477.九頭大蛇戦勝マグカップと画家と商人
『魔導具師ダリヤはうつむかない~王立高等学院編~』赤羽にな先生(FWコミックスオルタ様)更新されました。どうぞよろしくお願いします!
「スカルファロット家のドナ様から、メーナに渡しておいてほしいとのことです」
「そんなつもりじゃなかったんですが。でも、せっかくですので遠慮なく頂きます」
陽光が差す商会部屋で、イヴァーノはメーナへ少し重いハンカチを手渡した。
一昨日、ここに来ていたヴォルフは、一人早く退室した。
『ルチアのところへ行く』、それが聞こえたであろうダリヤは、彼をそっと視界から外していた。
気になるなら、ヴォルフに一言、服飾ギルドに用があるのかと尋ねればいい。
それをしなかったのは――いい兆候だと信じたいところである。
それにしても、うちの若い商会員は大変に気が利いた。
一昨日、メーナは菓子を買いに出たついでに、ドナに伝えたそうだ。『会長が馬車の先を気にしています』、と。
いろいろと意味は通じたのだろう。
昨日の帰り際、ドナはイヴァーノの前に現れ、『メッツェナ・グリーヴ殿にこれを』と頼んできた。
「わぁ……会長におこづかいもらって、菓子を買いに行っただけなんですが」
ハンカチを開いたメーナが動きを止め、確認するように見つめる。
中に包まれていたのは大銀貨2枚。
スカルファロット家からかと思ったが、細かな傷のあるそれは、もしかするとドナの財布からかもしれない。
「これでデートの回数が増やせそうです」
自由恋愛派らしい台詞で、メーナが笑う。
けれど、その表情はどこか子供っぽく、大銀貨の行く先も予想できる。
メーナが足繁く通うのは、自分が育った救護院。
あちらこちらで会う女性、時に男性は、ほとんどが救護院の卒業生。
悩みと愚痴を聞いてやり、励まし、食事を奢り――一部の者はメーナに熱をあげているようだが、誰とも長い時間を過ごすことはない。
マルチェラが保証人とはいえ、メッツェナ・グリーヴの身元は二度調べた。
確かめるほどに、救護院と仲間を助ける好青年の印象が強くなる。
それを表に出さないのが、彼の美学か若さかはわからないが。
ただわかるのは、メーナがまちがいなく、ロセッティ商会に有益であること。
だから、イヴァーノは机の上の封筒を持ち上げる。
『部下を褒めるのを、人に任せては駄目よ』
師匠ガブリエラから教わった通り、他からのお褒めはそれはそれ。
部下が功を上げたなら、褒めるのは上司の役目である。
「メーナの気遣いに感謝を。これは私からです」
「え、感謝状ですか?」
「応援券といったところですね」
怪訝そうな彼へ封筒を渡し、目で開けるように促す。
メーナは中身をそっと取り出すと、水色の目を見開いた。
「金属ペンの引換券……! 副会長、いいんですか、こんなに?」
「配って足りなくなるようなら、遠慮なく言ってください」
救護院の子供達よりちょっとだけ多いはずだが、急な人員の移動はわからない。
そう思いつつ言うと、メーナが頭を下げた。
「ありがとうございます! 皆にロセッティ商会からと伝えますので」
「いえ、ちょっと上司として気取りたい私からですので」
「じゃあ、副会長からだとしっかり教えますね」
「いい宣伝になりそうですが、やめましょう。商会からだと他の救護院にも平等にと言われる可能性がありますし、私や会長の名前にしてもちょっと。なので、メーナからにしてください。卒院生が渡したとなれば、どこからも言われないでしょうし」
「わかりました。卒院生として、威張りちらしながら配ってきます!」
言葉とは裏腹に、メーナは両手でとても大事そうに封筒を持っていた。
初等学院に通う上の娘イリーナが、夕食の席で話したことがある。
学院では、羽根ペンより金属ペンの方が流行っている。
しかし、救護院から通う子供達はほとんど羽根ペンなのだと。
初等学院は学費が無料でも、筆記具は有料である。
金属ペンは安いタイプの羽根ペンより高めだからだろう。
『大事に長く使ったら金属ペンの方がお得なのに』 そう言った娘を、イヴァーノは全力で褒めた。
目の付け所がじつに素晴らしい。先々が楽しみでならない。
そして娘の意見通り、メーナの後輩達に金属ペンを贈ることに、いや、メーナにその仕事を代わってもらうことにした。
「この金属ペンで、皆、頑張って勉強すると思います」
