493.オルディネ王国叙爵式前
赤羽にな先生 コミックス『魔導具師ダリヤはうつむかない~王立高等学院編~』1巻、5月17日発売となりました。どうぞよろしくお願いします!
「ダリヤ、今日は落ち着いているわね」
「一周回って少し落ち着いた感じです……」
馬車の中、向かいのガブリエラにそう答えた。
馬車はすでに王城近く。進みがゆっくりなのは馬車の多さと警備のためであろう。
本日は叙爵式。
ダリヤは朝日と共に起き、服飾魔導工房で式典参加の準備となった。
ランジェリーにコルセット、アンダードレスにドレス、ヘアセットにメイク、そういった一式を、ルチアを含めた服飾ギルド員にしてもらう。
貴族女性の正装の大変さをしみじみと感じた。
その後は、褒めまくってくれるルチア達に見送られ、付添人のガブリエラと王城にやってきた。
「その刺繍、蔦かしら?」
「はい、ルチアが緑の塔の蔦から考えて、デザインしてくれました」
「今日のダリヤによく似合う素敵なドレスね。アクセサリーも似合っていて、とてもきれいよ」
派手すぎはしないか、その思いは振り払った。
ルチアやフォルト、服飾ギルドの準備してくれた赤いドレスに、ヴォルフからもらった氷の結晶を模した金のイヤリングとネックレス。
それに加え、今日は以前自分で選んだ踵の高い赤の靴を履いた。
以前はよろよろとしか歩けなかったが、塔の中でとことん練習したので、問題なく歩けるはずである。自信はないが。
「ありがとうございます。ガブリエラは今日も素敵ですね」
「これも緑の塔らしいわ。夫が選んだものだけれど」
向かいの彼女は本日、ドレープのついた深い緑のドレスだ。
その両耳にはイヤリング、首元にはネックレス。
エメラルドとルビーだろうか、緑の蔦の意匠に、赤い石が熟れた果実のように下がったデザインだった。
ダリヤの色に合わせてくれたと一目でわかる。
ただし、左手首の腕輪は、夫であるレオーネの青い石が入ったものだ。
これだけは不動である。
「前は、王城で遠征用コンロの説明会をするときだったわね」
「あの時もお世話になりました」
昨年、王城で遠征用コンロのプレゼンをするとき、ガブリエラに付き添ってもらったことがある。
気負いと不安に押しつぶされそうな自分を心配してくれたのだ。
あれから一年、今のようになっていると夢にも思わなかった。
「カルロもあちらで喜んでいるんじゃないかしら? もう祝杯をあげていると思うわよ」
「それは式が終わってからにして欲しいです」
いたずらっぽく微笑まれ、ダリヤも笑み返す。
ガブリエラは、そこから笑みを深く優しいものに変えていった。
「ここまで本当によく頑張ったわね、ダリヤ」
いえ、運がよかったのですとか、それほどのことではないです、そんな言葉が口を出そうになったが、一呼吸おいて止めた。
「ありがとうございます、ガブリエラ」
馬車が止まると身元確認後、王城政務棟の前で下りた。
人数が多いため、本日は馬場ではなく、特別にこの場まで馬車の出入りが許されている。
そこからは案内通りに建物の中に入っていく。
緊張しつつ歩みを進めようとし、通路の壁に立つ銀髪の主に気づいた。
彼もこちらに気づき、貴族の二分の笑みを向けてきた。
「ダリヤ先生、ジェッダ夫人、常に増して眩しい大輪ですね。共に今日という祝いの日を迎えられることをうれしく思います」
「お言葉をありがとうございます、スカルファロット侯。過分なお言葉を頂けましたこと、付添人として御礼申し上げます。また、本日は功を重ねての陞爵、ロセッティ家、ジェッダ家共にお祝い申し上げます」
ガブリエラがダリヤの女性付添人として口上をのべてくれた。
独身女性の場合、付添人が返してもいいのだそうだ。
ちょっと安心しつつも、気になることがあった。
本日、侯爵へ陞爵する主役の如きグイードが、何故ここに一人で立っているのか。
ヨナスも男爵授与で一緒のはずだが――その疑問は透けたらしい。
「ヨナスはドラーツィ家で支度をしている。我が家で準備したかったんだが、ベルニージ様にとられてしまってね」
「そうでしたか」
「だからここで、私がヨナスを待っているんだ」
そう言うと、グイードは晴れやかに笑った。
親友と一緒の祝いの日である。その表情に納得できた。
ダリヤは挨拶をして、ガブリエラと共に再び廊下を進みはじめた。
式典の護衛だろう、騎士の数が増えていく。
会場となる広間の手前では、王城の騎士達、そして、当主の護衛であろう騎士達がずらりと並ぶ状態だった。
