481.当主は暗闇で踊れ
・臼土きね先生『服飾師ルチアはあきらめない~今日から始める幸服計画~』
・赤羽にな先生『魔導具師ダリヤはうつむかない~王立高等学院編~』
FWコミックスオルタ様、最新話配信開始となりました。
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「ヨナス、また従者服を着ているのか」
「私服代わりだ。高かったのに使わないのはもったいないだろう」
ヨナスはそう答えつつ、執務机の横、書き物用の魔導ランタンを灯す。
グイードは家族との夕食を終え、本日の仕事の続きに執務室へ来たところだ。
椅子を引いて彼を座らせると、先程言えなかったことを口にする。
「今回の件、俺が謝りたいところだが、ドラーツィを名乗る以上、それはできん」
ハルダード一族、いや、ユーセフがダリヤを連なりの一族としたのは、ダリヤへの恩だけではない。
恐らくはそれを通じ、オルディネにいるヨナスも守ろうと考えているだろう。
彼女と自分の仲についての誤解は、よくよく解いたつもりだ。
だが、自力で男爵位を取った才女、その上に王城に出入りする商会長。
いざというとき、友であるヨナスの味方になってくれる、そう踏んでの可能性がある。
ダリヤに謝罪したいところだが、あくまで予想でしかない上、今の自分はドラーツィ侯爵家に籍がある。
表立って謝罪することができない。
あと、もしダリヤへ伝えた場合、さらに斜めに駆け上がり、本気で守ろうとしてきそうで怖い。
「ヨナスが謝る必要はないよ。あくまでハルダード一族で決めたことだ。それに、貴族後見人としてもヴォルフの兄としても、ダリヤ先生がイシュラナの高位貴族の連家となったことは喜ばしい。ただ……」
胃薬がいるか、そう尋ねそうになったとき、グイードは深いため息をついた。
「私としては、ダリヤ・スカルファロットになって欲しかったのだけれどね……」
「ここからはヴォルフの頑張り次第だろう。秋には男爵になるのだし、それまでになんとか、いや、そのあたりでなんとか……」
互いに語尾を濁して黙った。
グイードは上着を脱ぐと、袖のカフスボタンを外し始める。
ヨナスは受け取った上着を、壁際の洋服掛けに移した。
「それにしても、イヴァーノはなかなか番犬らしくなったものだね」
「感心している場合か。あれは完全に狙ってのことだろう」
グイードに汗一つかかず笑み返す、底の見えない紺藍の目。
それを思い出し、ヨナスは少し強い声で返した。
「ハルダード一族がロセッティ商会の今後の商売に使える、守りになると踏んだんだろう。もっとも、イシュラナの皇帝の連家になるのは予想できなかったろうがね」
「そちらはラゼフ殿の先見の明か、強運だろうな」
唇にまだ馴染まない、異父弟の名。
ユーセフの息子ラゼフは、大砂漠で金の鉱脈を見つけた。
イシュラナでは、大砂漠の金銀宝玉は見つけた者、魔物は倒した者の財となる。
ラゼフはそれを即、皇帝に寄進、大竜巻からの復興費用にするよう願った。
その結果、ハルダード一族は皇帝の連なりの一族になり、イシュラナでの地位を不動のものとした。
母ナジャーの安全性も確実となった。ヨナスはそれにとても安堵した。
もっとも、いきなりのことに母が胃痛を抱えているような気がかなりする。
事後報告を受けたユーセフは、大商人らしく優雅に笑んでいたそうだが――
胃薬はご夫妻宛で多めに贈った方がいいのかもしれない。
あと、ラゼフもダリヤも、その心意気と行動力は認めるが、どうしても言いたい。
寄進は計画的に。
「それにしても、『当主は暗闇で踊れ』とは教えられていたが、私が当主になって、すぐこれとはね……」
『当主は暗闇で踊れ』とは、貴族の当主教育での比喩だ。
当主は表に出ないところでも多々、仕事と責務がある。それすらも優雅にこなすことを目標とせよ、そんなふうに教えられる。
少年時代、グイードの従者として横で聞いていた自分は、素直にかっこいいと思っていた。
それに対し今、つくづくと思う。
無茶を言うな。
もっとも、スカルファロット家の相談役としてはそうは言えない。
ヨナスは執務机に一番近いソファーに腰を下ろした。
「お前ならなんとかできるだろう」
「ひどいな。頼れる相談役が半分はどうにかしてくれると期待しているのに」
「従者で護衛騎士で相談役だからな。六分の一程度にしてくれ」
「せめてそこは三分の一じゃないのかい?」
軽口を叩き合った後、グイードが青のタイをゆるめる。
「ヨナス、今更だが今回は巻き込むよ」
「望むところだ」
ヨナスはソファーの背もたれから離れ、彼へ向き直った。
「では、ハルダード商会からワイバーンをもらい、王城ではなく国境伯の元へ置く。王族にも貴族にも口出しはさせず、我が家とロセッティ商会にも危険が及ばず、派閥闘争の理由にもさせない。ついでにエルードを龍騎士にする方法を考えよう」
無理難題としか思えないが、主はそのまま言葉を続けた。
「ダリヤ先生が国境伯にワイバーンの騎馬贈りをして嫁ぐのが最短だが、本人にその気がないし、我が家としても全力で阻止したい」
「言わなくてもわかる話は省略しろ」