「それなら、この先、ロセッティ商会に入ってくれる方が出てくるかもしれませんね」
明るい声にそう答えると、彼は少しだけ眉を寄せた。
「副会長、救護院からって、冗談ですよね? 俺はマルチェラさんの関係で入れてもらっただけですし」
「商業向けの能力があって、メーナが保証人になれるような方なら会いますよ。試験は易しくなりませんが」
「いいんですか? 貴族の売り込みも断っているのに……」
「商人に爵位は関係ないです。使い方によっては、便利ではありますけどね」
そもそもイヴァーノ自身、爵位もない、貴族家の親戚もいない、完璧な庶民である。
貴族からの売り込みに関しては、どこかの家の紐をつけられたくはないので断っているだけだ。
有能で信頼できること、あとは商会の者達との相性――簡単なようで難しい。
人を増やそうとしつつ、いまだに増やせないのもこのためだ。
「メーナの周りでは商会に進む方はいなかったんですか?」
「商会に入りたくても書類だけで何度も落ちたとか、入っても荷運びと雑用だけで、経理の部屋には入らないように言われているとか聞いていましたので……」
「そうでしたか」
商会は金銭関連を特に重んじる。
雇う者は経歴だけでなく、万が一のときの保証人、その財力も確認されることが多い。
入るにも壁は高く、信用を得るまでは険しい道、それが現状のようだ。
「うちはメーナが入ってくれて、本当に助かってますよ。院長であるモルテード子爵の教育が素晴らしいんでしょうね」
「それはきっと! あ、僕はあまりできる方じゃないですけど」
父を褒められた息子のように笑み、その後に慌てた表情になる。
それに笑みたいのを我慢し、イヴァーノは書類を持ち上げた。
「メーナができる方なのはよくわかっていますので、今日は経理書類を手伝ってください」
「すみません、この形式は書いたことがなく……」
今のメーナにはわからなくて当たり前の内容だ。
だが、いずれ必ずできるようになる。
そう育てるのは、ロセッティ商会の副会長である、この自分の役目だ。
「もちろん教えますよ。できる子のメーナならきっと、すぐ覚えられます」
自分の言葉にメーナが苦笑したとき、ノックの音が響いた。
「ただ今、戻りました……」
ドアを開け止めたのはマルチェラ、挨拶をして入ってきたのはダリヤだ。
今日は王城へ契約書類を提出しに行ったが、すぐ済んだのだろう。
しかし、二人とも顔も動きも固い。
何かあったのか――その理由はすぐに知れた。
「急ですまない。失礼する」
「よ、ようこそ、ロセッティ商会へ、グラート様!」
イヴァーノは音を立てて椅子から立ち上がってしまった。
メーナはウサギが跳ねるように壁際へ移動し、頭を下げた。
続けて入ってきたのは魔物討伐部隊長本人と、その護衛騎士である。
珍しく、二人そろってプライベート用のスーツ姿だ。
約束もなければ先触れもない、おそらくはダリヤと一緒に来たのだろう。
「グラート様、ジスモンド様、狭くて恐縮ですが、こちらへおかけになってください」
椅子を勧め、メーナに紅茶の準備を頼む。
マルチェラは万が一に備え、ドアの外に立たせた。
一体何があったのか、不安を押し殺していると、ダリヤが棚から木箱を出そうとしていた。
「よいしょっと……」
「お持ちします、ダリヤ先生」
滑らかに手助けをしたのはジスモンドである。
本来、イヴァーノの役目であるのだが、速度的にかなわなかった。
「ダリヤ先生から、九頭大蛇戦勝マグカップの一部が上がってくると聞いたのでな。画を描いた者として、早めに確認したいと思ったのだ」
木箱に入っているのは九頭大蛇戦勝の金属マグカップが十。
側面には、グラートによる迫力の九頭大蛇。
反対側には、魔物討伐部隊の紋章である、龍に交差する剣。
底には名前入り――初回のこちらは、魔物討伐部隊長、副隊長のそれぞれ。
他は通し番号の一から四、何も刻まぬ四つである。
一応完成品ではあるが、納めるときの白木の箱が仕上がっていない。
それぞれが白い手袋をつけると、ダリヤはマグカップを確認していく。
そして、グラートへその名が刻まれたマグカップを渡した。
彼は、魔物討伐部隊の紋章、そして己が描いた九頭大蛇の絵をじっと見る。
すでに了解を得ていた絵付けではあるが、ダリヤも自分も緊張がにじんだ。
「いい出来だな……」
グラートはそう深くうなずいた。
「これを今日受け取りたいのだが、可能だろうか?」
