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520.東酒チーズフォンデュと雑談

・応援に心より感謝申し上げます!「このラノ2025」にて、単行本・ノベルズ部門1位、『服飾師ルチア』、キャラクター部門でもランキング入となりました。

・書籍11巻&特装版11月25日、コミックス王立高等学院編2巻12月18日に発売です。

・公式4コマ『まどダリ』第24話更新となりました。

どうぞよろしくお願いします。

「ダリヤ、チーズが溶けたよ」


 緑の塔の居間、ヴォルフが鍋をかき混ぜながら声をかけてきた。

 ダリヤは刻んだパンを積んだ大皿を手に、そちらへ向かう。


「こっちもこれで全部。足りなかったら追加で切るわ」


 部屋には、すでにお腹のすく香りが漂っている。

 本日のランチメニューはチーズフォンデュ。

 ただし、チーズを溶かしたのはワインではなく東酒あずまざけである。

 塔では定番メニューの一つだ。


 浸す具材は鶏むね肉の酒蒸しにソーセージ、じゃがいもやニンジンなどの茹で野菜、そして刻みアーモンド入りバゲットだ。

 チーズフォンデュにはアーモンド入りのパンも合う、そうルチアが教えてくれたので、試すことにした。


 二人でテーブルをはさんで座ると、いつものようにグラスを持つ。

 ただし、乾杯の言葉はちょっとだけ違う。


「ええと、お披露目、お世話になりました、乾杯」

「お披露目、お疲れ様、乾杯!」


 カツンと打ち合ったぐい呑みの音に、ようやく日常が帰ってきた気がした。

 喉に通すのは甘口の東酒あずまざけ、ジルドからの祝いの品である。


 昨年の今頃は、王城で微風布アウラテーロの説明をしていたくらいか。

 その後に必死で遠征用コンロプレゼンをしたことが、遠い昔のようだ。


 舌の上、まろやかな東酒あずまざけが過ぎる。

 口内に残る香りまでも甘やかなそれを味わっていると、ヴォルフが口を開いた。


「このチーズフォンデュと鶏の酒蒸し、すごく合う……」


 鶏に向ける金の目の方が、とろりと溶けそうだ。

 よほど気に入ったらしい。


「クセがないのにおいしさが濃いのは、名産地の鶏とか?」

「近くのお店で売っている通常価格の鶏よ」


 男爵になってから、特売品がちょっと買いづらくなった。

 いや、そうではなく、一番新鮮なものをカットしてもらったのだ。


「小さな穴が空いてる……下処理にすごく時間をかけたとか?」

「ううん、適当にフォークを刺しただけ。あとは塩をまぶして、東酒あずまざけをかけて蒸したの」


 弱火なので時間は必要だが、手間はかからない。

 そう説明すると、ヴォルフは再び鶏をチーズの海に沈めて引き上げた。

 柔らかな一切れに対し、咀嚼回数がやけに多い。


「ダリヤはきっと、おいしさの付与ができるんだね」


 真顔で言い切った彼に笑い、ぐい呑みに酒を足す。

 そして、鶏の酒蒸しの皿を彼の方へこっそり近づけておいた。


 そこからは、ダリヤもアーモンド入りバゲットをチーズに浸して味わう。

 次はクルミパンもありかもしれない、そう思うほどのおいしさだった。


「ダリヤは明日、何か予定はある?」

「商業ギルドに、書き換えた仕様書を持っていくつもり」


 魔導具、温熱座卓・温熱卓のユニットの魔導回路を短縮した。

 より小さくできるので、その仕様書を提出する予定だ。

 そう説明すると、ヴォルフがうなずいた。


「それなら迎えに来るよ。俺はドミニクさんへ会いに行く予定だから」

「何かあったの?」


 ドミニクはダリヤも世話になっている公証人である。

 彼への相談といえば、商業関係の契約確認や、各種の証明書がまっ先に浮かぶ。

 けれど、続く声がまったく違った内容を告げる。


「ドミニクさんに商法の本を紹介してもらったんだ。初級がとれたから、中級の本を教えてもらおうと思って」

「商法?」

「ああ。隊を辞めてロセッティ商会に入るとき、商法と経理の一通りは知っておく方がいいって、イヴァーノが」


 まるで来月の予定を語るかのようなヴォルフに、目が丸くなった。

 ちょっと待ってほしい。

 商法の試験は、初級といえども簡単ではなかったはずだ。

 専門用語を含め、覚えることが山ほどあると聞いている。


「前から商法の勉強を?」

九頭大蛇(ヒュドラ)戦の少し後かな」

「そんなに短期間に?」

「初級は丸暗記で済むから簡単だよ。経理の方は読めるようになっただけで、まだ複数年計算とか全然できないし」


 そんなに簡単に丸暗記できたら苦労はしない。

 あと、さらっと毎年の税率も絡む複数年計算を持ち出さないでほしい。

 その処理は、経理をある程度知っているダリヤでも難しい。


 とはいえ、ヴォルフが商会に入ってくれたら戦力間違いなしである。

 遠征のときの心配もなく、いつでも話ができるのだ。

 もういっそ、今すぐと願えないものか。


 できるかぎり高めの給与に、素材全部ダリヤもちでの魔剣開発、それに塔での食事をつけるというのはどうだろう?

