473.鷲獅子の研究書と鈴蘭
公式Xにて、寺山電先生による4コマ漫画『まどダリ』が連載開始となりました。
どうぞよろしくお願いします!
「じゃあ、お願いします、『ヴォルフ先生』」
「えっと……ダリヤが『ダリヤ先生』って最初に呼ばれた日の気持ちが、今、ちょっとだけわかった気がする……」
食後の一息が終わると、テーブルの上を片付けた。
今はヴォルフが左、ダリヤは右。椅子を近づけて横並びに座っている。
二人ともに手袋をして開いた本は、先日、書店で購入した鷲獅子の研究書だ。
エリルキア語で書かれたそれは、ダリヤには半分ぐらいしかわからない。
つまずいたところに栞を入れ、ヴォルフに翻訳してもらう形である。
ありがたさをこめての『ヴォルフ先生』なのだが、本人はちょっとだけ耳を赤くしている。
自分も魔物討伐部隊で初めて先生呼びをされたことを思い出し、ダリヤは心から納得した。
「じゃあ、ここから――鷲獅子の頭部は鷲に酷似しており、遠距離を見通す高い視力と、硬質な嘴を持つ」
このあたりはオルディネの魔物図鑑と同じ内容だ。
鷲獅子は頭と身体の前半分、そして翼は鷲に似て、後ろ半分は獅子に似た魔物である。
オルディネ王国で確認された個体は少ない。
現在、魔導具の素材として市場に出回っているものは、ほとんどがエリルキア、そしてイシュラナのものだ。
「高山や断崖絶壁に住むことが多く、洞窟や岩の窪みに巣を作る。翼を広げる場が必要なため、ある程度の広さを必要とする」
ヴォルフが手袋の人差し指を動かしながら、翻訳してくれる。
ダリヤは右手でノートにメモを取りつつ、それを聞き続けた。
「大きな翼と強い風魔法を持つため、空中での機動性が高い。龍騎士などでなければ対応は難しいと思われる……オルディネに鷲獅子が出ても、俺達が出る前に上級冒険者か、冒険者ギルドから人がいきそうだけど」
「ワイバーンに乗って戦わなくちゃいけないから?」
「それもあるけど、鷲獅子って、全部が素材になって、安定して高く売れるんだって。だから魔物討伐部隊や王城の龍騎士が出る前に優先で行くって、アウグストが言ってた」
人の世はせちがらい。
危険度より金貨であった。
だが、冒険者ギルドの副ギルド長のアウグストから見れば、確かに貴重な商材だ。
鷲獅子の鷲部分の羽、獅子部分の毛皮、そして嘴にかぎ爪、心臓を含めた内臓――魔導具師の自分にとっても、多くが高級魔導具の素材になるのでどうこう言えない。
それに、ヴォルフ達、魔物討伐部隊が空を飛ぶ鷲獅子と戦うことがないのはありがたい、そう思いつつ、続く声を待つ。
「空中では鷲よりも速く、ワイバーンと同程度の速度が出るが、長距離移動には不向きである。地上での走行はロバより遅く――え? 遅いんだ」
「前足はかぎ爪で、後ろ足が獅子の足だから……」
つい、地面を駆けようとしてバランスに悩む鷲獅子を想像してしまった。
空も地も速くというのは、無理な話なのだろう。
「鷲獅子は基本、強い風魔法を持っている。ただし、後方からの風魔法に弱い――これ、覚えておかないと。あ、アウグストに伝えてもいいかな?」
「ええ」
討伐では魔物の得意とする魔法と同系は使わない、対抗できる魔法で戦うのが基本と聞く。
火魔法の強い魔物には水か氷魔法を、風魔法の強い魔物には土魔法を、といった具合だ。
もっとも、何より効くのは物理――直接攻撃だとグラートは笑っていたが。
「鷲獅子の寿命は約40~60年と推定される。成熟するまでに七、八年かかり、その間に親から狩猟や飛行の技術を習得する。人間でいうところの一夫一妻制であり、生涯、番を変えることはない――」
そこで声を止めたヴォルフが、軽く咳をする。
「大丈夫? 読み続けるのが辛いなら、一度休むか、続きは今度でも」
「いや、えっと――鷲とか鷹と一緒なんだなって思っただけ」
