうという、ドナの勧めである。
彼の案内で、領主館から馬車で少しの飼育場へ移動した。
しっかりした煉瓦作りの犬舎へ入ると、犬達の吠え声が高くなる。
珍しい来訪者であろう自分達は、きりりとした顔の夜犬達に興味津々に迎えられた。
職員達と挨拶を交わした後、犬舎を見学する。
部屋の壁に沿って、犬一頭ずつに木の柵で分けられたエリアがあり、それぞれ水の入った皿と毛布が置かれていた。
ほとんどが夜犬で、若い訓練中の犬だという。
職員が声をかけると、柵の向こうで、伏せやお座りをびしりときめてみせてくれた。
そうして進んだ奥、子犬達の部屋があった。
ころころと丸みのある子犬が五匹、少し成長した子犬が四匹。
敷物の上を黒い毛玉が転がるように走ったり、互いに飛びついたりと忙しい。
そのうちの一匹をドナから受け取り、ダリヤが抱きしめているのが今である。
「ロセッティ会長、犬はお好きですか?」
「はい、好きです」
即答する彼女の周り、自分も抱っこしろとばかりに子犬達がじゃれついている。
対するヴォルフには、一番大きい子犬が前脚で靴の爪先を踏んでいた。
足止めか? いや、尻尾をふっているので懐いているのだろうと判断し、その身を撫でる。
子犬らしいふわふわと柔らかな手触りに、自然、自分も笑みがこぼれた。
「ロセッティ会長は子犬に大人気ですね」
「初めて来たので、珍しいんだと思います」
実際、子犬達は浮かれていた。
ここへ来るのはほとんど犬舎の者達だけ、ヴォルフ達は珍しい。
中でもダリヤは一番小さく、午後のミルクティとお茶菓子の甘い香りも残っていた。
そして、その毛皮――スカートだが、端を囓っても怒られない。
子犬達は彼女にいい意味で親しみ、悪い意味で舐めて――物理的にも舐めた。
「くすぐったい。あ、待って、白粉って子犬の体には悪いかも……」
頬を舐められて笑っていたダリヤが、慌てて子犬を引き離す。
心配そうに見つめる彼女に、ドナが大丈夫だと答え――その最中、周囲の子犬が次は自分だとばかりにダリヤに向かう。
中には腕や背をよじ登ろうとする子犬もいた。
「危ないから上らないの」
一応、叱ったつもりであろう声は、子犬達には遊びのかけ声に聞こえたらしい。
甘えるように鳴き、わらわらと膝に腰にとじゃれつき、一部は跳ね上がり、手も頬も舐め始める。
ダリヤは止めようとしつつ完全に子犬まみれの状態になり――ドナは笑っているだけだ。
「ダリヤに傷がつくといけないから」
平坦な声になってしまったのは心配だからである。他意はない。
ヴォルフは一匹ずつ引き剥がすと、ダリヤの腕を取って立ち上がらせた。
「ありがとうございます、ヴォルフ。子犬でも力がありますね……」
ふうと息をついた彼女は、それでも優しい目で子犬達を見ている。
乱れた髪を直す細い指に、先程、黒い扇を持ったことを思い出した。
貴族の淑女にとって、扇はアクセサリーであり、意志伝達の小道具でもある。
通常、初めての扇を渡すのは家族。
そのうちでも母、祖母などの年長者の女性が多いそうだ。
そして、次に贈られることが多いのは、想う相手――
あなたといつも共にありたい、あるいは、あなたを守りたいという意味をこめるもの。
まさか父がダリヤへ扇を贈るとは思わず、少々慌ててしまった。
もっとも、贈ることになったのは 『守護扇』だ。
前当主の父が、家で世話になっている彼女へ護身用魔導具を贈るのは、おかしなことではない。
むしろ安全対策の一つになると喜ぶべきことだろう。
女性の男爵は扇を持たずに省略することが多いと本にあったので、自分からダリヤへ贈ることを考えつかなかった。
いや、ここは予備にもう一つあってもいいのでは――
そんなことを考えるヴォルフの前、ドナが口を開く。
「ロセッティ会長、子犬を一匹どうです? 早くから飼えばとてもなつきますよ。頼れる番犬にしたいなら、ある程度訓練してからお渡ししますし」
