464.夢の楽園の後味
本日で魔導具師ダリヤ、書籍発売から5年となりました。
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ここからも物語の続きに励んで参りますので、どうぞよろしくお願いします。
楽しい祝宴ほど早く終わる。
そんなふうに言われるものだが、通常なら二次会ももう終わる時間、黒鍋はいまだにぎやかだった。
一階の手洗いに行く途中、ドリノは何度も祝いの言葉をかけられる。
ファビオラがあまり食べていなかったようだからと、サミュエルが二階のテーブルに温かい料理を追加で出してくれた。
そして、客達には珍しい酒やミニサイズの罠パイ――何個かに一個、とても甘い物ととても辛い物が交じるそれが勧められている。
ダリヤが唐辛子多めの牛ひき肉炒めを引き当てて涙目となり、ヴォルフが代わって食べていた。
当然のような受け渡しを、周囲が生暖かい目で見守っている。
挨拶回りの途中、ファビオラがそっと教えてくれた。
ヴォルフの衿とダリヤのスカートの裾の、金の刺繍。
細い鎖に連なる小花が咲くように見えるそれは、『金鎖』という植物を模した意匠だという。
花言葉は、『相思相愛』。
ダリヤの方は貸衣装だと聞いたが、見事にそろっているあたり、服飾師ルチアの努力が偲ばれる。
残念ながら、あまり報われていないようだが。
ドリノとしては、黒髪の友の背中をばんばん叩いて伝えたくなったが――
あの二人も思い出を重ね、落ち着くときに落ち着くだろう、今夜はそう思えた。
「ドリノ」
階上に戻ろうとすると、聞き慣れた声に呼び止められた。
魔物討伐部隊の先輩であり、隊長の補佐も務めるジスモンドだ。
シルクシャツに黒茶のベストとトラウザーズは、彼も貴族であることを感じさせる品の良さだった。
「おめでとう。私にも祝いの酒を注がせてくれないか?」
一階の端、誰もついていないテーブルの前、ジスモンドは立ったままで言う。
二つそろったグラスは、まるで自分を待っていたかのよう。
ドリノはありがたく受けることにした。
「ありがとうございます、ジスモンド様」
グラスにワインを注ぎ、それぞれが手に持つ。
周囲の喧噪に混じり、低い声が向けられた。
「ドリノ。以前、私はお前に、『いずれ夢は醒める』、そう言ったことがあるな」
「そうでしたか、ちょっと記憶になく――」
ドリノは笑って返す。
本当は覚えている。
遠征先で彼に言われた、『花街は夢の街だ。夢はいずれ醒める』、と。
それは悪意ではない。自分を心配してのことだとわかっている。
そして、夢は醒めなかった。
いや、今、ファビオラと共に過ごす毎日は、夢のように幸せだ。
ジスモンドは黒茶の目でドリノを見つめた後、その場で目礼した。
「あの日の発言を、撤回の上、お詫びする。貴殿は夢を叶えられた」
「ジスモンド様……」
「ドリノの、いや、お二人のこれからの幸せを祈らせてくれ」
「ありがとうございます。俺は――これからも幸せな夢を叶え続けるよう、頑張ります」
グラスを打ち合わせる音が高く上がる。
澄んだ響きの中、ドリノはこの誓いをずっと忘れまいと思った。
・・・・・・・
ドリノとグラスを干したジスモンドは、グラートのいる三階に戻る。
主にしては珍しく、飲み過ぎて酔いが回ったと、最奥の壁に寄りかかっていた。
自分の代わりにグラートについてくれた隊員に礼を言い、もう少し飲んでくるよう勧める。
『ドリノへ二杯目を注いできます』、彼はそう笑って階下へ向かった。
テーブルに目を向けると、肴の横、封を切っていない瓶が載っていた。
飾りのない白いラベルには、赤い文字で『夢の楽園』。
その味はジスモンドも覚えている。
鮮やかな赤だが、香りもコクも少なめの、安いワインだ。
高等学院、花街通いの一時期、グラートはこのワインに氷を入れ、水のように飲んでいた。
恋人に教わった飲み方だと、笑顔でこればかり。
自分も勧められ、同じように飲んだこともある。
だが、ジスモンドがその思い出を口にすることはない。
初めて見るような表情を作り、ラベルを読んだ。
「『夢の楽園』ですか、いい名前のワインですね」
「そうだな」
グラートは瓶を手にすると、自らそのコルクを抜き始める。
ジスモンドは勧められるがままに隣に座り、背中を壁に預けた。
「これで一安心ですね」
自分がついそう言うと、主は浅くうなずいた。
ドリノに面倒事が起こったら、グラートが手を伸ばす予定だった。
だが、先に腕を伸ばして囲い込んだのは年嵩の新人騎士――魔物討伐部隊の大先輩達である。
昔のように、『準備が足らん! 取りかかりが遅い!』
そう叱責されてもおかしくなさそうだ。
「妻の父はグッドウィン男爵、身元保証人はドラーツィ元侯爵と現侯爵か。なかなかの布陣だな」
「羽虫も全力で逃げるでしょう」
むしろ、これで口や手を出せる者がいるなら、その家と名を知りたい。
話が回らぬほどの無能か、命知らずの愚か者だろう。
ジスモンドはグラートのグラスに赤を満たす。
その後、己のグラスに注ごうとし、剣ダコとペンダコのある手に奪われた。
グラートはジスモンドに酌をしながら、左手のグラスで口元を隠す。
「虫もネズミも寄らせんさ。もし腕が足りぬときは、弟に強めの忌避剤を用意してもらおう」
「弟君のため息が聞こえてきそうですよ」
「大丈夫だ。私のわがままには慣れているからな」
ワインを口にした後、その朱の目がまぶしげに細められた。
視線の先は階段。
階下から響く笑い声、その中央にいる紺髪の新郎と金髪の新婦が見えているのだと、確かにわかった。
「――叶えられなかった男が、叶えた男を祝うぐらい、見逃してくれ」
ひとり言めいたささやきに答えず、ジスモンドはグラスを傾ける。
夢の楽園の後味は、舌に少しだけ苦かった。