当主と王城の役持ちしか広間に入れないので、廊下と待機室にいる形である。
「では、私はあちらの部屋に参ります。広間を出るときにはお呼びください」
ガブリエラは丁寧な口調で言うと、近くの待機室に移る。
貴族、特に女性がエチケットルーム等に行く際は、待機室に行き、付添人と共に移動する。
化粧直しの道具が必要であったり、衣装のずれ直しが一人ではできないからだと聞いている。
ここからは一人だが、ガブリエラが近くの部屋にいてくれるだけで勇気付けられる気がした。
広間に入ると、赤い布のかかった壁――王が立つ側とは反対へ進む。
そちらが主に男爵が集まる場と聞いている。
歩きながら、周囲からの視線を多く感じた。
人の数はそれなりに多い。
黒い燕尾服がほとんどの中、騎士服が十数人、ドレス姿はちらほら。
中でもダリヤは赤いドレスだ、目につくのだろう。
そのまま壁近くまで来ると、息を整えようとする。
ただ立っているだけでも緊張する、そう思ったとき、自分の名が呼ばれた。
「ダリヤ、本日はさらに美しく咲きましたね。よくお似合いです」
にこやかに褒めてくれたのは、黒い燕尾服姿のオズヴァルドであった。
見知った顔に安堵し――ダリヤは懸命に貴族の二分の笑みに切り換える。
「オズヴァルド子爵、本日は類い稀なる功を重ねての輝かしき二花、心よりお祝い申し上げますと共に、益々の大輪をお祈り致します」
オズヴァルド夫妻には、ここまで貴族の礼儀をご指導頂いた。
お礼の気持ちを込め、言われる前に言おう!
そう気合いを入れ、男爵から子爵への陞爵を二つの花に喩えて言祝ぐと、銀の目が丸くなった。
しかし三秒後、その顔が妖艶な笑みに切り変わる。
「麗しき淑女からの賞賛は何よりの誉れ、この胸深く刻ませて頂きます。ロセッティ男爵と祝いの日が同じくなりましたことを光栄に思います。ここから研鑽を重ね、緑の塔の女神に恥じぬ働きをご覧に入れましょう」
「……オ、オズヴァルド先生」
待ってほしい、暗記カードにない美辞麗句を流麗に言わないで頂きたい。
オズヴァルドにとっては通常モードだろうが、この返しが完全にわからない。
先生にまったく敵わぬのを痛感していると、その銀の目が入り口へずれた。
「ああ、ヨナス様もお見えですね。ダリヤはこのままで――ご一緒させて頂くといいでしょう」
低くささやいたオズヴァルドは、貴族の笑みを向けてから歩み去っていった。
入れ替わる形でやってきたのは、暗褐色の騎士服を着たヨナスだ。
「ダリヤ先生、本日は一際お美しく、金に輝く氷の結晶がよくお似合いです」
開口一番に貴族褒めをされたが、たじろがない。
貴族の笑みでヨナスの男爵位を祝い、定型の挨拶を終える。
それなりに落ち着いていられそうだ、そう思ったとき、彼が口を開いた。
「じつは、ヴォルフが――」
「ヴォルフに何かありましたか?」
もしや魔物が出て、急な遠征でも決まったのか。
つい、食い気味に尋ねてしまう。
「今朝早くから、『俺も今日、叙爵だったらよかった』とずっと繰り返しているそうです。先程、グイードから聞きました」
こんなときどんな受け答えをすればいいのか、貴族の教本にはない。
けれど、残念そうなヴォルフはしっかり想像できてしまった。
確かに一緒の叙爵であれば、今以上にうれしかったかもしれない、そうも思えてしまう。
「少々かわいそうですので、そのうち優しい言葉でもかけてやってくださいませんか?」
「わかりました……」
ヨナスに兄のような表情で言われ、ただうなずくしかなかった。
「整列をお願い致します!」
係の者の声に、人が動き始める。
男爵がそろう場も決まっているので、係の誘導に従う。
ドレスの裾は長く、靴の踵は高い。
慎重に足を踏み出すと、横のヨナスに低くささやかれる。
「あの場まで、ヴォルフの代理を致しましょうか?」
歩みの遅いダリヤを気づかっての言葉。
うなずけばヨナスは白手袋の手を差し出し、エスコートしてくれるだろう。
この場でのそれは淑女に対する礼儀作法の一つで、他意はない。
それなのに、ヴォルフの代理、その言葉が胸の内でくるりと回り――
願う声が出せなかった。
「我々は若輩ですから後ろの列に並びましょうか。それなら、ゆっくり行った方がいいですから」
「――緊張しているので、そうさせてください」
ヨナスが提案を切り換えてくれたので、それに従った。
実際、自分も彼も男爵を授与される者達の中では若い方だ。
後ろにいる方がいいだろう。
ダリヤは背筋を正すと、支えなく、まっすぐに歩き始めた。