517.兄弟とハンカチ
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・公式4コマ『まどダリ』第23話更新となりました。
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どうぞよろしくお願いします。
「落ち着いたかい、エルード?」
「――ああ」
「目薬を使った方がいいね」
「豪華な目薬だな」
グイードがポーションを渡すと、エルードは苦笑しつつ受け取った。
先程、ヴォルフと父を談話室に、自分達は外へ出た。
グイードはカフスボタンを替えたいと理由を付け、自室に付き合わせた。
部屋で二人となった途端、エルードはぼろぼろと涙をこぼした。
よくここまで耐えたと褒めると、泣きながら吠えられた。
「反則だろう?! あの魔導ランタンは!」
「そうだね。とてもきれいな魔導ランタンだ」
そんなやりとりをした後、エルードはハンカチを両目に肩を震わせ、グイードはハンカチを握りしめ、呼吸を整えながら窓の外を見ていた。
そうして、ようやく表情を取り繕えるようになった弟へ、ポーションを勧めたのが今である。
エルードはポーションを指に付け、目元に叩く。
腫れと赤みはひいていくが、目の潤みはまだ残っていた。
挨拶に向かう前に、もう少しだけここにいる方がいいだろう、そう思ったとき、前置きなしに問われた。
「兄上、この前、内通者は処分したと聞いたが、ライモンド殿の病死とは関係があるか?」
ライモンドとは、父の護衛騎士だった男の名である。
この弟に隠し通すのは無理だと判断し、グイードは努めて平坦な声で返す。
「内通者は彼だった。父の立場があるので、口外不可としているがね」
「何かの間違い――いや、兄上が間違うことはないな」
「裏取りは三度した、本人にも聞いた、証拠もある。厄介なことに、それでも信じられないという者がいそうだが」
「正直、俺もそうだ。父上の幼馴染みで、親友だと聞いていたから……」
護衛騎士としてレナートの影のように控えていたライモンドは、スカルファロット家に長くいた。
少年時代から護衛として父を命懸けで守り、強くとも鍛錬を欠かさなかった。
それなりの水魔法が使え、魔法学にも詳しく、水と氷の魔石の業務に関しても知識があった。
貴族界隈の事情に関しては、父よりもわかりやすく教えてくれた。
己に家族がいないからと次世代の応援にと、救護院に多額の寄付をしていた。
悪い話は一度も聞いたことはなかった。
父だけではなく、自分達家族、騎士達も重く信頼を寄せていた。
そして、それはエルードも同じだった。
「どうして、ライモンド殿がそんなことを?」
「第三夫人と結婚後、事業拡大より家族との時間を求めるようになった甘い当主の目を覚まさせ、スカルファロット家を繁栄させるためだそうだ。まったく、思い込みも甚だしい」
自分の声が少し浮いて聞こえる。
耳ざわりだ。
できるだけ早く、この話を打ち切りたい。
「その、彼の最期を、聞いてもいいだろうか?」
「私が尋ねたらその場で肯定し、自死しようとした。それを父が止めて、自ら手を下した。骸は私とヨナスが確認した」
淡々と告げると、エルードが顔を伏せた。
「俺は、ライモンドを尊敬していた……だけど、今、生きていたら、斬りかかっていたと思う」
「それはないよ。その前に、兄の私が八つ切りにしているからね」
弟の冷えた声に、明るく返す。
けれど、伏せられた顔は戻らなかった。
しばらくの沈黙の後、戻ってきたのは、振り絞られた低い声。
「ああ、そうか……だから彼は、領地行きの前、俺に魔導書を……襲撃は、俺の、せいで」
「エルード、おかしな勘違いをするのはやめなさい。あの日の襲撃は、私を狙ったものだ」
「確かに、狙われたのは兄上だろう。あの襲撃で家族が一人でもいなくなっていたら、父上は絶対にファビオ兄様の母方の実家へ報復する。グイード兄様がいなくなれば、ファビオ兄様は元凶の家つながりとして外される、そうすれば――」
上げられた顔には一切のぬくみがなく、その青の目は兄である自分よりも濃かった。
「兄弟で一番ライモンドに懐いていた、俺を後継にできる」
気づかないでいてくれと願ったことは、即座に破られた。
自由奔放さを表にしていても、エルードの芯はこれである。
子供時代から魔力操作に熱心で、魔法の知識を貪欲に欲していた。
精神的強さも、機転も、勘も、おそらく自分より上だった。
だからライモンドが、『当主にはグイードよりもエルードの方が向いている』、そう判断したのだ。
それが、あの襲撃の選別だった。
グイードはあの日を生き延びてから、スカルファロット家当主に成るべく必死に歩んで来た。
腕を伸ばし、裏を読み、財を蓄え、兄弟の誰よりも力を持った。
そうして、ようやく裏切りを辿った自分の糸の先、糸の編み方を教えた彼がいた。
罪を問うたあの日、ライモンドは自分に向かって、晴れやかに笑い――
褒め言葉と共に、『スカルファロット侯』と呼びかけた。
まるで、大切に育てた我が子を見るような目で。
貴様の忠誠など、絶対に認めない。
我が家の記録にも、騎士としての名など残すものか。
自分の記憶からも、かわいい弟達の思い出からも、一欠片残らず消し去ってやる。
「あのときはそうかもしれないが、彼にしてみれば、自分が御せるなら私達兄弟の誰でもよかったんだ。私にも陰で甘言を与えて、優しい振りをしていたからね。所詮、すべて我欲だよ」
笑みを作れ、声を揺らすな、目をそらすな。
あの男ごときに、心の一震えもないと、己も弟も欺し尽くせ。
それを生涯、真実とすればいいだけのこと。
「……そうだったのか」
弟の目から、昏い影が薄れていく。
グイードはそれを確かめつつ、兄としての笑みを浮かべた。
「この件に関してはもう忘れなさい、エルード。彼のために悩む時間など、一秒でも惜しい」
「わかった……」
いまだ迷いのにじむ声に向かい、さらに笑んで畳み掛ける。
我が家には、もっと大事なことがあるのだ。
「ところで、息子の名付けの候補を十五に絞ったんだ。移動しながら相談させてくれないか?」
「まだ、十五もあるのか……」
素で呆れた表情にならないでもらいたい。
これは重大で真剣な検討である。
「やっと十五にしたのだよ。それと――この先、エルードも同じように迷う可能性があるわけだが?」
「よし、兄上! 全力で聞こう!」
結晶模様のカフスボタンは替えず、新しいハンカチを互いのポケットに入れる。
そうして、兄弟で笑って部屋を出た。




