455.守護霊騎士の昔話
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『魔導具師ダリヤはうつむかない』アニメ化が決まりました。8月28日の活動報告にてご報告しています。
住川惠先生コミックス『魔導具師ダリヤはうつむかない~Dahliya Wilts No More~』6巻発売となりました。
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「コーヒーを飲む間、忘れてもいいような雑談をしましょうか」
エラルドのその言葉に、メイドが一礼し、部屋を出て行く。雑談の間は席を外すようだ。
先程までのザナルディの席には、エラルドが座った。
今までと変わらぬ笑みを向けられたが、一応、大公のご子息である。
ダリヤとしてはどのような態度を取っていいかわからない。
「びっくりなさったでしょう?」
「はい」
柔らかな声に、つい深くうなずいてしまった。
「私も驚きました。神官をやめて魔物討伐部隊に入ろうとしたら、オルディネ大公の息子になるという――これぞ、神のお導きだとは思いませんか?」
「はい、そう思えます、エラルド様」
きっぱり答えたのはヴォルフだ。
ダリヤは一瞬だけ迷ったが、同じく同意した。
今さらながら気になったのは、エラルドの呼び方である。
「あの、これからは『ザナルディ様』とお呼びするべきでしょうか?」
セラフィノとかぶってしまうことになるが、公爵家の子息である。
自分が名呼びをしていいかがわからない。
礼儀作法の本を思い出しつつ尋ねると、エラルドは首を横に振った。
「お気になさらず。今まで通り、エラルドで構いませんよ。 父上と一緒ではややこしいでしょう。これからは魔物討伐部隊仲間ですしね。『ダリヤ先生』、『ヴォルフ先輩』」
先生付けも慣れてきた呼び方ではあるのだが、こうして改めて言われると感慨深い。
先輩呼びされたヴォルフの方は、ちょっとだけ恥ずかしげな表情になっている。
そんな自分達の前、エラルドはローブの前を開けて座り直す。
その下に着ていたのは黒地に銀の縁取りがある騎士服――魔物討伐部隊のものだった。
「騎士服がよくお似合いです、エラルド様」
「ありがとうございます、ダリヤ先生。今後はずっとこの服のままでいようと思っております」
明るく答えたエラルドが、何も入れぬコーヒーを口にする。
ダリヤとヴォルフも、同じくコーヒーを味わった。
短い沈黙の後、向かいでカップがソーサーに戻される。
「さて――お二人とも、私の昔話に、ちょっとだけお付き合い頂けますか?」
「エラルド様の昔話、ですか?」
「どのようなお話でしょうか?」
急なことに理解が及ばないが、二人同時に聞く体勢をとる。
エラルドは穏やかな表情のまま、両手の指を組んだ。
「私は高位貴族の家に生を受けました。治癒魔法を持っていたので、生まれる前からの約定通り、赤子のうちに養子に出されました。学院に行くこともなく、治癒魔法使いの魔導師達から学びながら、治癒を覚えました。治療相手はすべて貴族。喜ばれ、褒められました」
幼少のエラルドは順風満帆な貴族生活を送っていたようだ。
それがなぜ神官になったのか、そう思うダリヤの前、淡々とした声は続く。
「幼い頃はグラート様達とも交流がありました。そこで騎士を夢見ましたが、自分の向きは治癒魔導師と言われ、あきらめました。一族の皆様が優しく、同じく治癒魔法を学ぶ婚約者と仲良く、自分は幸せだと、ただの一度も疑うことなく生きておりました」
不意に、まだ続きを言われていないのに止めたいと思ってしまった。
声も表情も変わらない。
それなのにその気配だけが冷えていく。
「十七で結婚する日、婚約者に言われました。『本当に愛する人が他にいる、子供を一人産んだら解放してほしい。新しい妻を代わりに用意する』と。私に求められていたのは治癒魔法使いであること、そして治癒魔法の使える子供に血をつなぐことだけでした」
