503.魔導ランタンと庭番の描く風景
三人での昼食が終わると、片付けに移る。
庭で食器を洗おうとするドナを止め、メーナに二階のドア前まで運んでもらった。
枚数が少ないので平気だと言ったが、片付けないことをそろって詫びられた。
ダリヤが片付けをする間、二人には遠征用コンロの入った木箱の蓋を開けてもらうよう頼んだ。
一度開けたら、本体と蓋の間に布紐を通してもらう。
そうすると、次からは楽に開け閉めができるからだ。
ドナから、蓋開けが済んだら床掃除をしたいと申し出られた。
断るのが申し訳ない熱量だったので、そちらもお願いした。
しかし、片付けを終えて一階に戻ると、床を二度見してしまった。
「ありがとうございます。とてもきれいにして頂いて……」
片付けにそれほど時間はかからなかったはずだ。
それなのに作業場の床がとても艶やかになった気がする。
ドナとメーナが全力で磨いてくれたらしい。
「いえ、昼食代にはほど遠いです」
額の汗を手で拭い、ドナが否定する。その隣、メーナもいい笑顔だ。
まだ時間があるとのことなので、ダリヤは追加のお願いをすることにした。
そのまま、三人で作業机を囲んで椅子に座る。
各自の前には画用紙と炭芯を置いた。
続いて作業机に載せるのは、金の台に青い装飾が入った魔導ランタン。
ヴォルフが父へ贈るためのものだ。
そのランタンへ、フェルモの妻、ガラス職人であるバルバラが絵付けをしてくれた傘を取り付ける。
傘の絵は、ヴォルフから預かったスカルファロット家の春の庭だ。
青空の下、緑美しい庭に花々が点在する様を、バルバラは見事に描ききってくれた。
元々の庭園の絵は借りたものだが、それよりもなんだか温かな感じがした。
このまま完成品としてもいいところだが、今回は外側にもう一枚――正確には二枚の水晶ガラスを縦半分に切り、合わせて包む形のものを準備した。
最近増えてきた飾り手法で、ランプの水晶ガラスの傘を、もう一枚で包むのだ。
機能的にはそう変わらないが、外側に別の絵をつけたり、色を重ねたりすることもできる。
魔導具師による付与によって、ランタンを灯したときだけ、絵を浮かび上がらせることも可能である。
バルバラからは、付け足す絵に関しては、ダリヤの自由にしてかまわないと言われている。
今のところ、青空部分に白い雲、草木の根元に影を重ねてみようかと考え中だ。
だが、まずは現状でどう見えるか、第三者の声を聞きたかった。
「これを見て、どう思いますか?」
そう尋ねると、二人は魔導ランタンをじっと見つめる。
先に口を開いたのはメーナだった。
「きれいですね。ただ、ちょっとだけ、さみしそうな感じがしますけど……」
意外な言葉に思え、ダリヤは聞き返す。
「さみしそうに見えますか?」
「きれいな庭なのに、誰もいないのでそう感じるのかもしれません。犬とか鳥でもいれば違うかも……あ、でも貴族だと、このままの方が上品でいいのかもしれないですが……」
メーナに濁しつつ返された。
犬も鳥も追加は可能だ。
ただ、実際のスカルファロット家の庭を知る者はどうだろう? ダリヤはドナへ顔を向けた。
「ドナさん、この絵、スカルファロット家のお庭らしいですか?」
「――ええ、わかりますね」
「ここに犬か鳥がいたら、どうでしょうか?」
スカルファロット家の夜犬を思い浮かべつつ尋ねると、草色の視線が伏せられた。
「犬も時々いますが、ここは……昔、よくグイード様達が兄弟で遊んでいた場所です」
「そうだったんですね」
ヴォルフが、下絵を選んだ理由がわかった。
確かな記憶がなくとも、兄弟での幸せな時間が滲んだのだろう。
「ヴォルフ様達は、仲のいいご兄弟だったんですね」
「ええ、とても――犬ともよく遊んでいて、ご兄弟で乗ろうとしたこともありますよ」
「え? 乗れたんですか、犬に?」
「そろって振り落とされました。夜犬はかなり速度が出ますから」
メーナと話をしながら、ドナはさらさらと炭芯を動かし始めた。
画用紙に描かれる夜犬は、伏せをしている状態。
その横に小さく足されていくのは、黒髪の子供。
顔は描かれないが、ヴォルフのように思えた。
「ヴァネッサ様――ヴォルフ様の母君も乗ろうとして、止められていましたが」
「さすがに大人は、夜犬が嫌がりませんか?」
メーナはそちらの方が気になるらしい。
ドナの横顔を見ながら質問している。
「その頃、とても大きいのがいたんです。十年以上、ずっとスカルファロット家の庭番のボスで。乗せる気満々でしたよ。さすがに皆で止めましたが」
ドナの目は画用紙に、その指は炭芯を握ったままだ。
続いて描かれていくのは、三人の少年――
こちらも大体の姿だけで、目鼻は描かれないので、切り絵のようでもある。
それなのに、犬とヴォルフを囲み、楽しそうな気配が伝わってきた。
「あの、ドナさん、その画を売って頂けませんか?」
「えっ?」
炭芯を止めたドナが、即座に顔を上げた。
「これをですか? もちろん差し上げますけど、ヴォルフ様と話すネタにでもします?」
「いえ、魔導ランタンの外側の傘に、この画を付与できればと思います」
「いや、駄目でしょう、こんな下手なのは。それなら、改めて画師に頼んで――」