「うん、ダリヤ先生が国境伯にワイバーンを贈るのは無しだ。『騎馬贈り』もそうだが、グッドウィン一族でもダリヤ先生の取り込みに動く可能性がある。他の名前か、中継者が必要だ」
初代王から仕え、伯爵位までしか持たぬグッドウィン一族。
だが、家数と人数の多さは他の一族とは比較にならぬ。
王のためと判断し、ダリヤを取り込もうと動かれたら厄介だ。
「俺がユーセフ殿にワイバーンを願って入手したことにしてはどうだ? それでグッドウィンつながりで国境伯へ贈ることにできないか?」
「ヨナスは魔物討伐部隊の相談役だ。王城の役持ちは王族に貢献するよう言われ、ワイバーンは王城配置を望まれる可能性が高い。それと、ドラーツィの名がある以上、あちらの派閥の手柄に取り込まれる可能性がある。スカルファロット家としてはそれは容認できない。それなら、ヨナスに紹介を受け、うちが入手したことにして、弟のいる国境警備隊へ贈る、世話を国境伯に頼むという形の方がまだいい」
一気に言ったグイードに、ヨナスは首を横に振る。
「それこそ駄目だ。爵位が上がったばかりの今、スカルファロット家が国境にワイバーンを出せば、イシュラナとの関係を噂される。上げたばかりの爵位にケチをつけられるのは面倒だ」
「国境伯が国境大森林の見回りにワイバーンを希望し、ヨナスが相談役を務めるスカルファロット家が紹介して、ハルダード商会から購入するか借りた――このあたりはぎりぎり許されるかな?」
「王城にも紹介しろと強く望まれるだろう。あとは、『侯爵たる者、優先順位をお間違えでは?』と言うのが絶対に出てくる」
確認するように会話を重ねるが、いい案が出てこない。
もっとも、それをひっくり返せそうな者への糸をヨナスは一本だけ持っている。
「グイード、ストルキオス殿下を計画に入れろ。いまだこの身に御執心で、腑分けはしないから観察させてくれないかと打診された」
「いつ? どこで? 私は聞いていないが?」
過保護な主の質問に、ヨナスは視線を壁に向ける。
「この前、魔物討伐部隊に行った後だな。王城回りの馬車に偶然乗っていらした」
「王族が王城回りの馬車に乗って男爵の出待ちか。セラフィノに密告してこなければ」
その密告先も王城内をあちこち散策しているわけだが、黙っておくことにする。
「巻き込むと言ったからには有益に使え。ウロコの観察程度で減りはせん」
「くっ、絶対に立ち会うよ……」
これで自分もグイードの駒の一つになれたようだ。
それともう一つ、使えそうなつながりを思い出した。
「あちらの派閥の押さえはお祖父様に願ってこよう。ある程度は口を利いてくれるだろう」
「それは私が行くよ。これは孫のわがままでは済まないからね。ヴォルフへの功績譲りの代価も保留にされているんだ。まとめ払いで天秤を傾けないようにしないと……ストルキオス殿下、国境伯、国境警備隊、冒険者ギルド……うん、なんとかつながりそうだ……」
話しながらその目が壁を通り越し、何かを見つけたように光った。
グイードは袖口を二度折ると、執務机の上に大きな紙を広げる。
ヨナスも立ち上がり、紙の四隅にペーパーウェイトを置き、インク壺の蓋を開けた。
「グイード」
蓋を開けたと知らせるために呼びかけたが、彼にはもう聞こえていない。
濃紺のインクをたっぷりとつけた銀のペンで、乱雑に文字を綴り始めた。
中央のスカルファロット家から伸びる線と各家の名、人名、地名――条件を確認し、思考を整理し、計画を練っていく。
不甲斐ない相談役には、もはや紙上の断片しか理解できない。
これこそがグイードだ。
齢三十にして父である当主を引退させ、侯爵に上がった男。
貴族界隈では、父レナートの不治の病説もあれば、グイードが王族の覚えがめでたいからだとも噂される。
氷蜘蛛の二つ名通り、冷血で狡猾なだけ、そう陰で吐き捨てる者もいる。
何か特別な理由があるのではないか、そう探ってきた家もあった。
ヨナスから言わせれば、なんのことはない。
グイードが先代当主を超えただけだ。
現スカルファロット侯の最たる強みは、氷魔法でもコネでもない。
集めた事実と持っている知識、己ができること、その組み合わせだ。
王城の模擬戦とたいして変わりはない。
魔力が足りなければ、敵に最適な魔法の組み立てや、時間差・フェイントを活用する。
力が足りなければ、敵の強みと弱点に合わせ、効率のいい戦闘スタイルを組み立てる。
当主の仕事も同じ事。
蜘蛛の如く網を張り巡らせて情報を集め、バラバラの木片で画を作るかのように組み立てる。
その画が壊されたところで、再び木片を集め、より美しく強い画を組み立てるだけ。
グイード・スカルファロットは、死なぬ限り負けはない。
望みは手を替え品を替え、必ず叶えると言い切れる。
まったく恐ろしく――よき主を持ったものだ。
カリカリと綴られていく音は長く続き、紙面は埋まっていく。
ヨナスはそれを無言で見守り続ける。
そうして真夜中すぎ、ようやくペンは止まった。
「残念ではあるが、王国と我が家のためだ。グッドウィン家の娘になってもらうのが最上の選択だろう」
新たな紙の上、流麗な文字で清書されていく計画に、ヨナスはただただ黙り込む。
「朝までに手紙を綴り、国境伯に魔鳩を飛ばして密談、その後に王城だ。当主らしく、暗闇で踊ろうじゃないか」