「そうですね」
子犬達を見ていたダリヤは、緑の目を輝かせた。
けれど、そのまま視線は伏せられる。
「いえ――とてもかわいいんですが、私は家を留守にすることが多いので。それに、一匹だけ家族や仲間から離すのもかわいそうです」
答える笑顔は、どこかさみしそうだった。
ヴォルフは胸にじわりと痛むものを覚える。
自分はダリヤのおかげで、家族とのつながりを取り戻した。
けれど、彼女は父カルロを亡くしてから、家族はなく一人で――
できるなら自分が隣に在りたいと、傲慢にも思ってしまう。
友であり続けると約束したはずが、自分はそれ以上を望んでいる。
だが、伝えてつながりを断られた日には、続く人生は漆黒の闇だ。
「足下の子、ヴォルフがとても好きみたいですね」
「えっ?」
ダリヤの声に、うつむいたまま足下を確認する。
踏み出すに踏み出せない自分の足を、先程の子犬が再び踏んでいた。
・・・・・・・
「メルカダンテ副会長、こういった場には慣れましたか?」
「いえ、まだまだです」
ダリヤが留守のロセッティ商会だが、イヴァーノのやることはそう変わらない。
本日は立食パーティの招きに与り、グッドウィン子爵家を訪れていた。
飲食はせず、人に挨拶をして回っていたところ、オズヴァルドを見つけた。
一昨日その教えを受けたばかりだが、自分の名を呼ばず、肩書きで呼ばれる。
そのいかにも久しぶりといった口調の彼に合わせて挨拶をした。
続くのは当たり障りのない天気の話、と言いたいところだが、違う。
「夏は『雷雨』に気をつけなくてはいけませんね」
『雷雨』、外で注意が必要な人物がいるとき、オズヴァルドが教えてくれる単語である。
どうやら、本日のパーティにいるらしい。
誘われても二次会は断り、早めの退散を心がけた方がいいかもしれない。
「ええ、『雷雨』のときは早めに馬車に戻ろうと思います」
理解したと返すと、彼は子爵らしい笑みですれ違っていった。
次の話し相手を探そうとするイヴァーノの前、濃紺の上着が目に入った。
白髪で少し背が高い男性は、伯爵家の血筋の商会長。
少し長めの名を、イヴァーノはきっちりと綴ることができる。
「これはこれは、ロセッティ商会の――」
丁寧な挨拶と名乗りを受けたので、それ以上の丁寧さで『ロセッティ商会のイヴァーノ・メルカダンテです』、と返す。
向かいの黒い目は、笑みの形に細められた。
「メルカダンテ家――なつかしい名ですな」
「弱小の我が家を覚えて頂けていたとは、光栄です」
イヴァーノは少し驚いたように答えつつ、内で嗤う。
白髪の男性は、そのまま言葉を続けた。
「以前、お祖父様にお目にかかったことがございます。大変に商売上手な方でした。お父上にはお目にかかったことがございませんでしたが、とても人徳のある方と伺っておりました。なんとも惜しいことを……メルカダンテ殿も、当時はさぞ大変だったでしょう?」
同情めいた声に対し、目に情けは一滴もない。
この程度の質問、とうに想定済みである。
自分の表情筋が揺らぐことなどない。
「いえ、当時、私はもう家を出て、妻とおりましたので。知ったのは後でした」
嘘ではない。
家族が亡くなったあの日、自分は妻――当時の恋人の家にいた。
想い人と共にいられるうれしさに、家族の不穏な動きに気づかなかった。
救いようのない愚か者だ。
「そうでしたか。距離があるとわからぬこともあるものです」
その頃はまだこの王都住まいではなかったが、否定することはしない。
ちょっと困ったというように表情を作り、相手の出方を待つ。
「伯父上や細君のご家族は、あちらでおかわりはありませんか?」
「おそらくかわりないかと思います。お恥ずかしながら妻との結婚の許しを得られず、二人で王都に出まして――今は疎遠ですので」
