509.お披露目会~夜の部準備と青の装い
「えっ?」
お披露目夜の部の着替えをするにあたり、ダリヤは青いドレスを二度見した。
スカルファロットの青――それは宝石の瑠璃に近く、鮮やかで深い青。
布が揺れる度、藍から瑠璃までの奥行きを見せる神秘的な色である。
ドレスの上部は肩先をレースで隠しつつも身体に添った形、ウエストから下は花びらをつないだかのような個性的な形だ。
青い花を咲かせたようなそれに、最初はちょっとだけ驚いた。
だが、今、二度見しているのはそれが理由ではない。
「ルチア、ここ、銀色じゃなかった……?」
花びらのフチを囲むようにきらめく刺繍、その糸が金色に見える。
スカルファロット家の色は濃い青と白、そして銀が基本だ。
この金色では、まるでヴォルフの――
「だって、ペンダントもイヤリングも金じゃない。それと、ダリヤは銀より金の方が合うからって説明して、グイード様の許可は頂いたわよ」
「そ、そうなの」
ルチアにあっさり言われ、こくこくとうなずいた。
自分は一体何を考えたのか。
お披露目で少々混乱しているだけに違いない、きっと。
平常心平常心と言い聞かせつつ、ドレスの着付けにメイク、ヘアセットを終えた。
結い上げられた髪は鏡で見るときれいだが、触れるとカチカチに硬い。
コルセットはゆるめだが、すでに内側に汗をかきそうだ。
幸い、微風布の裏地があるのでまだいいが。
「昔は出番ぎりぎりまで、ドレスの中に送風機を入れてしのいでいたんですって。だから、夏は微風布様々なの」
耳元でささやくルチアに納得した。
開発者ではあるが、微風布の価値がよくわかった気がする。
「えっ?」
仕上げにアクセサリーをつけようとしたとき、ダリヤは再び声を上げてしまった。
雪の結晶のイヤリング、金に鎖が伸びた先、黒く輝く宝石が増えている。
「ルチア、これは?」
「スカルファロット家が後見なのに輝きが足りないって、昼間に来ていた商会長さんが、お気に召したらご購入をって、売り込んでいったそうよ」
伯爵家の一員で、宝石を扱う商会を持つ女性の名を聞き、記憶を手繰り寄せる。
貴族にしては珍しい短髪の女性は、こちらを見てふっと笑み――あれはダリヤを笑ったものではなく、商機を見つけた商売人のものだったらしい。
そして、その目は確かなのだろう。
小さめだが輝きの強い黒い石は、ダリヤの横顔を引き立ててくれる気がする。
「これって、いくらぐらいかしら……?」
珍しく、アクセサリーに関して物欲が湧いた。
そっと尋ねると、ルチアが鏡のダリヤへ向かって笑んだ。
「それに関しては、本日のパートナーの方にお尋ねください」
「え? どうして?」
自分はこの短時間に何回聞き返すことになっているのか。
けれど、笑顔の服飾師は答えをくれない。
手を伸ばされ、そのエスコートで椅子から立ち上がる。
立ち上がったダリヤのドレスの裾を直すと、ルチアが自分の正面に立つ。
すると、ドレスの着付けやメイクをしてくれていた者達が、その後ろにそろった。
「これにて仕上がりとなります。ロセッティ男爵。今回のご利用、誠にありがとうございます。ここからのお披露目、美しき花として咲き誇り、よき思い出として結びますよう、我々一同、心より願っております」
かっこいい服飾師から淀みない口上を贈られ、ダリヤはお披露目の広間に向かうこととなった。
廊下では、今宵のパートナーであるヴォルフが待っていた。
その立ち姿に、ダリヤは思わず息を吞む。
スカルファロットの青の燕尾服は、比較的スタンダードな形だ。
だが、艶やかな青とシルクシャツが、彼自体の華やかさを底上げしている。
昼の燕尾服姿もかっこよかったが、こちらはより男性らしいというか、艶やかというか、目を吸い寄せられる感じだ。
襟と内側の青いベストには白銀で蔦模様の刺繍――それが緑の塔を思い出させる。
胸ポケットには、ダリヤの髪と同じ赤のチーフが飾られていた。
色合い的にそれがとても目立つ。
確かに自分は本日のパートナーなのだが、いいのだろうか、本当に。
いや、それより今、とてもカメラが欲しい。
早描きの肖像画家でもいい。
ヴォルフににじり下がって距離をおかれそうなので、絶対に口にできないが。
混乱し、目を丸くしたままヴォルフを見続けていたためだろう。
彼もこちらをじっと見続けたまま、ここまで無言だった。
コホン、という彼の咳で、止まった時間が動き出す。
「今宵、ロセッティ男爵が一番美しい花です――本当にそう思う」
開口一番、貴族の口上を変化球で投げつけないで頂きたい。
上ずった声が出そうなのを必死に呑み込み、両手でお腹を押さえて呼吸を整える。
廊下の夕暮れのおかげで、顔の赤さが紛れるのがありがたい。
ここまで貴族の礼儀作法は泣きたいほどやった。
ヴォルフの隣、まっすぐに立ちたいと願ってきた。
だからダリヤは、全力で淑女の微笑みを返す。
「今宵、最も素敵な方に支えて頂けますことをうれしく思います――本当に」
夕暮れが赤く、ヴォルフの顔も染めていた。
・・・・・・・
「とても美しい花々が並んだね。お披露目を忘れて、このまま鑑賞していたいほどだ」