「充分上手ですし、ドナさんがその場にいたから、わかる光景だと思うんです」
そこからは、外側の傘の部分を指定し、空の雲と共にこちらの画を入れてみたいこと、常時見える形ではなく、灯したときだけ、熱で淡く画が浮かぶ形になるであろうことを説明していく。
終わりまで黙って聞いていたドナが、浅くうなずいた。
「お役に立てるようでしたらかまいません。ただ、その――ヴォルフ様がお気に召さなかったらやめて頂けますか?」
「はい、お約束します」
画を受け取ると、水晶ガラスでできた傘の内側に合わせて止める。
背景に合わせ、犬と四人の位置を少し調整した。
「これを下絵にして、描いていきますね」
「会長、僕も見ててもいいんでしょうか? 邪魔になりません?」
「大丈夫です、ドナさんの画をなぞるのと、雲のところを描くだけで――そちらも下絵は準備しているので。それに、失敗してもいいよう、外側の傘はいくつか準備しているので」
メーナの気づかいにそう返す。
確かに、魔法の付与は集中力がいることが多い。
だが、今回のものはちょっと違う。
カルロの残した魔導書にあるその手法は、少し熱が加わると浮き上がるように見える染料だ。
染料を作るときに魔力操作がいるが、描くときには要らない。
描き終えたら、定着魔法をかければできあがりである。
そこからは付与向けの染料を作っていく。
銀蛍の羽の粉、王蛇脱皮後の抜け殻の粉、――それらを合わせて二つのボウルに分けた後、魔魚の白と黒のウロコを砕いたものをそれぞれに入れる。
魔力を細く流し込んでいくのは、ボウルの小麦粉にわずかずつ牛乳を足していくような感じだ。
粉の量は少ないが、よく混ざるよう、魔力をくるくると回していく。
粉であったものは魔力に溶かされ、次第に粘りを帯びていった。
二種ともにゼリー状となったところで、ダリヤは天馬の尻尾の毛でできた筆を準備する。
魔導ランタンの傘を手にすると、白い染料で春の空をイメージし、薄く白い雲を描いた。
そこで一度筆を洗うと、今度は黒い染料を付ける。
水晶ガラスの傘に、ドナが描いてくれた四兄弟、そして、庭の芝生に伏せた犬をなぞっていく。
淡い影絵のようなそれは、傘の正面にきれいに収まった。
「ドナさん、これでどうでしょう?」
「――いいと思います」
珍しく表情の乏しい彼に、意見を聞かれても困るのだろうと思えた。
ドナは魔導具制作の担当ではなく、スカルファロット家の庭の管理や犬達の世話、そして御者といった仕事をしているのだ。
ダリヤはそのまま人差し指と中指をそろえ、定着魔法をかけた。
「え? 消えちゃいましたよ!」
メーナに驚かれてしまったのは、自分の説明不足のせいだ。
「定着魔法をかけると、色合いがとても薄くなるんです。少し熱を加えると、色が浮かんできますので」
傘に指の脂がついてしまったので、布で磨き直してから組み立てる。
魔導ランタンの傘の上、画の重なりを合わせ、クリップで仮止めした。
ヴォルフに確認後、これを外して固定するつもりだ。
もっとも、その前に点灯の確認もあるのだが。
「ランタンを点けてみますね」
二人の視線の強さに気づき、声はちょっと小さくなってしまう。
スイッチを入れると、ランタンはすぐ光を放ち、傘に描いた庭の画がきれいに見えた。
窓の外は明るいが、それでも室内に薄く緑の庭の色合いが広がる。
しばらくして、外側の傘にも熱が伝わったのだろう。
薄い雲が水晶ガラスの傘を飾り、少年達と犬の姿が浮き上がるように浮かぶ。
どちらも周囲に色合いを広げるほどはっきりではない。
けれど、メーナは水色の目を見開いた。
「雲が入るとホントの空みたいで、きれいですね!」
子供のようなその声に、つい微笑みかけ――
ドナが両手で顔を覆っているのに気がついた。
「あの、ドナさん?」
「いえ……ちょっと眩しくて……」
言われて、はっとした。
風景の描かれたガラスで光は柔らかいとはいえ、光源は火の魔石からだ。
人によってはまぶしく感じることもある。
また、観察するように見て瞬きが減り、目が乾いたということも考えられる。
「今、目薬を持ってきますので!」
「大丈夫です。じっと見過ぎてしまっただけで」
ドナは手で目を素早くこすって、瞬きを繰り返す。
「もうなんともないです。きれいで感動しました! すごいですね、ロセッティ会長って。こんな手法があるのを初めて見ました」
「ありがとうございます。でも、父であれば風景を動かす手法も取れたので……私ではまだできませんが」
父が作った魔導ランタンには、ダリアの花畑を模したものもある。
妖精結晶を使えば、風景そのままを表現することも可能なのだ。
残念ながら、ダリヤにはまだできないと思える付与である。
「ああ、それは見慣れてないからでしょう」
そういった魔導ランタンの制作を、他の魔導具師の元でも見るべきということか、ダリヤはそう思ったが、ドナの意味合いは違った。
「スカルファロット家の庭を、ゆっくりじっくりご覧になって頂ければと」
「なるほど……見慣れれば作りやすくなるかもしれませんね」
視覚の風景を付与として落とし込むには、観察と慣れも必要かもしれない。
納得していると、ドナは明るく笑った。
「朝から夜まできれいな庭ですし、そのうち犬と子供さんもそろうと思うんです」