「……っ!」
「治癒魔法が使えなくなり、味も匂いもわからなくなり、美しい女性にも心身は動かされず、神殿送りとなりました。神殿でも治せず、家で養う意味がないと縁切りされまして、神殿長に拾って頂きました。本当に、どうしようもなく弱い子供でした」
「エラルド様は弱くなどありません。そんなことがあれば、動揺して当たり前ではないですか!」
ダリヤはこらえきれず、声を大きくしてしまった。
相手も相手だ、なぜ結婚当日にそれを言うのだ? もっと早く言うべきだろう。
自分と重なる部分があるせいか、強く心が揺らいでしまう。
「俺もそう思います。悪いのは相手の方です」
ヴォルフも続けて同意する。
けれど、エラルドは凪いだ面を崩さなかった。
「誤解されているようですが、彼女は誠実でしたよ」
「え?」
「ダリヤ先生、ヴォルフ様、あなたに想い人がいたとして、家のため、別に決められた相手との子供が絶対に必要となればどうします? 第一夫人や第一夫と子供を持ち、想い人を愛人とし、長き日々をうまくやれますか?」
「できません……」
「無理です……」
ダリヤとヴォルフは、言葉は違うが同じ意味を重ねる。
向かいのエラルドが浅くうなずいた。
「彼女もそうだったのでしょう。迷いに迷って、家と愛する者を天秤にかけ、懸命に出した願い――十七の少女にそれ以上を求めるのは酷な話です。私が彼女の言う通りにできたらよかったのですが」
怒りも動揺も感じさせぬ静かな声は、さらに続く。
「ありがたいことに、神殿の皆様はとても親切でした。治癒魔法持ちが治癒魔法を使えなくなるということがどういうことか、ご存じの方も多かったので。私はそこで掃除や洗濯、草むしり、犬の世話を覚えました。時折、隠れて友と飲みました」
「ご友人と――そうでしたか」
よかった、そうは口にできないが思った。
エラルドがそれほどに辛いときに一人ではなく、友がいたのだから。
「私の護衛騎士であった年上の友だけが、つながりを断たずにいてくれたのです。彼は元の家を離れ、魔物討伐部隊員となりました。酒の席、赤い鎧を自慢されたこともあります」
「俺の、いえ、俺達の先輩にあたる方ですね……」
ヴォルフの声が低くなる。
赤鎧の先輩であれば、すでに亡くなった者もいる。
もしや、エラルドの友も――
「ええ。前回の九頭大蛇戦で、九の口を縫い止めた騎士です」
「……っ!」
相槌が打てない。
視線を外せればいいのに、緑琥珀の目がまっすぐに自分を見ていた。
「九頭大蛇戦の後、棺が神殿に運ばれました。彼の頭と騎士服だけが、枯れた花に埋まっていました。私は治癒魔法がなかったので神に祈りました。この命と引き換えで構わない、彼を生き返らせてくれと。けれど、戻ったのは私の治癒の魔力でした」
「エラルド様……」
思わず名を呼んでしまったダリヤに、向かいの彼が笑む。
けれど、それはこれまでのような優しげなものではなく、ひどく寒々しかった。
「遅すぎました。治癒魔法をかけても生き返らない。蘇生魔法は使えない。取り上げられた彼が灰になったとき、自分も終わろうとしたのですが、治癒魔法が自動でかかるので死にきれず。自棄で魔核を飲んだら石化してしまい、解呪まで神殿長にずいぶんご迷惑をおかけしました」
「そういうことだったのですか……」
エラルドの年齢よりはるかに若い姿に納得がいった。
それなりに長い時間、石化したままだったのだろう。
「はい。起きてからは神殿長への恩返しでした。ひたすら治癒魔法を使い、医療を覚えました。魔力が上がってしまったので、王城によく呼ばれるようになり、次期神殿長などというお声を頂くようにもなりましたが、正直、面倒で……」
その頃は仕方なく生きていただけ、そう思えるような浅い声が吐かれた。
