470.威圧訓練のその後と初めての任務
白灰レンガの魔導部隊棟の入り口に立つと、ちょうど出ようとしていた魔導師が無言で目礼し、横に避ける。
譲られる形になったヨナスは、目礼を返して先に通った。
こんなやりとりにもようやく慣れつつある。
自分はつい先日まで、子爵家の子息でグイードの護衛騎士、彼らへ譲る側だった。
それが侯爵家の子息となり、自身も男爵、魔物討伐部隊相談役とスカルファロット家相談役という立場に変わった。
手のひらを返すような丁寧な扱い、向けられる作り笑顔。
嫉妬やうらやましさ、少々疑わしさを込めた視線を向けられることも増えた。
そして、今日からは違う視線も混じっている。
受付の横、魔導部隊棟を護衛する騎士達が、動作をそろえて会釈する。
その目には熱と興味が混じっていて――
魔物討伐部隊での威圧訓練は、すでにこちらにも聞こえているのだと理解した。
本日は朝から魔物討伐部隊相談役としての打ち合わせ、そして昨日の後処理に追われ、ようやくグイードの元へ戻るところだ。
王城では彼の部下であるシュテファン達がいるので心配ない。
が、護衛騎士としては一段役立たずになった気もする。
そんな埒もないことを考えつつ階段を上り、廊下の奥、グイードの執務室へ向かう。
ノックの後にドアを開くと、魔導師二人、その先にいるグイード、いつもの光景だ。
だが、少し冷えた空気、シュテファン達の微妙な表情、自分を見ない主に、その機嫌の悪さを悟る。
「何かありましたか、グイード様?」
「――いや、少し喉が渇いただけだ。シュテファン、コーヒーを頼んできてくれ。エドは、菓子の方を頼むよ」
二人の魔導師は了承し、部屋を出て行った。
体のいい人払いだ。しばらくは戻らないだろう。
グイードは椅子から立ち上がると、執務机の横を通り、ソファーへ移動する。
面倒ごとだと判断し、ヨナスはその向かいに座った。
「昨日の魔物討伐部隊の訓練は、聞いていた以上に激しかったようだね。私が参加するのは難しいだろうが、せめて見学はしたかったな」
「俺にその権限はない。だが、次があればグリゼルダ殿に願っておく」
「そうしてくれ。それと――」
青い目が疲労感たっぷりにヨナスを見た。
「廊下で会った王城巡回馬車の長が、とても困惑していてね。昨日、魔物討伐部隊棟に巡回に出た馬が動かなくなり、騎士達で馬場まで運んだそうだ。今日は王城順路を緑馬が駆けているとか」
「……そうか」
「あと、王城の連絡係から聞いたんだが、昨日から魔鳩が巣から出てこなくなって、手紙の送付が遅れているとか。飼育員が朝から一羽ずつ、取り寄せたウサギトウモロコシや蜂蜜で機嫌をとっているそうだよ」
「……そう、か」
最早、語尾を濁すしかない。
原因はおそらく自分だ。
詫びに行きたいところだが、それは魔物討伐部隊の隊長副隊長の仕事である。
『何かあればこちらで対応するのでお気になさらず』
先程、グリゼルダにいい笑顔で二度言われるわけである。
「それと――今の今まで、第一騎士団のランツァ副団長がいらしてね。ヨナスへ、ランツァ家のご息女との縁談を勧めてもらえないかと、それはそれは熱心にお話し頂いた。第二騎士団所属だそうだ。私はヨナスの保護者ではないので、ドラーツィ家に投げるが」
「すまん、手間をかけた」
グイードの疲労がよくわかった。
中身については、ベルニージに絶対に断ってくれと願っておこう。
鈍い頭痛を覚えていると、少し細くなった青い目が自分を見た。
「昨日の今日でこれだ。ヨナスには縁談と引き抜きが山と降りかかってきそうだね」
「手間をかけるが、すべて祖父へ回してくれ」
「ああ、これに関してはベルニージ様――ベルニージ殿に投げるよ。駄目だな、まだ呼び方が馴染まない」
侯爵当主に上がったことでの言い換えは、まだ定着しないらしい。
互いの立場の変わりようにしみじみしかかったとき、ノックの音が響いた。
ヨナスは立ち上がると、ドアに近づき、相手を確認する。
今はシュテファン達もいない。警戒しすぎるということはないのだ。
しかし、ドアの向こうから名乗ったのは意外な者だった。
ドアを開けば、青い乗馬服姿の青年――近衛隊以上に狭き門、龍騎士の一人がいた。
彼は名乗りの後、深く一礼する。
「お仕事中に失礼致します。ドラーツィ様にお願いしたいことがあって参りました」
用事の相手は、グイードではなく自分であった。
若い青年である、おそらく威圧訓練の希望だろう。
本日、すでに四人――五人目の個人的声がけか、そう思いつつ、ヨナスは尋ねる。
「どのようなことでしょうか?」
「私の騎乗する若いワイバーンが、昨日より食事をとらなくなりまして……」
鮮やかな緑の目が、恨めしげにヨナスを見る。
それに対する反感も反論も一切ないが。
「失礼ながら、近くに上位の龍種が存在し、その縄張りにいて、威圧を受けたと思い込んだ可能性があり……」
人間をやめた覚えはないのだが、自分は龍種に入るらしい。
そんな馬鹿な考えがよぎったが、迷惑をかけたのは確かである。
「申し訳ありませんでした」
「いえ、魔物討伐部隊の訓練の一環と伺っております。グリゼルダ副隊長よりお詫びがあり、次からの威圧訓練は前もってお教え頂くこととなりました」
次の威圧訓練には、また自分が参加していいらしい。
ほんの少し心を躍らせかけたが、今はそこではない。
龍騎士は、そのまま言葉を続ける。
「ですが、若いワイバーンが食事をしないのは成長にも差し支えますし、何より怯えがひどく。前例がないので確かとは言えませんが、ワイバーンは上位から許されれば、同じ縄張りにいてもいいと判断するらしいので……」
言い迷う青年に、ヨナスも迷う。
ワイバーンを許した経験はないし、その方法を聞いたこともない。
「私のできることでしたらすぐにでも。どのようなことをすればよろしいでしょうか?」
「ワイバーンに、餌をやって頂けないでしょうか?」
生まれて初めての任務が降ってきた。