491.欲深い紺の烏
・赤羽にな先生『魔導具師ダリヤはうつむかない~王立高等学院編~』1巻(FWコミックスオルタ様)5月17発売予定です。
どうぞよろしくお願いします。
「イヴァーノにも迷惑をかけることになり、反省しています……」
「とうに同じ船です、会長。俺に対する迷惑というものはないですよ」
スカルファロット家の別邸、ロセッティ商会の部屋で、イヴァーノはダリヤと向き合っていた。
窓からの陽光にも、その顔色は冴えない。
いつになく縮こまった姿は、叱られることを前提とした子供のよう。
とはいえ、その理由もわかる。
昨日の夕方遅く、グイードにこの別邸に呼ばれた。
従僕の急ぎとの言葉に、ワイバーンの件で何かあったか、そう思いながら駆けつけた。
金属で作った帆のない船――説明されてもイヴァーノには想像がつかない。
言葉を尽くすより見た方が早い、グイードにそう言われ、庭に出た。
涼やかな風が吹く中、彼は小さな銀の船を池に放った。
対岸でつかみ止めるヨナスまで、ほんのわずかな距離だ。
けれど、翼を持つかのように水上を駆けた船に、イヴァーノは呼吸を止めてしまった。
まずい、危ない、ダリヤを筆頭に出したくない。そう思うのと同時、これが海の上を走ることになったら、外交は、商売の方法は必ず変わる、そう身の内からこみ上げるものがあった。
表情を整えてグイードに向き合えば、青い目が自分を透かすように見ていた。
「イヴァーノに先に聞いておこうと思ってね。ダリヤ先生の今後の魔導具について、私の方から言っても?」
「いえ。お気遣いはありがたく思いますが、私から会長に伝え――いえ、会長と話し合いますので結構です」
「では、詳しいことはダリヤ先生から聞いてくれ。ああ、オルディネ大公の方は私にすべて任せてくれて構わない。君にはまだ、荷が重いだろうからね」
柔らかな声で、冷えた釘を刺された。
ダリヤの、ロセッティ商会の安全確保を徹底しろという注意と共に、今回巻き込んだ先はオルディネ大公であることの知らせ。
そして、お前の手の届かぬ相手だから出るな、情報も下手に集めるな、そんな注意だ。
しかし、『まだ』と付けてくださるあたり、お優しくなったものだ。
そんなことを思いながら、夜闇に紛れて帰宅した。
そして本日、再びスカルファロット家の別邸、ダリヤからここまでの経緯を聞いた。
我が上司に関する驚きには、底というものがないとつくづく思う。
返す言葉を選んでいたところ、ダリヤに謝られての今である。
謝罪はいらないが、ここから少々耳の痛い話をしなくてはいけない。
「迷惑ではありませんが、順番を間違えたというのはあるかもしれません。模型船にしても、今回のものは利益と危険が大きすぎます。オルディネ大公とスカルファロット侯に投げるしかありません」
「セラフィノ様にもスカルファロット家にも、守って頂く形になり……」
「それは心配ないですよ。あちらはあちらで確実に利益を出すでしょう。天秤を平らにするのが大変なくらいに」
そちらの心配はない。
むしろ彼らは有用なダリヤを喜んで守ろうとするはずだ。
取り込もうとする可能性もあるが――
そこはぜひ、ヴォルフに頑張ってもらいたいところである。
「ただ、その船は貿易にも漁にも便利そうですが、戦いにも略奪にも使えますよね?」
「それは……はい、その通りです」
ダリヤの肩に力が入ったのが見えた。
オルディネ王国にはこれまで戦争の歴史はない。
だが、今後も絶対にないとは言い切れない。
以前にも注意したことだ。
武器開発向きの魔導具師と判断されれば、あらゆるところから手が伸びるだろう。
「調子にのってしまい……作るべきではなかったでしょうか……」
「いえ。俺としては会長が作らなくても、いずれ誰かが作ったと思いますよ。早いか遅いかだけで。こういったものはナイフと一緒でしょう、ハムも人も切れます。さっきも言いましたが、順番を間違えただけですよ」
