496. オルディネ王国叙爵式(三) 二つ名の名付け
「ロセッティ男爵、功績を重ねての本日の叙爵、お祝い申し上げます」
「ありがとうございます、グッドウィン子爵」
ダリヤに祝いをのべてくれたのは、茶色がかった鼠色の髪の男性だ。
魔物討伐部隊棟で馬車に関する打ち合わせで同席したことがあるので、一応の顔見知りである。
その深い茶の視線が近くに流れ、すぐ戻った。
「ええと、ヨナス先生にもお祝いを……」
ダリヤは言いかけた言葉を止める。
数歩先、ヨナスが五人の女性と三人の男性に囲まれている。
その熱気にちょっと声がかけにくい状況だ。
「いえ、お元気そうですし、邪魔になっても何ですから」
その様をまぶしそうに、それでいてうれしげに見つめているのはグッドウィン子爵――
ヨナスの兄であるハディスである。
以前は兄弟で行き違いがあったようだが、今はそれも溶けたようだ。
兄らしい表情に、祝いの気持ちがあふれているのがわかった。
しかし、視線の先では声が高くなっていた。
ヨナスが女性騎士と男性騎士から手合わせと威圧について懇願されている。
機会がありましたらで逃げようとし、日取りを聞かれて多忙で逃げようとし――いつまでもお待ちしますと拝み倒す勢いで言われ、目に困惑を宿している。
うまく話題を変えるよう声をかけたいが、男爵になったばかりのダリヤでは割って入るのは失礼になる。
隣のハディスが足を踏み出したとき、底抜けに明るい声がした。
「ヨナス! ダリヤ先生! 祝いに参った!」
「ベルニージ様!」
さすが、ベルニージである。
孫の危機にかけつけてくれたようだ。
周囲の者達がようやく離れたことで、ヨナスはこちらへと歩んで来た。
その後、ベルニージから二人そろって祝いの口上を受け取る。
しかし、口上が終わった途端、ヨナスが声をひそめた。
「お祖父様、本日は父上の代わりとお伺いしておりますが、皆様への挨拶はお済みですか?」
「一応、一通り挨拶してきたぞ」
「少しは自重なさってください」
ヨナスに同意したい。
王族と高位貴族の区域にいたベルニージだが、一応でいいのか。
あと、ドラーツィ侯爵家の当主は息子のはずだが――そう思う先で説明がなされる。
現ドラーツィ侯は土魔法持ち、王都から距離のある島で港の整備を急いでいるという。
周辺の海で獲ったクラーケンをその島で処理、加工するためだそうだ。
夏も近いので、王都に運ぶまでに悪くなってしまうかららしい。
ダリヤは、いろいろと罪悪感を覚えてしまった。
「ああ、グイード殿へはちゃんと祝いの言葉を伝えてきたぞ! それにしても、あの場で汗一つかかんのは、さすが『結氷侯爵』よのう」
やはりグイードはすごいらしい。
あと、かっこいい二つ名も確定したらしい。
言い終えたベルニージは、ダリヤの隣へと目を向けた。
「ハディス殿、久しぶりじゃのう。ヨナス、もう話はしたか?」
「いえ――」
「なんじゃ、兄弟の絆が切れるわけでなし、やりとりはしてよいと言っておるではないか。まったく、ハディス殿もヨナスも気を使いすぎだ」
「お気遣い恐縮です、ドラーツィ様。ありがたきお言葉ながら、ヨナス殿はドラーツィ侯爵家の一員となりました。私が今まで通りというわけには――」
「かまわんぞ、ハディス殿。ヨナスは揺らぎなく騎士だ。他家の話を我が家に持ち込むことはない。我が家の話を他家にすることもない。これに関し、一切の心配はしておらん」
「お祖父様」
ヨナスが低く呼びかける。
だが、祖父の声は止まらなかった。
「生まれた家が別であろうと、派閥が別であろうと、ドラーツィ家の騎士は、己が決めた主に忠義を尽くす。それを裏切ることは命に代えてもない」
言い切った老騎士は、周囲に全開の笑顔を向けた。
「ということで、我が孫をよろしくのう! 剣の腕はなかなかじゃから、手合わせをしてみたくば、我が家を通してくれ。ああ、儂が一人前と認めるまでは婚姻の許しは出さんぞ」