 他に希望があるのなら、それに全力で添い――


「……酔ったかも」


 眉間に指を当て、思わずつぶやいてしまう。

 秋には男爵となる魔物討伐部隊の騎士に対し、一日も早く辞めてくれと願うのはあまりに失礼だ。

 そんな自分の向かい、彼はぐい呑みをテーブルに戻した。


「ダリヤ、お披露目の疲れはまだある?」

「――少し。でもすぐ戻るから大丈夫」


 ちょっとだけ、答えるのが遅れた。

 顔色がよく見えるよう頬紅をはたいてみたのだが、ヴォルフに効果はなかったらしい。


「無理はしないでほしい。領地へ行くのは少し後ろにずらしてもかまわないし……あ、銀蛍ぎんぼたるは出たって。いや、君に無理をさせたくないのが一番で――」


 心配を重ねている彼に申し訳なくなった。

 元々ダリヤは庶民、お披露目で場違いさを感じてもおかしくはない。

 これから男爵らしくなるよう頑張ればいいだけだ、そう言い聞かせ、ダリヤは精一杯笑む。


「本当に大丈夫。せっかくだから銀蛍ぎんぼたるも見たいもの」


 銀蛍ぎんぼたるは虫型の魔物である。

 その羽を粉にしたものは、王都の衛兵が持つ夜警用魔導ランタンや、鏡を一段明るく見せるのに使われている。


 一般的な素材だが、実物の銀蛍ぎんぼたるはまだ一度も見たことがない。

 今回、スカルファロット家の領内にある生息地ごと見られるのは、貴重な機会だ。

 それに、古い魔導具や川沿いの大型魔導具の見学も提案されている。

 これほどよい学びの機会はないだろう。


「それで――案内は、俺と、父上と、途中交代でグイード兄上になってもいいかな? もちろん、向こうでメイドは付けるけれど」

「もちろん、なるべくお仕事の邪魔にならないようにするから」

「いや、本来なら同じ女性で『ジュナ様』、いや、ジュスティーナ様が案内する方がいいそうなんだけど……」


 声を濁した彼に察した。

 ヴォルフを見ると声が出なくなることもあるという第一夫人だ。

 一緒に行動するのは無理だろう。


 けれど、ジュスティーナではなく、ジュナと愛称で呼べるようになったということは、少しは関係が改善したのか、そう思っていると、声が続いた。


「俺の顔を見てジュナ様が襲撃を思い出すなら、妖精結晶の眼鏡をかけたらどうかと思って。食事のときにかけたら、ちゃんと向き合って話ができたんだ。それで、父とも――」


 そこから、父であるレナートも同じく、ヴォルフの目を見ると感情が乱れてしまうこと、話し合いができたことを聞いた。

 ヴォルフは父とも、第一夫人とも和解したといえるだろう。


「当たり前に話せて、一緒に食事ができて――俺はやっと、帰った気がした。ダリヤのおかげだよ」


 迷った後に家に帰った子供のよう、無邪気な笑みが自分に向く。


「私は眼鏡を作っただけで――でも、ヴォルフが帰れて、よかったわ」


 彼が家族の元へ本当に帰れた、スカルファロット家で安らげる、それを心から喜びたい。

 わずかにさみしいと思ってしまうのは、自分が一人暮らしだからだろう。

 あちこちで勧められたように、塔で番犬を飼うのもありかもしれない。