グイードが女性陣に微笑みかける。
大広間に来ると、ちょうどやってきたグイード・エルード夫妻と一緒になった。
こちらも全員がスカルファロット家の青の燕尾服、そしてドレスである。
ただ、それぞれ細かいデザインは異なっている。
侯爵家当主、本日の主役であるグイードは、襟と胸元に銀糸の刺繍。
内側のベストは、白に銀糸で薔薇の総刺繍。
ポケットには青みを帯びた銀のスカーフ、タイの止め飾りは銀細工の薔薇。
どう見ても妻のローザリア一色である。
そのローザリアは、肩や上腕を薄いレースで覆ったシンプルなドレス、と思いきや、椅子に座った後、スカート部分に薔薇を思わせるオーガンジーのカバードレスが追加された。
本日は座ったままでいること、着替えや移動に最小限の負担ですむようにだろう。
彼女のイヤリングとネックレスは銀。
そこに重さを感じる青い宝石が濃淡取り交ぜて輝いている。
座っていても咲き誇る薔薇を思わせる姿に、ため息が出そうだ。
エルードはヴォルフに近いデザインの青の燕尾服だが、ベストの刺繍は百合だった。
タイの色はアイボリーだが、そこに飾られた緑のピンは、光が当たったときのディアーナの目と同じ。
隣り合うディアーナのドレスは、ダリヤと少しだけ似ている。
ただ、花を連想させる形ではあるが、その花びらは長く伸びるような感じだ。
引き締まった体躯の彼女にとても似合い、凜として美しい。
服飾ギルドの全力を見た思いである。
ローザリアのドレスを整えきったフォルトが、いい笑顔で退室していった。
その背をつい見送っていると、入れ違いに広間へやってくる者達が見えた。
一目でわかる青の燕尾服は、ヨナスである。
内側のベストはヴォルフ達と同じく青だが刺繍はなく――と、歩く光の加減で、氷の結晶が無数に光るのが見えた。
ベストと限りなく似た色で、光沢の強い糸を使ったらしい。
とても粋である。
後ろに流して梳られた赤錆色の髪は、黒く細いリボンでまとめられていた。
胸元のポケットのチーフは鮮やかな緑だった。
ヨナスのエスコートで歩んでくるのは、小柄な黒髪の女性だ。
ふくよかな身体にまとうのは、濃い赤から薄い緋に移るグラデーションのドレス。
首回りに装飾品はなく、耳にブドウを思わせる赤いイヤリングが揺れている。
「こちらがカッサンドラ嬢、本日の私のパートナーです」
「カッサンドラ・ロヴィーノと申します。スカルファロット侯、そして皆様、お目にかかれて光栄です。本日のめでたき日をお祝い申し上げます」
紹介に続けられた声は、よく通る美声だった。
柔和な顔立ちに、ダリヤよりも少し濃い緑の目。
落ち着いた佇まいに、おそらく貴族女性なのだろうと思える。
「ようこそ、スカルファロット家へ。今、王都で一番、『会いたいと切望される姫君』を招けたことに感謝しよう」
貴族女性ではなく、姫君。
ということはエリルキアかイシュラナの方だろうか、そう考えたとき、エルードとディアーナが熱い声を上げた。
「先日の『嵐の女王』は素晴らしかったです!」
「歌劇場に日参したいと思えるほど感動しました!」
そこでようやくわかった。
カッサンドラ・ロヴィーノは、王都にある中央歌劇場の歌い手だ。
その舞台衣装の制作にルチアも携わった。
ダリヤは『部屋の本を叩き落とせる強風のドライヤーより強いドライヤーってない?』と、ドレスの裾をはためかせる相談をされたことがある。
もっとも、それは服飾ギルドの魔導具師と魔導師が解決したそうだが。
現在の演目、『嵐の女王』がとても好評で、長期公演となってもチケットは即完売。
まさに、『会いたいと切望される姫君』だろう。
堂々とした佇まいも納得だった。
「今日という日、我が家が『嵐の女王』に祝われたことを良き思い出としよう」
「グイード侯、祝いに来てくれたのは、歌い手の『カッサンドラ』です」
「これは失礼した」
ヨナスの言葉に、グイードがうなずく。
だが、カッサンドラ本人が笑んで続けた。
「いいえ、お気遣いなく。もし望めますなら、余興として一曲、お贈りさせて頂ければと」
「それはうれしい話だね。次の楽屋に黄色い花を箱でお届けしよう」
黄色い花を箱で――それは歌の代価として、金貨を支払うという意味だろう。
けれど、彼女が答える前に、ヨナスが口を開く。
「グイード侯、花を贈るのは今宵のパートナーである私の役ですので」
「我が家で祝ってもらうのに、花も贈らせない気かい、ヨナス男爵?」
軽口を叩きあう二人を前に、歌姫はたおやかに笑うばかりだ。
その余裕を少しでいいから分けてほしい。
それにしても、今まで歌劇に行ったことがなかったが、少し興味が湧いた。
もしかしたら、興味深い魔導具が他にも使われているかもしれない。
歌劇場は貴族のデートの場として有名なので、ヴォルフに願うのは駄目だろう。
一人ではややハードルが高そうだが――
「ダリヤ、そのうちに、歌劇に行かない?」
まるで心を読み取られたかのよう、ヴォルフのささやきに視線を向ける。
楽しげな金の目は、いつもと同じ。
だからダリヤは、素直に言えた。
「はい、行ってみたいです」
 




