508.スカルファロット家お披露目会~昼の部
ルチアに案内された部屋で、ダリヤは着替えからメイクまでを一気に施された。
ほっとしたが、本日はこの準備が二度となる。
本日のスカルファロット家でのお披露目は、参加者が多い。
グイードの陞爵、その護衛騎士であるヨナス、貴族後見人をしているダリヤの叙爵、加えてエルードの婚約発表があるからだ。
よって、昼の部と夜の部に分けられた。
昼から午後のお茶の時間よりちょっと前までが昼の部だ。
ダリヤの昼の装いは、王城の叙爵式と同じ赤のドレス、その上に魔物討伐部隊の黒のローブ、氷の結晶を模したイヤリングとペンダントである。
二度目なので緊張はやや減ったが、落ち着いているとは言いがたい。
最終確認をするルチアの目は、完全に検品の色だった。
「うん、とってもきれい! あ、とてもおきれいです、ロセッティ会長」
素で笑った友が、すぐに言い替える。
ダリヤは目で笑いつつも、真面目な表情で礼を述べた。
「ありがとうございます、ファーノ工房長」
開始には少し時間があるが、ドレスでの移動は大変なので早めに行くことになっている。
ルチアのエスコートで部屋から出ると、廊下にヴォルフがいた。
「きれいだ、ダリヤ。よく似合ってる」
このドレス姿は二度目なのだが、満面の笑みで言われた。
それがちょっと気恥ずかしい。
昼の部は、お披露目の場までのエスコートはないはずだ。
先頭にスカルファロット家の従僕、服飾師のルチアがダリヤの補助、もう一人の服飾担当が裾を見つつ移動する形である。
けれど、黒い燕尾服姿のヴォルフは、まるで自分の迎えのため、ここで待っていたようにも見えてしまう。
「ヴォルフレード様、本来であれば私が会場まで支えとなるべきですが、こちらは床がとても艶やかで。不慣れ故、足下に自信がございません。ロセッティ会長の支えをお願いしてもよろしいでしょうか?」
「わかりました。代わらせて頂きます」
立て板に水を流すようなルチアに、ヴォルフが即答する。
自分の指先は友の白手袋から彼のそれへと、呆気なく移った。
慣れた高さとなった手に、ダリヤはつい視線を揺らし――
友である服飾師に、とてもいい笑顔を向けられた。
これは彼女なりの気遣いだ、何も言わずに受けよう、そう決めて足を踏み出す。
もし転びそうになっても、ヴォルフが必ず支えてくれる。
温かな手に、そう思えた。
ドレスの裾を踏まぬように注意しつつ歩いて行くと、窓から庭が見えてくる。
緑の鮮やかさに目を向けると、ちょうどやってきた者がいた。
「ドナさんですね」
歩く彼の周囲、夜犬達がぐるぐると動き回っている。
振られる尻尾になつかれているのがよくわかった。
自分達の視線に気づいたらしいドナが、足を止めて一礼する。
ダリヤもつい頭を下げた。
すると、笑んだ彼が手を持ち上げ、指笛を吹く。
ピーという響きに応え、犬達がわらわらと集まってきた。
「え……?」
ドナはなぜか集まった犬達をこちらに向け、横一列に並べる。
お座りをする十二匹に見つめられる形になったところで、何故か、ドナが鳴いた。
「バウ!」
「「バウ!」」
彼に続き、犬達が一斉に一声鳴く。
周囲の者達も笑ったり、感心したりで声を上げる。
ダリヤは驚いたものの、かわいいお祝いに思えて笑んでしまった。
再び一礼したドナは、犬の頭を軽く撫でた後、共に移動していく。
足を止めていた自分達も、また歩き出した。
「すごいですね、あんなにきちんとそろって吠えるなんて……」
「ドナは犬の気持ちがわかるらしいよ」
緊張がかなりほどけた気がする。
周囲の者達と笑んで話しながら、お披露目の場である部屋に入った。
・・・・・・・
「さて、気合いを入れて乗りきろうか」
にこやかに微笑むのは、本日の主役であるグイードだ。
彼が部屋の奥、庭に向いた窓を背に立っている。
その右手側にはヨナス、エルード、左手側にはダリヤ、ヴォルフと並んだ。
本来、グイードの隣は妻であるローザリアだが、妊娠中なので大事を取り、斜め後ろの椅子に座っている。
その隣には女性の護衛騎士がついていた。
ディアーナも一緒だと思っていたが、彼女は夜の部でデビュタント兼婚約発表。
よって、そちらだけでの参加だという。
ちょっとうらやましい。
しかし、『今、今夜の礼儀作法を教わっている。目が据わっていて声がかけられなかった』というエルードの言葉に、考えを改めた。
かなり広い客間だが、密度が濃いように感じる。
スカルファロット家の陞爵、ヨナスは叙爵という立場のため、男性は全員黒の燕尾服。
ローザリアは白に近い薄水色の、ややゆったりとしたデザインのドレス。
ダリヤは隊の黒いローブを肩にしているが、ドレスは赤。
一番目立ちそうでふるりとする。
それでも時間は待ってくれない。
最初の訪問客を部屋に通すよう、グイードが命じた。
背筋を正す自分の横、彼はいつもと変わらぬ声で尋ねる。
「緊張しているかな、ダリヤ先生?」
「――はい、少し緊張しております」
「私は緊張しすぎて飽きたぐらいかな。今すぐ部屋に帰って、子供の名付け案を書きたい思いだよ」