猛禽類の習性を考えていたらしい。
金の目がページに固定され、こちらを見ない。
「続けるよ。鷲獅子は複雑な鳴き声や体の動きで意思伝達を行う。繁殖期には、番と互いに翼を広げ、歌うように鳴き交わす」
「鳥の求愛ダンスのようなものかしら……」
鷲獅子が大きな翼を広げての求愛ダンスは、なかなかロマンチックかもしれない、そう思ったとき、ヴォルフが顎に指を当てた。
「鳴き交わすって、春先の猫みたいなものか」
ちょっとイメージの方向性が変わった気がする。
ひとまず求愛表現に関しては横に置き、そのまま彼の翻訳をメモしていく。
「鷲獅子は雑食である。動植物、魔物、魔植物、これは『植物性の魔物』って訳せばいいのかな。棘草魔みたいな魔物のことだと思うけど――様々なものを食べる。魔力を多く含むものを好むため、過去には薬草畑が狙われることもあった。ただし、食べ尽くすことはないので、被害は一定数に限られる」
鷲獅子は頭のいい魔物だというが、本当にそのようだ。
もっとも、薬草畑に鷲獅子が出た場合、そこで人間が働けるかどうかは難しいが。
「個体差もあるが、酸味の強いオレンジやグレープフルーツなどの柑橘類をとても好む。なお、酸っぱい顔をしていても、柑橘類は絶対に取り上げないこと……グリフォンが酸っぱい顔……」
「くっ……!」
待ってほしい。
王都一の美青年が、とても酸っぱい顔をしている。
鷲獅子どころではなくなったではないか。
けれど、ヴォルフは酸っぱい顔の後、遠い目になった。
「取り上げるとその場で暴れる場合がある。取り上げた人間は敵認定され、それは長く続く。再度、柑橘類を与えても警戒され続ける、ってある……」
「鷲獅子も、食べ物の恨みって怖いのね……」
あと、その取り上げた方は研究者本人のような気がひしひしとする。
研究書ではあるが、前書きで鷲獅子のすばらしさを讃える長文には、思いの深さがにじみ出ていた。
「鷲獅子は人語を話す・意思疎通ができるという伝承があるが、これまで観察した七頭では、残念ながら確認できなかった。次の鷲獅子に期待し、捜索と観察を続ける――この研究者はきっと鷲獅子と話がしてみたかったんだろうね」
「鷲獅子が本当に好きなんだと思うわ」
ようやく研究書を閉じると、箱に入れてしまう。
白手袋を外して窓を見ると、すでに夜の帳が下りていた。
それを目にしたヴォルフが、自分へと向き直った。
「そろそろ帰るよ」
このところ、ヴォルフは以前より早めの時間で帰ってしまう。
スカルファロット家が侯爵に上がったことで、いろいろと忙しいのかもしれない。
わがままだとわかっているが、本当に、もう少しだけ――
酔いの醒めぬ口が、願いを言葉にしてしまう。
「あの! たくさん読んで喉が渇いていると思うし、できたらもうグラス一杯だけ……」
「――ああ、ありがとう」
一拍遅れた返事に、やはり迷惑だったろうかと気になる。
ダリヤは台所へ酒を取りに向かいながら、ついふり返ってしまった。
ヴォルフは自分の背を見ていたらしい。
黄金の目はわずかに光をゆらし、その後にそっとそらされる。
何でもなさを装ってはいるが、あれは言いづらいことがあるときのヴォルフの癖だ。
ヴォルフが自分を見て、言いづらくて言えないこと――
ダリヤには、思い当たることが一つある。
「……最近、魔剣を作っていないものね」
そう、口の中だけでつぶやいた。
国境に行った分、遅れた仕事をこなし、叙爵式の礼儀作法確認に時間がかかり――
そんなダリヤを気にして、ヴォルフは言い出せないのだろう。
早く帰ってしまうのも、自分の忙しさを気にしているのかもしれない。
大丈夫。
彼が遠慮して、魔剣のことを言い出せないことは、ちゃんとわかっている。
仕事の調整をしっかりして時間を確保、次こそはヴォルフの安全につながるような、強い魔剣を作ろうではないか!
