521.部下の淹れる紅茶
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「このラノ2025」にて、単行本・ノベルズ部門1位、『服飾師ルチア』、キャラクター部門でもランキング入となりました。
「メーナは紅茶を淹れるのがうまくなりましたね。会長もそう思いませんか?」
「ええ、本当においしいです」
商業ギルドのロセッティ商会部屋で、ダリヤはイヴァーノと共に紅茶を飲んでいた。
自分達の向かいでは、メーナが営業用の笑みを浮かべている。
「褒めて頂いても、お代わりのご用意しかできませんが」
「ぜひお願いします」
そう答えると、彼はこらえきれずに吹き出していた。
今、商会の部屋にいるのは自分達三人だけだ。
一緒の馬車でやってきたヴォルフは、公証人であるドミニクの元へ行っている。
マルチェラはヴォルフがダリヤの護衛役を代わる形で、スカルファロット家にいるそうだ。
護衛騎士は鍛錬だけではなく、礼儀作法や言葉遣いなども必要なので、その学びのためである。
もっとも、最近の彼は、王城での立ち位置にも迷わず、挨拶もすらすらと述べる。
メーナといい、マルチェラといい、目に見えて学びが早い。
ダリヤも見習いたいところである。
「ヴォルフ様、次は商法の中級ですか。魔物討伐部隊の仕事をしながら、努力なさっていますね」
「ええ、本当にすごいと思います」
もう一人、学びの早さに感心するばかりなのがヴォルフだ。
丸暗記だから簡単だと言っていたが、同じ試験を通っているイヴァーノに、それはないと否定されていた。
「あれを半年って、元々の頭の違いですね、きっと……」
ダリヤの向かい、椅子に座ったメーナがため息に混ぜて言う。
メーナも商会員として、商業関連をイヴァーノから教わっている。
その一つに商法の初級もあるのだが、教科書は厚い上、語句が難解だそうだ。
「期待していますね、メーナ。うちの商会で一番若手ですから」
「後輩がほしいです、会長!」
メーナの懇願に自分が答える前に、副会長が笑む。
「そのうち、ヴォルフ様が後輩になってくださると思いますよ」
「年上かつ自分より実力ありまくりの後輩じゃないですか! かわいい後輩に先輩風を吹かせたいんです、僕、いえ、私は」
軽口を交わす中、メーナの自称を変えたことに気づく。
視線が合うと、彼はバツが悪そうに頬を指で掻いた。
「その、仕事中は『私』を使うようにということだったので。あと、子供っぽいので、普段も『僕』をやめて『俺』に直しているところです」
「誰かに指摘されたんですか?」
「はい、彼女の一人に。それに、今年で十九か二十ぐらいになっていると思うので、ちょっと格好をつけようかと」
「そうでしたか……」
メーナは救護院の出身である。
家族がいないことで、誕生日も年齢もはっきりしないのだろう。
今、家族がいないのはダリヤも同じだ。
そして思い出す。
商会は第二の家族とも言う。
言い換えれば、部下であるメーナは自分の弟的な立ち位置だろう。
ダリヤが勝手にそう思うだけの話で、口にすることではないが――
一つだけ言っておきたいことがあった。
「メーナ、一人で無理はしないで、何か困ったことがあったら相談してください、必ず。できるだけのことはしますから」
仕事の悩みを一人で背負い込んで、前世の自分のようになってほしくはない。
その思いを込めて告げると、彼は動きをぴたりと止める。
「あ、ありがとうございます……」
「どうかしましたか、メーナ?」
「いえ、その――失礼ですが、それは部下じゃなく、家族に言うようなことじゃないかと……」
珍しく水色の目を迷わせるメーナに、イヴァーノが顔を向ける。
「メーナ、商会は第二の家族とも言いますから。うちは人数が少ない上、会長はダリヤさんなんであきらめてください」
何をあきらめろというのだ? お節介がすぎて聞こえただろうか。
そう心配になっていると、メーナが自分を見た。
「あの、商会員が家族なんて言ったら、会長のご家族とかご親戚が嘆かれませんか?」
「嘆きません。あ、その前に家族や親戚はいないですが……」
「すみません、会長……」
互いに微妙な声になったとき、副会長がカップをソーサーごと押し出した。
「おいしい紅茶を淹れてくれるようになったメーナは逃がしませんよ。何かあったら私にも相談してください」
「何かあったらそうさせてください。会長、副会長」
メーナは笑顔で二杯目の紅茶の準備に取りかかった。
・・・・・・・
「また厚い本ですね……」
二杯目の紅茶を飲んでいるところへ、ヴォルフが戻ってきた。
手にしているのは、おそらくドミニクに紹介された商法の中級の本だろう。
革の装丁のそれは、それなりの厚さである。
「でも、これ一冊だけだから。経営学なんか基礎で三冊もあるから、まだいいんじゃないかな?」
了承を求めた金の目が自分に向いたが、絶対にうなずけない。