家を通さずにヨナスに手合わせを申し込むな、婚姻話を持っていくな――
祖父がかわいい孫の防波堤になってくれたようだ。
しかし、ヨナスははっきりとわかるほど深いため息をついた。
「お祖父様、それではご自分が手合わせしたいのが隠せておりません」
「ははは! 筒抜けじゃったか」
からからと笑うベルニージに、周囲もつられるように笑う。
そのやりとりに、本当の孫と祖父のように感じる二人である。
その後はベルニージの横、ヨナスがハディスから祝いの言葉を受けたり、近況を話し合ったりし始める。
親しげな様子にほっとした。
ダリヤは近くにいたアウグストやレオンツィオと、魔物と素材について話し合う。
男爵の区域での緊張もほどけたのか、近くでも笑い声が上がり始めた。
「貴殿は石で橋を多数かけたのですから、『石橋男爵』では?」
「そう願いたいですな。次に橋をかけるときの紹介状にもなりそうです」
「そちらはよい咳止め薬を開発なされたのですから、『静寂男爵』あたりはいかがです?」
「ありがたい名ですが、その場合、患者の安否が心配になりますので」
「あはは、なるほど……」
新しく男爵となった者達の二つ名談義が聞こえてきた。
ちなみに、ダリヤもヨナスもまだ決まっていない。
ダリヤとしては、ただただ『水関連男爵』でないことを願うばかりである。
「そういえば、ダリヤ先生の祖父殿は『魔導ランタン男爵』、父君は『給湯器男爵』が二つ名でしたか?」
「はい、そうです」
「では、ダリヤ先生は『遠征用コンロ男爵』、縮めて、『コンロ男爵』、はどうでしょう?」
「そちらは、魔導コンロの開発者である男爵がいらっしゃいますので、かぶってしまうかと……」
レオンツィオに提案されたが、それは先達がいる。
「だと、やはり、『防水布男爵』、いや、『乾燥機男爵』あたり……」
「魔物討伐部隊の遠征関連で貢献なさっているのですから、『遠征男爵』でいいのではないでしょうか? 防水布も乾燥中敷きも遠征用コンロも、すべてダリヤ先生なのですから」
アウグストがそう提案してくれた。
遠征男爵――ダリヤ自身が遠征しているわけではないのだが、名称としてはいいかもしれない。
魔物討伐部隊相談役としては、ありの範囲だと思える。
『五本指靴下男爵』『乾燥中敷き男爵』、あと、まかり間違っての『水虫からの救いの女神男爵』だの、『水虫男爵』より、はるかに、ずっと、確実にいい。
それで、と言いかけたとき、周囲の人波がきれいに左右に割れた。
不思議になってそちらをみると、一際艶やかな黒の三つ揃えをまとった白髪の男性がゆっくりと歩み寄ってきた。
誰かに似ている気がする――
その顔立ちに記憶を辿っていると、男性はヨナスの前で足を止めた。
「ヨナス・ドラーツィ男爵、本日の叙爵で王国の守り手の一員となられたこと、喜ばしく思います」
「大変光栄に存じます。ウォーロック公」
ウォーロック公爵といえば、四大公爵の一家ではないか。
そして、似ているのは誰かをようやく理解した。
王城魔導具制作部長であるウロス・ウォーロック、おそらくその兄だろう。
ダリヤは失礼にならぬよう後ろに下がろうとし、靴の踵が絨毯に引っかかったことで動けなくなってしまった。
あせっていると、ウォーロックは自分の正面に立つ。
そして、貴族らしい二分の笑みで言った。
「新たに咲く大輪と出会えた幸運に感謝を。ダリヤ・ロセッティ男爵、叙爵は亡き父君もお喜びでしょう」
「光栄なお言葉をありがとうございます、ウォーロック公」
緊張を押し殺して答えると、さらに半歩距離がつめられる。
びくりとしかかると、少し枯れた声がささやきに似た音量に絞られた。
「ロセッティ男爵には感謝していますよ。五本指靴下と乾燥中敷きのおかげで、夏が過ごしやすくなりました。私の執務室は日当たりがいいのです」
「――些少でもお役に立てましたなら、うれしく思います」
ダリヤの緊張感をとろうと言ってくれたのだろう。
