478.イシュラナからの来客とワイバーン
公式Xにて、寺山電先生による4コマ『まどダリ』第4話更新です。
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午前中の雨はあがったが、空はまだ曇っている。
けれど、スカルファロット家別邸の客室には、輝くような笑顔の青年がいた。
「お久しぶりです! ロセッティ会長、メルカダンテ殿」
黒髪黒目に褐色の肌に、砂色のゆるやかな長衣と同色のズボン。
イシュラナらしい装いの腰元には、茜色の帯。
だが、そこには前と違い、細やかな金糸の刺繍が入っていた。
襟元にも赤い石の入った金の飾りが着けられている。
装いが少し華やかになった、ダリヤの感覚ではそれぐらいだ。
だが、ミトナの立場は以前とは異なった。
「ご挨拶をありがとうございます、ミトナさ……失礼しました、ハルダード商会長代行」
うっかり名前を呼んでしまったダリヤは慌てて頭を下げる。
本日会うために取り交わした手紙の署名は、ミトナ・ハルダード――ユーセフ・ハルダード商会長代行。
ハルダード一族は皇帝の連なりの一族、オルディネ王国でいう高位貴族となった。
ユーセフが当主なので、その代行としてやってきたミトナはその対応に準じる。
「いえ、どうぞ今まで通りにお願いします。ロセッティ会長は我がハルダード家の大恩の方、竜巻見舞いを交わす一族同士なのですから」
逆に願われ、恐縮してしまう。
前回、オルディネに来たユーセフが倒れた際、ダリヤは医者と神官を呼んだ。
実際に治療したのは、当時、神官だったエラルドだ。
それなのにミトナの義理堅さは変わらないらしい。
だが、イシュラナの高位貴族である彼を名前で呼ぶのなら、自分もそれにならうべきだろう。
「では、私のことも名前でお呼び頂けませんか?」
「――光栄です。ダリヤ会長」
ミトナは再び明るく笑う。
そこでイヴァーノが紅茶を勧めてくれ、ようやく座って話す形になった。
スカルファロット家別邸での商談だが、本日、ヴォルフは遠征へ向かう予定。
武具部門の長であるヨナスは、グイードと共に、今朝揚がってきたクラーケンの冷凍に呼ばれた。
よって、ここでミトナを迎えているのはダリヤとイヴァーノ、その後ろに護衛騎士としてのマルチェラである。
ミトナは護衛を連れることなく一人でやってきた。
ハルダード商会の王都支店の長も一緒の予定だったが、グイードと同じくクラーケン関係で召集を受けたと謝罪された。
現在、クラーケンは皮が品薄な上にお高く、在庫も絶対に確保したい品である。
当然の対応だろう。
「ユーセフ様にお変わりはありませんか?」
「はい、おかげさまで元気にしております。お世話になったことにお礼を、そして、ユーセフがオルディネ王国に来ることは難しいので、ぜひ次はダリヤ会長、イヴァーノ殿にイシュラナへお越しいただきたいとのことでした」
「それは光栄です」
砂漠の国イシュラナ。
前世今世とも外国に行ったことのないダリヤにとっては、憧れの国の一つである。
「ハルダード一族とロセッティ一族は、連なりの一族。血が交わっていなくとも、近しい親戚とお考えください。イシュラナにいらした際は、皆様の宿と共に国内の観光案内をお任せ頂ければと。角駱駝の引き車でご案内致しましょう。通訳はもちろん私が致します」
前回はユーセフの通訳として来たミトナは、そう言って黒い目を細める。
「ありがとうございます。それは心強いです」
「それと――ダリヤ会長がお探しの素材があればいつでもお声がけください。イシュラナにはオルディネにはいない魔物もおりますし、関連する素材も多くございますので。当商会で扱っているものでしたら喜んでお持ちしましょう」
「その際はぜひ、ご相談の上、購入させてください」
ダリヤは整えた笑みで返した。
ミトナには支払いの意思表示をはっきりしておかないと、贈答品として持ってこられそうだ。
「わかりました。割引価格でお持ちしましょう」
「ありがとうございます。その際はこちらも同等の割引率で、魔導具を卸させて頂きましょう」
頷いたミトナに対し、イヴァーノがすかさずフォローを入れてくれた。
これで天秤の傾きすぎない取り引きができそうだ。
ミトナはちょっとだけ苦笑していたが、表情を整え直した。
「こちらはダリヤ会長名義のイシュラナの入国許可証です。ロセッティ商会の方であれば同行も可能です。私どもは、いえ、皇国イシュラナは、いつでもロセッティ一族を歓迎申し上げます」
羊皮紙と似た、何らかの皮に彫り込まれたそれは、イシュラナの文字だ。
ダリヤには読むことができない。
横のイヴァーノに見せると、つぶやきのように読んでくれる。
「ダリヤ・ロセッティ――貴族 ハルダード家の連家……」