「その、順番というのは?」
怒られている途中の子犬のよう、おそるおそるに尋ねられる。
イヴァーノは努めて自然な笑顔を作った。
「先に、ロセッティ商会での魔導具開発の方針を決めておくべきだったんです。俺としては会長に自由に魔導具を作ってほしいと思ってましたが、男爵になったことで動ける範囲も交流の相手も広がりましたよね。改めて、今後の新規魔導具の方針を決めませんか?」
「はい、お願いします」
「生活魔導具、義足義手などはこれまで通り自由開発、商会関係者にはすぐ知らせる。特殊な魔導具は緑の塔かスカルファロット家の工房で開発、グイード様達へ相談、王城では充分注意する。ただし有事の際は別です。九頭大蛇なんかが出てきたときは、その場ですぐ試すしかないでしょうから」
「……はい……」
ダリヤが遠い目になった理由はおそらく尊き御方だろうが――
これに関してはそっとしておく。
「あと、今回のように危険性のある、あるいは利権の大きすぎる魔導具ができたら、俺達がとれる方法は三つ」
イヴァーノはいつかのグイードを真似、三本の指を立てる。
「『権力と金を手にするように動く』、『権力と金のある人に任せる』、『各所と人数を巻き込んで集団扱いにする』。一はまだ風当たりが強すぎますし、会長がよく取る手は二と三ですが、今後は三をさらに増やす感じでどうでしょう?」
「わかりました。そうするように心がけます。迷ったときはイヴァーノに相談させてください」
「もちろんです。ただ一つだけ、俺は不満がありまして……」
「なんでしょうか? 遠慮なく言ってください」
言いづらそうに切り出すと、ダリヤが身を乗り出すように尋ねてきた。
そのまっすぐな緑の目に、その父、カルロを思い出す。
有用な魔導具を作っても、富を積むことに興味のなかった魔導具師。
損得抜きで人助けをし、借りだと思うなら娘に返してくれと笑っていた父親。
彼に足りなかったものは、おそらく、このダリヤにも足りない。
「会長、支払いを、代価をしっかりとってください」
「え、駄目でしたか?」
「利益と功績を譲り続けるのは駄目です。貸しにできるならまだいいですが、誇り高い高位の方々はまとめて返してきそうじゃないですか」
「あ、あるかもしれません……」
目に見えて青ざめる上司に、イヴァーノは納得する。
天秤はどちらに傾きすぎても、商売として成り立たない。
「危ういと判断したものは、開発代理に人を立てるか集団扱いに、利益を得る方との代価と支払の話は俺に投げてください。ロセッティ商会の利益と安全は、商売担当の俺が全力で取ってきます、安売りもしなければ、借りもなしで」
輝かしい功績で男爵となり、ここから否応なしに表舞台に立つダリヤである。
ならば自分は裏方、その影としてとことん腕を伸ばそう。
貴族ではなくても暗躍はできる。
どんな貴族にも、いや、この国にさえも、商売の邪魔はさせたくない。
「ありがとうございます! イヴァーノは――本当に頼れます」
安堵の笑顔を浮かべたダリヤへ、部下として心から笑み返した。
・・・・・・・
「ダリヤに変わりはないかしら?」
午後、イヴァーノは商業ギルドの副ギルド長部屋を訪れていた。
ガブリエラから前置きなしの問いかけに、片膝の上で指を組む。
どこからどう情報を得たか、自分の表情には出ていないはずだが。
船舶の未来を左右しそうな魔導具を作り、胃を痛めているとは言えない。
「いつものように開発に熱中していますよ、まだ製品はできていませんが」
「――夫が、何かあれば声をかけるように伝えてくれって」
ガブリエラの夫であるレオーネは、ロセッティ商会の保証人だ。
困った時には相談できる相手の一人でもある。
だが、今回のことを告げる相手ではない、イヴァーノはそう判断した。
「お気持ちはありがたく。ところで、本日はご不在ですか?」
「イシュラナから賓客がいらっしゃっているとかで、王城に呼ばれたわ」
