519.天秤の向こう側
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どうぞよろしくお願いします。
「ダリヤ?」
「あ、すみません、ガブリエラ……」
少しぼうっとしていたらしい、答えるのが遅れてしまった。
お披露目の翌々日、ダリヤはガブリエラと共に中央区の喫茶店に来ていた。
テーブルの上には、香りのよい紅茶、色とりどりのフルーツで飾られたクリームケーキ、花を模したかわいいクッキーが並んでいる。
窓から王都の景色が楽しめる個室は、ガブリエラと二人だけ。
廊下からここへつながる途中の部屋では、マルチェラとガブリエラの護衛が待機している。
人を待たせるというのはいまだ慣れないが、二人にも同じものを出すと聞いて、ちょっと安心した。
「一昨日の疲れが残っているようね」
「そうかもしれません……」
傍から見ても、ダリヤの疲れは透けて見えるらしい。
スカルファロット家のお披露目の帰り、ルチアも自分の疲れを気にしていた。
そして、屋台で温かな料理を買い、夕食に付き合ってくれた。
彼女も朝早くからの仕事で疲れていたはずだ。
だが、遠慮すると、ルチアが帰っても夕飯の時間からずれており、温め直しが面倒だと理由づけされた。
食欲があまりなかったはずなのに、彼女とこれまでの話をしながら、しっかり食べた。
昨日の午後は、ヴォルフから大きな花束が届いた。
明日は会う約束もしている。
いつもはとても楽しみなはずのそれが、少しだけ落ち着かない気がする。
おそらく、これもお披露目の疲れなのだろう。
窓から、ゆるく夏の風が吹いてくる。
向かいのガブリエラは緑色のシックなドレス姿だ。
ダリヤとのお茶のため、目に合わせた緑を選んでくれたのかもしれない。
もっとも裏地はレオーネ指定の白銀だと先に言われたが。
「高位貴族と続けて踊るのは、緊張したかしら?」
「はい、とても。でも、皆様、リードがとても上手だったのでなんとかなりました」
ダンスを思い出すと、あの緊張感も戻ってくるようだ。
大公であるセラフィノに、グイード侯、ウォーロック公といった高位貴族と踊ることになるなど、一年前の自分に言っても絶対に信じないだろう。
「ダリヤは落ち着いてみえたし、ダンスも上手だったわ」
「それならよかったです。でも、終わったら、自分がとても場違いに思えてしまいましたけど……」
二人しかいないせいか、あっさり本音が出た。
塔へ帰ると、安心すると共に、まぶしい舞踏会が夢であったかのような錯覚を覚えてしまった。
貴族としては失格であろう言葉に対し、ガブリエラはにっこりと笑む。
「貴族の催しに馴染んでいないだけでしょう。ここからゆっくり慣れていけばいいわ」
柔らかな声で勧める姿は、実に貴族らしい。
元々、庶民だったというのが信じられないほどだ。
彼女ならきっとそつなくこなしただろう、そう思いつつ尋ねる。
「ガブリエラは、どのぐらいかかりました?」
「私はだいぶ遅かったわね。貴族になりたくなくて逃げ回ったし、馴染むのにも時間がかかったから」
「え? そうなんですか?」
意外なことに聞き返してしまった。
ガブリエラの夫は、商業ギルド長であるレオーネだ。
夫婦がそろっているところは、模範的貴族夫妻に見えるのだが。
「貴族って面倒だし、当主夫人なんて柄じゃないと思って。でも、あの人が自分が庶民になると言い出して。それって商業ギルドの損失でしょう? 商人達も何かと困るでしょうし」
なんとも商業ギルドの副ギルド長らしい台詞だ。
貴族の政略結婚ならぬ、商業ギルド関連の商業結婚とも聞こえる。
そう思っていると、彼女は紺色の目を伏せ、カップに角砂糖をそっと落とした。
「それに、気づいたら、自分を天秤に乗せてもあちらが傾くようになっていたんですもの。仕方ないじゃない」
自分よりもレオーネが大切になっていた、それをくるんで言ったガブリエラに、返す言葉が出てこない。
お披露目で歌われた『王の歌』が、不意に耳によみがえる。
我が王国の主、我が心の支配者――
自分よりもその人が大切になるということ。
それを近しい人にはっきりと教えられた気がした。
ダリヤも真似るように角砂糖をカップに落とす。
スプーンでゆるくかき混ぜていると、湯気の向こう、声が続いた。
「私の生まれた街では、『女は、ささやきか目で伝えよ』って言う諺があるの。元々は、女性が夫や恋人に愛を伝えるときは、慎み深くひっそり言うのが好ましいという意味だったそうよ。そこから、人に注意をしたり、叱ったりするとき、女性が声を大きく言うのはみっともないっていう意味まで生やされたようだけれど」
「なんだか、時代に逆行している感じがしますね」
「ええ。わかってもらえないのも困るでしょう? だから私は、欲しいものは欲しいとはっきり言うことにしたの」
その欲しいものはレオーネであり、その隣に立つことだったのだろう。
まっすぐ自分を見た彼女に、説明されずともわかった。
「ダリヤ、人生は一度きりよ。素材でも技術でも地位でも恋人でも、欲しいものは欲しいと言いなさい。自分から動きなさい。でないとあっという間に年をとってしまうから」
「……はい、気をつけます」
耳に痛い言葉である。
転生により人生が二度目のダリヤだが、次があるとは限らない。
この人生で後悔はしたくない。
だが、ここ一年は、自分が望む以上にいろいろと受け取った気がする。
魔導具師としての仕事と学び、商会長の立場、王城で魔物討伐部隊相談役という地位、金銭的にもとても恵まれた。
この先欲しいものといえば、やはり魔導具師としての知識と技術だろうか。
それに、ヴォルフの魔剣は作りたいし、一緒においしい食事もしたいし、あちこちへ出かけてみたい。
ここ一年ほどの怒濤ではなく、平穏に、彼とできるだけ長くこのままで過ごしていけるなら――
そう考えているのに、唇から問いかけがこぼれた。
「もし生まれ変わりがあるなら、レオーネ様を探しますか?」
いきなりの質問に、ガブリエラはその紺の目を少しだけ細める。
けれど、返事に間はなかった。
「ええ、きっと。でも、探す前に『レオ』が私を見つけると思うわ」
声は軽い。
けれど、重く深く愛された妻の笑みが返ってきた。
うらやましい――
内の小さな声を流し消すため、ダリヤはまだ熱い紅茶を口にする。
それは胸の奥深く、静かに染みていった。
 