赤髪の魔導具師は、今日も平常運転だった。
・・・・・・・
「おや、ヴォルフ様、お早いお戻りで」
「いや、あまり遅くなっても明日に差し支えるから」
塔の近く、西区の馬場へ行くと、ドナが待機室で本を読んでいた。
このところヴォルフが移動する際は、馬車の御者の他、彼が同乗することが増えた。
『騎士ではないのでただの話し相手、自分にとっては息抜きの口実』
そうドナは言うが、おそらくは兄グイードがつけた護衛の一人なのだろう。
自分はとことん心配されているらしい。
「じゃ、本邸に帰りますか。明日の朝食でご一緒するのを、グローリアお嬢様が楽しみになさっておいでですから」
「ああ、よろしく」
馬車で帰路につくと、緑の塔の横を過ぎる。
二階の灯りはすでに消え、三階へと移っていた。
ついそれを見ていると、ドナから不意に尋ねられる。
「どうでした、鈴蘭?」
「――普通に、渡したよ。俺が三番目だったけど」
声がちょっとだけ低くなったのは、最初に渡せなかった残念さではない。
少しだけ渇いている喉のせいだ。
淡い黄色の珍しい鈴蘭、それを勧めてきたのはこのドナである。
薄淡い黄色の鈴蘭は、改良品種で出回り始めたばかりだ。
その花言葉は、黄色を金に喩え、ずっと変わらぬ友情や愛情だという。
ダリヤはそのブーケをうれしそうに受け取ってくれた。
けれど、おそらくは、ラウルエーレとユリシュアから贈られたときも笑顔だったろう。
ラウルエーレにいたっては、ダリヤに対して薄ピンクの鈴蘭――かわいい人、愛らしい方といった花言葉のものを贈ることはないだろう。
そもそも彼女の方が年上ではないか。
そんなことを考えてしまうほど、自分の心は狭苦しい。
「ヴォルフ様、来年は五月一日の朝一番で渡したらどうです? 鈴蘭でも薔薇でも、ロセッティ会長の望む花を」
軽い声を聞きながら、本日を振り返る。
来年は薔薇の花を――そう申し出た自分に、彼女はいつもの笑顔で答えた。
「ダリヤは、来年も鈴蘭の方がいいって」
「……そうですか」
ドナの声が微妙に曇る。
それにはっとしたヴォルフは、慌てて話を続けた。
「ええと、鈴蘭の方が、季節限定だからって話で――」
「ああ、それってヴァネッサ様と一緒ですね。鈴蘭は季節限定だけれど、きれいだから、ずっととっておきたいとおっしゃってました」
「そうなんだ」
母にも女性らしい一面があったらしい。
鈴蘭は保存が難しそうだが、押し花にでもしたのだろうか、そう考えていると、ドナが口角を上げる。
「旦那様、いえ、レナート様がブーケを毎日氷漬けにして、翌年まで保たせましたよ」
「毎日氷漬けで、翌年……?」
「ええ。流石にレナート様が遠方に出向いたときは氷の魔石を使いましたけど。ブーケの周りで溶けた分を毎日重ねて凍らせて、白いと中が見えづらいから透明度が出せないかと研究なさって、それはそれはもう熱心に。あれでスカルファロット家の氷の透明度上げの技術が確立されたんじゃないかって、俺は思いますね」
初めて聞く話に、ヴォルフは目を丸くする。
母のため、自ら鈴蘭を毎日氷漬けにした父――氷魔法のない自分だが、愛情表現だと思えた。
「知らなかったでしょ、ヴォルフ様?」
「うん、全然知らなかった」
「レナート様は――不敬になりますが、口下手で言葉足らずなところがありますから。言いたいことや聞きたいところがあったら、こっちからばーんといかないと。あ、ヴォルフ様もそこは似ないでくださいよ。言いたいことは、早めにきっちり言葉にして伝えないと駄目ですからね」
「ああ、気をつけるよ」
ドナは父と自分の距離を気にしてくれているのだろう。
昨年までは遠かった家はとても近くなり、居心地はよくなっていくばかりで――
それでも緑の塔の方がいいと思ってしまうのだから、まったく己が手に負えない。
考え込むヴォルフは、向かいで落とされるつぶやきを聞き逃す。
「ヴォルフ様、ホント、言葉にして伝えないと駄目なんですよ……」