なんと気遣いのある方だ、そう思ってしまった。
彼は距離を戻すと、にこやかに尋ねてくる。
「お二人とも、男爵としての二つ名はもうお決まりですかな?」
「いえ――」
ヨナスと共に否定を返す。
ダリヤの方は話し中だが、まだ確定ではない。
「ロセッティ男爵は開発なさった魔導具が多いとか、ご自身で望むものはありませんか?」
「今、皆様にお考え頂いていたところです」
本音を言うなら、『水虫関連以外ならなんでもいいです』だ。
しかし、さすがに口にできない。
「『水系統の救いの女神』とも呼ばれているようですが、あなたでしたら水よりも火の方がお似合いでしょうに」
「私の髪の色は赤ですので、そうとも言えるかと思います」
『水虫からの救いの女神』をオブラートに半分包んでくれた形だが、似合わないと言ってくれたのは素直にうれしい。
つい口角が上がってしまう。
「悪戯にさえずる者もいるでしょう? 『水関連名称の男爵』や『魔付き男爵』はどうかと思うのですよ」
ウォーロックはそう言うと、ヨナスにも視線を向ける。
ヨナスは確かに魔付きだが、仕事とは関係ない。
それと自分に水関連名称の男爵、つまりは『水虫男爵』――全力でやめて頂きたい。
「正しく言うならば、『武具』に、『魔物』でしょうに」
ダリヤの前、ひどくかすれのあるささやきが落ちる。
自分に向ける目は線のように細められ、口元は細い三日月のよう。
その優雅な笑みに納得した。
武具開発を略して、『武具男爵』。
魔物討伐部隊を略して、『魔物男爵』。
なんと良い名だろう! 出された助け船に感謝したい。
王城騎士団の武具を開発するヨナスだ。
一部に恐怖感をもたれる『魔付き』より『武具』の方がいいだろうし、その仕事が正しく伝わる。
そう思いつつ隣を見れば、彼は二分どころか、しっかりした笑みを浮かべていた。
武具男爵の方がやはりいいと思ったのだろう。
そして、魔物討伐部隊のおかげで男爵となった自分だ。
水虫に一切関係せず、そこにつながりそうな各種足元名称からも離れている。
「ヨナス先生に『武具男爵』、私に『魔物男爵』、素晴らしい名をありがとうございます!」
お礼の声が、つい大きくなってしまった。
「ヨナス先生は騎士団の武具開発をなさっての『武具男爵』、私は魔物討伐部隊として男爵位を頂いた『魔物男爵』、これ以上の誉れはございません!」
「ロ、ロセッティ、男爵?」
勢いよく言い過ぎて、ウォーロックに引かれた。
貴族女性らしからぬ口調の早さかもしれない。
しかし、水虫から逃れられ、かつ、魔物討伐部隊の文字も入り、女神などという大層すぎるものでもない。
もし魔物だけと間違われても、少なくとも水虫よりは千倍いい名付けである。
ここで決めずにおくものか。
「とても素敵な二つ名をありがとうございます!」
胸の前で祈るように両手を組み、お礼の気持ちを込めて笑む。
本心からなので、自分もヨナスと同じく、貴族の二分どころか思いきり笑顔になってしまったのは許して頂きたい。
「感謝申し上げます、ウォーロック公」
「うむ、とてもよい名付けを頂いた。我が孫に武具開発を縮めて『武具男爵』、ダリヤ先生に、魔物討伐部隊男爵を縮めて『魔物男爵』。我が孫と隊の先生に、じつに正しい名付け、儂からも感謝申し上げます!」
ヨナスに続き、酔いのせいか上機嫌なベルニージが、とても大きな声で礼を述べる。
辺りの者達が一斉に振り返るほどだ。
「――じつに確かな名付けです。魔物討伐部隊の相談役に、『魔物討伐部隊男爵』『武具男爵』との名付け、隊の長として感謝申し上げます」
ちょうどやってきたグラートが、笑顔で礼を重ねてくれた。
同じく赤い目を糸のように細くして笑っている。
やはりいい名だと思ってくれたのだろう。
「では、二つ名を祝って乾杯を!」
グラートの声で、新しいグラスにワインが注がれる。
ダリヤは決まった二つ名に安堵し、目の前のウォーロックとグラスを合わせた。
・・・・・・・
見誤った!
