502.作業場での昼食会
・ コミックス『服飾師ルチアはあきらめない』4巻発売となりました。
特典情報 https://fwcomicsalter.jp/benefits/fwca_luciacomic4_tokuten/
どうぞよろしくお願いします!
「お肉は解凍してあるし、野菜も大丈夫……あとはランタンの仕上げね」
魔物討伐部隊が北街道の大百足の討伐に出向いて数日。
討伐はすでに終わり、本日中に王都に到着する予定だと連絡を受けている。
おそらくヴォルフと今日の夕食を共にできるだろう。
そのためにも、今日の作業をきっちり終わらせておかなければ――ダリヤはそう思いつつ、塔の階段を作業場へ向けて下りていく。
壁際には、手入れをした赤い靴が見える。
先日、王城の式典で履いた踵の高い靴だ。
式典は終わったが、スカルファロット家でのお披露目はこれからだ。
グイードの陞爵、その護衛騎士であるヨナス、貴族後見人をしているダリヤの叙爵と三人一緒で一日がかり、昼の部と夜の部に分かれるという。
昼の部は来客の挨拶を受け、祝いの言葉や手紙、花を受け取る。
夜の部は舞踏会形式、来客との歓談と共にダンスがある。
舞踏会では式典の赤いドレスが使えるのではと思ったが、グイードに止められた。
『あのドレスもダリヤ先生に似合っていたが、我が家は水と氷の家とも呼ばれるから、お披露目の際は色を揃えさせてほしいんだ。それに貴族後見人の我が家が、叙爵の祝いにドレスの一枚も贈らないのでは格好がつかないからね』
貴族女性向けドレスの値段は、ルチアから聞いている。
内容的に受け取るべきものだが、一貴族として対価は何にすればいいか――
お礼を言った後に考えていたら、ワイバーンの件の対価、その一部でもあると告げられた。
『エルードが龍騎士第一候補になったよ。国境にワイバーンの雛がきた初日に、手ずから餌を食べさせたそうだ』
エルードは最初から雛に気に入られたらしい。
魔物事典のワイバーンの項目では、人に対する警戒心が非常に強く、飼育されている個体でも人に慣れるまでには時間がかかるとあったのだが――
彼は人徳というか、龍徳があるのかもしれない。
『よほどおいしい肉を準備なさったのでしょう』、というヨナスの言葉には笑ってしまったが。
ちなみに、ヨナスもお披露目当日は、スカルファロット家仕様の騎士服だそうだ。
ドラーツィ家で仕立てた暗褐色の騎士服では、色が揃わないということなのだろう。
「ヴォルフはあの騎士服かしら……」
叙爵の日、銀の飾りのある紺の騎士服がとても似合っていた。
自分をきれいだと褒めてくれたヴォルフの方が、それこそ物語の王子のように格好よかった。
が、現実に殿下が二人いるので、口にするのは不敬になるかもしれない。
己の容姿を気にする彼も言われてうれしくはないかもしれず――そう考えていると、門のベルが鳴った。
ドアではなく門ということは、ヴォルフではない。
何かあったのか、そう思って急いで外に走ると、見慣れた馬車が見えた。
「こんにちは、会長! 追加の遠征用コンロが届きましたので、検品をお願いします。あと、副会長を王城に送ったときに、会長宛の手紙を預かってきました」
「ありがとうございます、メーナ」
ロセッティ商会の馬車を背に立つのは、商会員のメーナだ。午後の予定が前倒しになったらしい。
彼一人なのは、イヴァーノが王城、マルチェラがスカルファロット家で騎士の訓練だからだ。
塔のドアを開けると、メーナは三つ重ねた木箱を作業場まで運んでくれる。
ダリヤは渡された手紙を開き、文字を目で追った。
差出人は王城にいるグラート隊長だ。
「大百足が、また出たのね……」
大百足の討伐がスムーズに終わったと思いきや、川を越えた先の村に出たそうだ。
数は少ないが、戻る形で再討伐になるので、もう数日かかるだろうとあった。
「会長、何かありましたか?」
ダリヤの隠したため息は、メーナに気づかれたらしい。
水色の目に心配の色をのせてきた。
「いえ、大百足がまだいて、遠征が長引くそうです」
「大変そうですね。昨日は雨でしたし……あ、でも今は防水布がありますからね。きっと濡れて困ったりはしていませんよ」
対人力の高い部下は、さらりと気づかってくれた。
それでも、ヴォルフ達が今回も気がかりで――自分は心配症なのかもしれない。
「こんにちはー!」
開け放った門の向こう、聞き覚えのある声がした。
「ドナさん! 何かありましたか?」
本日二度目の確認をしつつ、ダリヤはそちらへ向かう。
「いえ、ただの差し入れです。ヴォルフ様が戻らないと、ロセッティ会長が食事を抜くのではないかと思いまして」
ドナの右手には大きめの布包みがある。どうやらお弁当らしい。
ぎくっとしたが、貴族の二分の笑みを心がけた。
砂糖たっぷりのカフェオレとクッキーで軽い昼食を済ませ、夕食はヴォルフとしっかり飲んで食べよう、そう考えていたのが透けていたようで少々恥ずかしい。
「ありがとうございます」
受け取った布包みは重く、とても一人分とは思えない。
そして、思い出す。
ヴォルフが来るだろうと思って解凍した、タレ漬けのお肉は結構な量だ。
再び凍らせては味が落ちてしまうし、ダリヤ一人では食べきれない。
「あの、ドナさん、メーナ、昼に何かご予定はありますか?」
「いえ、特にはありませんが」
「屋台で食事を済ませ、午後のお茶の時間に副会長を迎えに行く予定です」
