495. オルディネ王国叙爵式(二)
「過分なお言葉をありがとうございます」
王族と高位貴族達からの祝いの言葉を受け、グイードは整えた笑みで返す。
父の勧める汗止めを、顔に二度塗りしてきて正解だった。
季節は間もなく夏。広間の熱気に陞爵の緊張。
魔法の使用が許されるなら、この場で氷を出して囓りたい思いである。
挨拶の合間、広間の反対方向に赤のドレスが見えた。
ヴォルフを燕尾服に隠してでも連れてきたかった――
先程、通路でダリヤと会ったとき、そう思った。
かわいそうな弟は、本邸で留守番中である。
朝、笑顔で祝いの言葉を述べた後、自分も今日の叙爵だったらよかったとつぶやいていた。
だから、つい言ってしまったのだ。
『そうだね。ダリヤ先生と同じ日だったら、二人にとっての記念日になっただろうに』
否定することも顔を赤くすることもなく、しおれるように残念がりはじめた弟に、申し訳ないが安堵した。
時間がかかったが、きっちり自覚はしたらしい。
秋には弟達二人が男爵の叙爵である。
エルードはその後に結婚式、その頃にはヴォルフも婚約式まで進めないだろうか。
ここからは見守るだけ、いや、ちょっとだけ背中を押すぐらいは――
そこまで思って、とりあえず止めた。
今はそのあたりを考えるゆとりはない。
先程の叙爵の儀が終わってから、各自、爵位で歓談する場へ移った。
侯爵以上の区域に入る際、グイードは最後尾となる。
新しく爵位が上がる者は、並んだ同爵に先に挨拶をするのが一般的だ。
声を整えて挨拶をしようとしたとき、目の前に進んできた者があった。
「グイード殿! ドラーツィ侯代行、ベルニージ・ドラーツィ、今日の日を心より言祝がせて頂く!」
周囲がこちらを一斉に見るほど、声高く祝われた。
思わず作り込んでいた表情が崩れかける。
順番が違う。これではまるで、グイードの方が上か、身内程に親しいという表明ではないか。
いや、その前に、なぜ前侯爵当主のベルニージがこの場にいるのだ? もしや、何かあったのか。
しかし、問い返さぬままに続く祝辞を聞いた。
「お祝いのお言葉をありがとうございます。ドラーツィ様」
「ベルニージでよいし、様付けも要らぬと言っておるではないか。グイード殿とうちの仲じゃろう」
腕に手を触れて笑まれた。
上機嫌なベルニージは、本日、国の急ぎの仕事で遠方にいる現ドラーツィ侯――息子の代理でここにいるのだと続ける。
作為的な匂いがぷんぷんするが、尋ねぬ方がよさそうだ。
スカルファロット家は、派閥違いのドラーツィ家と良い関係を構築している。
代替わりして当主となったグイードは、ベルニージに身内か対等な友のごとく扱われている。
これが周知されたことで、己の評価は一、二段上がったことだろう。
ベルニージの笑顔に、その妻であるメルセラ――『準備万端』の淑女が重なって見えた。
「思ったより時間がかかったな、グイード侯」
「グラート様」
「おっと、順番を間違えた。改めて、グイード・スカルファロット侯、本日の輝かしき日をバルトローネ家を代表してお祝い申し上げる。王国の守りに並ぶ家として、これからも共に励んでまいろう」
次に声をかけてきたグラートが、さらに盛ってきた。
すでにバルトローネ家はグイードを対等と認めているという発言に、一瞬だけ音が引く。
だが、周囲も皆、高位貴族だ。
優雅な、あるいは温和そうな笑みの者達に、次々と祝いの言葉をもらうこととなった。
そこには王族や公爵もあり――ようやく呼吸を整え直しての今である。
「グイード、ヨナスが花達に囲まれているようだね」
二つのグラスを持って来たストルキオスに、きらめかしい笑顔を向けられた。
この者も大概である。
第二王子としての言祝ぎはもう済んでいる。
それを再度やってきて、自らの手でグラスを渡してこの話だ。
周囲に対し、グイードもヨナスも己に近しい者と知らせたいらしい。
自分としては諸々の事情で一定の距離をとりたいのだが、互いに利があるので仕方がない。
「多くの方に祝って頂けるのは、ありがたいことですね」
男爵の区域へ目を向ければ、ヨナスが四、五人の女性達に囲まれていた。
彼は作り笑いで対応しているが、右肩をわずかに引いているあたり、逃げたいのが本音だろう。
少々かわいそうではあるのだが、陞爵を祝われているグイードはここから動けない。
あと、おそらく今後もその人気は続くので、鍛錬として乗りきってもらうしかなさそうだ。
「赤い花の方は――過保護だね、グイード」
グラスに唇を隠し、聞き取れる限界の音でささやかれた。
自分はそれに答えず、ただワインを口にする。
本日、ダリヤの護衛役は多い。
最初に守り役となったのはオズヴァルド。
広間に入ったときにはすでに歓談していた。
次は志願してくれたヨナス。
こちらはダリヤと同じ叙爵者だ、隣にいても自然に見えるだろう。
人が集まりかけたときに自分の上司であるダフネが行ったのは驚いたが、同じ女性男爵への気遣いか、単純にダリヤが気に入っただけだろう。
その後、魔物討伐部隊の男爵位を持つ者がダリヤを囲んだのは、グラートによる守りか――
ちらりと彼を見れば、目だけで笑み返された。
一部の貴族が区域を下がりはじめた後は、アウグストがダリヤの近くに立った。