残念そうに答えると、男の言葉が止まった。
イヴァーノの伯父と妻の家とは、ずっと疎遠なふりをしている。
最初はメルカダンテ家の一家心中という醜聞に巻き込まぬため、今はロセッティ商会がらみで迷惑をかけぬようにするためだ。
ロセッティ商会員となったことは両家に手紙で伝えたが、遠距離ということもあり、実際に会うことはここ数年なかった。
手紙も商業ギルド経由で、イヴァーノの名は入れていない。
そして、財務部長のジルドに相談し、安全確保はそれなりにしてもらっている。
騎士も商人も同じだ。背が心配では戦えない。
「メルカダンテ殿、よろしければ、あらためて乾杯を」
給仕から二つのグラスを受け取った男が、イヴァーノに勧めてきた。
よく手入れのされた指に、金の指輪が輝いているのが目に付く。
それとよく似た指輪を自分もしている。
「ありがとうございます」
この男の腕の長さはどれほどか、自分を脅せるほどか、組み合えるほどか、それとも――
内で天秤を傾けつつ、笑顔で乾杯した。
酒が喉をすぎると、左手の指輪と足首のアンクレットから涼やかな風を感じる。
めまいを起こす程度の軽い毒は、貴族の挨拶のようなもの。
平然としたままの自分に、相手が驚くこともない。
「メルカダンテ殿は、フォルトゥナート殿とも親しいとか」
「はい、フォルトとは気が合いまして、友人です」
「ディールス侯ともご交流があると伺っていますが」
「はい、ジルド様とティルナーラ様には大変良くして頂いております」
笑みが崩れたのは一瞬、だが、それだけで充分だ。
効果のほどは確認できた。
服飾ギルド長のルイーニ子爵を呼び捨てに、王城財務部長のディールス侯爵夫妻を名前で呼ぶ。
それは自分の力ではないが、鎧にはなる。
今しばらく、この男が敵に回ることはないだろう。
イヴァーノは残りをすべて飲み干すと、グラスを指で揺らした。
「深みがあって、とてもおいしいお酒でした」
「少々『濁り』がありましたが。次は清涼なワインをご一緒したいですね。願わくば、よいお取引、よい商売もお願いしたいものです」
「ぜひお声がけを。よいお取引、よい商売をお願い致します」
メルカダンテ商会が傾いたとき、一番先に手を引いた商会、その商会長へ、イヴァーノは商人の笑みで答えた。
パーティのお開きの時間までにはあと少しある。
だが、イヴァーノは飲み過ぎを理由に少し早く切り上げた。
もっとも、これはメーナへ指定した時間ぴったりである。
「お疲れ様です」
迎えの馬車に乗ると、メーナが小窓を開けて声をかけてきた。
今日は自分の代わりに倉庫の確認に行ってもらったが、問題なかったらしい。
報告を終えた彼は、ほっとした表情をしていたが。
「今頃、会長は領地でヴォルフ様とご一緒ですかね?」
「だといいんですが。魔導具見学もするって言ってましたから、また魔導具に夢中になっているかもしれませんが。気になりますか?」
「気になるというか……会長がヴォルフ様と一緒になれば、会長が安心、商会も安泰ですし、いろいろ丸く収まるじゃないですか」
メーナは商会員として、じつにいい人材だと思う。
最近は計算も一段速く、帳簿付けにも慣れてきた。
オズヴァルドには子犬を育てろと言われたが、予想を超えて順調に――
「雨、降り出しました。ちょっと急ぎます!」
「メーナ、馬車を止めてレインコートを」
「もう着ていますので大丈夫です。座席の下の箱に予備を置いてますので、雨が強いときはそれをかぶって下りてください」
小窓は閉まり、一段馬車の速度が上がる。
天井から雨の音が響き始めた。
「得がたい人材だな。辞められないように待遇を引き上げるか、望むものを聞いて……」
考え始めたイヴァーノは、小窓の向こうの願いを聞き逃す。
「元庶民と貴族でもいいじゃないですか。歌劇のような大団円を見せてくださいよ」