「専用の木箱が仕上がっておりませんので、サイズ違いの箱に布でくるむ形でもよろしいでしょうか?」
「かまわない。あと、何も刻んでいないものを一つ、買わせてもらえないか?」
「お持ちになってください。こちらは確認用ですので」
妻ダリラへ渡すのか、それともジルドか――そう考えつつ、イヴァーノは立ち上がって箱の準備を始める。
「感謝する。今日は休みでな、これから仲間と外で飲む予定なのだ。そこで自慢したいと思ってな」
「お天気が良くなってよかったです」
グラートの言葉に、ダリヤが笑んでいる。
朝方少しだけ雨が降ったが、今はいい天気だ。
外で飲むにはうってつけだろう。
「し、失礼します。茶葉の確認を、お願い致します」
メーナがジスモンドに向かうと、銀のトレイの上、紅茶の金属缶を三種並べて尋ねる。
選んでもらった後、蓋を開け、中を確認してもらう。
砂糖壺、ミルクも同じだ。
気軽そうに話しているがグラートはバルトローネ侯爵家当主、これが正しい対応である。
メーナは貴族対応の本でしか読んでいないだろうに、一発で実践している。本当に有能だ。
なお、その顔が青いのは――そのうちにうまい食事を奢ることにする。
その後も、紅茶を飲みながら話は続いた。
「グラート様は、子供の頃から画を習っていらっしゃったのですか?」
「幼い頃に数ヶ月だけだ。理解が遠いと、家庭教師に手を離された」
家庭教師に見る目がないように聞こえるが、イヴァーノはジルドから聞いている。
画の才はありそうだが授業は度々遅刻、注意は耳から抜ける。
やる気がないわけではないのだが、画の課題を『夏の庭』としたときは、複数のカエルに絵の具を塗ってキャンバスにスタンプした。
あまりに斬新すぎ、家庭教師は頭を抱えていたそうだ。
「こんなに上手なのに……し、失礼しました!」
ぽつり、つぶやいたのはメーナだった。
会話の切れ間によく響いてしまい、声を高くして謝罪する。
そんな彼へ、グラートが顔を向けた。
「世辞でないならうれしく思う。画は、ただ好きなだけだからな」
「いえ、お世辞ではなく、九頭大蛇の絵は、全部本当にかっこいいと思いました!」
たどたどしくも言ったメーナに、グラートは顔を綻ばせた。
「そこまで言ってもらえるなら、退役したら画家を目指すのもいいかもしれんな」
グラートの横、ジスモンドが無言で苦笑している。
魔物討伐部隊を退役しても、侯爵当主の役目がある。
それも代替わりしたとして、名声高いグラートが画家になる道は細いだろう。
「それはいいと思います。その際は、うちの商会でも隊長の描かれる画を扱わせてください」
隣の素直すぎる声に、イヴァーノは硬直する。
斜め向かい、赤の目が楽しげに光った。
「ダリヤ先生、本気にするぞ?」
「はい、ぜひ!」
いい笑顔で言い切った上司を横に、イヴァーノは頭痛、次に胃痛を感じた。
ロセッティ商会の販売品に関しては、すべて任せてくれと言ってある。
しかし、美術品、特に画に関し、自分の造詣は浅い。
あと、販路も顧客も過去にない。
とりあえず、商業ギルド長のレオーネと、友人のフォルトと、オズヴァルド先生と、あとグラートの親友であるジルドに、相談と称して泣きつけばなんとか――
全員が『ダリヤだから』とあっさり納得してくれるような気がしてきた。
「よし! では引退後は私もロセッティ商会の世話になるとしよう、画家として」
「グラート様……」
横で護衛騎士が窘めているが効果はなさそうだ。
ロセッティ商会に、ヴォルフの次に入るのがグラートになるような言い方である。
つい視線を泳がせると、メーナがマグカップの九頭大蛇を笑顔で見つめていた。
銀地に描かれた黒い九頭大蛇。
グラートの画力は確かだ。人を惹きつけるものもある。
オルディネ王国で高い人気の魔物討伐部隊、その元隊長の描いた画。
一枚の画を高額で売るのもありだが、版画という手もある。
それならば、庶民にも手が届きやすく、数が出るだろう。
この九頭大蛇の戦勝マグカップのようなポイント的な方法も考えられる。
いや、ここはさらに聞き取りを入れ、本人の絵で綴る元魔物討伐部隊長回顧録、魔剣の灰手の使い手としての自伝などもいいかもしれない……!
「ぜひよろしくお願いします、グラート隊長! 画材はすべてこちらでそろえさせて頂きますので」
先程までの頭痛も胃痛もどこへやら――
商人は頭の中の算盤を、嬉々として弾き出していた。