ウォーロックは内で強い声を上げた。
乾杯の後、しばらく――今は広間から遠いエチケットルーム前の部屋で、乱れてもいないタイを直している。
落ち着くための儀式のようなものだ。
目を閉じれば、己を見るまっすぐな緑がまだ浮かぶ。
緊張し、貴族として精一杯ふるまおうとしているように見えた赤髪の女。
それを守るように近くにいた、錆色の髪の男。
女は魔導具師。
王城での地位の高め方は、陰で武具となる魔導具を開発しているからであろう、そうほのめかしての、武具男爵。
男は騎士。
炎龍の魔付きによる借り物の強さ、だからこその、魔物男爵。
女は武具と呼ばれれば、気づかれたと表情を崩すかもしれぬ。
男は魔物と呼ばれれば、騎士の誇りの揺れに内で憤るであろう。
そう思ってささやいた。
公爵の自分に言い返してくるならば一興。
聞き流されればそれで終わり。
新しき貴族への、ささやかな祝いの棘。
それを赤髪の魔導具師は逆手に取った。
返しの見事さは、駒を一手進めたところ、盤をくるりと回されたようなもの。
続く一手を打つ前に、ベルニージとグラートに固められた。
ここまでの失態は久しぶりだ。
これで、あの二人の名付けを、派閥違いの公爵当主である自分がしたことになる。
庇護した覚えはないが、名付けをした、つまりは応援をしていると宣言したようなもの。
今後、敵に回る選択肢は取りづらい。
まあ、その予定はなかったが。
スカルファロット家と派閥違いのドラーツィ家が、ロセッティ男爵に手を伸ばす理由も理解した。
緊張し、必死に言葉を選んで話しているかに見えたというのに、何というしたたかさ。
曇りなき笑顔で棘を枝にして刺し返すとは、まさに爵位を受けるにふさわしい、強き者。
と――人の気配を感じ、考えを打ち切る。
護衛は廊下に置いてきている、万が一に備えなくてはいけない。
表情を整えきったとき、入ってきたのは身内だった。
「ウロス」
弟は、その朱色の目に楽しげな光を宿していた。
少しだけ上げた袖から、盗聴防止のカフスボタンが光るのが見える。
「兄上、呑まれましたな」
酒ではないのは聞かずともわかった。
周囲に人の気配がないのを再度確かめ、ようやく答える。
「そうだな、ウロス。見た目に反して、なかなかにしたたかな女だ」
弟もあの広間にいた。
もっとも、隠蔽めいた気配に声をかけられることはなく、ただ見ていただけというのが正しい。
なぜ男爵区域の近くにいたのか、ようやくわかった気がする。
ウロスは自分に整えた表情を向けた。
「ロセッティは魔物討伐部隊の所属ですが、魔導具制作部で共に作業を行っております。私の大切な仲間ですので、どうかよろしくお願いします」
「お前がそこまで言うのか……」
手を出さないでくれ、言下にそう込められた。
その予定はないが、弟の気に入りぶりの方が驚きだ。
そして、それはロセッティの方だけではなかったらしい。
「ああ、ヨナス殿も何かあれば口添えを。先日、いいウロコを頂きましたので」
家はこちらの派閥だが、仕えるのは反対派閥の当主。
難しい立ち位置でありながら、ヨナスはその間を見事に泳ぎ進んでいる。
本日は女性達に囲まれて少々あせっていたように見えたが――
案外、あれも演技だったのかもしれない。
この自分が、まるで読めない若き男爵が二人。
なんとも末おそろしく――ここからの彼らが楽しみだ。
「まさか、二人そろってお前を味方に付けていたとはな」
「いえ、私だけではありませんよ」
弟でも王城魔導具制作部長でもなく、己の利を最上とするウォーロック一族の表情で、ウロスが笑う。
「本日からは、あなたもです――『名付け親』殿」