メーナが無言でヴォルフの分の紅茶を淹れだした。
「メーナ、紅茶を淹れるのがうまくなったね」
「ありがとうございます、ヴォルフ様。彼女達相手に練習した甲斐がありました」
「彼女達……」
自由恋愛派のメーナだけあって、言うことが違う。
そう思っていると、ヴォルフがその金の目を彼に固定した。
「どうかしましたか、ヴォルフ様?」
「ええと――メーナは、付き合うきっかけって、どうしているのかと思って……」
素朴な疑問だったらしい。
自由恋愛派の集まる場所でもあるのだろうか、ダリヤもついメーナへ目が向く。
「別に普通ですよ。気になった女性がいたら、目を合わせます。向こうも目を合わせて三秒動かさなかったら笑いかけます。笑顔が返ってきたら声をかけます。お話しする時間はありますかって」
「え、それだけ?」
「はい。それで、お茶でもしながら話して、気が合ったら自由恋愛派だと伝えて、それでよければ連絡先を交換して、予定が合えばデートですね。まあ、自由恋愛派だと言った時点で三分の二はその場で終わりますが」
「俺としては三分の一、残ることに驚きです……」
イヴァーノが目を丸くしている。
ダリヤとしてもその内容と速度に驚きしかない。
あと、自由恋愛派は意外に多いのか、メーナの魅力か。
だが、どちらにせよ付き合う相手がすぐに増えそうだ。
「一つ疑問なんですが、相手が増え続けると、大変じゃないですか?」
「いえ、合わなくなったらそこまでですし、二回断られたら連絡しないので」
「え? それで終わり?」
「また話したいなら向こうから連絡してくるでしょう。あとはこっちも同じで、話が合わなくなったら都合がつかないで二、三回断って、大体それきりですね」
「そう、なんですか……」
「そういう形なんだ……」
ヴォルフと共に言葉を濁す。
そういった付き合い方もあるのだろうが、楽というよりさみしく思えてしまう。
いや、その前に恋愛相手のいない自分はもっとさみしい立場なわけだが。
「うっとうしくなくていいですよ。出会って一年ぐらいで限界でしょう、新鮮さが続くのなんて」
「一年……」
「一年ぐらい……」
なぜかヴォルフと言葉がそろってしまった。
そんな自分達に、メーナがにこやかに笑む。
「話が合うとかならもうちょっとですが、春が続くのは三年までですね」
「三年ですか。私は二十年程、春ですが、まったく秋がきませんね」
「副会長まで、マルチェラさんと同じようなことを……」
マルチェラとイルマを思い出し、ダリヤは納得する。
より仲が良くなることはあっても、飽きの秋も別れの冬も来そうにない。
「最近は忙しいですが、新しい方に会えなくて残念などはありますか?」
「いえ、忙しい分はしっかり頂いていますから。新しい方は――鼻はいい方なんで、商会絡みで『罠のお姉さん』が来たらさっさと逃げるか、おかしいと思ったら副会長に相談します」
「そうしてください」
呆気ない会話だが、イヴァーノは罠女――何らかの目的で、女性を武器にしたり、偽の恋仲になったりする――その可能性について尋ね、メーナはわかっていると答えた形だ。
自分より年下なのに、本当にしっかりした部下である。
イヴァーノとメーナがいれば、自分がしばらくいなくても問題ない、そう改めて思いつつ、二人へ願う。
「七日ほどスカルファロット様の領地へ行ってきますので、留守をお願いします」
「お任せください、会長」
前もって相談していたイヴァーノは、驚くことなくそう言ってくれた。
その隣、メーナが両手をテーブルに、満面の笑みとなる。
「ご挨拶ですね! お祝いの分を貯めておきたいので、日取りが決まったら早めに教えてください」
ご挨拶、お祝い、日取り――
笑顔の部下の言葉が脳内でつながった瞬間、高い声が出てしまった。
「いえっ! メーナ、違います! 純粋に、魔導具の見学で!」
「あっ! メーナ、今回は違うんだ! 結婚の挨拶とかじゃなく!」
またもヴォルフと声が重なってしまった。
それがちょっと恥ずかしくて次の言葉が出てこないだけで、他の理由は何もない、きっと。
「いえ、俺の方こそ勘違いしてすみません。最近、友達が立て続けに結婚したので、つい、頭がそっちにいってしまって――あ、ちょっと外が曇ってきましたね。雨が降らないうちにスカルファロット様の別邸へ移動できるよう、馬車の準備をしてきた方がいいでしょうか?」
「お、お願いします」
「よ、よろしく……」
すぐに謝罪と提案をくれたメーナに安堵し、二人でまたも声をそろえてしまった。
場を全力で流しきったメーナは、ドアを開けて廊下へ出た。
しかし、自分の勘違いを誰も責めなかった。
三度、声と表情をそろえた二人は、自分から見れば恋人を通り越して家族のよう。
とてもお似合いで、二人でいれば楽しそうで、何の障害もないように見えて――
心底うらやましい。
「あれで、どうして進まないんだろう……?」
とある商会員の疑問は、窓の向こう、夏空だけが聞いていた。