スカルファロット家の分家であるスカルラッティ子爵家当主で、冒険者ギルドの副ギルド長、実質のギルド長。
名の通る彼に、ダリヤへの不心得者が出ないよう、不安が減るようにと守りを頼んだが、正解だったらしい。
言祝ぎに現れた濃紺のドレスの淑女――ランベルティ伯爵代行。
警戒していた家の一つだ。
ヴォルフがダリヤと交流を始めた頃、その身元調査を行ったことがある。
真面目で堅実と言うのがふさわしい経歴だったが、一点だけ気にかかったのは、母の存在だ。
テリーザ・ランベルティ。
ランベルティ伯爵家長女でありながら、当時、まだ庶民のカルロと結婚。
短期間で離縁、直後に伯爵家に戻って再婚。
その後、一時的に当主となったものの、病で亡くなっている。
以前、ヨナスがダリヤをどこかの紐付きではないかと警戒したのは、これが理由だ。
本日のランベルティ伯爵代行は、ミラーナ。
テリーザの妹であり、ランベルティ家の次女、ダリヤにとっては叔母にあたる。
ミラーナは高位貴族に嫁いだが、子のいないまま離縁。
そうして生家に戻り、姉が亡くなって伯爵となった現ランベルティ当主と再婚。
駒扱いにも聞こえるが、継ぐ者の血や魔力要素を重視する貴族では、珍しくない話だ。
そのランベルティ伯爵夫妻の間には、初等学院の子息がいる。
そして、前妻テリーザとの間にも長男――ダリヤの異父弟がいるはずだ。
二人の子息がいるランベルティ家は安泰、と言いたいところだが、その長男の所在は幼少から不明である。
他国へ学びに出ている、ランベルティ家の者はそう言うだけ。
籍だけはあるがその姿は確認できていない。
彼の消息は、スカルファロット家では追えなかった。
諜報部の友人へも尋ねたが、教えたくないという答えに、家での調査も打ち切った。
もし、ランベルティ伯爵家がダリヤへ縁をつなごうとするのなら、安全確保の上、本人に確認して対応するつもりだった。
だが、ランベルティ家はあくまで男爵の一人への挨拶、その形を崩さなかった。
ダリヤも同じだ。
口をはさむべきではない、グイードはそう判断した。
「今年の男爵は有望な者達がそろっていますな。秋には弟君二人も男爵叙爵とのこと、スカルファロット侯はずいぶんとお忙しいのでは?」
「ありがたくも皆様にご助力を頂いておりますので」
少し枯れた声で尋ねてきたのは、公爵の一人だ。
「それでも、後継がご息女一人とは――これからについて、いろいろとお考えにはなりませんか?」
ふっ、と口元が綻びかけた。
声を大にして言いたい。子供は二人いる! あと、弟も補佐役もいる!
とはいえ、声は丁寧に別の言葉をつなぐ。
「ええ、ですから娘の当主教育に励んでおりまして。まだ氷の魔力制御は絞れるようになったばかりですが」
後継は娘のグローリア。幼いながら有能さと努力を並び立てている。
よって第二夫人は一切考えていない――言下にそうこめると、公爵はさらりと話題を変えた。
引き際を心得なければ、高位貴族など務まらない。
グイードは興味深そうな表情を作り、歓談を続けた。
公爵との話が終わると、次に目の前に来たのはジルドだった。
新しいグラスを渡された後、流れるような口上が紡がれる。
「スカルファロット侯、陞爵をディールス家当主として言祝がせて頂く。オルディネ王国の礎、八侯として貴家が加わり、王国の政がより円滑になることを喜ばしく思う。消えぬ雪が積もるがごとく、重なる栄誉と繁栄をお祈りする」
「お言葉をありがとうございます。スカルファロットの名が侯爵位にふさわしくあるよう励んで参ります」
背筋を正して礼を述べると、彼は広間の反対側へちらりと視線を走らせた。
「赤い花は、ずいぶんと美しく咲いたな」
「ええ、温厚で優しい花ですね」
優雅と言いたいところだが、ここしばらくダリヤの突っ走りっぷりに付き合っている自分としては、慌てる表情が先に浮かんでしまう。
よって、とりあえず性格と美しさを主張した。
だが、ジルドは眉間に薄く皺を寄せた。
「温厚? それは誰のことだね?」
「もちろん、ロセッティ男爵ですが」
まさか、この場でそれ以外はないだろう。
他に赤いドレスの叙爵者もいない。
「冗談を言うな。あれは私が売った喧嘩をその場で買い、利子をつけて返してきた者だぞ」
からかいをこめた声に吹き出しそうになったが、グイードは負けじと真面目な表情を作る。
「それに関しては、ジルド様の売り方に問題があったのではないかと思いますが」
ジルドはグラスのフチを唇に合わせると、その口角を上げた。
「爵位が揃った途端、言うようになったな……」
「頂いた爵位にふさわしくあろうとする、クチバシのやわらかい雛の背伸びですよ」
「ずいぶんかわいくない雛鳥がいたものだ。白銀のクチバシで、翼のたたんだふりは難しくないかね?」
「ジルド様にそうおっしゃって頂けるのは光栄です」
もちろん、雛鳥でいるつもりはない。
並んだ以上は競わねばならない。
さらに上を目指すのも当然のこと。
「ああ、一つ願っておきたい。今日という日より、私への様付けは止めてもらいたい、『グイード殿』」
父よりも先、その広い背を見せていた侯爵が自分に願う。
グイードは同じ侯爵として、心から笑い返した。
「ありがたく――これからもどうぞよろしくお願いします、『ジルド殿』」