「グラート隊長に声をかけられ、魔物討伐部隊の遠征に同行させて頂きました。隊の皆様が魔物と戦った後に笑い合うのが、私にはとてもまぶしく――うらやましかった」
「同行して頂いたエラルド様も仲間です! 俺達は助けてもらったのですから」
ヴォルフが懸命に言う。
そんな彼を、エラルドが今、まぶしそうに見た。
「ありがとうございます、ヴォルフ様。あの日も皆様そうおっしゃって、この手にワインを頂きました。不謹慎な話ですが、そのときから酒の味が戻ったのです。私はまだ生きていたのだと、ようやく思い出しました」
緑琥珀の目が部屋の壁を透かし、遙か遠いものを見た。
「魔物はとても強いですね。そして、とても美しい。戦う隊員の皆様は、さらに美しい。私はきっと――魔物討伐部隊に惚れたのです」
熱のこもる声を聞きながら、ダリヤは内で納得する。
エラルドは銀衿の神官よりも、魔物討伐部隊員、仲間のいる騎士として生きることに焦がれたのだ。
そこには騎士の友人のこともあるのかもしれない。
彼には治癒魔法という武器がある。
きっと望む通り、ここから騎士として歩んでいくことができるだろう。
「お二人は騎士の私の親のようなものですから、お話しさせて頂きました」
「え? 親ですか?」
突然の言葉に声が高くなる。
自分達も養子の件に何か関係があるのか、侯爵家のヴォルフならともかく、ダリヤ自身は思い付かない。
慌てかけたとき、エラルドに名を呼ばれた。
「ダリヤ先生、あなたは、私を守護霊騎士と呼んでくださいました。背縫いではなく盾だと。たとえ話だとしても、あれはうれしかったです」
「たとえなどではありません。エラルド様は九頭大蛇戦で、魔物討伐部隊も、国境警備隊も、皆を守ってくださいました」
エラルドはどれだけの者を救ったか自分で認識していないのか、そう勢い込んで答えてしまった。
「ヴォルフ様、あなたは『次がありましたら、また魔物討伐部隊と共に戦ってください』とお誘いくださいました。世辞だとしても、私は隊の仲間になりたいと、そう思いました」
「世辞ではありません、エラルド様! とても心強いことです」
ヴォルフも真剣な思いでの話だったのだろう、声が少し高くなる。
そんな自分達に向け、エラルドはこれまでで一番、大きく笑う。
「騎士の道をくださったお二人に感謝を。そして、お約束致します――私は魔物と戦えないほどに弱い。それでも騎士の背中を守る盾でありましょう。騎士には守護霊と呼ばれ、魔物には悪魔と思われる騎士を目指しましょう」
広げられた両腕に剣と盾はない。
それでもエラルドは、頼れる騎士の顔をしていた。
「ありがとうございます、エラルド様……」
喉がつまりそうになりつつも、ダリヤはなんとか言葉にする。
「これからよろしくお願いします、エラルド様」
ヴォルフの晴れやかな声にうなずくと、エラルドはぽんと両手を合わせた。
「ああ、思い出しました。九頭大蛇戦の祝勝マグカップを作られるとか。私にも一つ購入させて頂けませんか? 何番でもかまいませんので」
「いえ、うちの商会からお贈りさせて頂きますので。できれば、エラルド様のお名前を刻ませて頂ければと――」
あの日、エラルドはまちがいなく九頭大蛇戦に参戦した。
ここはしっかり名前を刻むべきだろう。
「では、『エラルド』になりますか。あの頃はまだ、ザナルディの姓がありませんでしたから。間が空くようであれば、そこに日付でも入れて頂いて」
「あ! エラルド様、そこは『守護霊騎士・エラルド』と刻めばいいのではないでしょうか?」
「いいですね、ヴォルフ様! ぜひそれでお願いします!」
黄金と緑琥珀がとても似た輝きを宿す。
了承の意味を込め、ダリヤは両者に向けて二度うなずいた。
しばし後、戦勝マグカップに刻まれる文字は、『守護霊騎士・エラルド』
黒髪の騎士は、その金の目を輝かせて褒め称えた。
そこから魔物討伐部隊員の間で、格好いい二つ名探しがひそかに流行ることとなるが――
今はまだ知らぬ話である。