 それにしても、ヴォルフとジュスティーナが問題なく話せるようになっても、領地の案内が難しいということは――浮かんだ心配を、ダリヤはそっと尋ねる。


「ジュスティーナ様へご挨拶できなかったから、失礼だった? それとも、その、お加減がよくないとか……」

「いや、ダリヤのせいじゃないんだ。むしろ俺のせいで、朝も兄上達が言い合いに――」


 顔にくっきりと浮かんだ苦悩に、思わず聞き返す。


「ヴォルフのせいって、何があったの?」

「ジュナ様はディアーナさんと共に国境へ行くと、国境大森林の魔物で心を鍛えてくると言って、父が止めている……」

「は……?」


 話のつながりがまるで見えない。

 ヴォルフは魔物ではない。

 あと、なぜ魔物で心を鍛える必要があるのだ?


「ジュナ様が俺を見ても怖がって震えぬよう、『恐れ鎮め』を飲みたがっていたんだけど、あれ、胃の弱い人には向いていないって、ドナが。だから、ディアーナさんと話して決めたらしい。一緒のときは俺が妖精結晶の眼鏡を着けるって言ったんだけど、外しても平気にしたいって。だから魔物で心を鍛えてくると……」


 その方向性はどうなのか。

 ショック療法としてはありえるのかもしれないが、安全が気になる。


「国境大森林近くで、魔物を見学できる場所があるの?」

「いや、ディアーナさんとエルード兄上が魔物を倒すのを見学して、耐性をつけると」

「それって、本当に耐性はつくの?」

「ジュナ様が頑張りたいというのを父が止めてた。でも、どうしても行くなら父も同行すると」


「心配なのはわかるけど、やっぱりその前にお止めした方が……」

「エルード兄上はさくさく倒すのを見せるから、すぐ耐性がつくだろうと。それをグイード兄上が逆効果ではないか、何かあったらどうするんだって言い合いに……俺が原因だし、どっちがいいのかわからなくて……」


 耳を伏せた犬を思わせるヴォルフに同情する。

 しかし、ダリヤも正しい回答がわからない。

 誰に相談すればいいものか、思い出した名は一つだけだ。  


「ええと、そういうときは、ヨナス先生に!」


 間違いのないスカルファロット家相談役を勧めたが、ヴォルフは首を横に振る。


「『久しぶりの兄弟喧嘩は、ご家族で解決してくださいね』って、笑われた……」

「ああ……」


 錆色の目をした騎士の笑顔が、はっきりと想像できた。

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― 新着の感想 ―
もともと皆愉快な家族だったんだろうな、と思うと 長いことこんなにすれ違ってたの本当に悲しいことだった。 段々元に戻ってくんだろう、よかった。
まずはスライム槽の見学からお薦めします。
ヨナス先生がにこやかに笑いつつ目が笑ってない気がします!! それにしても2人の兄ちゃんもアレですが、ディスティアーナ様も割とこう…キテレツ……?? エルードはきっとお母さん似なんだろうな…
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