479.ワイバーンの仮願いと部下との対話
イヴァーノが一度退席し、砂糖菓子を山と持ってくると、ミトナとの話はその後も続いた。
ハルダード商会へはワイバーンを仮願い、ただし、受け入れ態勢が整うまで、時期は大きく幅をもたせてもらうということになった。
ミトナはユーセフに魔鳩で伝え、王都のハルダード商会などへは確定してから話を通す形にしてくれるそうだ。
それにしても――ダリヤはつい、ユーセフの青インクの文字に見入ってしまう。
『子犬が生まれたので、いりませんか?』、そんな軽さである。
それはイヴァーノも同じだったのかもしれない。
ミトナに砂糖菓子の皿を渡しながら尋ねた。
「ミトナ様、後学のために伺っておきたいのですが、ワイバーンを購入する場合――購入できるかどうかは別として、通常、おいくらぐらいでしょうか?」
「ハルダード一族では販売致しておりませんが、魔物を扱う商人から買う際は、白金貨が単位と聞いております」
「それでしたら、やはりこちらからも一定額のお支払いは必要かと」
白金貨を重ねてもらうわけにはいかない、イヴァーノがそうぼかして伝えると、ミトナが首を横に振る。
「ご不要です。この件につきましては、我が一族の利のためでもあります。『角駱駝分け』と同じ意味とお思いください」
「『角駱駝分け』、ですか?」
「同じ場所に住む群れでは、番にならなかったり、次世代が生まれづらかったりすることがあります。また、一つの病気が群れ全体に蔓延することもございます。今回のように、大竜巻でワイバーン達がそろって被害を受けないとも限りません。ですから、群れ・巣の分割が望まれるのです」
「なるほど、そういったこともあるのですね」
「はい。ワイバーン舎は現在二カ所に分けておりますが、今回の大竜巻で一方が砂で埋まりました。先々の万が一を考えれば、こちらにワイバーンがいることは備えになります」
ワイバーンの譲渡は、安全対策も含まれているらしい。
そう考えれば、少しだけ気持ちが楽になった。
とはいえ、天秤が傾きすぎないよう、何かしら調整は必要だろう。
そこからもしばらく話をした後、ミトナは砂糖菓子の包みを手に、次の打ち合わせへと出向いていった。
「イヴァーノ、無理なお願いをしてしまってすみません」
ミトナを見送った後、ダリヤは部下に詫びる。
どうしても国境にワイバーンは欲しい。
しかし、ここからの調整はまちがいなく周囲に手間と迷惑をかける。
その最たる者がイヴァーノだろう。
「いえ、先に頼まなくても、ユーセフ様のあのメモを見れば同じ判断だったでしょう。俺としても、国境にワイバーンがいた方がいいとは思いますし。それに、もしロセッティ商会のワイバーンにしたいと言われても、なんとかしますよ」
「え?」
「それより、会長名義のイシュラナの入国許可証ですが、向こうの身分証明書にもなります。それで会長はあちらの国でも貴族扱い――侯爵くらいの扱いになります。『連家』としてハルダード一族に準ずる扱いですから」
「は? どうしてそこまで……?」
イシュラナの恩返しは重い、そんな話は前に聞いた。
だが、ユーセフは国を動かすまでしなくてもいいではないか。
「あの、これを受け取ったことで、何かしなければならないことがあるでしょうか?」
「会長の国籍はオルディネ王国ですから、特に何も。向こうに行ったときにハルダード一族と行動を共にするのがいいぐらいで――あ、輸入のときの税、会長の荷物にしたら私物判定で安くならないかな……」
いや、そこではない。
そう言いたくなったが、イヴァーノにとってはそちらが気になるらしい。
けれど、次にふられた話題は予想外だった。
「会長はこれで他の家の養女にならなくても、二爵差は無いものといえます。侯爵子息でも公爵子息でも、横槍なく婚姻を結べますよ。ロセッティの姓のままもありですし」
ダリヤもそれについては知っている。
貴族の結婚は爵位違いは二つまでがスムーズだと言われている。
それ以上は別の家に養子になる形が多いのだ。
男爵は、子爵・伯爵家までとの結婚がしやすく、その上になるとどこかの養子に入らないと難しくなる、そういった感じである。
しかし、ダリヤに結婚の予定はない。
あと、相手もいない。
「イヴァーノ、冗談がきついです。マルチェラもそう思いますよね?」
「会長、世の中にはいろいろな可能性がありますから」
ここまで後ろにいてくれたマルチェラに同意を求めると、護衛騎士らしく笑んで流されてしまった。
「まあ、話の一つとして――ここからですが、ワイバーンの件は、まずグイード様とヨナス先生に相談しましょう。明日にでも時間を作って頂けると思うので。それと、ランドルフ様とは王城以外でお話しできるよう、手紙で願う方がいいですね」
「わかりました。ランドルフ様には、遠征から戻ったら早めにお時間を頂けるよう願いたいと思います」
その後は、ランドルフへ手紙を書いた。
イヴァーノの勧め通り、ワイバーンの文字は出さず、『国境大森林の魔物についてお教え願いたい』として、ロセッティ商会からの願いとした。
手紙を届け人に託した後は、イヴァーノの持ってきた書類の確認をする。
大きいサイズの防水布の制作枚数が多くなっていたり、小型魔導ランタンが台数を伸ばしたりしていた。
フェルモがまた新型の泡ポンプボトルを開発したのに驚きつつも、素直に利益契約書に名を連ねる。
夏の近づく今、靴の乾燥中敷き、五本指靴下、微風布も右肩上がりに増えていた。
売上と収益を見るかぎり、本当にワイバーンも飼えなくはなさそうだ。
明日にでもグイード達に頭を下げて相談し、ランドルフとヴォルフが遠征から戻ったら、同席の上で話そう。
反対されれば引くしかないだろうし、強く叱られる可能性もあるだろうが――
明日までに覚悟を決めておこう、ダリヤはそう思った。
ただし、その覚悟はまったく間に合わなかった。
「ただいま、と言っていいものかな、ダリヤ先生?」
ノックの後、王城魔導師のローブをまとったグイードが入ってきた。
その後ろにはヨナス、こちらは暗褐色の騎士服姿だ。
九頭大蛇戦を思い出すような二人に、ダリヤは跳ねるように立ち上がる。
「お、おかえりなさいませ! グイード様、ヨナス先生」
倉庫の冷凍作業を終え、そのまま直行してくださったらしい。
イヴァーノが砂糖菓子を取りに行った際、スカルファロット家の者に言付けていたそうだ。
ただ、グイード達のここまで早い戻りは想定外だったのだろう、イヴァーノは深く頭を下げる。
「大変お急ぎ頂いたようで、感謝申し上げます」
「いや、知らせてもらってよかったよ。ヨナス、紅茶を。ブランデーと一緒に頼んでくれ」
「俺はグラスでもらうぞ」
「いいとも」
ローブをヨナスに預けたグイードが、ソファーに腰を下ろす。
足を組んだ片膝の上、両の指を組んで置くと、視線は自分に向く。
そして、その青が見えなくなるほどに目を細めて笑まれた。
「さて、かわいいワイバーンをペットにもらいうけるそうだが、詳しく聞いていいかな、ダリヤ先生?」