区分が貴族になっているが、これはオルディネ王国で男爵だからだろう。
連家はハルダード一族が保証人のようなものかもしれない。
イヴァーノが自分を見て頷いたので、ありがたく受け取ることにした。
「ありがとうございます。大切にさせて頂きます。いつか、イシュラナにご挨拶に伺いたいと思います」
「その際は喜んでご案内申し上げます。ぜひ、親しき方とご一緒にお越しください」
砂漠の多いイシュラナの観光――そして、イシュラナにしかない魔物素材と聞くと心が躍る。
ヴォルフの魔剣に付与できる素材もみつかるかもしれない。
今すぐには無理だが、いずれ彼が魔物討伐部隊を退役したら、共に行けないだろうか。
ついそんなことを考えてしまっていると、イヴァーノが話を切り換えた。
「ミトナ様、こちらへはワイバーンでのご移動でしたか?」
「はい。私もようやく一人で国越えができるようになりました」
「ご自身でワイバーンを?」
イヴァーノが少しだけ声を高くする。
ワイバーンは特定の人間しか乗せない上、乗りこなすのは難しいと聞いている。
ミトナも長くワイバーンの騎乗練習をしたのだろう。
「はい。ユーセフのワイバーンを譲り受けました」
「高い空の移動は大変そうですね」
「昔よりはだいぶ楽になったそうです。昔は風魔法がないとワイバーンに乗れないと言われておりましたが、今は魔導具があればそう問題はありませんので。とはいえ、寒いのは確かですが」
「そうなのですか……」
おそらく風の強さから身を守る魔導具を使っているのだろう。
見たことはないが、本で使えそうなものを読んだことはある。
寒さに関しては、ミトナの帰りまでに携帯温風器を渡すことにする。
「商会でワイバーンが増えましたので、希望者がワイバーンで高所訓練中です。苦手な者が多くなかなか難しいですが」
「ワイバーンが多く生まれたのですね」
「いえ、先日の大竜巻でワイバーンの巣を見つけたのです。親達は翼を折って亡くなってしまったので、幼いワイバーンと雛を拾い、その世話に追われております」
「幼いワイバーンと雛……」
「はい、食欲旺盛なので、なかなか肉を集めるのが大変です。いずれ皇帝への献上も予定しておりますので、ある程度はお力添えもあるのですが」
「それでしたら、オルディネの干し肉はいかがでしょうか?」
「それが、雛に塩のきついものは食べさせられず――」
イヴァーノとミトナが話す中、ダリヤはつい別のことを考えてしまった。
九頭大蛇戦の後に思ったこと――
もしワイバーンを国境に置くことができたなら、国境大森林を毎日警戒できる。
そうなれば、九頭大蛇をもっと小さい段階、あるいは出てきてすぐ見つけることができるだろう。
戦わずしてクラーケンテープで罠をかけるだけで済むかもしれない。
そう簡単にはいかなくても、早くわかれば住民の避難も楽になる。
頭数的に魔物討伐部隊員を運ぶのは無理でも、王城の治癒魔導師に来てもらったり、ハイポーションを届けてもらったりするのも早くなるはずだ。
気がつけば、願いはこぼれるように口から出ていた。
「ミトナさん、一度お断りしておきながら失礼なのを承知で申し上げます。ここから騎龍にできる、幼いワイバーンを番で譲って頂くことはできないでしょうか?」
「喜んでお譲り致します」
「会長?!」
ミトナが笑顔で即答したのと、イヴァーノが驚きの表情を浮かべたのは同時だった。
自分が浅慮であろうことはわかっている。
だが、ワイバーンは幼いうちから乗る騎士に慣れさせなければいけないという。
その入手は金貨を積んでも困難だ。
それに、ワイバーンは国の戦力・伝達力にもなりえる。
ハルダード一族は貴族になったのだから、所有するワイバーンは今後、国によって管理される可能性もあるだろう。
皇帝への献上も決まったというのだ、機会は二度とないかもしれない。
「育ちの状況を見てですが、できるだけ早くお届けしましょう」
「本当に、よろしいのでしょうか?」
「ユーセフをお救い頂いたときに申し上げました。約束を守るのは当然のことです」
あまりに呆気なく答えられたが、続けてお願いしなければならないことがある。
「重ねて申し訳ありませんが、育成知識のある方もご紹介願えればと……対価は必ずお支払いしますので」
自分の財産、いざとなれば防水布や微風布といった魔導具の権利を、各ギルドに売ればなんとかなるはずだ。
だが、無理な願いを重ねてもミトナは顔色一つ変えなかった。
「もちろんです。ロセッティ商会のワイバーンになさいますか? それともスカルファロット家にお渡ししますか?」
自分の貴族後見人はグイードだ、そう思われるのも無理はない。
この後に彼へ面倒な相談を持ち込むのは確定しているが。
「いえ、できるなら九頭大蛇戦があった、国境大森林の警戒役にしたいのです」