貴族らしく表情筋を固定したい、そう思っていたところの意外な言葉に、笑み崩れてしまいそうだ。
「兄上、もう名前の候補を準備しているのですか?」
「ああ、まだ少ないがね」
「グイード、男女で各二十はあげておいて、まだ足す気か?」
「大事な子供の名だよ、候補が五十以下はありえないじゃないか」
「兄上の凝り性は変わってないなぁ」
前を見たまま、兄弟とヨナスが小声で話す。
ダリヤは必死に表情を取り繕い、最初の訪問客を待った。
もっとも、そこからは緊張よりも対応力、挨拶し、客の顔と名を覚えるために懸命になる。
人の流れが想像の倍は速かったからだ。
部屋に入ってきた者達から挨拶と祝いの言葉を受ける。
ほとんどの場合、グイードがまとめて礼を言う。
ダリヤ達は笑むのと儀礼的に視線を下げるだけ。
お祝い状、目録、花籠は、左右に並ぶスカルファロット家の者達が代わって受け取る。
来客は自分達の向かって右のドアから入り、こちらへ挨拶、左のドアから出て行く。
滞在時間はごくわずか、流れ作業のようでもあった。
ただ、時折、その流れは止まる。
グイードへお祝いを述べる者が長引いたり、ヨナスが手紙を読んでくださいと騎士らしい者に懇願されたり、ヴォルフを見つめた女性が頬を染めて足を止めたり――
ダリヤはちらりと見つめられた後、ふっと笑われることが三度あったが、なんとも思わなかった。
右が銀に光るグイード、左が金に輝くヴォルフと考えれば、光らぬ自分が赤だろうが黒だろうが目立たないだろう。
このまま出番なく、何事もなく進んでくれればいい。
そう願っていると、見知った顔が入ってきた。
「この度はおめでとうございます。スカルファロット侯、ドラーツィ男爵、ロセッティ男爵」
王城魔導具制作部の部長ウロス、副部長のカルミネがそろってお祝いをのべてくれる。
二人は黒の三つ揃え姿だ。
ウロスは目録で妖精結晶をいくつか、カルミネは美しい銀の薔薇を祝いとして持ってきてくれた。
繊細な金属細工のそれは、もしかすると三課の女性魔導具師の作かもしれない。
ウロスがグイードと話していると、カルミネがダリヤの前へ移動した。
「ロセッティ男爵、心よりお祝い申し上げます。カルロ様もきっとお喜びのことと思います」
「ありがとうございます、カルミネ様」
交わす言葉はそれだけだ。
けれど、父のことを知っている彼が、こうして祝ってくれることがうれしかった。
「では、また魔導具制作部棟で――」
「はい、どうぞよろしくお願いします」
近いうちに疾風船の改良品を見せてもらう予定である。
それを口にはできないが、とても楽しみだ。
彼らが部屋を出るまで、笑んで見送った。
そこからも途切れぬ訪問客に挨拶をし、ようやく終了となる。
いや、正確にはまだここから、夜の部の準備だ。
このあとは着替えて食事をし、少し休憩。
時間に合わせ、夜の部向けのメイク、スカルファロット家の青いドレスに着替える予定である。
気合いがいりそうだが、さらに緊張するのはダンスである。
夕暮れから始まる夜の部の舞踏会では、ダンスの順番が大枠で決まっている。
友人であり商会保証人のヴォルフ、次に貴族後見人であり陞爵したグイード、魔物討伐部隊の相談役同士であるヨナス、スカルファロット家子息のエルード。
そのあたりで終わりたいところだが、男爵の叙爵者、特に独身は、お披露目でなるべく多数と踊る方がよいとされる。
顔を覚えてもらい、交流できる者を増やすため、というのが理由だ。
もっとも一説では、男爵となった者が貴族家から花嫁を探すためと言われている。
花嫁を探す必要のないダリヤとしては、ちょっと納得しがたい。
「ダリヤ先生。ウォーロック公が参加してくださるそうなので、声をかけられたら、一曲お願いできるかな?」
「は、はい、もちろんです……」
努めて平静を装ったつもりだが、通夜のような声が出た。
最初のお披露目をしてくれたジルド――ディールス侯と踊るときも緊張したのだ。
もし、ウォーロック公の足を踏んだらどうすればいいのか、そう遠い目になってしまう。
ちなみに、夜の部に来るのは、基本、子爵以上の当主夫妻、招きのある者のみだ。
派閥違いで自家より高位の家を招くのは難しいと聞くが、グイードはオルディネの四公爵すべてを招いたという。
同じ派閥のガストーニ公、ラヴァニーノ公は参加予定。
そして、派閥違いだが、ウォーロック公はダリヤとヨナスの二つ名をつけたので、お祝いに来てくれるそうだ。
残るは一人だけである。
「セラフィノへ招待状を手渡したら、『行けたら行く』と言われたよ。まあ、彼がこういったものに参加することは、まずないがね……」
『行けたら行く』は、ほぼ行かないの意。
それは前世も今世も同じらしい。
派閥違いではあるが、セラフィノ・ザナルディ公爵は、グイードの親しい友人だ。
今日という日に、招きたい思いはあったのだろう。
声はちょっとだけ苦さを含んでいる気がした。
「さて、それぞれ休憩としよう。しっかり休まないと、今夜は長いからね」
スカルファロット侯の二分の笑みに、皆がそろってうなずいた。
 