「よかった!」
思わずそう言うと、二人の目が丸くなった。
「昼食に付き合ってもらえませんか? 頂いたこちらを一人では食べきれませんし、家に漬け込みの羊肉がたくさんあるので」
「いえ、ロセッティ会長にお手間をかけるわけには――」
「漬け込みの羊肉! 本当にいいですか?!」
断りかけたドナに対し、メーナが目を輝かせて言う。
まだ十代で食べ盛りなのだ、当然かもしれない。
ドナはそれでも少し迷っていたようだが、横からうるうるとした目を向けられ、了承してくれた。
メーナは、塔に荷物を運ぶ際でもドアを開けたままにする。
以前来たヨナスと一緒だ。
貴族女性と護衛以外の男性が二人で一室にならないよう、貴族の礼儀作法に従っている。
おそらく、彼一人ではダリヤと食事を共にしないだろう。
忙しいところ申し訳ないのだが、ドナにも付き合ってもらうことにした。
ただ、彼は犬の世話をしているため、居間である二階へ上がるのは避けたいと希望された。
どうしても匂い移りが気になるのだという。
このため、一階で昼食をとることになった。
ダリヤは台所へ行き、すぐに肉を焼き始める。
メーナが馬車を馬場へ預けに行く間、ドナには作業台にテーブルクロスをかけてもらい、お弁当の中身を皿に並べてもらった。
香辛料多めのタレにつけていた羊肉は、焼くほどにとてもいい香りを漂わせる。
ヴォルフに食べてもらえないのは残念だが、次に来るときにはあらためて漬け込みの肉を準備しよう、ダリヤはそう切り換えて、一階へ皿を運んだ。
「おいしそうなお肉ですね!」
「俺は本当にご馳走になっていいのでしょうか……?」
目を輝かせるメーナと、神妙な表情のドナに笑みつつ、ダリヤは考える。
ここで時間を使わせてしまう分、ドナには何か理由がある方が納得してもらえるだろう。
「ドナさん、食後に仕事を少し手伝って頂けませんか? 遠征用コンロの木箱の蓋が固いので」
「もちろんです! 重い物の運搬でも庭掃除でも、なんでもしますので!」
こうして、初めての組み合わせで、昼食会が始まった。
グラスのフルーツジュースで乾杯し、健康と幸運を祈り合う。
最初に、差し入れのサンドイッチの一つに手を伸ばした。
一口囓り、その味わいを堪能する。
シンプルな卵サンドではあるのだが、バターの香りといい、パンのやわらかさといい、マヨネーズの味わいといい、とても丁寧に作られたものだとわかった。
おそらく、スカルファロット家の料理人が作ってくれたのだろう。
ドナが願ったのか、それともグイードの指示だろうか。
ヴォルフの帰りが遅くなることに落ち込んではいないのだが、慰められる気がした。
「おいしかった……」
「え?」
吐息のようなつぶやきに視線をあげると、向かいのメーナの皿がカラだった。
「メーナ、口に合いました?」
「はい! すごくおいしくて――行儀が悪くてすみません。おいしいものはつい早く食べてしまうので……」
彼はバツが悪そうに目を泳がせる。
おいしく食べてもらえたなら何よりなのだが、その頬が少し赤い。
二人にはヴォルフが食べるときと同じく多めの盛りにしたが、成長中の彼には足りなかったのかもしれない。
「会長、これ、味付けは何ですか? 何か特別なものを?」
「いえ、よくある家庭料理ですよ。 オリーブオイルにローズマリーとニンニク、あとは塩、コショウを入れたタレに漬けたんです」
「本当においしかったです……」
ふわふわした表情でカラの皿を見つめる彼は、どこか子供めいて見える。
ダリヤは立ち上がると、まだ手をつけていない己の皿と、メーナの皿を取り替えた。
「うわ、待って、会長! 駄目です! こんなにおいしいんですから食べないと!」
メーナにかつてないほど慌てられた。
しかし、戻す気はない。
「サンドイッチがとてもおいしいので、私はこちらを食べたいと思います。だからそれはメーナが食べてくれませんか? お肉なら冷蔵庫に沢山入っていますから」
嘘ではない。まだガッチガチに凍っているが。
「でも――」
「グリーヴさん、そこは上司の顔を立てないと」
メーナの隣、ドナが耳打ちした。
しかし、その草色の目はダリヤに向けられていて――あと、音量的に丸聞こえである。
つい、目で笑い合ってしまった。
「ありがたく頂きます!」
メーナは自分に頭を下げた後、フォークに少なめの一口を載せて味わい始めた。
目を閉じて咀嚼し、飲み込んで口元をゆるく綻ばせる。
世辞ではなく、本当に気に入ってくれたようだ。
ドナを見れば、まだ皿に半分以上ある肉を、整った所作で切り分けていた。
彼もおそらく貴族、もしくはそれに準ずる教育を受けたのだろう。
「とてもおいしいです。ロセッティ会長は魔導具を作るのも料理を作るのもうまいんですね」
「ありがとうございます。褒めて頂いたお礼に野菜の追加はいかがですか?」
ドナの前、付け合わせで出した塩もみ野菜の小皿がカラだった。
とことん庶民向けの料理なので、珍しいのかもしれない。
「ええと……」
草色の目に迷いが浮かんだとき、メーナがドナにささやく。
「ドナ様、そこは会長の顔を立てないと」
またもしっかり聞こえるそれに、ダリヤはつい笑んでしまった。
あとは返事を待つことなく、追加を持ってくるために立ち上がる。
向かいのドナに深く一礼された。
続くささやきは、ダリヤの耳には届かない。
「俺はヴォルフ様に怒られるべきかもしれない……」