「なるほど、それであればワイバーンが最適ですね」
ここまで話しておきながらはたと気づく。
国境警備隊がいきなりワイバーンを贈られても困るだろう。
王城騎士団経由で贈るべきか――そう考えていると、イヴァーノに声をかけられた。
「ええと、王城騎士団に寄贈した場合、会長はまちがいなく子爵になりますが……」
「できれば避けたいです……」
棚からぼた餅を通り越して、ワイバーンである。
医者と神官を呼んだ功績がそれでは、申し訳なさすぎて逃げ出したい。
「だと、『王城騎士団がハルダード商会からワイバーンを購入するときの紹介者』という形がいいでしょうが……それだと、おそらく王城のワイバーンに追加されて、国境には配置されないと思います。王城のワイバーンは、高齢と幼いのがそれぞれいるそうなので」
「でも、国境大森林の方が危険度は高く……」
言いかけて気づく。
オルディネ王国は、自由に感じられても王政だ。
最も守られるべきは王城にいる王、それが当たり前である。
となると、スカルファロット家経由にしても、王家を優先しなければ侯爵家としてまずい立場になるのではないだろうか。
目の前の紅茶の湯気は消えつつあるのに、頭から湯気が出そうだ。
「国境大森林の近くに、信用のおける貴族のご親戚や商会の縁者はおられませんか? ワイバーン舎なども必要になりますので、それなりに土地を自由にできる方がよろしいかと思います」
そうだった、ワイバーン舎を建てる必要もある。
しかし、ダリヤに親戚はいない。国境近くに縁者もいない。
そこで思い出した。
国境伯であるグッドウィン家は、昔、国境大森林で怪我をしたワイバーンの子を保護し、育てた建物がある――ヴォルフの兄のエルードがそう言っていた。
餌は国境大森林と海の魚で賄えるだろうとも。
それならば、相談できる者が一人いる。
「ランドルフさん……」
「え?」
小さなつぶやきをイヴァーノは聞き取れなかったらしい。
聞き返されるままに、二人へ説明する。
「国境大森林近くの、グッドウィン伯爵家に友人がおります。グッドウィン伯爵家は、以前、ワイバーンを育成したこともあり、ワイバーン舎もあると伺ったことがあるので――可能かどうかを相談してみます」
「わかりました。こちらは内々に準備を進めておきましょう。ようやく恩が返せると、ユーセフも安心することと思います」
ミトナがうなずくと、イヴァーノがさらりと言う。
「会長の願いをお聞き届けくださいまして、ありがとうございます。では、現在のハルダード商会様との契約のご変更を致しますので」
現在、ロセッティ商会はハルダード商会から、有利すぎる取り引きをしてもらっている。
卸した魔導具の輸送、保管、管理はハルダード商会。
利益率はロセッティ商会とハルダード商会で三対一。
この破格の条件は、ダリヤ・ロセッティが存命の限りと結ばれている。
それがユーセフがダリヤに命を救ってもらった恩とされているからだ。
今回ワイバーンを願うのだ、解約して当然である。
「現在の利益率は当方三、そちら一ですが、こちらを一対一にお戻しください」
「そのままでも構いません。ハルダード商会としては充分に利がございますので」
「いいえ、それでは、ワイバーンをお譲り頂くわけにはいかなくなります。連なりの一族としても、借り多きことは、その、気になりますので」
「ああ、ダリヤ会長は――そういった方でしたね」
なぜか、ミトナがうれしげに笑う。
その目が少しだけ茜色がかって見えたが――きっと気のせいだろう。
「わかりました。連なる家に利益分けは失礼に当たりますね。来る年よりご変更致しましょう」
来年から利益が下がるので、イヴァーノには申し訳ない。
だが、ダリヤは少しだけほっとした思いだった。
「ただし、魔導具の輸送、保管、管理はすべてお任せください。当方には船団とワイバーンがございますので」
「ありがとうございます。願ってもないことです」
ようやく紅茶を口にしたが、すでにぬるい。
少しだけ肩の力を抜いたとき、ミトナが鞄から書類を取り出した。
「さて、今回の注文書です。ハルダード家が皇帝の連なりの一族となりましたので、皇国イシュラナに必要な品を集める役割も加わりまして――魔導ランタンも防水布もよく売れておりますので、こちらをお願いできればと」
「拝見します」
笑顔で出された注文書、その個数は前よりすべて桁が多く――
ここからも、魔導具の輸送、保管、管理はすべてハルダード商会。
利益割合は下がっても、利益額そのものは増えそうだ。
視線を進め、ダリヤは驚きに目を見開き、イヴァーノは口角を吊り上げる。
下方に追加でつけられた小さな紙、たどたどしいオルディネの文字に重なるのは、以前見た商会長の笑顔。
『ワイバーン、増えました。番、いりませんか?
ユーセフ・ハルダード』