「相変わらずお忙しいですね」
その賓客は、ハルダード商会のミトナかもしれない。
ワイバーンの件は着々と進み、厩舎の改装も行われていると聞く。
けれどそれもまた、この場では口に出せなかった。
「それで、私に話って何かしら?」
「一応ご報告です。臨時雇いの事務と筆記師を常時二人、ギルドの商会部屋で仕事をしてもらうことにしました。会長の机と経理関連は、スカルファロット家の別邸に移します」
ロセッティ商会の本体をスカルファロット家の別邸に移す、言下にそう告げると、ガブリエラは紺色の目を細めた。
あの別邸に出入りできるのは、ダリヤの他、自分とマルチェラ、メーナだけ。
安全管理としては今のところ最善だろう。
多少の不便はあるが、荷下ろしや接客に関してはスカルファロット家から人を借りる。
なお家賃も経費もきっちり支払う形だ。
もっとも、見えぬ護衛に関してはどれぐらいいるものかはわからないが。
先月、下の娘が遊びで犬に乗って走り去ったときは、百数えぬうち、通りがかりの淑女が娘を乗せた犬ごと持ってきてくれた。
全力でも追いつけず、胆を冷やしたので本当に助かった。
彼女に名を尋ねても流され、お礼をすることもできなかった。
その淑女とは別邸で再会した。スカルファロット家のメイドだという。
奇遇ですねと、お互い棒読みで挨拶をした。
友人の菓子店から、甘い菓子と塩味の菓子をメイド達への差し入れとして山と贈った。
「イヴァーノ、営業と会計を一人でやるのは大変ではなくて?」
つい記憶をなぞっていると、向かいから問いかけがきた。
「営業はご挨拶だけで、各ギルドに担当者を付けてもらってるので。臨時職員は商業ギルドでお世話になっていますし、五本指靴下や微風布あたりの関係で、倉庫関係はフォルトが協力してくれていますから」
「新しい商会員を増やすつもりはない?」
「ないですね。先月、就職希望の四人が全員『紐付き』で、流石に慎重にもなりますよ。レオーネ様にもそうお伝えください」
「あら、うちの夫のもわかった?」
ガブリエラににっこりと微笑まれた。
もっとも、本気で隠すつもりではなかったのかもしれないが。
「はい。相談できる知り合いがいますので」
試験希望者の身元を相談した先は、ジルドである。
詳細な書類を渡してくれたのはその妻、ティルだった。
貴族社会において、彼らの腕はガブリエラよりも長い。
「会長と私を気づかって頂けるのはうれしく思いますが、手伝いに紐は付けても、商会員に紐は付けたくないので、今後の話は私に通してください」
「わかったわ。本当に腕が長くなったわね、イヴァーノ」
「いえ、まだまだです。貴族の皆様とは比べようもありませんし」
レオーネ夫妻が自分達を守ろうとしてくれたか、それとも試されたかはわからない。
けれど、紐に気づいたことで、少しは巣立った雛が成長したと思ってもらいたい。
もっとも、その幼鳥はいまだ安定性に欠け、胃薬が手放せないが。
「ねえ、いっそ、イヴァーノが男爵位を手にするのはどうかしら?」
「それ、白金貨九枚以上の話って言われてますよね? 流石に無理です」
王国へ多額の寄付を繰り返し、かつ、王族や高位貴族の推薦から男爵になる者も稀にある。
ただし、それは白金貨を重ねるほどの寄付であり、自分の腕の範囲にない。
「男爵になったダリヤに、次の魔導具で『功績譲り』をしてもらうという手もあるわよ」
「それはなしです」
こちらに関しては、しっかりと首を横に振る。
「俺は商人です。自分が手にした金貨を国に渡して男爵になるならともかく、魔導具師の功績を譲ってもらってなるのは違うでしょう」
「ダリヤの頼れる右腕であれば、いいのではなくて?」
先日まではそうだった。
けれど、今の自分はもう違う。
紺の烏は、とても欲深いのだ。
イヴァーノは笑いながら答えた。
「右腕では足りないんです。俺は商売で、ロセッティ会長の半身を目指しますよ」